柴田裕之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分の手に余る力を生み出すのは我々の種に特有の大勢で協力する方法に由来。神話、宗教など物語のたぐあは、既存の生物学的絆を拡張する手段。偽りの記憶を語り続けると、いずれ人は正真正銘の記憶として受け入れる。大量の人間の間に秩序を生み出す最も効率的な方法は、真実ではなく物語。情報ネットワークは「真実の探究」と「秩序の維持」の双方に効く。官僚制は「整理」、整理の引き出しに押し込める事で真実を反映していない。官僚制は真実を犠牲にするが秩序のためでもある。神話と官僚制は、秩序を維持するのに不可欠な一方、秩序のために真実を犠牲にする。宗教、全体主義の「不可謬性」。聖典は可謬の人間の制度や機関を迂回するテクノ
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Posted by ブクログ
アライメント問題、不可謬性、執拗さ、理解不能な多元データに基づく判断、そして自律性。そういった特徴を持つAIは経済動機や国家統制の動機で社会の混乱や対立を煽ったり、監視やスコア制に活かされたりするかもしれない。疑心暗鬼に陥った独裁者と組み合わさると破壊兵器の使用に繋がるかもしれない。
これらを回避するには人類がAIをコントロールしないといけない。はたして人類は協調してそれができるのか、が問題。まさに技術はどう使うか。痛い目を見ないと協調できない気がするが、その痛みにたえられるのか。ラジオがナチスに繋がったようなことがもっと酷い形で起きないか。心配。 -
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Posted by ブクログ
「死」について、論理的に考えてみるのは、確かに興味深い。
意識が無くなったら死と言えるのか。
肉体が残っていても、それは死と言えるのか。
様々なパターンを例として挙げながら、学生たちに「あなたはどう考えるか?」と問う形式の授業内容をまとめたものだ。
本書の中に、余命宣告を受けた学生が、この授業を受講したエピソードが記載されている。
その学生が、この授業をなぜ選択したのかは分からない。
死に向き合おうとしての選択なのか。
単純に「死」を知識として探求したい目的の受講なのか。
当たり前であるが、死を体験して自身で理解することは、論理的に不可能だ。
死ぬ瞬間については想像できるかもしれない。
しかし -
Posted by ブクログ
ジョークと具体例の中にポイントが紛れていることがおおくやや冗長で読みづらかった。
何回も読まないと実践できないくらいのTIPがたくさん。
まずは簡単な瞑想から習慣化スタート。
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・幸せとは心のデフォルト設定
・情動は心ではなく体に現れる(呼吸や汗、肩のこわばり)
・注意とメタ注意
・エンジニアでさえ求められる能力のほとんどはEQ(ナイスガイが一位になる!)
・優秀なのはポジティブで穏やかで達成基準と意欲が高く社交的
・EQ=情動的能力→自己認識→情動の自覚(情動と影響/正確な自己査定(長所と限界)/自信(価値と能力の実感)
・山のようにおだやかで隙がなく座り、思考の流れをただ眺めlet -
Posted by ブクログ
死生観を公平な視点と哲学で「死」とは何かについて説く良書である。
死は必ず誰にでもどんな存在でも訪れる不変なもの。本著では、人間という死の先には無があると説く。
世の中には、死後の世界についての経験を語る人は少なくない。本著はそれらも否定しない。純粋に人間として、死とは何か、今生きる私たちが幸福でいられるためにはどう過ごせばよいのか、そして、死を問うことで生きることに繋がると本著は強いメッセージを私たちに伝えてきてくれる。
死生観は十人十色だ。本著を通じて学べることは、死を極端に怖がる必要ないこと。自殺について否定的であり、「死を問うことで、未来の可能性を見いだし、生きる希望を持つこと」を説く