柴田裕之のレビュー一覧
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アルゴリズムによって決断される物事は決して偏見や感情を含まない公平性が極めて高いものであると思う。ただ正しさは暴力にもなりうる。一個人の幸せという観点から考えると文句の言う余地がないということは私達自身を守る言い訳を失うことを意味する。例えば過去の階級制社会を見てみる。農民などの人々は今の時代よりも幸福度が高かったと言われている。階級制社会によって理不尽にもどれだけの努力を重ねたとしても自分たちは貴族になれないというのに。
そこで人々を守ったのは言い訳であると思う。「しょうがない」と思わせられること、そしていまいる自分を否定しないですむこと、それが彼らから焦燥感や不足感を取り除くことにつながったと思う。
本著が述べているように今後アルゴリズムからの評価に依存すればするほど真っ白なほどに「正しい」評価システムが構築される。アルゴリズムは単一性の誤謬にとらわれることなくどんな指標でも正しく評できるようになるだろう。これは評価対象が物事の場合においては問題はないように思える。しかしこと評価対象が人間になったとき格差、差別、それによる民族浄化に繋がる。人々が全員言い訳の聞かない社会的信用システムに支配されたときそれは監視社会つまりアルゴリズムによる統治が行われるようになりどんな人間でも価値があるなどといった考えは否定されかねない。数値化され、それが可視化された世界において人々は本当に幸せに暮らせるんだろうか。私達人類は倫理的に誤りだらけの残虐な少数の人間ではなく、正しさを武器にしたコンピューターにより人権侵害をされる危機に瀕しているという事実を考えさせられた -
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◯ コンピューターはもし力を委ねられたら、現に惨事を招くだろう。なぜなら、コンピューターは可謬だからだ。(147p)
◯ 民主主義の存続にとって、ある程度の非効率性は利点であってバグではない。(161p)
◯ 私たちは話し合いができるかぎり、共有できる物語を見つけて互いに近しくなることができるだろう。(251p)
★上巻で魔女狩りやクラーク狩りの歴史を学んだのは、AIがそれを引き起こす可能性を理解するためだった。
★AIは偏見を持つし、間違う。目標達成のために有機体では考えられない手段を持ち得る。AIに権限を与えてはいけない。人類はグローバルに協力し、AIを規制する機関を設立しなくてはならない。 -
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独裁者の権力構造に関して分析された本
タイトルは「独裁者の倒し方」だけれども、この件に関しては最終章のみ
大部分は、独裁者の権力構造や独裁体制の維持に必要な条件などについて語られている
まぁ、それらの前提条件があってこその最終章なので、間違いではないけれども、タイトルを狙いすぎな印象はある
独裁者がその地位に居続けるにはどうやればいいかという視点で語られるため
ある意味で、一時期流行った完全マニュアル本のように「独裁者完全マニュアル」のようである
ただ、独裁者の成り方は一部で、なってしまった後の方が多い
独裁者が失脚するとどうなるのか?
