柴田裕之のレビュー一覧
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ヒトの色覚はヒトの肌の色の変化をしっかりと見分けることを基準に定まった。であるから、それ以外の色の見え方は偶然の産物。りんごが赤く見えるのも、その色覚の進化の結果であるらしい(場合によれば黄や緑に見えるようになったかもしれない)。肌の色は血流量や酸素飽和度の変化により変わる。それが健康保持や生命保持に関わる人類生存のキーになるものであるので、色覚もそれが最優先され、それに連係して、他の物の色の見え方も決まっていった。肌の色の変化は人間が意識的に変えられる物ではなく(例えば怒りの感情が高まると血流量が増え、顔が赤くなるが、これは自分の意思ではコントロール出来ない。よく、感情が顔に現れるのは平然とした表情を保っても紅潮してしまう。)人間社会を維持発展させるためには利他的行動を促すことが大切であるが、他人の本心や感情を察知することで、利己的行動を自己規制できるようにしたのであろう。もう一つは他者の体調の変化をいち早く察知して、処置救命することに肌の色の変化を見分ける能力は生存維持に重要(医者が色覚異常の場合、患者の変化を素早く察知することが出来ず大変まずい事態に。また女性は男性に比べ色覚異常が少ないのは子育てに関係し、子供の様子の急変に素早く対処できるようになれるためである)。人間が他の動物と違い、進化の過程でどんどんと体毛が少なくなり、肌の露出度が増して行ったのはこれに合致する。
顔の真横に目が付いている動物が多い中、ヒトの目はなぜ、前向きについているのだろうか。横についている動物の視野がパノラマ的に後方まで見えるという利点を失ってまで、なぜヒトの目は二つ前向きについているのか。前方にものがあっても見透せる透視力が後方の視界を失っても有り余るほどのメリットがあったからである。しかしそれは目と目の間隔よりも小さい葉で覆われ、その隙間から前方が見透せるような環境で生活する事で得られるメリットである。現在の人間の生活環境は必ずしもそのようなものではない。後ろの視野がないことのデメリットの方が多い環境である。しかし、人間は後ろの視野が無いことの不便さを経験したことがないので、そのことが実感できない。
心理学者は同じ長さの平行線に手を加えて、長さが違ったり、平行でな異様な錯覚を起こさせる実験図を作る。なぜ、このような錯覚が起こるのか。それは人間の視覚が0.1秒前の現実を捉えるからである。そうでないと視覚が認識した映像が実際に認識されたように感じた時に、すでに過去の映像になってしまうからだ。
なぜ、人間の資格は0.1秒前の映像を先取りするのか。人間にとって最も馴染み深い前進行動をして移動する時に自分と周りのものとの刻々と変化する位置関係を正確に捉えるためである(人間にとって自分と周りの物理的な環境との位置関係を正確に把握することは生存上最も重要なことである)。
前進中は網膜上で発生する光学的なぼやけのパターン(これにより周りの景色が自分の前身とともに後ろへ流れていくような認識を持てる)が錯覚を起こさせる心理学者作成の図に加えられる放射状の線と類似していることが錯覚を起こさせる要因である(流れるぼやけは中心部が上下に比べて膨らむように認識される)。
人間の資格は三次元の現実の環境が自分の移動でどのように変化して見えるかを正確に把握する。だから2次元の絵画で奥行きのあるように見えるものは、実際には同じ長さの直線が手前か奥かで長さが違って見えてしまうのだ。3次元の世界ではそれが現実であるのだから。
最終章は、文字の話。世界には様々な文字があるが、みな自然界の事物を見るための視覚的特徴をもとに作られている。人間はみな同じ特徴の文字を読み書きしているという驚くべき仮説。漢字もアルファベットもその他の文字も現実の世界の中で物を見分ける視覚的特徴のパターンと一致しているらしい。この文字をであるから文字は書き手サイドではなく読み手(それを容易く読み取れるように)に都合よく形取られている。この文字を書き記すことにより、すでに死した人々の声を霊読できるがごとく聴くことができるのだ。さらに、文字を書き記しそれを読み解く視覚を持つことで、短期記憶を際限なく保持し、それをもとにコンピューターのごとくアルゴリズムを実行していける能力を持てるようになった。世にいわゆる「ハウツー」本が手広くでまわり、それを利用して様々なことを手順を踏んで実行していける存在、まさにコンピューターのチューリングマシンのごとき存在となった。 -
