沢木耕太郎のレビュー一覧
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七章 神の子らの家
そこをひとりで歩いていくのには勇気が必要だった。...いちど迂回すれば無限に迂回していかなくてはならなくなる。
八章 雨が私を眠らせる
彼には、ヒッピーたちが放っている饐えた匂いを嗅ぐことしかできていなかったのです。...どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができます。...深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうひどの虚無です。
此経啓助さんとの対談
だからデリーからロンドンまでバスに乗って行こうとしたのは、自分の体内に地球を測ることのできる距離計を作りたかったからなんですね。...旅のことって抽象的に語れない、とは思いませんか?...たかがいくつかの国を短期間歩いただけで、分かったようなことは言うまい、と決めているようなところがありましてね。 -
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ネタバレ張り扇が鳴ると、場面が立つ。いまの講談の話だ。
『暦のしずく』が連れていくのは、その手前の時代。型がまだ粗い、江戸中期の講釈だ。
主役は講釈師・馬場文耕。元は浪人で、剣の腕も立つ。刀を置いて下町で語る。釈台を叩き、軍記を語り、やがて当世の事件へ踏み込んでいく。吉原、歌舞伎、番町皿屋敷。噂を拾い、確かめ、講釈にする。人気が増えるほど、危うさも増える。
本が高く、貸本が廻る江戸で、声は重要な情報源だ。語りは芸であり、時事であり、うっかりすると罪になる。『森岡貢物語』『秋田杉直物語』、そして郡上一揆に触れた『美濃笠塗らす森の雫』。言葉が刃になった瞬間、届いてはいけない場所へ届いてしまう。
しかもこの時代、どこまで語っていいのかが曖昧だ。線が引かれていないのに、踏み込んだら終わる。文耕はその綱を渡る。困った人を見かければ助けずにはいられない。だから噂へ近づき、真実を語ってしまう。
それでも読後に残るのは、剣客ものの手触りだ。無尽流。田沼意次。平賀源内。江戸の肌触り。最後に釈台を叩く音が響く。これにて一巻の終わりでございます。 -
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江戸時代に唯一芸人でありながら獄門となった市井の一講釈師にスポットを当てて長編小説と仕立てたという一見地味な主人公の物語であるのに、いつものように引き込まれるような沢木耕太郎の書きっぷりに読後の満足感を味わっている。
松平右近将監、田沼意次という登場人物から、大河ドラマの石坂浩二と渡辺謙の顔を思い浮かべたのは私だけでは無かったのではと思う。
68という齢となりまだ仕事をさせてもらっているが、人生の最後に悔いなく生きたと思えるよう残された人生を大切にしたい。
また、静岡にいる間に田沼意次が治世した相良の地を訪ねてみたいという思いを改めて強くさせてくれた。 -
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西川一三とは、如何なる人物なのか。
そして我々にとって、旅とはなんたるものなのか。
西川という人物を世間は、あるいは読者は、
そして実際に関わりを持った多くの人々は
どのように評し、何を思うのだろうか。
"真面目" "勤勉" "奇人" "頑固"
"偉大" "勇敢" "一途" "寛大"
良いものもあれば、それは悪いものもある。
この作品に触れれば当然、その勇敢さや目標への遂行力の高さに自然と目がいくだろう。
だが、しかしどうだろうか。
帰国後の彼は、戦後間もない日本で髭を伸ばし続け、
ターバンを巻き、それはまさにインド人、という格好で、自身の地元山口県地福で農業に従事していたのだ。
一節にもあったように、この人物を只者として見れる人がどれだけいただろうか。
間違えなく奇人だろう。
彼は囚われないのだ。
もしくは、彼は執着がない。
