Posted by ブクログ
2013年12月23日
高校生だった。
当時ファンだった歌手が、歌番組で「沢木耕太郎」の名を口にした。
歌手が「読んだ」と言っていた本は、この本ではなかったが、当時高校生だった私には単行本を買う金銭的余裕はなかった。
「沢木耕太郎」の本で自分の財布の中身で買える本、その中から私は「テロルの決算」を選んだ。もちろん「テロル」...続きを読むのなんたるかも知らずに。
難しかった。
政治的なことも思想的なことも何もかもに無知であった高校生の私にとって、この本はひどく難しかった。
ページを行きつ戻りつしながら長い日数をかけて読んだ。
子どものころから本を読むことは好きだったが、当時の私は両親と兼用で、西村京太郎や山村美沙といった推理小説を読んでいた。2時間程度で読めてしまうそれまでの本と違い、なかなか読み進めることができなかった。
それまで途中で読むことをあきらめた本はない。意地で読んでいたといってもいいだろう。
私には「テロルの決算」の文章がひどく「冷めて」いるように感じられた。
そしてその「冷めた」文章がそれまで読んでいた本との違いだったように思う。物語のどの登場人物に対しても等分に冷たい温度で書かれていると感じた。
私が感じる温度が変わるのは、終章を読み終える頃だった。
「冷めて」いた文章が暖かく私に触れてきた。
ずっしりとした手ごたえ、ただ読んでいただけなのにずっしりと重いものが胸にのしかかってきたような感覚。初めてのノンフィクションだった。
「テロルの決算」を読んだことで、それ以降の読書の傾向が激変した。
読める限りの「沢木耕太郎」の本を読み、ノンフィクションに目を向けるようになった。
それまでより真面目に新聞を読むようになった。自分の無知を埋めたいと切実に思った。
その後数年、就職面接などで本について訊かれるたびこの本の名前を出していた。感銘を受けた本として。それは25年以上を経過しても変わってはいない。