あらすじ
本作はもはや伝説。沢木耕太郎の最高傑作がついに電子書籍化!
あのとき、政治は鋭く凄味をおびていた。ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、61歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた17歳のテロリストの激しい体当たりを受ける。テロリストの手には、短刀が握られていた。社会党委員長・浅沼稲次郎と右翼の少年・山口二矢――1960年、政治の季節に交錯した2人のその一瞬、“浅沼委員長刺殺事件”を研ぎ澄まされた筆致で描き、多くの人々の心を震わせたノンフィクションの金字塔。第10回(1979年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
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Posted by ブクログ
鮮烈なルポルタージュ
『テロルの決算』
1.概要
沢木耕太郎氏の『テロルの決算』は、1960年の「浅沼稲次郎暗殺事件」という戦後史の暗部を抉り出した、魂を揺さぶるノンフィクションの金字塔です。
単なる事件の記録ではなく、その裏に隠された一人の17歳の少年の孤独な思想と、彼を取り巻く時代の空気が、読者に重くのしかかります。
2.事件の真相
事件の発端は、社会党・浅沼委員長が中国訪問で語った「アメリカ帝国主義は、日中共同の敵」という強烈なスピーチでした。
この言葉は当時の右翼勢力に激しい怒りの火をつけ、事件の引き金となります。
これに触発された少年、山口二矢の思考が、本書の核心です。彼は、右翼の政治スピーチに感化されながらも、右翼組織の行動や思想に徐々に幻滅を感じていきます。
書物を通じて天皇崇拝の念を強めた彼は、組織に頼らず、自らの手で「成敗はみずから」と決断を下しました。
この17歳の若さで、世界と対峙し、自らの命を賭して「決算」をつけようとした孤独なテロルの論理が、生々しく描かれます。
3.まさに映像なり。
犯行当日、日比谷公会堂の警備体制は万全とは言えませんでした。
沢木氏の筆致は、事件が起きる直前の静寂から、警備の隙を突いて山口少年が壇上に駆け上がり、浅沼氏を脇差のような刃物で刺突する発生の瞬間までを、まさに映像のように切り取ります。
あの衝撃の瞬間を捉えた写真がピュリツァー賞を受賞したことからも、その凄まじさが伝わってきます。
この緊迫感あふれる描写は、ノンフィクションの醍醐味です。
4.敬意/20代の情熱と胆力への驚嘆
何よりも衝撃的なのは、本書が沢木氏が20代で、足掛け7年間もの歳月をかけて大成させたという事実です。
「声を持たぬ者の声を聴こうとする。それがノンフィクションの書き手のひとつの役割だとするなら、虐げられた者たち、少数派たらざるをえなかった者たち、歴史に置き去りにされた者たちを描こうとすることは、ある意味で当然のことといえる。」
という後書きは、彼の取材と執筆に対する徹底した姿勢を物語っています。
生い立ちから思想、そして独房での自決に至るまで、山口二矢という一人の人間の内面を深く掘り下げたその取材力と構成力、そして書き手の胆力には、ただただ驚嘆するしかありません。
5.読みおえて
事件の社会的背景だけでなく、テロリストの人間性を描くことで、私たち自身の「政治と暴力」への意識を改めて問い直す傑作といえると考えます。
ぜひ手に取って、この重厚なルポルタージュを体験してください。
Posted by ブクログ
沢木耕太郎の二矢という少年への強い思いが伝わってくる。普通の17才の「素直さ」「狂気」「儚さ」が見事に伝わってくる作品となっている。近年では安倍晋三の銃撃事件があったが、あの事件で、頭をよぎったのは、この「テロルの決算」だった。
まだ、読み終えていなかったこの小説のあとがきは、二矢が「生きていたら」という、言葉が胸を打つ。二矢を引き立てるために、他の人物を事細かく書くことで、二矢に寄り添いそして二矢を追ってきた沢木耕太郎にとってさらに思い入れの強い人物となっていたのだろう。
私にとっては、とてもいい作品であった。
Posted by ブクログ
現実に起きたこの事件は知らなかったが、小説として書き起こされた当時の情景に息を呑む思いを感じる。17歳の少年が人を殺し冷静に取り調べを受け自決する。物語終盤の以下の言葉が少年テロリストのものに思えないが、そう思って読むと様々な感情が湧き起こってくる。
