沢木耕太郎のレビュー一覧
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この巻では、一生日本にいるだけでは絶対に味わえない感覚というものを一番強く感じた。
それは長旅特有の退廃的な感傷だ。
筆者は、果てしなく長い旅が終わりに向かいつつある中で、ここまでと異質の後ろ暗い感情に支配されるようになる。
アジアと欧州の文化が入り混じるトルコや、古代文明の痕跡を随所に感じられるギリシャを訪れる。自分だったら一番胸を躍らせるだろう。
筆者は旅の序盤から異国人の熱気、異文化的な触れ合いを浴び続け、新鮮さが摩耗した。
旅の中での唯一の使命を果たした。
唯一マストで立ち寄りたかった地も踏破した。
値切り交渉や一期一会の現地人からの施しもルーティン化し、擦れてしまった。
きっと居心地の悪い要素が重なって、病のように暗い感情が強くなるのだろう。
それでも筆者は旅を前に進める。ラスト一巻、旅との向き合いにどう結論を出すのか楽しみである。
自分は長旅をしたことがないから分からない感覚だが、この退廃的な側面が出てくるまで旅を続け、その感情も味わい尽くすことを含めて旅の醍醐味なのではないかと思った。
すぐにでも同じ感覚を体感しに飛び出したい、と思う一方明日の仕事に備えて寝ようとしている自分から。せめて思いだけ馳せて。 -
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苦戦の読書。
最近好きな本と苦手な本が明確になってきたようで、困る。
そもそもボクシングは好きではない。
だがなぜかボクシングマンガ『あしたのジョー』と『がんばれ元気』は大好きなので、行けるかなあと思ったのだけど。
タイトルの『一瞬の夏』から、一点に凝縮したエネルギーが爆発した時の光や熱などを想像したのだが、上巻だけを読んでいると、湿度の高いじっとりとした日本の夏のような感じ。
爽やかさも、ギラギラした熱量も感じられない。
天才と目されるくらいの才能を持ちながら、気がやさしくて練習嫌いで殴り合いが嫌いという、元東洋ミドル級王者のカシアス内藤。
一度はリングを去ったものの、ボクサーとして再起する彼を応援する著者や周囲の男たち。
普通にスポーツのルポルタージュだと思って読んだら、全然違う。
著者が対象に近すぎる。
何なら自分のことを書きたいのか?と思ってしまうくらい。
読みやすい文章ではあるけれど、内容が素通りしていく。
だって興味ないもの、ボクシング。
評判の高い本だから下巻も読むけど、難行苦行になりそうだなあ。
面白く読めるといいのだけれど。 -
Posted by ブクログ
まさに一期一会の旅。
この本でいちばん心に残るのは、ふらっと立ち寄った場所で出会う人たちとの交流だ。
商売目的で近づいてくる者もいれば、親切心から食事を奢り、一緒に宿を探し、駅まで見送ってくれる人もいる。現地の子どもたちと無邪気に遊び、ときには連れ込み宿の住人たちと深く打ち解ける。
そうして言葉を交わす中で、その街の輪郭が浮かび上がり、同時に自身の旅を見つめ直す。出会った人たちと二度と会うことはないかもしれない。それでも、その一瞬を確かに分かち合っている。
放浪の旅の醍醐味は、「どこへ行くか」ではなく、「誰と出会い、どんな時間を過ごすか」にあるのだと教えられた気がした。 -
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ネタバレ(第14章)パルテノン神殿に対して「観光地として生き永らえている」と印象を持つ感覚は少し分かるような気がした。
旅に好奇心や新鮮さ、刺激を感じなくなってくることを「旅の壮年期・老年期」と人生になぞらえていて、ますます旅を魅力に感じる。
「旅は私に二つのものを与えてくれたような気がする。ひとつは、自分はどのような状況でも生き抜いていけるのだという自信であり、もうひとつは、それとは裏腹の、危険に対する鈍感さのようなものである。(中略)「自信」が「鈍感さ」を生んだのだ。私は自分の命に対して次第に無関心になりつつあるのを感じていた。」 -
