心淋し川
著者:西條奈加
発行:2023年9月25日
集英社文庫
初出:小説すばる
「心淋し川」2018年7月号
「閨仏」2018年10月号
「はじめましょ」2019年1月号
「冬虫夏草」2019年7月号
「灰の男」2019年10月号、11月号
9年前の2015年、初めて西條奈加作品を読んだ。睦月童(むつきわらし)という、江戸時代を舞台にしたファンタジー小説だった。7話からなる長編だったが、なかなか印象に残る作品であり、この作家は注目だと読書メモに書き留めていた。
その5年後に発表された「心淋(うらさび)し川」で、直木賞を受賞した。それは読まなければと思いつつずるずる。今年、やっと読めた。江戸の千駄木町の一角にある「心町(うらまち)」という長屋を中心とした、庶民でもやや生活レベルが低めの人たちが住む町の話で、6話からなる連作短編である。共通して出てくるのは茂十という差配だが、第6話ではその茂十が主役となり、それまでの話に出てくる人や出来事が見事に結びつき、茂十の過去が明かされていく。
文芸誌「小説すばる」に1年以上にわたって発表された作品だけれど、矛盾なくぴたりと結びつき、締めくくられる鮮やかさ。さすがの実力としかいいようがない。こういう連作短編ものを読むといつも思うが、短編執筆を重ねていくうち、「ああ、あの短編の設定はこうしておけば良かった」とか、「あの設定は失敗だったなあ」とかいった後悔が出てこないんだろうか。
西條奈加作品、この他にも何冊か購入したので、読むのが楽しみである。
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(下記は、読書メモ、ネタ割れ)
1.心淋(うらさび)し川
ちほ:心町に住む娘
きん:ちほの母
荻蔵(おぎぞう):ちほの父、柿の湯で釜たきの仕事
てい:ちほの姉
茂十(もじゅう):長屋の差配
元吉:紋上絵師(上絵師)、茅町の「丸仁」で修行
千駄木町の一角、心町(うらまち)。長屋近くに流れる川は、根津権現の北を流れる曙川から流れていると、ちほは思っていたが、実は崖上の大名屋敷からの水だった。茂十が解説してくれた。
ちほは、早くこの町を出て帰ってきたくないと思っている。姉は嫁に行き、子もいる。当初はほど近い根津にいたが浅草に越した。ちほは、姉がしていた針仕事を引き継ぎ、岡場所がある宮永町の「志野屋」で仕事をもらっている。「針妙(しんみょう)」と呼ばれている仕事だった。手代が厭味な男で、姉に比べてあんたは下手だと言う。
ちほは、志野屋に出入りする上絵師(着物の上に紋などを描く)の元吉と恋仲だった。元吉は6月に年季が明けるので、それからは独立する気だという。だが、ちほが結婚のことをいうと、はぐらかす。岡場所に女がいるのか?聞いてみると、そんな店には出入りせず、兄弟子の実家が経営する居酒屋に行くだけだという。そこに女気はない。
ある夜、茂十が来て大変だという。荻蔵がその居酒屋で若い男を殴ったという。以前は酒癖が悪く、もう二度と喧嘩はしないと誓っていたので、よほど相手から仕掛けられたんだろうと思って現場に行くと、一方的に荻蔵が殴っていた。相手は元吉だった。元吉が兄弟子にちほのことを相談していて、それを聞いた荻蔵が「お前になんか嫁にやらん」と殴ったのだった。
元吉から話を聞くと、年季があけたら京へ行くという。有名な上絵師がいて、そこで修行をしないかと今の親方から推薦された。大喜びだが、行くと3年が年季。しかし、もっと長く行く必要があるかもしれないし、すぐクビになるかもしれない。しかも、弟子は住み込み。ちほと所帯を持ちたいので、迷いに迷っていた。だからはぐらかすような答えばかりをしていた。しかし、今夜、父親から殴られ、娘が大切にされていることが分かり、安心して自分は京へ行けると思い、決心をした。