「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています。自分の信念に基づいて行った行動が、たとえ現在の社会で受け入れられないものでも、またいかに罰せられようとも、私は悩むところも恥ずるところもないと存じます」
Posted by ブクログ
社会党委員長の浅沼稲次郎が渋谷公会堂で行われた立会演説会の演説の最中にテロリストの若者と交錯した場面はテレビ映像で何回か見たことがあった。
この本は17際の少年がなぜ暗殺に及んだのか、また、その時現場にいた多くの人たちが何を見て何を感じたのか克明に描いている。
当時の政治情勢含めて詳細に描かれた秀作だと思う。
Posted by ブクログ
社会党政治家が右翼少年に刺殺された事件がテーマとなったノンフィクション作品。二人の過去を辿りながら、社会党政治家側の視点、右翼団体の視点、そして、テロ至るまでの経緯が丁寧に描かれている。
戦争、安保闘争、学生運動、その時々の人々の考えが伝わってくる、とても学びの多い作品だった。それぞれの転換期にどちらに世の中が傾いたか。世代間の考え方の違いは、歴史の積み重ねであることを感じた
Posted by ブクログ
もともとノンフィクションは好きだが、文章が上手く、緻密で広い関係者からのヒアリングに基づきストーリーが作られた秀作。戦後に個人主義が進み、今は人間関係が薄い時代になっているが、まだまだ人間の濃さが残っていたのを感じる。
当時の風景が動画を通じて
YouTubeに実際の動画があり、当時の風景が鮮明に伝わってくる。
読む時期としては45歳の私にはちょうど良かった。良い意味で人生に少し影響を及ぼしてしまうような作品でした。
Posted by ブクログ
私が生まれて間も無くの事件だった。
短刀を構えた青年が、壇上の浅沼氏に襲いかかる映像も何度も目にした。
子供心に公衆の面前で浅沼氏が刺殺されるというショッキングな事件を覚えている。
この作品で山口二矢という青年を知り、彼の思考を知り、あたかも鞘を持たない抜き身の刃物のような存在に思えたこともある。
純粋さやひたむきな正義感は直情的な行動に移行すると凶器になってしまう事があると改めて感じた。
(発売当時の月刊文藝春秋で読んだと記憶す)
Posted by ブクログ
ずっと前に買ってあったが、全く読めておらず本棚に眠っていた。さすがにノンフィクションの金字塔といわれる作品。読み応え十分。目のつけどころもすごいし、事件が事件だけに、取材するのが相当に大変だったと思われる。インタヴューを重ね丁寧に文章を紡ぐ。こんなことはなかなかできないことだと思う。この人にはかなわないと改めて思ってしまう。
Posted by ブクログ
もう、三十年も前に読み終えた
ルポルタージュの名作、
本屋さんの棚に並んでいたので
懐かしく思い、奥付を見ると
「新装版」とある
これは 今一度 と…
やはり どきどき しながら
最期まで 読んでしまいました
「一瞬の物語」が
その時代の雰囲気と有り様を
見事に語ってくれる
あとがき、
それも
Ⅰ~Ⅲまで
それも また 興味深い
Posted by ブクログ
1960年10月、社会党の浅沼稲次郎氏が刺殺されたテロ事件を、関係者への詳細な取材をもとに再現したもの。
犯人の山口二矢の生い立ちと、浅沼氏の生い立ち及び政治的思想の背景を綿密に調べ、殺された浅沼氏のそのときの状況と、殺した17歳の山口の焦燥などが詳しく語られ、非常に詳しくこの事件を再現している。
浅沼氏が殺されたときの各関係者の状況描写は、まるで映画を見ているかのような書き方で、自分もその場にいたかのように錯覚してしまう。
Posted by ブクログ
著者がまだ若いときに出版されたもので、著者が真実に迫ろうとする、真摯でまじめな姿勢がうかがえる。
まず、取材先の数が膨大である。
自分のなかの疑問を少しでも解き明かすため、著者はあらゆる関係者の声を聞きたかったのだろう。そのころはまだ大作家ではなく、おそらく自分でアポをとり、自分で取材趣旨を説明し、自分で話を1件1件聞き、自分でルポにまとめていたのだろう。全体の完成度からみれば後の作品のほうが良いだろうが、著者が構成力を、取材を丁寧かつ時間をかけて積み上げることによってカバーし、結果として読者がよりよく真実を見極められる材料を提供している。
さらに、山口二矢の関係者と、浅沼稲次郎の関係者と、二極からの取材による手法も、著者の真実に対する貪欲な姿勢を感じさせる。