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人類が気を付けるべきことや将来の可能性について考察した本。私たちの生活は、技術の進歩によってすぐに変わるかけではない。しかし。気づいた時には昔よりも進歩した社会になっているかもしれないことを思い知らされた。ホモ・デウスに比べると現実問題に焦点を当てているので、読みやすいものとなっていると感じた。
第5部に分かれているが、テクノロジーと政治面の課題は将来に繋がる問題、残り(欲望、真実、レジリエンス)はとりわけ現在解決できそうな具体的な問題について述べられている。
まず、目覚ましい発展を遂げているテクノロジーが生み出すアルゴリズムは、私たちの意思決定の判断をするかもしれない。すると、大量のデータ処理に長けたAIは私たちの雇用を奪っていく可能性がある。しかし、知能がアルゴリズムに取って変わられても、意識の所在についてはそうもいかない。未だ解明されてないことが多いからだ。データが生活を担うのならば、人類は五感を活かして、感覚を養うことが人生の目的になるのではないか。例えば、ユダヤ教正統派男性のように儀式や活動に深い意味を見出すことにあたる。
自由主義によって最も良い選択を求めるあまりにAIの決定に従う世界は、はたして自由と言えるのだろうか。少なくとも、データのありどころを掴む人が人を制すると思われる。
世界は様々なものが統一されようとしている。AIは私たちの生活と融合しようそしているし、文明は絶えず変化している。その文明もナショナリズムによって定着し、融合することでグローバル化が進歩する。
人類には、宗教や神が絶対とされる文化が存在する。現代では、それを振りかざすのではなく謙虚さを兼ね備えることが求められる。
情報が蔓延いている現代は、思っているよりも無知で正義が定まっておらず、嘘が入り混じる社会である。
このような世界で自分意思の支配権を維持したければ、自分のことを良く知るようにしておかなければならない。個人的な意見として、データが蔓延る時代はAIの処理の方が能力が高い。だから、柔軟性や誰にも譲れない価値基準を見つけることが大事なのだろう。
人間は行動に意味を持たせたいがために、矛盾した行動をとったり、不合理な決断をすることがある。本当の自分を理解するためには、瞑想によって自己を見つめることが必要である。
現代の重要テーマとして、テクノロジーの発展と倫理観をどのように扱うかについて自分の答えを持っておくべきである。そして、自分の謙虚さと真実を探せるようにしておくのだ。数ある情報を精査するために役立つのが瞑想である。 -
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読書会で読むことにした本でなければ、途中で挫折していたかも(笑)
苦労しただけに読み終わった後のクリア感は半端ない。作者が結論を明確に(敢えて)しないので、それぞれの具体例が最終的にどこに帰結するのか忍耐力が必要。
読み終わった後に「虚構」=物語の位置付けを咀嚼し直して、メタ認知。ようやく視界が広がってこの本の全体像を把握した。
ホモ・サピエンスは物語(虚構)を作ることで力を得てきた。(これは「サピエンス全史で著者が解き明かしてきたことだ。いわゆる「認知革命」である)国家、宗教、イデオロギー、貨幣経済等を作ることで集団の力を発揮し、人々はその物語に陶酔すらした。大きい物語であればあるほど、それは力を持ち魅力的だ。
ハラリはその物語=「虚構」を否定しているわけではない。「虚構」を神話ではなく、「虚構」として捉える視点を持つことの重要性を説く。しかし、それは、難しいことでもある。
そのためには、時間と労力とお金をかけること。タダの情報より、お金を出して自分の欲しい情報を買うこと。(Yahooニュースより、新聞だ、と解釈した)私たちの情報はどんどん吸い上げられ、人間を凌駕するアルゴリズムが作り上げられる。アルゴリズムは進化するからだ。シンギュラリティは予想より早くもうまもなく到来するだろう。
テクノロジーの奴隷になるな、とハラリは警告する。アルゴリズムのままに誘導され、ベイシックインカムを与えられ「快適」な生活を送るのも下層に位置付けされたホモサピエンスの最終的な一つの生き方かもしれない。しかし、それは「人間」を捨てることと同義でもある。
「人間」とは何か。どれだけアルゴリズムが完璧な人間性に近づこうとも、人間とAIの違いは「意識」の有無だ。
かつてデカルトが言った。「我思う故に我あり」さすがデカルト!