2790人の国家支配者のその後を追った調査では、個人の独裁者に限れば、約69%が権力の座を失った後に、殺されたり逮捕されたり国外逃亡を強いられているらしい
引退も安寧な生活ができた独裁者は、コイントスをするよりも確率の低い、半数以下しかいない
独裁のメリットとして、権力を用いて何でもできるため、私財を増やせる
そのために様々な悪事に手を染めるため、辞めた後にも後継者に守って貰う必要がある
しかし、後継者にとっては前任の独裁者は邪魔な存在のため、いずれ排除されるリスクがある
自身を保護してくれるだけの忠誠心を持つ人物を後継者に指名できる事は稀
民主化の道を選んだとしても断罪される事には変わらない
亡命するにも、民主的な国であれば受け入れられにくいし、独裁の国であっても将来に渡って安全が保証されるものでもない
ただ、相手国にとっては失脚する前の国内の人脈や、復権した際に恩を着せられるというメリットもある
独裁者が必要な有権者は一部の人間
民主主義では多くの民衆に指示される必要がある
独裁の場合、キーマンのみの支持を得られるだけで国内を掌握できる
必要な人員としては、様々な運用を行う役割の官僚や地方の有力者や、諜報機関、軍事など
独裁者はこれらの「最小連合」への分配(金や権力)が途切れた場合に崩壊する
これらの人に権力を与えすぎると自身の立場を危うくするため、権力を与えすぎてはいけない
ただ、不満を溜め込んでも反逆される可能性が高まるため、加減が難しい
優秀な人間を登用すれば反逆のリスクが高まるし
無能なイエスマンだけでは政治が破綻する
優秀な人間を粛清する必要がある場面もあるが、人材は有限なためやはり加減が難しい
また、誰を信用するかという問題もある
側近が恐怖からの保身のため、実態を隠蔽した情報を報告してくる
そのため、常に不確かな情報を元に意思決定をせざるを得ない
軍人の取り扱い
民衆を制圧し、恐怖を与えるために軍人は必要
また、外敵に対するためにも必要
だけれども、軍人に力を与えすぎるとクーデターを起こされるリスクが高まる
なので、常備軍だけでなく、併設軍を設けて相互監視させる大勢が望ましい
クーデターの際に抑えるべきは首都と主要産業とメディア
例え国の極一部であっても、情報を統制し、政権を維持できる資源を抑えればクーデターは成立する
国内外の敵について
国内の反乱に関しては、現地に根付いた組織の方が有利ではあるが
全体を見れば政権側が有利
暗殺しか方法がないこともあるし、外部要因が必要だったりもする
ただ、外国からの介入は難しいケースが多い
先日、ベネズエラのマドゥロ大統領がアメリカによって電撃的に拘束されたが、これはレアケース
また、独裁者を倒した後に後継者がそのまま同じ独裁者になり得る
倒すべきは独裁者ではなく、独裁システム
国外に対する抑止力として核兵器の所持は有効
例え内部の人間がその権限を奪ったとしても、国内に対しては使えないため
らだ、そこに至るまでの道のりが険しい
民衆の反乱のける3.5%ルール
民衆の非暴力的な市民運動に国民の3.5%が参加した時、失敗した革命は一つもないらしい
独裁者を倒すためには、権力を維持している供給源を攻める
資源だったり、外国から供与される武器など
他にも、対立するライバルへの助力
いくつか方法はあるが、やはり難しい
読む前から思ってたけど、独裁者なんてなるもんじゃねぇなぁと思う
ドラえもんのひみつ道具に「どくさいスイッチ」がある
気に入らない人物を消していくとどうなるかという思考実験のようでもある
それにしても、独裁者が安全に引退する方法はないのだろうか?
影武者を用意して引退するとか?
でも、壁武者を立てた事を知る一部の人間はいるわけで、これも安泰な方法ではないかな
あと、アジアやアフリカで、植民地支配からの独立後に独裁政権が成立したケースが多いという視点は面白かった
カリスマ性を持った指導者は革命を成立させるけど
その後には独裁体制が成立しやすいのでしょうね
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「世界の厄介者」はなぜ倒れないのか?
側近たちとの避けられないトレードオフ、非道な行動の背後にある、裏切りや暗殺、叛乱への恐怖……
独裁政権の特異なパワーバランスや脆弱性を明らかにし、抑圧なき世界を実現するための書。
「思考を喚起する」--エコノミスト紙
「圧倒される」--フィナンシャル・タイムズ紙
「愉しく読める」--デイリー・テレグラフ紙
「完全に引き込まれる」--ブライアン・クラース(『なぜ悪人が上に立つのか』著者)
エコノミスト紙「2024年度ベストブック」に選出、世界20カ国で刊行!
