あらすじ
頑張れない、傷つきやすい、意志が弱い。生きる力に欠けた若者たちは、欧米流「ほめて育てる」思想の産物である。一九九〇年代に流入した新しい教育論は、 日本社会特有の「甘さ」と結びつき様々な歪みを引き起こした。「ほめても自己肯定感は育たない」「欧米の親は優しい、は大誤解」「母性の暴走が弊害のもと」……臨床心理学データで欧米の真似ごとを一刀両断! 教育と人材育成に関わるすべての日本人必読の書。
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Posted by ブクログ
んな、極端な!
とツッコミを入れながら読み始めた。
めっちゃ面白い。
学校が楽しくない という子供達の声により楽しい学校づくり などということを大人が言い出す。勉強がつまらない という子どもたちの声により、楽しく学べる場にしよう などと大人が言い出し、子供達にラクをして学ぶことのできるような教材づくりや教授法が考案される。勉強するにも子どもたちを強制するのはかわいそうだから、興味のない勉強を無理やりやらせるのはやめて、できるだけ子どもたちの興味を引き出せるように心がける。
すると「興味のないことはやりたくない」「好きでもないことはやる気になれない」「楽しくないことをやらされるのはムカつく」といった心を植え付けてしまう。
このあたりは特にグサっと響いた。
Posted by ブクログ
日本の子供の自己肯定感の低さは他の諸外国に比べて低い、ということは有名な話です。
では、「叱るのをやめてもっと褒めよう」というので自己肯定感が高くなるかというと全く逆だったそうです。
◆
私自身最近つくづく思うことですが、
子どもが大人に対してフレンドリーなのはいいことですが、
それが行きすぎて、大人を舐めていたり、奴隷や召使のように思っている子どもがすごく増えたと感じています。
彼らは悪いことをしても大人からガツンと怒られたことがないので、
問題行動がどんどんエスカレートしていく。
そしていざ大人が怒れば酷く傷ついて虐待だ、権利の侵害などという。
◆
「ほめて育てる」は、厳格すぎる父系社会の西欧(体罰賛成が7割)で「行き過ぎは良くない」で生まれた理論であって、それをそのまま日本に輸入したことからおかしくなったとのこと。
◆
・優しい課題ができた時に褒めると逆効果
・明確な根拠なしに褒めると逆効果
・過度に一般化しすぎた褒め方は逆効果
・コントロールするような褒め方は逆効果。
◆
1「頭がいい」と褒められる
2特に何も言われない
3「一生懸命頑張ったからだ」と褒められる
1→萎縮して、2よりも挑戦しなくなる
3→次の難しい課題にも積極的に挑戦するようになる。
◆
楽観主義者よりも、悲観主義者の方がうまくいく確率が高くなる。
◆
子どもはきつい言い方をされても、背後に深い思いやりを感じていれば、自分は守られていると感じ、自分の価値を感じる。
それが自己肯定の土台となる。
褒めるよりも大切なのは、根本的なところで、子を思う心。
自己肯定感は周囲が与えるものではない。
壁にぶつかり、頑張っても思い通りにならないことに苦しみそれでも、壁を乗り越えたり力を尽くすことで徐々に培われていくもの。
◆
私の話に戻りますが、昔、本気でガツンと叱って泣かせた男の子がいたのですが、なんと六年ぶりに再会することに。
向こうはもう怒られたことなど忘れてしまっていて、こちらが楽しく絵を描いてあげていたことはしっかり覚えていた 笑
私も、大人になってからも叱られたり、叱ったりしてきましたが、
筋が通っていてちゃんとその人と向き合って想いが伝わるんだったら、一時は気まずくなっても、それが幸せの法則、道徳率に向かうものであったらありがとうと思えるものなのだと思います。
幸せになって欲しいから、本気で叱る。ぶつかる。
◆
「褒めて育てるべきか、叱って育てるべきか」という二項対立、どちらかに絶対的な答えがあって、どちらかが正しい、思うのは問い方の落とし穴ですが、
状況や相手、目的によっても態度は変わってくると思います。
アドラーは「褒めもしない、叱りもしない。淡々と責任を取らせる」
といい、
夜の街の不良たちを見続けてきた夜回り先生水谷修さんは「私は子どもを一度も叱ったことも怒ったこともない。とにかく褒めて、ただ悲しそうにそばにいただけ」「いいんだよ」と言います。
私の場合、上記の二人の呪縛?が強く、「叱ったら負けだ」くらいまで思っていたことがあります。
ところが、確固とした軸を持ちつつも、適宜父性を発揮しないといけないと思うようになってきたこの頃です。
Posted by ブクログ