しかし、彼が唯一追い続けたもの、執着したものといえば、それこそが未知への冒険であり、旅だろう。
彼の未知への執着は凄まじいものがある。
彼はとても人情に厚い人間である、
多くのものとの出会いがあり、そして出会った多くのものたちを魅了し、彼にとって"生きる道"はありふれていただろう。それは彼自身の実直さや素直さ、
あるいは他者理解や他文化への理解を示そうとする努力の賜物だろう。
また一度決めたことは可能な限り曲げない。
ただ、それが難しいとなれば、究極的にはその道を捨てる判断できる、また捨てた判断に対して執着することはない。
何と美しき人間の姿だろうか、
しかし、そんな彼でも旅へは執着をした。
旅とは我々にとって如何なるものだろうか。
また彼は、自身の旅が書籍となり、
「報われた」と考えたのだ。
これもまた、彼が若干にせよ執着した部分だろう。
それでも彼は決して、それを広めたいとは思わなかった。自身の旅が未完に終わったこと、そしてこれを終わらせるための手段だったのだろうか。
自らの選択のままに生きれることを、彼は最も美しく尊いものと捉えていたのだろう。
それでもそれが遮られた時に、与えられたものに抗おうとはしない。
我々は少し、何かに囚われすぎているのかもしれない。ありのままに生きることは容易なことではない。
ただそこに、"旅"という選択があるのならば、
それは我々を救うだろう。
同時に旅とは、何かという問いに若干の光を差す。
旅に意味を見出さなくても良いのだ。
未知への想いがあり、それに従い生けるのならば、
それで良いのだ。
西川の旅は終わり、そして人生という大きな旅を終え、我々も同様に幾つもの旅が終わり、そして人生を終える。
何と美しき旅に触れられただろうか、
この旅文学は、我々を旅に駆り立てさせる。
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長い旅が終わった。
1巻から読み通して間もあけつつ約半年、いやもっと言えば、1巻だけ読んで投げてしまったのは4年も前だったか。
きわめて個人的な話だが、僕は続き物の本が苦手だ。司馬遼太郎なんかはいろんなシリーズの1巻だけを読んで放っておきどおしだし、そもそも複数巻というだけで尻込みして手を出せてすらいない本も多くある。
それでいて(元は3巻本とはいえ)6巻に及ぶこの小説を読み通せたのは、やはりデリーからロンドンへ、という地理的なタテ軸が明確にあったがゆえだろう。
いずれにせよ、長い「積ん読」を経て、僕の中の沢木氏もようやくロンドンに到達した。
感化されてアテのない旅に出るにはいささか手遅れの感もある年齢・状況だし、すでに何ヵ国かは旅したこともある。
それでもいい時期に読んだと思う。なぜなら僕だって「青春発墓場行」のバスの乗客に違いないのだから。 -
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鮮烈なルポルタージュ
『テロルの決算』
1.概要
沢木耕太郎氏の『テロルの決算』は、1960年の「浅沼稲次郎暗殺事件」という戦後史の暗部を抉り出した、魂を揺さぶるノンフィクションの金字塔です。
単なる事件の記録ではなく、その裏に隠された一人の17歳の少年の孤独な思想と、彼を取り巻く時代の空気が、読者に重くのしかかります。
2.事件の真相
事件の発端は、社会党・浅沼委員長が中国訪問で語った「アメリカ帝国主義は、日中共同の敵」という強烈なスピーチでした。
この言葉は当時の右翼勢力に激しい怒りの火をつけ、事件の引き金となります。
これに触発された少年、山口二矢の思考が、本書の核心です。彼は、右翼の政治スピーチに感化されながらも、右翼組織の行動や思想に徐々に幻滅を感じていきます。
書物を通じて天皇崇拝の念を強めた彼は、組織に頼らず、自らの手で「成敗はみずから」と決断を下しました。
この17歳の若さで、世界と対峙し、自らの命を賭して「決算」をつけようとした孤独なテロルの論理が、生々しく描かれます。
3.まさに映像なり。
犯行当日、日比谷公会堂の警備体制は万全とは言えませんでした。