独裁者は側近がつくる。
独裁者になるということは、降りられないランニングマシンの上で走り続けるようなものだ。
彼らはその立場上、「穏やかに辞任する」という出口戦略を持ちえず、常に脅威にさらされているのだ。
政権のパワーゲームという視点で独裁制を読み解く画期的な書。
【目次情報】
序――黄金の銃のパラドックス
恐怖におびえながら生きる独裁者
「リビアのゴッドファーザー」の悲惨な最期
独裁者はどのように失脚するのか?
注目すべきは独裁者個人よりも政権の仕組み
取材した人々と本書の構成
……
第1章 降りることのできないランニングマシン
独裁者が権力を求める理由
国内一の金持ち
後継者という敵
民主化という選択肢
亡命という選択肢
……
第2章 内なる敵という脅威
皇后エカチェリーナによるクーデター
独裁者が必要とする3つのグループ
権力を維持するための食料の分配
「独裁者のジレンマ」と人材のプール
お金というアメと弾圧というムチ
……
第3章 軍人たちを弱体化する
ガンビアの独裁者を倒すクーデター計画
作戦当日の夜とその後
クーデターの回数と成功率
クーデターにかかわる3つのグループ
首都をおさえるべき理由
……
第4章 叛逆者、武器、資金
私腹を肥やし過ぎて失脚した独裁者
叛乱を起こすことは困難になっている
叛逆の理由と手段
反政府勢力の資金源となるダイヤモンド
身代金による資金集め
……
第5章 国外の敵、国内の敵
独裁政権は戦場では有利
スターリン政権における粛清の嵐
戦果報告における?の蔓延
秘密作戦による外国の介入
失敗したアメリカのカストロ排除作戦
……
第6章 民衆に銃を向ければ負け
抗議行動の拡散という脅威
抵抗運動の「3.5%ルール」
弾圧が裏目に出るとき
政権を正当化する試み
敵対勢力の「抱き込み」と連帯の阻止
……
第7章 暗殺の他に選択肢がないとき
独裁者殺しは正当化できるか?
暗殺される可能性とそれを防ぐ方法
アフリカの独裁者を守るロシアの準軍事組織
安全のために自らを隔離する
国民から切り離されたプーチン大統領
……
第8章 政権交代の難しさ
独裁者が倒れたときに起こること
独裁体制が崩壊した後のスーダンを見舞った悪夢
繰り返す独裁政治のサイクル
内戦を避けるための権力継承の規則
民主制につながる非暴力的な抗議行動
……
第9章 独裁者の倒し方
外国勢力が独裁政治のサイクルを断ち切る2つの方法
独裁者の力を弱めるためにすべきこと
敵対者を監視し抑圧する技術を与えない
制裁措置の実施や防衛保障の停止
ライバルの人物に力を与える
……
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上巻では、大規模な人間社会をまとめ、管理するテクノロジーとして、神話と官僚制のことが取り上げられた。
下巻は、AIの登場によりそれがどのように変容するかが論じられる。
歴史上の強力な独裁者も、その管理には抜け穴はできた。
管理するコスト、技術にも限界があったからだ。
ところが、コンピュータは24時間365日稼働することができ、こうした限界を突破できる。
また、AI間で人間には理解できない形の新たな「神話」を形成してしまう可能性もある。
そういえば、先週AIだけがメンバーになれるSNS「Moltbook」が話題になった。
そこには独自言語や独自宗教を作ろうとする動きがあるという。
もはやこの本で書かれた懸念のあれこれは、すでに現実になっていると思った方がよいのだと感じる。
上巻にもあった民主社会と独裁社会の比較もあった。
民主社会では秘密とされる情報も比較少なく、自己修正メカニズムを働かせてきた経験もある。
情報テクノロジーの発達により、かつては政治的話し合いに参加できなかった人々の参入が可能になった。
しかし、そのために情報テクノロジーが介入し、フェイクが蔓延するようになり、分断が広がるという皮肉な状況が起きている。
にもかかわらず、人間はその原因を自ら突き止めることはできていない(著者は単にSNSだけが原因とは考えていない)。
では情報テクノロジーにより管理が効率的になった独裁社会は安泰かというと、そうでもないらしい。
「アラインメント問題」、人間が定めた「最終目的」に叶わない判断をAIが行う可能性があるからだ。