2人は別れた。すると、志野屋の手代がそれを知り、結婚を申しこんできた。前から好きだったという。最初、本当に縫いが下手くそで厳しく言ったけど、段々うまくなって嬉しくなっていったという。しかし、ちほはぴんとこなかった。この人に恋心を抱けるのかどうか・・・返事は保留。
茂十から話を聞く。川の名前は心川(うらかわ)、心町に流れているから心川とまちの人たちは呼ぶ。でも、本当は違うという。「心淋(うらさび)し川」が本当の名前で、町の名前はこの川から来ているという。この長屋の差配を引き受けたのも、その名前に惹かれたからだとのことだった。
2.閨仏(ねやぼとけ)
おりき:六兵衛長屋と呼ばれる一軒家に住んで14年、六兵衛の妾
おつや:29歳、2番目の妾
おぶん:3番目の妾
おこよ:4番目の妾
大隅屋六兵衛:青物卸でヤッチャ場(市)の世話役の一人
郷介:仏師
六兵衛長屋は一軒家。ぶさいくな妾ばかり4人が住むため「おかめ長屋」とも呼ばれていた。心町。差配は茂十。おりきはおかめ顔だったため、子供のころに女衒にも見放され、おかげで売られることなく煙管屋の女中に。おかめは福をもたらすとの祖母の言葉。その煙管屋で六兵衛に見初められ、内儀公認の妾に。最初は1人だったが、4年たっておつやが入る。敵意を向けられた。さらに、おぶんとおこよも。
ある日、六兵衛が来て、おつやの部屋に。なにやら包みがある。開けると、男根に似せた〝道具〟だった。いたずら心でそれに筋を入れ、顔を描いた。六兵衛はそれを持って帰ったが、ヤッチャ場の連中に見られた。すると、たいそう受けて、俺にも作ってくれと頼まれた。六兵衛はおりきに作ってくれと頼んだ。
おりきは作ったが、出来上がると根津権現にいってそれを見せ、こんなことに仏様をつかう赦しを得ていた。そこで、仏師の郷介と出会う。郷介もその〝仏〟の顔を気に入る。2人で寺回りなどをするように。
六兵衛が腹上死(おこよ)。4人はこれからどうなる、追い出されるのかと不安に。茂十は、当面は心配しなくていいという。そこに郷介が現れ、一緒にいたいという。そして、あの仏を販売することになった。おりきは、そのお金で家を借り続けることにした。
3.はじめましょ
与吾蔵:心町で「四文屋」を継いで7年
稲次:四文屋(しもん)の創業者
るい:「今木」で仲居をしていた、与吾蔵もいた、本名はれん
ゆか:るいの子
与吾蔵は稲次と同じ名の通った料亭「栄江楼」で修行をしていたが、兄弟子からの嫌がらせやいじめは酷かった。一人だけ優しかった先輩は稲次だった。稲次は気が弱い。堪えられなくなってやめた。勝ち気な与吾蔵も稲次が去ると辞めたが、そのあともいろいろな料亭にいて、最後に「今木」。
稲次は辞めてから、心町で「四文屋(しもんや)」を開店、小さな店だが安いので人気が出た。四文あったら食える店。根津門前町に比べ、うらぶれた町だが、借金があったのでここにしか店が出せなかった。とにかく安い食材を仕入れて提供していた。ところが、稲次が病気で倒れた。今木を辞めてすぐだった与吾蔵は見舞いに行き、稲次に頼まれて店を継いだ。差配の茂十が、店を継ぐときにとりなした。
その少し前、今木で仲居のるいと出来ていたが、妊娠を告げられ、誰の子か分からないと、るいから離れた。与吾蔵はまだ所帯を持つ気がなかったからそうしてしまったが、酷いことをしたと後悔していた。
ある日、
はじめましょ めましょを見ればなりそな目もと めもと近江の国ざかい・・・
と歌っている少女を見かけた。歳は七つ。どきりとした。この意味不明の歌はるいが歌っていた歌だった。まさかこの子は・・・でも、その子は、母親からしつけられて知らない人には個人情報を明かさない。
鼻歌でそれを歌っていると、聞いていた茂十が、それは『当世風流地口須天宝』だと解説をしてくれた。言葉遊びの本に出てくるという。
