榎本博明のレビュー一覧
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ほめるとダメになる。という直球な言葉に惹かれて読んでみた。読み終わったあとタイトルに共感できた。
①最近の大学では自分勝手な自己主張をする人が多くなっている。遅刻を指摘したら「家から1時間半もかかるから仕方ない」などと。義務を果たさなくても叱られない。その結果どのような人間が育つことを考えなければいけない。
自分が関わっている子どもたちにも、注意しても何かしら言い訳をしてくることがある。それに屈せずダメなことはダメと毅然な態度で接していく必要がある。
②友達のような父親は実は父ではない。父とは子どもに文化を伝える者である。伝えるとはある意味価値観を押し付けることである。自分が真に価値あると思った文化を教え込むのが父親の役割。
子どもが行動をみて、いいところを探して褒めようと気構えるのではなく、自分がいいと思っていることは積極的に伝えていく。そのためには自分も常に自己研鑽を重ねて、本当に大切なものを精査していかなければならないと思う。
③世の中にはいいお母さん=叱らないお母さんという図式が見える。その結果マナー違反している別の子どもを注意することを躊躇ってしまうことがある。注意された子は嫌な思いをするのでは?その子の親も同様に。マナー違反している事実を棚に上げてそこまで慮る必要はない。
自分もそのように考えてしまうことがある。他のクラスの子だからと見て見ぬ振りをしてしまったことご何度かあった。それではいけない。 -
Posted by ブクログ
■感想:
自分が本書をこんなきのめり込んで読んでしまうとは思わなかった。
学校教育を受けているときは、当時の教育方法、指導方法に不満など一切持たずにいたわけだが、今現在大人になり、自分の受けた教育方法と、国内外の教育方法、今後の子どもたちが受けるであろう教育方法に関心を持たなければいけない。
著者は近年取り入れられている「アクティブラーニング」(活動あって学びなし、教えない授業の蔓延)、「楽しい授業」の追求(学びの楽しさではなく、楽な学びに移行)、「主体性への評価」(何を持って主体性を測るのか)を批判、危惧している。
そもそも、意見を述べたり討論する授業「アクティブラーニング」はアメリカで学力の低い学生や学習意欲の乏しい学生を救済するために注目されたものらしい。
アクティブラーニングは、私の大学生の頃からあったが、確かに薄っぺらい学生の討論をするくらいなら、講義型の知識が吸収できる授業を受けてたほうがよかったとすら思えてきた。
発言、討論が「能動的な学び」ではないということ。能動的な学びになるか否かは、学習者次第。
■メモ:
•発達期待:こんな人間に育ってほしいといった期待のこと。
アメリカでは、自身を持つこと、自己主張ができることが母親の発達期待であるが、日本では、思いやりを持つこと、強調的であることが発達期待らしい。理想とする人間像が異なるため、教育によって人格形成をしていく方向性も異なるのは当然のことである。
•外向に価値を置くアメリカ、内向に価値を置く日本。
•問題は講義型の授業ではなく、問いや課題が生起しない授業。求められるのは、能動的に見える授業ではなく、知的能動性が発揮される授業である。
•クランボルツの「計画された偶発性理論」:私達のキャリアは偶然の出来事によって大きく左右されるため、偶然を自分のために活かすにはどうしたら良いかに力点を置くべきだとしている。従来は批判的に見られてた、未決定の心理状態を肯定的にとらえ直し、心を開いた状態を維持することの大切さが強調されている。
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Posted by ブクログ
楽をして学ぶことと、学ぶことか楽しい、は違う—
知識偏重型からの脱却、詰め込み型の入試からAOや推薦入試への移行が進みつつある日本。
大学教育に携わる著者が警鐘を鳴らす。若干保守的な考え方であると感じたが、内容には概ね賛成できる。
本書の中で特に重要だと思われたのは、国語における実用文教育へのシフトチェンジに対する批判だ。実用文とは契約書や規約等の読解力になるわけだが、文学や評論ではなく実用文の読解がこれからの国語教育の中心になるとは恐ろし過ぎる。
確かに契約書等を読む論理的読解力は重要だ。しかし、言葉の力は思考力やものの感じ方に強く影響する。中学生や高校生の折に一流の文学や評論に触れることで感性や表現力を学ぶことはその人の人生全体に大きな影響を及ぼす。それに教科書で読んでみて、続きが気になって、読み漁った本もたくさんあった。国語の時間はそんな出会いの場としても大事な筈だ。
実用文しか読めず、文学も評論文も読めない学校教育は。。。
しかしながら、著者の欧米文化にたいする浅薄な理解はすこし目に余るものがあった。一つ一つ挙げるとキリがないが、日本と欧米文化の比較はことごとく的外れであった。例えば欧米は自己中心の文化で、日本は間柄の文化、としているが、少なくとも私の周りでは欧米人の教授の方が間柄を大切にして、かなり気遣い上手でTPOにあった絶妙な言い方をしてくださることが多かったりする。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「教育現場は困っている」というタイトルであるが、「筆者が教育現場に対して困っていること」がメインに書かれている印象を持った。筆者の意見は概ね賛同することができた。しかし、全てに賛同できるわけではなかった。筆者の意見の概要としては、「何でもかんでもグループワークだ、アクティブラーニングだ言っていないで、内向的に考えることを重要視するべきなんじゃないか」と言ったものであった気がする。現代の教育現場ではアクティブラーニングに重きが置かれていることは間違いない。そして、アクティブラーニングをしたからと言って深い学びになっているとは限らないということも十分理解できる。しかし、本書の中でも述べられていたように、アクティブラーニングは、そもそもは学力の低い生徒を救うために考案された授業形態な訳である。つまり、アクティブラーニングは、学力が低く、勉強・授業に対するモチベーションが低い生徒には有効な授業形態であると考えられる。筆者の主張にも一理あるとは思うが、やはり学力の低い生徒にはグループワークやアクティブラーニングを駆使して、授業に参加させるきっかけを作ることが重要なのではないかと思う。学力が低い生徒に対するアプローチとしてああb、一概には言えないものの、まずはモチベーションを高めて授業に参加している感を出させるような授業形態にするのも一つの手なのではないかと思った。筆者の主張が当てはまるのは、ある程度学力の高い生徒であって、すべての生徒に当てはまることではないのではと思った。しかし、内向的な思考というものを促すような授業を展開していくことも考えなくてはならないことは間違い無いと思う。
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ネタバレ<目次>
はじめに
第1章 「授業が楽しい」とは、どういうことか
第2章 「能動的に学ぶ」が誤解されている
第3章 学力低下にどう対処すべきか
第4章 楽しいことしかやりたくない!
第5章 学校の勉強は役に立つ
おわりに
<内容>
学校現場の教師の立場に立つ著者による、今の教師を勇気づける本。至極もっともなことが書いてある。「アクティブ・ラーニング」だ「学校の授業は役に立たない」、「主体的・協同的に学ぶ」だの、学習指導要領が変わるたびに、文科省は何かと押し付けてくる。前の提案が正しかったかの検証もなしにだ。「総合的学習」も「ゆとり教育」もしかり。まあ大体どれも一義的には正しいのだが、あたかも前回の提案はなかったかのように、新しいことを言ってくる。
この本では、それを指摘し、従来型の日本の学習スタイルで問題はないことを指摘している。むろん、どの教え方でも、無能な教員は一定数いる。そこを考えずに、短絡的な指導法を見つけてくるから、こうなるのだ。現在の日本は本当に教育の危機だと思う。この本は、そうした中、正統的に頑張っている教員を勇気づけるものだろう。