つまり、AIが権力を握ってしまう可能性があるとのこと。
最終の11章では、AIが情報帝国主義を生むことや、グローバルな分断を生む可能性について議論していた。
著者の提言としては、楽観的態度はもちろん、過度に悲観的になることにも批判的だ。
AIの可謬性を認め、強力な自己修正メカニズムを持つ制度、機関を作り、AIをコントロールする道を見つけることをと述べ、本書を締めくくっている。
もはや自分すら巻き込まれているわけだが、どこか自分事として認識できないくらい大きな問題で…。
ただ、ChatGptやGeminiにお相手をしてもらって喜んでいる場合ではないらしい。 -
Posted by ブクログ
読み応え抜群。普段はほとんどノンフィクションは読まないが、フィクションのようなノンフィクションだった。統合失調症と家族を題材にしながら、家族の中のトラウマがかなりあって、追体験をしているかのようで読んでて少し辛かった。12人の子ども全員に強烈なトラウマがあって、12人の子どもの母親にもトラウマがあって、時代背景もあるのだと思うが、全てが良くない方向に向かっていき、完全に機能不全の家族だった。12番目の末娘が成長して、みんなを助けるに至った心境が計り知れない。家族の問題について、ここまで詳しく語り出版したことは、とても勇気のいることだったと思う。
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Posted by ブクログ
「情報の人類史」。
「情報技術の人類史」ではない。
本書での「情報」とは何か。
人々が「真実」を表していると思うそれを共有することで、人々を結び付けるもの、とまとめらるだろうか。
この結びつきが、タイトルでもある「ネクサス」。
この意味での「情報」を扱うテクノロジーの一つが「物語」。
これは何となくイメージしやすい。
神話がある社会を結束させることを思えば。
負の事例も含め、大小規模のいろんな例が思い浮かぶ。
面白いのは、この技術の中に、真実の探求という方向性と、社会秩序の維持(のために真実追究に制限をかける)のせめぎあいが生まれてくるということ。
しかし、共同体を維持するには、現実的な問題として税を徴収してサービスを提供することも必要になる。
例えばルールを共有・浸透させたり、財物の流れを記録したりする技術も必要で、そのための「官僚制」を発達させることになる。
ただ、ここでの「官僚制」には、古代王朝や近現代の政府だけではなく、宗教組織なども含まれる。
こうして、「物語」を補う、情報を扱うテクノロジーが生まれてくる。
本書後半は誤情報とそれを修正するメカニズムが取り上げられる。
この辺りは、たぶん下巻でコンピュータ・ネットワークが作り出すつながりを分析するにあたっての対比的モデルを作る作業なのかなあ、と思われる。
修正メカニズムがうまく働かなかった一つのモデルとして提示されるのが宗教。
宗教は人間を誤りを犯すものとして捉える一方で宗教が無可謬なものとされる。
規範として「聖典」が作られるのだが、写本づくりから誤りを排除することも難しい。
また、完全な写本ができたとしても解釈の違いが広がっていくのはどうしようもない。
安息日にエレベーターのボタンを押していいかという問題で、宗派により解釈が異なるなどというすごい話まで紹介されていた。
こういう事例をどうやって探してきたのかと本当に感心してしまう。
この議論の中で興味深かったのは、印刷術に対する評価。
一般に印刷術は、中世的な教会の権威を打ち破るのに力を与えた技術とされる。
しかし本書によれば、印刷術はある一人の常軌を逸した宗教裁判官が出した魔女狩りを激烈に主張する文書(クラーマー『魔女への鉄槌』)の忠実なコピーを社会に流通させ、魔女狩りをヨーロッパ全体に広げる結果となった。
残酷な事実だ。
自己修正メカニズムを内部化している例として挙げられているのは、近代科学。
ただこれもスターリン政権下のソ連科学アカデミーのように、真実の追究よりイデオロギーを優先することも現に起きている。
賢い人たちでさえ、こんな風なのだ。
なかなか人類の世の中はうまくいかないようにできているらしい。
本書の最後は、民主制と独裁制・全体主義の社会での情報の流れ方の違いとそれを支える技術についての考察。