別の日、あの少女がまたいた。すると、そこに母親が帰ってきた。やはり、るいだった。与吾蔵はあの時のことを詫び、3人で住むことにした。話を聞くと、この子は与吾蔵の子ではないという。やっぱりそうか・・・いや、違う。与吾蔵との子は生まれて5日で死んだ。しかし、乳は出続けた。捨て子を育てることにした。ゆかは、その捨て子だった。捨て子をもらうには身元がしっかりしていないといけないが、今木が文人墨客に人気だったので、あるその筋の夫婦の世話になった。その夫婦に教えられたのが、あの言葉遊びの本の内容だった。節まわしは、るいが勝手につけたものだった。
4.冬虫夏草
吉:薬種問屋「高鶴屋」の元おかみ
寿兵衛:吉の夫、三代目
富士之助:
津賀七:富山の薬売り
心町の長屋に住む、吉(母)と体が不自由な息子の富士之助。酒を求めるなど、わがままな息子。近所の人たちは不快に思っているが、吉は息子の世話をして満足気。富山の藥売りの津賀七が現れ、吉にお懐かしいと挨拶をする。
町医者の娘だった吉は、父の手伝いで嫁入りしたのが21歳と遅かった。寿兵衛も勉強家で30歳近かったのでちょうどよかったが、息子は親に似ずに勉強嫌いだった。やがて油問屋の次女と知り合い、17歳の若さで嫁に迎えた。吉と寿兵衛はあまり賛成していなかったが、祝言をあげた。そこで生まれる世代間ギャップ。嫁と息子は揃って食事をする。習わしである女は後で食べる、ではない。また、嫁も勝手に着物や小間物などを買う。揚げ句の果ては、実家から文が届き、購入費はこちらで持つから好きなようにさせてやってくれと頼まれる。
高鶴屋の初代が富山出身だったことから、富山の薬売りをいつも歓迎し、宿泊させて食事を振る舞った。津賀七は東京の〝実家〟気分にひたり、心から感謝していた。ところが、嫁が来て2年ほどで寿兵衛が死ぬ。豊富な知識があったので、頼りない四代目では対応できず、医師など大切な客が逃げていった。もう店は売らないと駄目になった。そんな時、富士之助が酔っ払って侍と喧嘩をし、下半身不随となった。吉は気をきかせて、嫁を離縁させた。
吉は、嫁に息子を取られてぽっかりと心に穴が空いていたが、世話をすることで喜びが戻ってきた。そんな時、火事になり、心町の長屋へ。今日に至る、というわけだった。
冬虫夏草(とうちゅうかそう)とは、蛾の幼虫に寄生する茸で、漢方の薬とされる。冬のあいだ虫は生きているが、菌に殺されて夏には草と化す。
5.明けぬ里
よう:葛葉(くずのは)
桐八:ようの亭主
明里:三囲屋の禿あがり、
明里は10歳になる前から禿(かむろ)として「三囲屋(みめぐりや)」に抱えられ、読み書き、茶道、和歌に至るまでみっちり仕込まれ、十代で途中から入った者とは教養が違う。書の美しさが評判で、音曲の素養もあった。
ようは15歳で売られて三囲屋へ。葛葉となる。その時、明里はすでに禿を経た者だけがなれる振袖新造の地位に。新造のうちは客をとらない。その対にいるのが留袖新造。葛葉もそれで、早々に客の相手をさせられる。この身分による線引きに、ようは不満で口に出したが、明里は体を売らなくても何十倍も稼げるから仕方ない。
子供の頃から気が強かったよう(葛葉)は、父親が賭博で作った借金のために姉が売られることになると、父親に文句を言った。喧嘩しているうちに自分が代わりに行くという啖呵を切ってしまい、売られることになった。三囲屋に入っても、かわいげのない新入りとして先輩たちから苛められ、折檻を受けた。布団部屋でぐるぐるまきにされているところ、優しくしてくれた明里。葛葉にとっては、唯一の優しい先輩(年下だが)でありつつ、羨望の的でもある、微妙な関係。
やがて、明里は蔵前の札差に身請けされる。大金持ち。それからまもなく、葛葉も「出雲屋」の隠居が借金の肩代わりをして身請けしてくれた。70歳近くで下半身はもうだめだったが、遊びには来ていた老人だった。しかし、身請けだけで、あとの面倒は見てくれない。半年ほどして死んでしまい、いよいよ行くところがないようは、客の一人だった桐八に誘われ、彼が住む心町の長屋に入り、嫁となった。桐八は瓦笥(かわらけ)職人で大して腕は良くない。博打でうっぷんを晴らすが、大勝ちするのはせいぜい月に1度。ようは「クソ亭主!」となじる。亭主は娼妓だったことを言うが、あんたはその客だったくせに、と反論する。
