沢木耕太郎のレビュー一覧
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長い旅が終わった。
1巻から読み通して間もあけつつ約半年、いやもっと言えば、1巻だけ読んで投げてしまったのは4年も前だったか。
きわめて個人的な話だが、僕は続き物の本が苦手だ。司馬遼太郎なんかはいろんなシリーズの1巻だけを読んで放っておきどおしだし、そもそも複数巻というだけで尻込みして手を出せてすらいない本も多くある。
それでいて(元は3巻本とはいえ)6巻に及ぶこの小説を読み通せたのは、やはりデリーからロンドンへ、という地理的なタテ軸が明確にあったがゆえだろう。
いずれにせよ、長い「積ん読」を経て、僕の中の沢木氏もようやくロンドンに到達した。
感化されてアテのない旅に出るにはいささか手遅れ -
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鮮烈なルポルタージュ
『テロルの決算』
1.概要
沢木耕太郎氏の『テロルの決算』は、1960年の「浅沼稲次郎暗殺事件」という戦後史の暗部を抉り出した、魂を揺さぶるノンフィクションの金字塔です。
単なる事件の記録ではなく、その裏に隠された一人の17歳の少年の孤独な思想と、彼を取り巻く時代の空気が、読者に重くのしかかります。
2.事件の真相
事件の発端は、社会党・浅沼委員長が中国訪問で語った「アメリカ帝国主義は、日中共同の敵」という強烈なスピーチでした。
この言葉は当時の右翼勢力に激しい怒りの火をつけ、事件の引き金となります。
これに触発された少年、山口二矢の思考が、本書の核心です。彼は -
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古代オリンピックが消滅したようにこの近代オリンピックみ衰退の一途を辿っているのではないか。
沢木氏の近代オリンピックに対する視点は批判的で。
古代、勝者が得るものは栄誉とオリーブの冠だけだったオリンピックがあからさまな商業主義の生贄となってしまった。
彼の非難は大会をそんなものにしてしまったサマランチ会長に限らずスポンサー、選手自身、それを許してしまっている世の中の人々にも向けられている。
特にこの作品で取り上げられているアトランタ五輪に関しては近代オリンピックがアテネで始まって100年目という記念すべき大会であるにもかかわらず何故アテネでなくアトランタなのか。
まさしく巨大スポンサーであるア -
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独特のユーモアと、カラッとした湿度の低い気まぐれな冒険心、どこか自分に対しても突き放したところがある文体が妙に心地よくて面白く読めた。
-欲望はなかった。しかし、奇妙な使命感が体を熱くした。(本文104p)
-《われわれはツーリストを大いに歓迎する一一ただしヒッピーは除く》
だが、残念なことに、ツーリストとおぼしき人物は、私を含めてすべてがヒッピー風だった。(本文121p)
-旅に出て鈍感になっただけなのかもしれないが、それ以上に、またひとつ自由になれたという印象の方が強かった。(本文180p)
怪しげな安宿、深夜到着の心もとない旅程、衛生的に不安が残る露店のジュースなど、リスクより冒 -
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もし『深夜特急』を一冊だけ読むとしたら、私はこの本を推します。
インド・ネパール編。
何もかもが違う。
死生観によるものなのか、カースト制によるものなのか、あくせくと日々の生活に摩耗している自分にとって、インドの風景はまさに別世界だった。病院で患者と向き合い、命や死に接しているはずの自分が、なお日本の枠組みの中でしか物事を見ていなかったことに気づかされる。そこでは生と死がもっと身近で、同時に自然なものとして受け入れられていた。
幸せとは何か、生きるとは何か。過去・現在・未来、そして価値観や空間を超えて、普遍的な問いを突きつけられる感覚があった。
同じ人間でもここまで違う。
それでも通じ合 -
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宝暦8年、日本の芸能史において、ただ一人だけ芸によって死刑に処せられた講釈師・馬場文耕の生き様を小説にした著者初の長編時代劇。
貧乏長屋に住み、筆耕もしながら太平記など軍記物の講釈をしていた文耕は、次第に武家物、色街の女や御店者が出てくる江戸市井の話で人気を博していく。
さらに、お家騒動の実話や将軍・徳川家重の話までするようになり、大胆さを増していく。
若い頃、一緒に道場通いをしていた田沼意次との再会、文耕と同じ長屋に住む謎の若い剣豪、貸本屋の娘で吉原に売られるお六、粋な御店衆などとの人情味あふれる交流が読ませどころだ。
主な登場人物は、皆、文耕の欲のない人柄に惚れ込み、文耕を助けようとする。 -
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槍ヶ岳山行に持っていき、2泊目で読み終えたので、本書の内容に引き込まれたと言っていいと思う。
1994年から25年分のエッセイのえり抜きが本書で、『そう、その通り』と、うなずきながら読み進める。若いころから著者の作品が好きでよく読んでいたが、本書のエッセイの中に、『四十年ほど前、二十代の半ばだった私は、…』と深夜特急の旅に触れたエッセイがある。まさに、今の私と同年代の頃に書かれたエッセイだ。来し方は大きく違うが、共感するところが多くある。特に本書のタイトルになっている『キャラヴァンは進む』だ。
ある年長の作家に「本を処分するとしたらすでに読んでしまった本と、いつか読もうと思い買ったま