民主制=分散型の情報ネットワークと独裁制=中央集中型の情報ネットワークという図式にまとまりそう。
そして前者は人間の可謬性を認めるために、自己修正メカニズムを持っている(が、強権的な指導者が出て、自己修正メカニズムを無効化していくことは起こりうる)。
民主制であれ、独裁制であれ、大規模化していくのに大きな役割を果たしたのはマスメディア。
たしかに、民主制の社会では情報の流れがマスメディアにより複数化し、調整や修正することにつながる。
一方、全体主義社会では情報の流れを中央に集中させるために、チェック機能は働かない。
しかし、著者は技術決定論を退け、マスメディアが全体主義の政体にも寄与することをきっちり指摘している。
そして、一見、全体主義的なネットワークが機能不全になり、民主制のネットワークが勝利したと思われているが、AIの登場によってまた新たな局面が出てくるということが示唆され、上巻が終わる。
何か読むのが怖いような気がしてきたが…
*このレビューを間違えて下巻の方に登録してしまいました。上巻の方にアップし直して、下巻の方は一度削除します。(2026.2.8追記) -
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ネタバレ本作を読むにあたって前2作を改めて読み直したので、彼の作品を通しで5冊読んだことになる。
ホモ・サピエンスが覇権を握った理由の一つに虚構を信じる認知革命の影響があると言われるが、故にフェイクと真実を切り分けるのも苦手だったりする。
本作は、これまでの歴史を踏まえながら我々の思い込みを暴き、今をどう生きるか?を考えさせる一冊だ。
相対的にキリスト教文化圏にシンパシーを感じる反面、そのキリスト教の歴史を知る人はこの国には少ない。イスラム教やユダヤ教も同様に、変な思い込みが陰謀論を生み、フェイクニュースに騙される。
科学が暴いた真実によれば、人間の意識や心なんて崇高なものはなく、単なる電気アルゴリズムなのだそうだ。つまりは、バイオテクノロジーとIT革命によって人間の意識や心も完全にアルゴリズムと薬で支配できてしまいかねない…というのは暴論ではない。目の前を流れる大量の情報を捌くことばかりに意識を向けるのではなく、真実を観察して自分を持ち続けること、考える力を持ち続けることへの警鐘を鳴らしている。 -
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我々人類にとって、情報とは何なのか。
確かに改めて考えてみると、様々な解釈があって面白い。
情報には実態が無いし、それを何かと説明することは意外と難しい。
上巻はまさに情報の歴史について。
下巻は現在から未来に向けた、AIについての内容となっている。
出だしから予想もしない方向に話を展開させるのは、著者の得意なパターンだ。
「情報の正体は、真実を伝えるものではない」と、堂々と喝破したのには、舌を巻いた。
見たまま、ありのままが真実であり、それが情報として単純に伝わるものだと思っていたが、人類にとっての情報はそうではない。
一歩進んで本来の役割は、「大勢の人を繋ぎ、秩序を創り出すこと」にあると説く。
人類が文明を築けたのは、何千何万人という見知らぬ人同士が「共通の物語」を信じて協力できたからに他ならない。
これは、まさに「サピエンス全史」で出てきた「認知革命」の話でもある。
「物語」は、必ずしも客観的な真実である必要はない。
宗教も国家もお金すらも、実は人々が勝手に妄想しているだけで、実態として存在しているものとは言えない。
たとえそれが虚構であっても、人々を強く結びつけるものになるならば、それだけでその情報は大きな価値を持ってしまう。
そう言ってしまえば、「会社」も虚構のようなものだ。
元々お互いに知り合いでもない他人同士が、会社の中である目的に向かって協力して仕事をする。
その目的が、最近では「ミッション・ビジョン」だったりする訳だが、これこそまさに「物語=ナラティブ」と言われ、いわんや「情報」そのものである。
人は物語という情報を通じて、他人同士繋がることが出来てしまう。
本書のタイトルである「NEXUS」は、まさに「繋がる」という意味なのだが、人類はこの能力のお陰で進化してきたことは間違いない。