あくまでルポルタージュなので、著者の視点は本来入るべきではない。しかし全体を通しての真摯な姿勢が、読者に「では著者はどう感じたのか、最後に知りたい」と思わせる。傑作。
(2006/1/24)
Posted by ブクログ
1960年10月12日。東京の日比谷公会堂では自民党・社会党・民社党の
3党首による立会演説会が行われていた。
民社党委員長の西尾末広の演説が終わり、社会党委員長の浅沼稲次郎
が壇上に立つ。
会場の右翼からは凄まじい怒号とヤジが飛ぶ。警戒する警備陣の
隙をつくように、ひとりの少年が壇上に駆け上がった。その手には
鈍く光る刃物が握られていた。
演説中の浅沼委員長に体当たりするように、手にした刃物で刺殺した
犯人は山口二矢。当時17歳。
60年代安保の国会突入の際に亡くなった樺美智子が学生運動の象徴に
祭り上げられたように、二矢はこの暗殺事件を起こしたことで右翼の
なかで英雄として祀られることになる。
本書はテロの対象とされた浅沼稲次郎と、テロリストとなった山口二矢
のふたりの生い立ちから事件に至るまでを綿密に描いている。
「万年書記長」と呼ばれた政治家と右翼少年。立場も思想もまったく
異なるふたりだが、根底には愚直なまでの信念があったのではないか。
何故、殺されなければならなかったのか。何故、殺さなければならな
かったのか。61歳と17歳の人生は、「死」によって交錯した。
テロは憎むべきものである。しかし、本書で描かれている二矢には
少年期特有の青臭さはあるもの、憎しみが湧かない。それは彼が彼
なりに、この国を思った真っすぐさが感じられるからだろう。
そして、一方の浅沼稲次郎には救われなさを感じる。私を滅し、庶民の
為、党の為に尽くした政治家。与党からも、右翼からも個人としては
「善人」と評価された人は、その死によって惜しまれるどころか党内
からは死んでくれてよかったとまで思われる。
弾圧の時代の浅沼の軌跡は壮絶である。加えて2度にわたる発狂を経て、
やっと手にした委員長の座にありながら凶刃に倒れなくてはならなかった
とは。これが「運命」と言うならば、浅沼の運命は哀し過ぎる。
どちらがいいとか悪いとか、著者は一切の判断を下していない。
ふたりの人生を積み重ね、事件の背景を描き出したノンフィクションの
名作である。
Posted by ブクログ
読むのに時間がかかり疲れた
間違いなく読み応えはあるが
時代も古いし
正確に認識できていない言葉が出てくると
例えば
安保闘争ってなんだっけ?
とググったりを繰り返した
テロは誠に手前勝手な迷惑行為であるが
その全てを否定することも難しいのではないかと思ってしまう
Posted by ブクログ
沢木耕太郎(1947年~)氏は、横浜国大経済学部卒のノンフィクション作家、エッセイスト、小説家、写真家。著者が1974~5年に香港からロンドンまでを旅した記録『深夜特急』(発表は1986~92年)は、当時のバッグパッカーのバイブル的存在としてあまりにも有名。本作品で大宅壮一ノンフィクション賞、『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞、『凍』で講談社ノンフィクション賞、その他、菊池寛賞等を受賞。
本書は、1978年に出版、1982年に文庫化されたものを、2008年に新装版化したものである。
私は、1980年代にバッグパックを背負って海外を旅し、沢木の作品はこれまでに、上記の各賞受賞作をはじめ、『敗れざる者たち』、『流星ひとつ』、『キャパの十字架』、『旅の窓』、『チェーン・スモーキング』、『世界は「使われなかった人生」であふれてる』、『旅のつばくろ』、『作家との遭遇』、『あなたがいる場所』など幅広く読み、最も好きな書き手は誰かと問われれば迷わず沢木の名前を挙げるファンなのだが、本書はこれまで未読だった。
本作品は、1960年10月12日に日比谷公会堂で開催された自民党・社会党・民社党3党首演説会で、17歳の右翼少年・山口二矢(おとや)が、壇上で演説中だった社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺した事件を、二人がそれまでに辿った人生を含めて描いたものである。