近頃の若者の生きづらさには「ほめて育てる」という思想が深く絡んでいるのではないか。であれば、できるだけ早く世の中の風潮に警鐘を鳴らす必要がある。そんな思いから書かれています。
欧米のやり方を表面上まねて取り入れると、文化的背景が全く違う日本ではおかしなことになってくる。
そして、日本では地域や学校で躾(社会化)が行われてきたが、もはやそれが崩壊して久しいので、親がやっていくしかない。
そんな現状で親ができることは…❗
Posted by ブクログ
「称賛」がもてはやされていると感じます。
子供の褒め方や、褒めて伸ばす部下の育成の仕方など、巷にはそんな本が溢れているように。
「パワーハラスメント」を恐れてか、口を紡ぐことが多くなり、中身のない褒め言葉が増えるようになってきたように思えます。
そんな時勢に逆らうような、この本のタイトルの切れ味に妙に惹かれて、手にとり読んでみました。
欧米から、文化的背景も考えないで、伝言ゲームのように取り入れてしまった「褒める文化」。
褒めることの効用の書かれた本の、「ただ褒めればそれで良いというわけではない」という本の主張は、中身を読まずに、タイトルばかりが誇張されて、勘違いが世に広まってしまったと、筆者は説きます。
親子の人間関係を超えて、人とどう向き合うべきか。
なんでも言葉にすることが正しいことなのでしょうか。
「ありがとう」の気持ちは、言わなければ伝わらないのでしょうか。
そうした、コミュニケーションについて、深く考えさせられた一冊でした。
Posted by ブクログ
■我々には不安だからこそ必死になるという面がある。
・適度な不安は成長の糧になる
・不安を感じる人の方が勉強も仕事もできるということがある
・不安の乏しい人は危機感に乏しく,人の言うことを深く受け止めることがない
■不安の効用に目を付けたのが心理学者のノレムとキャンター
・非現実的楽観主義者と防衛的悲観主義者
■褒められるばかりだと,次のようなデメリットがある
・頑張り続けることができない
・褒めてもらえないとやる気をなくす
・慎重さ用意周到さにかける
・失敗を怖れる
・失敗を認めたがらない
・耳に痛い言葉がしみこまない
・注意されると反発し自らを振り返らない
・思い通りにならないとすぐに諦める
・挫折に弱い
・逆境を乗り越えられない
■褒められることによって作られた自信はもろく傷つきやすい自信であり虚勢につながりやすく嫉妬や妬みに形を変えやすい。
■宣教師ヴァリニャーノのことば
・日本人は極めて忍耐強く,飢餓や寒気,また人間としてのあらゆる苦しみや不自由を耐え忍ぶ。それは,最も身分の高い貴人の場合も同様であるが,幼少の時からこれらあらゆる苦しみを甘受するよう習慣づけて育てられるからである
■欧米流の「褒めて育てる」とは異質の,日本流の「期待によって育てる」
・日本人の心の深層には他者の視線を裏切れないという姿勢が強く刻まれている
■日本の保育者が子供たちに指示的に関わらないことは多くの観察者の同意するところ
・「させる」より「わからせる」
Posted by ブクログ
自分勝手な主張をし傷つきやすい。社会化されていない。そんな生徒が増えた学校の現実からみて、至極真っ当な主張の本でした。「褒めて育てる」一辺倒への警鐘、そうなってしまった原因(日本と欧米の文化背景の違い)
などは、
なるほど!と感じました。
Posted by ブクログ
ほめるとダメになる。という直球な言葉に惹かれて読んでみた。読み終わったあとタイトルに共感できた。
①最近の大学では自分勝手な自己主張をする人が多くなっている。遅刻を指摘したら「家から1時間半もかかるから仕方ない」などと。義務を果たさなくても叱られない。その結果どのような人間が育つことを考えなければいけない。
自分が関わっている子どもたちにも、注意しても何かしら言い訳をしてくることがある。それに屈せずダメなことはダメと毅然な態度で接していく必要がある。
②友達のような父親は実は父ではない。父とは子どもに文化を伝える者である。伝えるとはある意味価値観を押し付けることである。自分が真に価値あると思った文化を教え込むのが父親の役割。
子どもが行動をみて、いいところを探して褒めようと気構えるのではなく、自分がいいと思っていることは積極的に伝えていく。そのためには自分も常に自己研鑽を重ねて、本当に大切なものを精査していかなければならないと思う。
③世の中にはいいお母さん=叱らないお母さんという図式が見える。その結果マナー違反している別の子どもを注意することを躊躇ってしまうことがある。注意された子は嫌な思いをするのでは?その子の親も同様に。マナー違反している事実を棚に上げてそこまで慮る必要はない。