ようは、吉祥寺門前町にある「よいや」で酌婦をして生活費を稼ぐ。時にはそれだけでは足りないので体を売ることも。この日も店に行くと、暑さで倒れてしまう。声をかけてくれたのが、なんと明里だった。久し振りの再会。2人は昔話や現状について話す。ようが妊娠していることを見抜く明里。しかし、ようはおろすつもりと言う。亭主の子だと言っても信じてもらえないだろうから、と。実は、明里も妊娠していた。札差の子供だろう・・・
後日、読売を見ると、心中の記事が載っていた。なんと、女は明里。相手は、札差の手代だった。
6.灰の男
会田錦介:例繰方(れいくりかた)
萩:妻
久米茂左衛門:茂十の本名、町奉行同心の家に生まれる、元諸色掛り
佳枝:茂十の妻
修之進:息子、諸色掛り
峯田穂吉:修之進と同時に見習いになった
地虫の次郎吉:夜盗の頭
茂十は差配となって12年。そして、息子が夜盗の次郎吉に殺されてから18年になった。幼い頃から同じ同心の子として育った錦介と、蓮屋で師走恒例の飲み会。錦介は、今も町奉行所の例繰方(犯罪の罪を調べて審議する者に指し示す)をしていて、隠居のタイミングをはかっている。
18年前、17歳の修之進は諸色掛り見習いとして、茂左衛門(茂十)についていた。しかし、同じような立場の若者たちと、自主的に見回りも。夜盗〝地虫の次郎吉〟が出る頃だと感じていたからだった。次郎吉は殺しこそしなかったが、女を犯すなど酷いやり口の夜盗だった。息子を心配する佳枝。茂左衛門も心配し、錦介に相談。錦介は茂左衛門夫婦と修之進、それと一緒に見回りをしている5人の若者を呼んで、船で一杯やりながら諭そうとした。しかし、船上で茂左衛門と修之進は次郎吉の一団らしき光を見てしまう。血気にはやる6人の若者は、船を下りて向かっていく。冷静を呼びかけて追い掛ける茂左衛門。
一団に遭遇した修之進は、弾みで手下の若い衆を切ってしまう。それに怒った次郎吉は、修之進を殺してしまう。意気消沈する茂左衛門。息子の一周忌が済むと、妻の親族から養子をとり、妻を任せて自分は別のところに移り住んだ。息子が死んで3年半後の秋、妻が死んだ。事故か自害かは不明。そして、それから2年、つまり息子の死から5年半後、楡爺を見つけた。
楡爺は3年前に心町に来た。それから、ずっとボケたままだった。毎日、楡の木の下で物乞いをしていた。彼を物置小屋に住まわせていたのは、第2話で出てきた六兵衛だった。茂左衛門は楡爺の胸ぐらを掴み、自白させようとした。とめにはいって守ったのは、第3話に出てくる「四文屋」創業者の稲次だった。
奉行所に行き、捕まえてくれという茂左衛門。しかし、のらりくらりとかわされる。確証がない、と。そのうち、錦介が事情を調べてくれた。心町は町屋に見えてそうではない。実は、大名の土地だった。そこに、勝手に住み着いている。だから、そこから悪党が出ると大名連中の沽券に関わる。だから、いいことを考えた、新しい差配になれと。そして、楡爺を監視したらどうか、と。そんな手配をしてくれていた。
差配になって監視し続けたが、やはりボケは本物だった。諦めかけた。もうここから離れて田舎で暮らすか・・・そんな時、楡爺が倒れて、うわごとで18年前に死んだ手下の名前を連呼しはじめた。よくよく聞けば、それは手下ではなくて息子だった。ずっと行方不明だったが、会えて1年たったときに、修之進に殺されてしまった。その仕返しに、修之進を殺したのだった。
2人は、同じような身の上だった。
第5話に出てきたようは、子供をおろさず、臨月が年明けにせまっていた。
第1話にでてきたちほは、結局、志野屋の手代と一緒になることになった。