読み終えて、改めて沢木がなぜこの作品を書いたのかを考えてみると、あとがきに、「最大の動因は、私自身の、夭折者への「執着」に近いまでの関心にあったような気がする」と書かれているのだが、それは、二矢が、浅沼を刺し殺したときに「完璧な瞬間」を味わい、完璧な時間を生きたこと、そして、その直後に自死し、「もし生きていたら」というような仮定を鋭く撥ね返してしまう、宿命としか言いようのない人生を完結したことに、強く心を動かされたということなのである。
そして、そのような二矢の明確で直線的な人生に対し、浅沼の、よろめき崩れ落ちそうになりながらも決して歩むことを止めなかった、愚直な人生が、強烈なコントラストを為していることが、作品により明確な形を与えることになった。
私は、事件当時はまだ生まれておらず、その頃の社会主義運動の広がり(と、それに対する右翼的運動の先鋭化)についての肌感覚がないのだが、そのため、二矢に対しても浅沼に対しても、また、(当時の)右翼に対しても社会主義者に対しても、思想的・感情的な思い入れはないし、また、沢木もどちらかに肩入れしたような描き方は一切していない。
尚、このタイミングで読むと、否応なく昨年の安倍元首相銃撃事件が思い出されるのだが、沢木は、どうしたら政治テロが避けられるかという視点では、ほとんど何も書いていないので(そもそも、同事件は“政治”テロではないが)、そうした内容を期待する向きは肩透かしを食らうことは付言しておきたい。
(2023年1月了)
Posted by ブクログ
私はテロという暴力を肯定しない。しかし加害者である個人を否定しない。その尊厳を守るべき社会は、私たちが担う責任の集約でもあり為政者はその代表となる。民主主義社会の過渡期に起きた暗殺事件、被害者の政治家・浅沼稲次郎と加害者の右翼思想青年・山口二矢、ふたりは面識もなく現場となった日比谷公会堂で初めて対峙する。偶然が重なった警備の穴にするりと足を踏み入れた山口の決意はどれほど熟成されたものなのか、それとも当日の新聞朝刊に載った記事による衝動的な狂騒だったのか、夭折となった山口の本心は知る由もないが、最後の章で垣間見せる人情に感嘆する。彼は狂人ではない、思想の違いがこれほど常軌を失わせてしまう悲劇なのだ。その後の日本や世界の動向を知れば山口は嘆くのだろうか。ひとりの力で変革はできないが、声をあげる非暴力な “さざなみ” はやがて歴史を変える “濁流” へとつながるかもしれない。山口は焦った、その先の理想へ早く辿り着きたかった。答えは出なくてもいい、考える過程こそ大切であり、無関心でやり過ごすノンポリは愚行だと断言する。
Posted by ブクログ
「沢木耕太郎」が、日本社会党の党首「浅沼稲次郎」を小刀で殺害したテロリスト「山口二矢(おとや)」を描いたルポルタージュ作品『テロルの決算』を読みました。
『危機の宰相』に続き「沢木耕太郎」作品です。
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あの時、政治は鋭く凄味をおびていた
17歳のテロリストは舞台へ駆け上がり、その冷たい刃を青ざめた顔の老政治家にむけた。
とぎすまされたノンフィクションの最高傑作!
少年の刃が委員長の胸を貫いた瞬間に社会党への弔鐘が鳴った。
テロリストと野党政治家とが交錯する一瞬までをたどる大宅賞受賞作
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『危機の宰相』と同じく、戦後の転換点となった1960年(昭和35年)を「沢木耕太郎」が描いたノンフィクション作品、、、
『文藝春秋』の1978年(昭和53年)1月号~3月号に掲載された作品を全面改稿し、1978年(昭和53年)9月に単行本として刊行された作品の文庫化作品です。
■序章 伝説
■第一章 十月の朝
■第二章 天子、剣をとる
■第三章 巡礼の果て
■第四章 死の影
■第五章 彼らが見たもの
■第六章 残された者たち
■第七章 最後の晩餐
■終章 伝説、再び
■あとがきⅠ
■あとがきⅡ
■あとがきⅢ
■主要参考文献
日本社会党の党首「浅沼稲次郎」が、衆目の中で17歳の少年に刺殺された事件(「浅沼稲次郎暗殺事件」)は、知識としては知っていましたが、あまり関心を持ったことがなく詳しいことは知らなかったのですが、、、
「浅沼稲次郎」と「山口二矢」のそれぞれの生い立ちと人格形成に与えた出来事や、当時の右翼や日本社会党、そして日米安保を巡る社会情勢などの背景についても詳細に描かれており、それぞれの立場を並列に描くことにより、この事件に隠されていたものが浮かび上がり… そして、二人が邂逅する一瞬までが「沢木耕太郎」の膨大かつ緻密な取材や関係者への丁寧なインタビューにより浮彫りにされています。