自分もそのように考えてしまうことがある。他のクラスの子だからと見て見ぬ振りをしてしまったことご何度かあった。それではいけない。
Posted by ブクログ
いつも妻が子供を褒める時、「天才!」と言ってたことがずっと引っかかってた。
行動や努力を褒めないと、ヘタれたガキになると思っていたところ手に取った本。毒親はダメだけど、自立した子どもを目指すなら、思春期前後は突き放す勇気も必要かと。
親心子知らずとは言うけど、ウザがられる親にならねば。
Posted by ブクログ
今、自分の周りを取り巻く状況から考えると、とても納得できる部分が多かった。「褒める」方法の良し悪しにより、子どもへの影響は計り知れない。今の日本の現状から考えても、良くない点もあるだろう。自分自身の子どもへの接し方を考えさせる本となった。
Posted by ブクログ
「ほめると子どもはダメになる」
言い過ぎではないかと
本書を手に取った。
内容は
ほめることの良し悪しや
叱ることの必要性を心理学的観点から
研究や筆者の経験をもとに考察している。
子どもの成長を思い
愛情を持って叱ることも欠かせない
言いたいのはこれだろう。
親になったら再読必須。そんな一冊だった。
Posted by ブクログ
自分に子供がいたら、甘やかすんだろうか?
と思いながら、読んだ。
たしかに、親と子供の関係から友達の関係になっている親子も珍しくなく、そういった子どもは基本的な礼儀が欠けている場合も多い。と感じる。
賛成できない部分もあったが、考えさせられる一冊であった。
Posted by ブクログ
タイトルからしてラディカルである。ほめてはいけないと言うことは、スパルタでビシビシなのか?と思ったのだが、これは間違い。ひと頃、ほめて育てると言うことが流行ったが、欧米に緒を発するこの子育て、分解的背景抜きにして日本に持ってきても木に竹を継ぐようなものであると言うこと。大切にすることは、能力ではなく行動を見てほめる、子どもが本来持つ困難に打ち勝つ力を信じること、大人は大人として体当たりの子育てをすること。ほめることも叱ることも簡単ではない。改めて、ほめること叱ることは何なのかを考える好機となった。
Posted by ブクログ
最近はマスコミでも騒がなくなったが、叱らない、褒めろ!が合い言葉である。騒がないというのか当たり前になったのだろうか。尾木ママを中心にこの子育てが大流行であるが、はやればアンチもあるはずで、タイミング的には出てきておかしくないときだった。
内容は、確かに、、、と思うが、教育や子育ては科学ではないため、自分の心情や感覚でものが言えてしまって、相手の意見を論理的に否定することが不可能であるので、評価が難しい。最近の若者がおかしくなったのは褒めて育てたからだという論調であるが、若者にインタビューをしているわけでもなく、結局外から「〜だろう」とかってな推察をしているだけである。
私は教育学は学問ではないと思っている。こんなことを書くと専門家でもないのにと叱られそうであるが、長い教育の歴史を持っているのにきちんとした縦断的な調査研究がなされていないため、反論しようがない。
最近のアクティブラーニングもしかりである。
著者は心理学の学位をお持ちのようであるが、それにしてはあまりにも非学問的な書物である。
Posted by ブクログ
タイトルがとても刺激的なのは新書のご愛嬌ということで。
実際には褒めるとと子どもがダメになるなんてこの著者は全く言っていません。
欧米のように幼い時から子どもを自立した独りの人間として尊重しており
厳しく指導している文化の中で推奨される褒めて育てる育て方を
日本のように親子の関係が密接な文化の中でただ真似して褒めて育てても
子どもはダメになりますよということを言っている本です。
あるテストを行った後に褒めたグループと何も言わなかったグループでの
その後の行動の違いなど実験を通した裏づけを元に客観的に述べているので
説得力があります。
自身4人の子どもを育ててきて同じ親から産まれても個性がこんなにも違うのか
と
やっと実感してきたところであり、子育てにはこうすれば良いみたいな
マニュアルがないことも分かってきました。
その上でこの本を読んで褒めること一つとっても難しいことなんだなと
改めて思うことができました。
今後の子育てに生かして行きたいと思います。
Posted by ブクログ
褒めても自己肯定感は育たない、欧米と日本の親子の距離感と褒め方叱り方の関係などを、資料をもとに書いている。「親や先生は怒らない方が楽だから褒めて育てようとする」という文章が耳に痛い。だからと言って、褒めるのは意味がないというわけではなく、どう褒めればいいかについても触れていることは好感が持てる。