沢木氏の筆致は、事件が起きる直前の静寂から、警備の隙を突いて山口少年が壇上に駆け上がり、浅沼氏を脇差のような刃物で刺突する発生の瞬間までを、まさに映像のように切り取ります。
あの衝撃の瞬間を捉えた写真がピュリツァー賞を受賞したことからも、その凄まじさが伝わってきます。
この緊迫感あふれる描写は、ノンフィクションの醍醐味です。
4.敬意/20代の情熱と胆力への驚嘆
何よりも衝撃的なのは、本書が沢木氏が20代で、足掛け7年間もの歳月をかけて大成させたという事実です。
「声を持たぬ者の声を聴こうとする。それがノンフィクションの書き手のひとつの役割だとするなら、虐げられた者たち、少数派たらざるをえなかった者たち、歴史に置き去りにされた者たちを描こうとすることは、ある意味で当然のことといえる。」
という後書きは、彼の取材と執筆に対する徹底した姿勢を物語っています。
生い立ちから思想、そして独房での自決に至るまで、山口二矢という一人の人間の内面を深く掘り下げたその取材力と構成力、そして書き手の胆力には、ただただ驚嘆するしかありません。
5.読みおえて
事件の社会的背景だけでなく、テロリストの人間性を描くことで、私たち自身の「政治と暴力」への意識を改めて問い直す傑作といえると考えます。
ぜひ手に取って、この重厚なルポルタージュを体験してください。 -
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古代オリンピックが消滅したようにこの近代オリンピックみ衰退の一途を辿っているのではないか。
沢木氏の近代オリンピックに対する視点は批判的で。
古代、勝者が得るものは栄誉とオリーブの冠だけだったオリンピックがあからさまな商業主義の生贄となってしまった。
彼の非難は大会をそんなものにしてしまったサマランチ会長に限らずスポンサー、選手自身、それを許してしまっている世の中の人々にも向けられている。
特にこの作品で取り上げられているアトランタ五輪に関しては近代オリンピックがアテネで始まって100年目という記念すべき大会であるにもかかわらず何故アテネでなくアトランタなのか。
まさしく巨大スポンサーであるアメリカの横暴にIOCが抵抗できなかった所為である。 -
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独特のユーモアと、カラッとした湿度の低い気まぐれな冒険心、どこか自分に対しても突き放したところがある文体が妙に心地よくて面白く読めた。
-欲望はなかった。しかし、奇妙な使命感が体を熱くした。(本文104p)
-《われわれはツーリストを大いに歓迎する一一ただしヒッピーは除く》
だが、残念なことに、ツーリストとおぼしき人物は、私を含めてすべてがヒッピー風だった。(本文121p)
-旅に出て鈍感になっただけなのかもしれないが、それ以上に、またひとつ自由になれたという印象の方が強かった。(本文180p)
怪しげな安宿、深夜到着の心もとない旅程、衛生的に不安が残る露店のジュースなど、リスクより冒険を取る若さと自由さがとても羨ましい。 -
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もし『深夜特急』を一冊だけ読むとしたら、私はこの本を推します。
インド・ネパール編。
何もかもが違う。
死生観によるものなのか、カースト制によるものなのか、あくせくと日々の生活に摩耗している自分にとって、インドの風景はまさに別世界だった。病院で患者と向き合い、命や死に接しているはずの自分が、なお日本の枠組みの中でしか物事を見ていなかったことに気づかされる。そこでは生と死がもっと身近で、同時に自然なものとして受け入れられていた。
幸せとは何か、生きるとは何か。過去・現在・未来、そして価値観や空間を超えて、普遍的な問いを突きつけられる感覚があった。
同じ人間でもここまで違う。
それでも通じ合える瞬間があり、時には争いもある。
平和と戦争、光と影が共存している世界。
考えがまとまらず混乱する自分もいたが、むしろその混乱こそがこの本の魅力であり、自分の中に新しい問いを残してくれた価値なのだと思った。