1960年(昭和35年)10月12日午後3時頃、「山口二矢」が遅れて現地に到着したことにより警備が手薄になっていたことや、入場券がなく入場できず愕然としている姿を見た係員が不憫に思い入場券を渡してくれたり、場内でビラ配りがあったことから警備の眼が右翼団体に向かっていたり… と、多分に偶然というか、運の要素も加わり、刺殺は成功します、、、
これはもう、運命というか、持って生まれた何かが、「山口二矢」を突き動かしていたとしか思えないですね… このような逸話含め、第五章以降の展開は一気に読ませる圧倒的な迫力がありましたね。
殺人という手段に訴えたことは、決して許されることではありませんが、「山口二矢」の純粋な気持ちには驚かせれました、、、
人間って、ここまで純粋になれるんですね… でも、現代の人々は、ここまで純粋に生きることはできないような気がするなぁ。
第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品だけあって、ノンフィクションとは思えないような迫力のある作品でした… ノンフィクション作品の傑作でしょうね、、、
当初、「山口二矢」に感情移入しつつ読み進めていましたが、途中からは「浅沼稲次郎」に感情移入していました… 二人のうち、どちら側の立場で読んでいくのかによって、作品の印象は随分違うんだろうなぁ と思いました。
Posted by ブクログ
安倍元総理の死とそのテロリストの気持ち。台湾をめぐる東アジアの昨今の緊張した国際関係、ほとんど消えてしまった社会党と民社党。テロルは、それぞれについて、新たな視点で考える機会を与えてくれました。
Posted by ブクログ
社会党 浅沼委員長刺殺事件のノンフィクション作品。
受賞作だけあり 引き込まれる。
若い世代にも一度読んでほしい。
テロでは解決できない問題 社会問題 にどう立ち向かうか。
Posted by ブクログ
読むのに時間がかかったが、すごい胸に残るものがあった。1960年に起きた元社会党党首だった浅沼稲次郎氏が壇上で演説中に刺殺された事件。犯人は17歳の少年。2人の生い立ちを振り返り、あの時に2人の時間が重なり合う。最後のほうは胸がドキドキしてた。あの瞬間をとらえた写真は確かに有名。出版されたのが自分の生まれた年ってのもなんだか感慨深い。しかし、思想の違いで人を殺すのはよくないが、訪中して中国帽をかぶって飛行機から降りてくるというパフォーマンスであおった事は事実かなと思った。第10回大宅宗一ノンフィクション賞受賞作。
Posted by ブクログ
1960年に起きた、右翼少年による社会党の浅沼委員長刺殺事件、を題材としたノンフィクション作品。
物語は被害者と加害者である二人の生い立ち、事件当日の状況や現場に居合わせた人々の様子、そして事件後に残された関係者の行末を、とても鮮明に描き出している。
防衛庁に勤める父親を持つ少年が、兄の影響により右翼活動に参加し、浅沼委員長をターゲットに定めるまでの経緯、そして浅沼氏が政治家を志し、書記長から委員長へと登り詰めた時代背景など、何の接点もない二人の人生が交錯する一瞬までの模様が、非常にスリリングに描写されている。特に、浅沼氏自身も多くを語らなかった、恩師である麻生久氏との関係に触れた、第三章「巡礼の果て」は圧巻だった。
刺殺の瞬間を収めた写真は、日本人初のピューリッツァー賞作品となったわけだが、一枚の報道写真にこれほどまで、深い背景があったとは想像もできなかった。そして、この事実を鮮明に照らし出した沢木氏の洞察力は実に見事である。
Posted by ブクログ
沢木氏初の長編ノンフィクションということで良い意味で肩に力が入っている。中立的かつ硬派に、浅沼社会党委員長刺殺事件の背景を抉り出す。
「あとがき」で著者が書いているように、本書は山口二矢とともに、浅沼稲次郎へも焦点を当てたことにより飛躍的に重層感増す作品となっている。戦後混迷期の少年による野党党首殺害というセンセーショナル性だけが現代でも語り継がれているが、山口二矢という極右的思想を持った一途で頑強な極めて稀有な人物がたまたま少年だったという事実と、党内紛と熱量低下でモチーフ化しつつあった浅沼稲次郎が至極不幸な形で交叉したのがあの3党首立会演説会であった。小林日教組委員長でも野坂共産党党首だった可能性もあったが、それは浅沼氏だったのだ。