私たちにはもう時間がない。ここでひと踏ん張りしなければならない。それが個人レベルであろうとも。
ハラリはそういう読者を求めている。
せめて読書会くらいで踏ん張ろうと思う。 -
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・感想
お金と時間の幸福路線をわかりやすくまとめた書籍。
2回目の読み直しだが参考になりました。
・Todo
★スマホ等テクノロジーの進化にともない、時間がどんどん間刻みになり、ストレスが溜まっている。
★お金を稼いだら裕福になると思いきや、その上の暮らしを永遠に求め続けるだけである。
★今日より明日のほうが時間があると思ってしまう。
★自分がどんなふうに時間を使っているかを観察し、ときめいた時間を継続。嫌な時間を捨てる。
★時間を節約できる買い物に投資する
★時間の捉え方を変える。
★なぜこれをやっているのかを問う。
★空っぽのゆとり時間を設ける。
★自分が時間に合わせて動くタイプかイベントに併せて動くタイプかを知る。
★タイムスマートなデフォルト設定。
目標に意図を持つ。
アメとムチを使う。
★余暇をゆったり過ごす。 -
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一貫して読みやすく言いたいこともかなりクリアーになっていたと思います。つまり人類はようやく最近になって(大規模な)飢饉、疾病、戦争をなくすことに成功した。さて次は何を求めるのか、ということで著者があげているのが不死、幸福、神性の3つです。この3つのキーワードは多少誇張されているとは言え、方向性としては同意できました。つまり寿命をいかに伸ばすか、幸福度をいかに高めるか、そしてその2つを達成できればできるほど人類は神に近づく、という論調ですが、これが全世界に当てはまるかといわれるとNOという印象は持ちました。つまりここで書かれていることの多くは一神教の宗教が浸透している地域の未来予想図であり(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教等)、日本のようにいまだにやおよろずの神の影響が少なからず残っている国においては、正直あてはまらないでしょう。ハラリ氏は、アニミズムは原始的な部族の間にしか残っていないと思っているのかもしれませんが、日本のような先進国でもその痕跡は色濃く残っている事を学ぶべきでしょう。
しかしそれは除いたとしても、書かれていることや著者の問題意識は非常に鋭いと思いましたし、学ぶことも多かったとは思います。世の中には主観と客観の2つだけではなく、第3の領域として「共同主観」がある、という記述は興味深かったです。貨幣を例にとっていますが、皆が「その貨幣は有効である」と信じているから実際にその貨幣が機能する、しかしその幻想が崩壊した瞬間に貨幣は機能しなくなる、ということで岩井克人さんの貨幣論を思い出しました。岩井さんは言語や法律も同じカテゴリーに属すると述べていますが、ハラリ氏も同様の見解を示していました。下巻も楽しみです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ初期の農耕社会は狩猟採集民より生活水準は低下した。
狩猟技術の向上で、獲物が減少し農耕に移行せざるを得なかった。
イースター文明は魚の取りすぎで人口が80%近く減少した。
統一成長理論=現代の経済成長とマルサスの時代の停滞を統合する理論。
産業革命のころは4歳から働かされた。小さな手は繊維工場の機械の詰まりを取り除くのに好都合。