他の動物には持ちえない、人間だからこその才能と言える。
口の上手い人(喋り上手)というのは世の中にいるものだが、概してこの「物語」を駆使していると言える。
政治家だって、宗教家だって、落語家だって、会社の社長だって。
物語として語ることで、人々の共感を呼び、さらに信頼を得ることで、とんでもない力を発揮してしまう。
人間が集団になった時のパワーは凄まじい。
巨大建造物を作るのも、空を飛ぶのも、宇宙に行くのも、すべては情報という名の妄想だけで、人を繋げ、大きなことを成し遂げて実現してしまうのだ。
そんな情報の形態も、歴史を重ねることで、進化をしていく。
すべてが口伝だった時代から、文字として記録が出来るようになると、人々の行動を大きく変えてしまった。
情報の記録とは、データ化の第一歩である。
データ化されたことで、「管理」という概念が生まれたという。
この発想はめちゃくちゃ面白い。
確かに口頭で指示をしても、守らない人もいるだろう。
良く聞こえなくて、違う解釈をして、行動する人もいただろう。
それが、情報が文書化されたことで、あらゆることを「管理」できるようになった訳だ。
分かりやすいのはお金の管理、借金の管理だ。
そしてそれは、「人の管理」へと発展していく。
インターネットに繋がっているかどうかは別として、人々は文字が記録されることで、成績表として比べられるのである。
テストや試験は、文字の記録があるからこそ成立するものだ。
そんな当たり前のことに、文字を自由に扱える我々現代人はなかなか気づけない。
会社だって、社員の評価を行って、給与に差をつけている。
我々の不便を解消するために発明した文字によって、自ら人間を管理し、苦しめる道具になっているのは、皮肉としか言いようがない。
今の時代に、会社は「人的資本経営が大事」と言っているが、人の評価を情報管理している以上、ギスギスした部分は解消されない気がする。
これもまた、人類が陥っている大きな矛盾点であると思った。
全てがネットワークにつながる時代に、あらゆる情報はログとしてデータ化され、保管されていく。
下巻ではそれらデータがAIによって超高速に解析され、結果を出される訳であるが、本当に人類はそれで幸せになっているのか。
この流れは不可逆であるのは間違いない。
しかし、今一度立ち止まって考えてみることが大事なのだと思う。
情報を操ることで発展した人類は、今後どうなっていくのか。
キーテクノロジーは「AI」ということで、下巻に続くのである。
(2025/8/15金) -
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(上巻のレビューから続く)
下巻のポイントは概ね以下である。
◆近代に入るまで、人間は、全能の神或いは自然の永遠の摂理により、何らかの宇宙の構想の中で役割を与えられている、即ち、(力を制限されるのと引き換えに)人生に意味を与えられていると信じていた。しかし、現代においては、人間はどんなドラマの役割も与えられておらず、人生に意味はないことが明らかになり、代わりに制限のない力を持つようになった。いわば「人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する」という「現代の契約」を結んだ。また、この契約では、何らかの宇宙の構想を基盤とせずに人生の意味を見つけた場合、契約違反にはならず、人間は、人間の知識(=経験×感性)こそが宇宙に意味を与えるとする「人間至上主義」を生み出した。人間至上主義は、個人・自由を重視する自由主義と、社会主義と、進化論的人間至上主義(ナチス等)に分かれ、宗教戦争が起こったが、勝ち残ったのは自由主義である。
◆自由主義者が個人の自由を重視するのは、人間には自由意志があると信じているためだが、21世紀の科学は、人間には自由な意志も個人の意志もない(生化学的なアルゴリズムに過ぎない)と主張する。