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ネタバレイランは行ってみたい国のひとつ(シーラーズのピンクモスクを見てみたいという程度の動機だけど)
深夜特急は、旅をするとはどういうことか、を考えさせてくれる。4巻目の対談(文化人類学者 今福龍太氏と)では特にそうで、
「留まることと移動することについて」
「世界には2種類の場所がある。放っておいても何かが起こる場所と、自分からアクションしないと物事が動かない場所」
「それを知って何かが起こる場所へ出向くのか、それとも行った先が結果的にそうなのか」
それから、言葉で理解することの限界について知りながらも、言葉で理解できることもあると希望を捨てない…というフィールドワークやインタビューについての話もおもしろかった。 -
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ネタバレバックパッカーのバイブル『深夜特急』3巻目。
こんな状況だったらきっとそう感じるだろう、と共感できそうなこと(とはいえ誰でも実体験が可能ではないこと)を豊かに表現していておもしろい!情景が浮かんでワクワク、ドキドキする。
旅先で人と出会い、そのたびにぐるぐる色んな感情を感じる豊かさと、自分は旅人であるということへの寂しさ、孤独感のようなものを感じながら読んだ。
このシリーズは最後の対談とエッセイで満足感がさらに上がる。
「好奇心が摩耗しているのに外国旅行をしなくてはならないというのはほんとに切ないことですね」
「旅がすさんできた」
こんな表現が分かるような旅をしたことはないけど、ああそういうこともあるんだろうな…と。 -
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ネタバレ『凍』を読んでから改めて著者の作品に興味を持ち始めたので、購読。戦後の宰相やその周りの政策当局者が何を考え、どう行動したか。下村恭民(下村治の息子)による解説で強調されているが、本書の中では当時の政策当局者が経済理論に強い関心を持ち、この取組みの中から「所得倍増」等のキーフレーズが誕生したことが示されている。復興期に於ける米国との関係維持だけでなく、その先にどう成長を実現していくか、まさに一寸先が見えない状況に於いて、引くべきレバーは設備投資費の増加なのか等、マクロな視点で経済を捉え、議論していた過程が印象的であった。当時に比べて現在は、成長が長らく停滞し、それ故にわかりやすい1つのスローガンでは国民の理解を得るのが難しい時代なのだと思う。豊かな時代を経験したからこそ、個々人が不満に感じる点は千差万別であり、これに対応しようとすればミクロな政策の話が中心になってしまう。しかし、常々感じていたことではあるが、ゼロ成長の時代を生きるにあたり国民が欲しているのは、やはりよりマクロな指針、そしてそれに基づくミクロな政策の説明なのではないだろうか。あくまで個人の感覚として、「所得倍増」のようなフレーズが思い当たらない現在に於いて、前者の説明が不足しているように思えて仕方がない。大きな指針無くしては、個別の政策の議論の着地点をどこに求めるべきなのかも見出しにくい。本書が描きたかったこととは異なるかもしれないが、当時と現在を比較して、上記等を考えながら読んでいた。
特に印象に残った箇所は以下の通り
・だが、日本経済が巨大であるということを国民の誰もが疑わない現代においてではなく、いったい日本がどこへ行くかもわからなかった一九五〇年代の半ばに、「日本経済には力強い成長力がある」といいつづけることがどれほど困難なことであったか(p.63-64)
・おそらく、将たる者は人に好かれるだけでは足りない。人を好きになる能力が必要なのだ。この挨拶の中には、池田の人を好きになる能力といったものがはっきりと映し出されている(p.93)
・三人は確かに「ルーザー」だった。しかし、日本という国を、吉田茂のいう真の「グッド・ルーザー」に仕立て上げようとすることで、三人もまた<よき敗者>となるべき道を歩み出していたのだ(p.141)