浅沼氏が奔走した戦前戦後の日本政治の特殊性と、三島由紀夫『金閣寺』の溝口の如く次第に切迫し暗示していく山口の心理考察が緻密に描かれており、厖大な文献調査と取材の形跡が伺える。
1979年の作品だがノンフィクションの名作として是非読んでいただきたい。
Posted by ブクログ
沢木耕太郎の傑作と名高いので読んでおかねばと思って読んだ。浅沼稲次郎暗殺の全貌を膨大な取材と正確な筆致で炙り出している。終戦後の日本の政局や当時の右翼・左翼のあり方についてある程度の知識がないとややつらい
Posted by ブクログ
沢木の処女作で代表作。最初の単行本刊行は1978(昭和53)年のことで、それからもう45年も経った。最初の文庫化も1982(昭和57)年、やはり40年以上が過ぎた。新装版も2008(平成20)年、それから15年も経った。
山口二矢という右翼少年による浅沼稲次郎暗殺事件は、1960(昭和35)年のことで、それからもう60年以上も経った。だが、内容は今なお、色褪せてないように思う。
Posted by ブクログ
昨今の政治家襲撃に関連して紹介されていたので手に取った作品
恥ずかしながら全く知らない事件であり、こうも大きな事件が知られずにいたものかと自分の無知を棚に上げておもったりなどした。
テロに至る若者の頑なさと被害政治家の愚直さが辛かった
起こるべきテロなんてものはないけれど、それにしたってどうしてと思わずにはいられない。
Posted by ブクログ
緻密な取材と描写が光る。
時代背景に無知な自分のような読者にも(未知の言葉や人物を調べつつ、という作業は必要になるが)文脈を示し、出来事を筋立てて理解させてくれる。そのくせ、沢木氏の真骨頂ともいえるドラマ性の高い筆致が、難解さや淡白さを許さず、面白く読み進めることができた。テロルを起こす側と起こされる側、主人公ふたりのXデーまでの道のりを丁寧に、ドラマチックに仕立てた構成が見事。
Posted by ブクログ
刃を持った17歳の右翼少年と、刺殺される社会党党首/ 両者を掘り下げてその悲劇をリアルにする/ 左翼活動全盛期の追い詰められた右翼がよく描かれている/
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沢木耕太郎 「テロルの決算」
山口二矢によるテロル(自分と異なる政治信条は認めず、殺すことで決着を図る)の前後を再現し、被害者の浅沼稲次郎の実像も含めて 総括した本
著者が読み手に伝えたかったのは 次のことではないか
*二矢が若くして、テロルを単独決行し、自決したことの是非を問うた
*ニ矢伝説の真偽を検証して、伝説は 事実を粉飾している と結論づけ、粉飾意図を問うた
二矢伝説とは
「ニ矢の刀を 護衛の刑事が掴み、ニ矢は 刑事の手を守るため 刀を手放し 自決を断念したという伝説」
この伝説により 二矢は 英雄視され、浅沼は テロリストに殺された社会主義者としての栄光を手に入れた
Posted by ブクログ
山口二矢の父は、生きるため、稼ぐためにさまざまな職を転々とした
家庭用インターネットなど影も形もない時代
二矢少年は転居のたびに友人関係のリセットを余儀なくされ
新たな人脈の構築に苦労するハメとなった
それでも、お父さんが働いてくれているから生きていけるんだと
そんな思いで押し殺した鬱屈が
やがて政治的な感情にすり替わっていったのではないか
お国あってこそ我々日本人は生きていかれるというのに
左翼の連中はわがまま放題、好き勝手なこと言いやがって
許せん
だがそんな二矢を、父もまた全面的に理解してくれるわけではなかった
その寂しさが彼を先鋭的に駆り立てていった
二矢の幼い頃、父は農地改革や投資促進のための啓発演劇を
生業として行っていた
二矢も子役に駆り出された
その頃浴びた喝采と、父に誉められた記憶を
もう一度取り戻したかったというのは、ありそうな話だ
そんな少年に襲撃されたことは
浅沼稲次郎にとってはまさに晴天の霹靂であった
とばっちり、八つ当たりもいいとこだが
しかし社会党委員長の浅沼にとって山口二矢は
運よく政治家として生き延びてきた大戦時代からの
遅れて来た死神のようでもあった
生前、なあなあ居士と揶揄されることもあった浅沼は
大正~昭和~戦中~戦後と変化する日本社会に
迎合することで生き延びた人だったが
生き延びるための変節
その無責任を通すことこそ政治の本質と考えているフシがあった
そんな浅沼稲次郎もやはり、孤独な少年時代を過ごしていた
まあそれはよくある偶然だろう