工業化の進展で子供に可能だった単純作業が自動化され、児童労働の恩恵が減った。同時に教育を受けさせる価値が高まった。工場法で1833年に9歳未満のこどもの労働は禁止された。
人口転換=1870~1920年ごろに出生率が30~40%低下した。
食糧難の時代に平均結婚年齢が上がり独身者が増えて出生率が下がり、豊かな時代には逆になって出生率が上がるのが普通だった。
人口転換の理由は、子供に教育投資をする利益率の上昇が原因。乳幼児死亡率が低下、子供の教育が普及、その結果、教育の利益率が上昇し出生率が低下した。
きつい肉体労働の重要性が減少、男女の教育と所得の格差の減少。
女性の賃金が上昇すると世帯の予算制約が緩和されて子供の数が増える=所得効果。
子供を増やす、または早く結婚させることの機会費用が増加し、少子化晩婚化に向かう=代替効果。こちらのほうが勝った。
収入の格差は、労働生産性の違いを反映している。格差は縮まらない。国際貿易の拡大は工業国と非工業国に非対称な影響を及ぼした。工業国は人的資本への投資に見返りがあるが、非工業国には少ない。そのため、貿易の利益は、工業国では教育に、非工業国では多産と人口増加に使われた。イギリスとインドの例。
貿易の前提条件は、統治機関が機能すること。
韓国と北朝鮮は、以前はともに独裁国家。韓国は私有財産の保護や農地改革を実行。北朝鮮は大規模な国有化と中央集権化。非民主的な体制でも、インフラや人的資本への投資、市場経済の振興によって経済成長できる。中国やベトナムの例。
イギリスで産業革命は黒死病によって農業の労働力が不足して農奴の取り分を上げたから。東ヨーロッパは西からの農業生産物の需要が高まって地主の力は強力になった。
地理の影響
家畜が存在しない地域(アフリカ)は人口が少ない。ツェツェバエが家畜に睡眠病を運ぶ。その後の経済発展の道筋を決めた。
資源が豊富だと、資源の呪い、が生まれる。人的資本集約型の産業が人が集まらないために育たない。
イギリスの産業革命は石炭も重要な要素だが、中国にも石炭はあったのに工業化は遅れた。
マルサスの時代は土地が農業に適していることは人口に対して恩恵だったが、近代にはその部門から工業部門への移動を妨げることで繁栄の障害になる。
領土が限られていると権力と権威に歯止めがかかる。大きいと権力も大きくなり、技術や文化の発展を制限できる=中国の歴代王朝やオスマン帝国の例。
ヨーロッパは小さな国が独立して陸続きなので、制限が加わると隣国に逃げる。=コロンブスが資金の出し手をお止めてポルトガル、ジェノバ、ベネチア、イングランドなどに声をかけた。
中国は、王朝が航海を禁止することで発展が妨げられた。オスマン帝国は印刷技術導入の遅れも知識階級が知識を独占しようとしたから。
ヨーロッパでは政治的な分裂が、競争を生み技術と文化が発展した。
中国では、大河川を利用するダムや灌漑設備が必要でそのために、巨大な権力の誕生が必然だった。ヨーロッパでは大河川がないために、降雨を頼みにしていた。米は大規模農業が適しているが、小麦は個人的農業でも生産可能。
ヨーロッパの海岸線は入り組んでいて商業用の航路が生まれやすい。アジアには朝鮮半島以外に半島が少ない。
中国は大河川を利用した地理的連結性がある。中央集権化が進み中世には有利だった。産業革命には逆効果。競争や文化の流動性のほうが大事だった。
植民地が独立しても成長を遅らせるような収奪型の制度を維持した。豊かな作物が育つ地域は人口密度が高く収奪的な制度に向いていた。
未来志向の文化=作物がよく育つ地域では未来への投資に実りが多い=ますます収穫が高水準になる。