・下村は、この「反安保」のうねりを、自分たちがどこへ向かって進んでいけばよいかわからない国民の苛立ちだ、と見ていた。「日本国民の生きる道はちゃんとあるのだということを明示すれば、その苛立ちは消える」という固い信念があった。池田の手になる「所得倍増」がそのひとつの道になるはずだった(p.212-213)
・西欧近代、とりわけ西欧の経済水準に「追いつく」ことがすべてである時代が終わったとき、戦後日本の資本主義にとっての<蜜月>も終焉していたのだ(p.283-284)
・もし、これから先、日本がゼロ成長を生きなければならないとすれば、それは世界の静かな中心になるためなのではあるまいか、と(p.302)
・(あとがき)中でも、徹底した三人称によって「シーン」を獲得するという方法論に強く反応した。「シーン」こそがノンフィクションに生命力を与えるものではないか、と(p.309)
・(あとがき)もし、私が『危機の宰相』を優先していたら、いまの私と質の違う書き手になっていたことだろう。さまざまな形で歴史に物語るという方向に行ったかもしれない。あるいは、仕事を仕事として書くという、まさにプロフェッショナルな書き手になっていったかもしれない。しかし、私は「書くこと」の前にまず「生きること」があるという書き手の道を選んだ(p.315)
・(解説)『危機の宰相』の一つの重要なメッセージは、あの時代の活力が単なる情熱や使命感や若いエネルギーの産物ではなかったこと、「所得倍増計画」に関わった多くの政策当局者が、経済理論に対する知的な探究心を共有していたことである(p.331) -
Posted by ブクログ
ネタバレ右派であるとか左派であるとかは関係なく、大声で人を恫喝する人や暴力で言うことを聞かせようとする人が苦手です。
そういう人の話を聞くのもちょっと無理。
なので、テロリストのノンフィクションというのは、わたしには少しハードルが高いものでした。
それでも、レッテルを貼って知った気になってはいけないと自分を鼓舞して読みました。
読んでよかった。
殺された浅沼稲次郎も殺した山口二矢も、損得で行動する人ではありませんでした。
なんとなく流されるということのない二人は、どちらも人付き合いが不器用です。
ある意味、信念に基づいて行動する、聞く耳持たない人の方が始末に負えないのかもしれません。
浅沼は年の功というか、大勢の人の中で損な役割を押し付けられても鷹揚に受け流すことが出来ても、二矢の潔癖な青臭さは妥協を許すことが出来なかったのだろうと思いました。
「政治家になりたい」と親に言ったら、「財産を減らすだけだからやめろ」と言われるような時代があったんですねえ。
浅沼稲次郎のエピソードですが、今の時代とは大違い。
んで、二矢の、というか多くの日本人の、強烈な反共感情。
過剰なほどに平等主義なのに、なぜ共産主義が嫌いなのかが、私にはよくわからないのですが、多分天皇制に対する意見の相違が大きいのかな。
二矢にとっての天皇は神聖にして犯すべからざる存在で、浅沼にとっての天皇は、個人的には崇拝の対象でありながら、政治家としては庶民の生活を守ることが大切だった。
譲れぬことは譲れぬとして、人は寛容が大事だと私は思っているので、浅沼の生き方には大変感銘を受けました。
”重大な案件が選挙のさいには国民の信を問わない。そのときには何も主張しないで、一たび選挙で多数をとったら、政権についたら、選挙のとき公約しないことを平気で多数の力で押し付けようというところに、大きな課題があるといわねばならぬと思うのであります”
歴史に学ぶって、ものすごく大事。 -
Posted by ブクログ
一瞬の夏 上
ノンフィクションということで、事実に基づいた小説であることから、実際に登場するボクサーを知ってるか読みはじめたところ、世界のヘビー級元チャンピオン・ジョージフォアマンやモハメッド・アリそして、日本の具志堅用高、輪島功一など誰もが知っているボクサーが出てくるので、難なく入り込めた。主人公の登場人物カシアス内藤は記憶が無いが黒人との混血ボクサーということで興味深い。四年ぶりの復帰戦は勝利を納めたが、何となく勝っただけでは観客は納得しない。圧倒する強さを求めていた。自分的には負けないで良かったと思っていることから、後編が如何に闘うのか気になるところである。早く読みたくなった。