Posted by ブクログ
著者の「イクメンの罠」からの流れ読み。
「叱られることに抵抗感がある」これは誰でも持っている感情だろうが、叱られた時、それに対処できるレジリエンス(心の復元力)が育っていない若者が増えているという。
レジリエンスを育てるには、失敗してもそれを克服する努力をすることでいい方向に向かうことできる、という自信というか自己肯定感を持つことだという。自己肯定感を育てるには褒めるだけではダメだ、ということだ。
「注意されることは、攻撃されること」、これも大なり小なり誰もが感じることではある。自分なりにどう処理するのか、そのためのいろいろな引き出しを自分の中に持つための経験の蓄積ができるとといいのだろう。では、社会に出て、組織の中で、どのように引き出しを持つよう育成すればいいのか、悩みどころだ。
あれっ、それを考えるための流れ読みだ。
Posted by ブクログ
たしかに。
叱られるという経験が少ないこども
叱られることに対して、存在を否定されているように感じる過敏さ、なんでもハラスメントになりうる。。。
私は逆に子どもを「叱る」ことについて再考するきっかけに。
過敏型自己愛が最近の日本人に多いって言われてる理由も関係してそう。
Posted by ブクログ
ここ20年程「ほめて育てる」が広がり、親の厳しさが失われた。こうあるべきの縛りが緩み、価値観の自信が揺らいだところに、アメリカ流の思想を無条件に取り入れたため、厳しさと甘さのバランスが崩れてしまった。親にとっても楽だった。
褒める=叱らないとされているようですが、褒めるのと厳しくするのは、並立するんじゃないでしょうか。
Posted by ブクログ
深い納得感あります。教育論ほどシロウトの無根拠の論説が蔓延って、流行り廃りでおかしなこと言ってる傾向にある。「ほめる」とはどういう行為か。ほめる子育てとはどんな結果を生むか、いろいろ考えさせてくれる名著。ただし、ほめられて育った大学生のルポは、筆者の教鞭での嫌な経験を元にかいており、ちょいちょい恨みと悔しさを感じて人間的。
Posted by ブクログ
内容とタイトルが少し違うように思える。ほめてもよい場面ではほめてもよい。何でもかんでもほめるのはよくない、ということ。アドラー心理学の「ほめてはいけない、叱ってもいけない」とも違う考え方。
Posted by ブクログ
誉めらることの弊害
調子に乗る自己チュー善悪判断挫折すると落ち込む誉められないと機嫌を損ねる失敗隠す嘘をつく反省しない間違った行動修正すべ機転に気づけない注意叱責を受け入れない自信過剰厳しい状況で踏ん張れない
具体的な行動姿勢を誉める
誰かのためになったことを誉める
頭のよさ能力を誉めると、裏切りたくないと守りの姿勢にはいる
頑張りと努力を誉める、努力の姿を見せようとチャレンジ精神つく
ほめることで自己肯定感が高まるといわれてきたが実は逆になることも
たまにしかられ過ぎて傷つくことがあった方が世の中の理不尽さにも耐えていける心の強さを養える
子どもを傷つけないようにと腫れ物に触るような姿勢になる方がこわい
心の絆ができ基本的信頼があれば、厳しい叱責も自分にためと信じられる
親の役目は未来に向けて送り出すこと理解者になることではない
いつも笑顔の優しい親である必要はない
Posted by ブクログ
本書では、とにかく批判せず褒めればよいという教育方法を否定している。
叱らないほうが親も子供もハッピー、という近視眼的な理論は確かに子供の将来のことを考えているとは思えない。
また、日本の文化や、日本人の性格・育て方に海外流の育て方を付け焼刃的に持ち込んでも意味がないどころか、悪影響を及ぼす。その結果として、今日の撃たれ弱い・頑張らない若者が多くなっているという内容。読んで感心する部分が多かった。
ただ、読んでいて、欧米流を推しているかと思えば、途中から日本流を推しだしたり、書籍としての構成が少しわかりづらい。
加えて、本書全体を通した大枠での明確な結論がわかりづらい。
小さな一点一点については面白い箇所があったという印象。
話題の真新しさ、納得のいく例が挙げられていたこと などについて、+1。
全体としての明確な結論がわかりづらいので、ー1。
結果として評価は☆3つとしました。
でもなかなか面白かった。
無条件に厳しくすればよいというわけでもなく、教育もなかなか難しそうだ。
Posted by ブクログ
褒めること叱ることで起こってくることの正負両面から見ていき、子どもとのかかわり方について考察されている一冊。
褒めたり叱ったりするときの大人のあり方が問われているように感じました。