「欧州社会調査」「世界価値観調査」によって解明された。長期的思考の強い人がそこに移住するということも考えられる。
稲と小麦は、アジアの相互依存文化とヨーロッパの小麦文化に影響している。小麦は米ほど協力を必要としない。
クワを利用する土壌は男女の役割分化が進む。スキや熊手を使う農業では男女が共同で行う傾向がある。
気候変動が激しい地域では、損失回避型よりも冒険型のほうが利益が大きくなることがある。気候変動が穏やかだと、損失回避型の行動のほうが利益がある。「総合社会調査」の世論調査と過去1500年の気候データの組み合わせからわかる。
性別の作業区別がある文化では言語も性別の区分がある言語が生まれる。社会階層の区別がある社会はそれを反映させた言葉が生まれる。作物が豊かな地域では未来志向が生まれ、言語にも迂言的な未来時制の言葉が生まれる。
土壌が大規模プランテーションに適していると収奪的な制度が生まれやすい。地理は格差を生む大きな要因。
「オハロⅡ」と呼ばれる遺跡は23000年前に農耕が起きていたことを示す。
メソポタミアで農業革命が起きた理由は生物の多様性と家畜化可能な動物が豊富だったこと。
オセアニアやアメリカは、人類の到達が遅くすでに狩猟技術が発達していたため、大型哺乳類は早く絶滅させられた。
アメリカやアフリカは縦に長い=気候が違う。ユーラシア大陸は横に長い=気候が似通っていて栽培技術を移植しやすい。
戦争の歴史では強者は病原体を保有していた。アステカ帝国やインカ帝国は病気によって滅ぼされた。
農業社会では人口密度が上がると首長制国家が現れる。税収が必要。税は初期は穀物。イモでは不便。穀物が収穫された土地では複雑な階層社会が生まれた。都市国家に発展した。
農業革命を先導した国のほうが現在貧しいのはなぜか。
農業の比較優位は、工業化を遅らせることになる。人的資本の形成(教育)や工業技術の進歩が遅れる。
ロックンロールの誕生は黒人文化と白人文化の融合から。
連続的創始者効果=移動するにつれて多様性は失われる。アフリカから出国した人類は、遠くに行くにしたがって多様性がなくなる。適度な多様性が経済の繁栄にもっともつながりやすい。
貧しい国を繁栄させる政策提言(ワシントンコンセンサスなど)は、偽の飛行場を作ったタンナ島の復活の儀式と同じ。前提条件が整っていれば自由貿易は規制緩和、民営化、財産権の保護は意味があるが、社会の結束が弱い、賄賂が横行している環境では無意味。
格差のおおもとはグローバル化と植民地化の非対称な影響。さらにいえば植民地化以前の不平等に基づく。 -
Posted by ブクログ
死とうまく向き合えば成功するかも
成功するには具体的な目標を立て、イメージしろとはよく言われている。
そして、7つの習慣では自分が弔事を読んでもらうイメージを持てと書いてあった。
人生の最終目標は死ぬことである。ということは死をイメージしておけば人生は成功するのかもしれない。死については怖いイメージしかなく、ある本には怖いのは情報が少ないからだと書いてあった。
この本を読んで、死に対する怖さの原因、死のイメージを変えてうまく向き合って利用の2点を学ぶことができた。
・死んだところで、世界は大して何も変わらない
・死んだあとは無になる。夢見ずに寝てるのと同じ。いつも経験してるし怖いことなんてない。
・それでも死が怖いのは、残された人生に希望があるから。逆に人生に絶望してる人は死にたくなる。
死にたくないということは、残りの人生が希望に満ちている証でもある。しかし、死という最終目標を意識せずにダラダラと人生を過ごしてしまうと、死を近くにした時に後悔が残る。常に死という最終目標をイメージして毎日全力で取り組もうと思った。