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Posted by ブクログ
2025/07/29
現在も改革が進む教育のあるべき方向性について警鐘を鳴らす内容の本。
講義型の授業ではなく、アクティブラーニングという名のもとに話し合いやプレゼン、会話などと言ったコミュニケーションの側面を重視する学習が広がる中で、本当にそれで大丈夫なのかともう一度教育改革のあり方を問うている。
この人の分析もかなり面白くて、アクティブラーニングが提唱されるようになったアメリカの教育のアプローチの仕方と!日本の教育のアプローチの仕方は国の文化的な側面から考えても合致しているとは言えないのではないかと言っている。
話し合いやプレゼンをするにも当然前提となる知識は必要で、その知識を身につけるためにはじっくり人の話を聞いたり、聞いた内容を自分で理解したり、時には本、文献等で再度調べ直して情報を集めたりする必要がある。
最近の教育は、知識をしっかりと身につける時間を軽視していてその弊害が大学生にも現れ始めているとしている。
ゆとり教育も今では間違っていたとか言われていますが、学習すべき内容が増えまくっているのに学力や読解力が下がっていてしまっては、もう教育施策も言い訳ができなくなりそうですね。
何が効果的なのかはその時代の人たちが適切なものを模索していく以外にないのだと改めて思いました。
Posted by ブクログ
今起きている新教育課程へのもやもやをわかりやすく言葉にした本。
実学自体は決して悪いものではない。
だけど、なんでもすぐに役立つものばかりを求めたり、
短絡的な楽しさだけを求めたり、
それだけでは人間は成長できないとも感じた。
現場はほんとに困っている。
楽しいことしかしたくなくてベラベラ話す子どもとか、
この勉強はなんの役に立つのかと聞かれることもあるし、
小学生レベルのことがわかっていない子どももいる。
言葉が通じていないって感じることが増えた。
国語の話が多くてありがたかった。
新しい教育課程になることで、スピーチやプレゼン、実用文の読解をする時間が増えて、
文学や古典をやる時間は減ることになる。
私自身は、文学や詩といった文芸の力を信じていて、
それは答えのない問いを考える機会になるからなんだけど、
もはや高校生の中で、『山月記』とか、『こころ』とか、『源氏物語』とか、過去の素晴らしい作品を読む機会は絶たれてしまうかもしれないなと思う。
たしかに高校生たちがその先の将来使いようが無い知識かもしれないけれど、
役に立つことしか知らない人たちが、
その場その場のことしかできないで、
文化はどう深まるのだろう。
テクノロジーが進化していったときに、
中身のない人たちがモノに使われてしまうだけじゃないのか。
私自身も現場でアクティブラーニングもするし、楽しい授業を心がけているけれど、やはり力を伸ばせるのは厳しい状況でも、壁を乗り越えられる力のある生徒だと思う。
グループ学習やプレゼンは、アウトプットをさせることで、一人ひとりの力を伸ばすことのできる活動ではある。
でも、中身のない生徒が何をアウトプットするんだろう。
話し合いが深まり、面白い意見が出るのは、成績の高い子だったり、美術や科学など、何かに秀でた子だったりする。
アクティブラーニングだけでは子どもは育たない。
今の子どもに必要なのは厳しい中でもやり切る力だと思う。
それが本書でも触れられている非認知能力ということなんだろう。
知識と思考力の間をとった改革と言いつつも、実はどちらにも向いていなくて、コミュニケーション至上主義になってしまっただけだったのかも。
来年度から新しいカリキュラムが始まるけれど、不安しかない。
教育って、誰しもが受けるものなので、今起こっていることを批判的な立場で書いた本として、いろいろな人に読んでほしい。
Posted by ブクログ
■感想:
自分が本書をこんなきのめり込んで読んでしまうとは思わなかった。
学校教育を受けているときは、当時の教育方法、指導方法に不満など一切持たずにいたわけだが、今現在大人になり、自分の受けた教育方法と、国内外の教育方法、今後の子どもたちが受けるであろう教育方法に関心を持たなければいけない。
著者は近年取り入れられている「アクティブラーニング」(活動あって学びなし、教えない授業の蔓延)、「楽しい授業」の追求(学びの楽しさではなく、楽な学びに移行)、「主体性への評価」(何を持って主体性を測るのか)を批判、危惧している。
そもそも、意見を述べたり討論する授業「アクティブラーニング」はアメリカで学力の低い学生や学習意欲の乏しい学生を救済するために注目されたものらしい。
アクティブラーニングは、私の大学生の頃からあったが、確かに薄っぺらい学生の討論をするくらいなら、講義型の知識が吸収できる授業を受けてたほうがよかったとすら思えてきた。
発言、討論が「能動的な学び」ではないということ。能動的な学びになるか否かは、学習者次第。
■メモ:
•発達期待:こんな人間に育ってほしいといった期待のこと。
アメリカでは、自身を持つこと、自己主張ができることが母親の発達期待であるが、日本では、思いやりを持つこと、強調的であることが発達期待らしい。理想とする人間像が異なるため、教育によって人格形成をしていく方向性も異なるのは当然のことである。
•外向に価値を置くアメリカ、内向に価値を置く日本。
•問題は講義型の授業ではなく、問いや課題が生起しない授業。求められるのは、能動的に見える授業ではなく、知的能動性が発揮される授業である。
•クランボルツの「計画された偶発性理論」:私達のキャリアは偶然の出来事によって大きく左右されるため、偶然を自分のために活かすにはどうしたら良いかに力点を置くべきだとしている。従来は批判的に見られてた、未決定の心理状態を肯定的にとらえ直し、心を開いた状態を維持することの大切さが強調されている。
Posted by ブクログ
楽をして学ぶことと、学ぶことか楽しい、は違う—
知識偏重型からの脱却、詰め込み型の入試からAOや推薦入試への移行が進みつつある日本。
大学教育に携わる著者が警鐘を鳴らす。若干保守的な考え方であると感じたが、内容には概ね賛成できる。
本書の中で特に重要だと思われたのは、国語における実用文教育へのシフトチェンジに対する批判だ。実用文とは契約書や規約等の読解力になるわけだが、文学や評論ではなく実用文の読解がこれからの国語教育の中心になるとは恐ろし過ぎる。
確かに契約書等を読む論理的読解力は重要だ。しかし、言葉の力は思考力やものの感じ方に強く影響する。中学生や高校生の折に一流の文学や評論に触れることで感性や表現力を学ぶことはその人の人生全体に大きな影響を及ぼす。それに教科書で読んでみて、続きが気になって、読み漁った本もたくさんあった。国語の時間はそんな出会いの場としても大事な筈だ。
実用文しか読めず、文学も評論文も読めない学校教育は。。。
しかしながら、著者の欧米文化にたいする浅薄な理解はすこし目に余るものがあった。一つ一つ挙げるとキリがないが、日本と欧米文化の比較はことごとく的外れであった。例えば欧米は自己中心の文化で、日本は間柄の文化、としているが、少なくとも私の周りでは欧米人の教授の方が間柄を大切にして、かなり気遣い上手でTPOにあった絶妙な言い方をしてくださることが多かったりする。
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