◆今日までは、高度な「知能」と発達した「意識」は密接に結びついていたが、今では、意識を持たないアルゴリズムがパターン認識で人間の意識を凌ぐようになっている(チェスの試合や自動車の運転や病気の診断など)。また、知能と意識を区別した場合、知能の方が圧倒的に重要と考えられている。非有機的なアルゴリズムが有機的なアルゴリズム(=人間)を凌駕した結果起こるのは、①人間が価値を失う、②人間は集団としては依然貴重ではあるが、個人としての権威は失い、代わりに外部アルゴリズムに管理される、③一部の人間は(生物工学により)アップグレードされて超人となりシステムをも支配するが、アップグレードされない大多数はアルゴリズムと超人に支配される劣等カーストになる、ということであり、自由主義のイデオロギーは崩壊する。
◆現在シリコンバレーでは、テクノロジーがすべてである新宗教が生まれつつある。一つは「テクノ人間至上主義」で、生物化学で人間の心をアップグレードしようとするものだが、それは即ち、人間の意志を制御したりデザインしたりすることであり、人間の意志と経験が意味の源泉であると考える人間至上主義とは相容れない。
◆もう一つは「データ教」で、森羅万象がデータの流れからできており、全ての価値がデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとする、データ至上主義に基づく。データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体が単一のデータ処理システムであり、「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。データ至上主義者によれば、個人の経験は共有されなければ無価値で、経験を記録し、アッロードし、シェアすれば、(自分の中に意味を見出さずとも)アルゴリズムがその意味を見出して、私たちにどうすればいいかを教えてくれる。20~30年後には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれず、そのとき、データ至上主義は「アルゴリズムに耳を傾けよ!」と命令するだろう。現在のアルゴリズムの多くは人間が書いているが、成長したアルゴリズムが支配者になったとき、人間は誰もそれを理解できない。人間からアルゴリズムへといったん権限が移ってしまえば、不死・幸福・神性という人間至上主義のプロジェクトは意味を失い、それに留まらず、人間至上主義のもとで他の動物が辿ってきた運命と同じ運命を、人間は辿ることになるだろう
◆現在、データ至上主義は科学の全学問領域に広まりつつあり、それが統一された科学的パラダイムとなれば、仮に欠陥があったとしても、抗することは難しい。しかし、テクノロジーは決定論的ではないし、未来を予測することはできない。今我々が注目しなくてはならないのは、①生き物はアルゴリズムに過ぎないのか?生命はデータ処理に過ぎないのか? ②知能と意識はどちらが価値があるのか? ③意識は持たないものの高度な知能を持つアルゴリズムが、私たちよりも私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか? の3点である。
私は、行き過ぎた資本主義と科学万能主義に問題意識を持ち、科学に関しては、特に生命工学でバイオエンハンスメント(生命科学的手法による機能強化)の今後の行方に強い関心を持っている。そうした意味で、「ホモ・デウス」という書名からの想像も含め、テクノ人間至上主義の内容については、(そうなることを望んではいないものの)概ね予想できるものではあった。(無論、そこに至る歴史的な背景の分析については、目から鱗の内容が随所にあったが)
一方、データ至上主義に関してはかなりショッキングな内容だった。しかし、本書が書かれてから既に10年が経つが、その間のIoTやAIなどのデジタルテクノロジーの驚くべき進歩や(10年前には、生成AIは一般には登場していなかった)、世界中のあらゆる人々が、できるだけ早く、できるだけ多く、SNSで情報発信をすることに没頭している、「個人の経験は共有されなければ無価値」というデータ至上主義の原理そのものに基づく行動様式への変容を見ると、あながち想像上のシナリオとは言えないのかもしれない。
著者が最後に書いている、人類に希望を与える3つの問い(特に前の2つ)については、この10年間で最先端の研究において何が判明してきているのか、残念ながら私にはわからないが、今後も注目して行かねばならない。人間が人間であるために。。。
(2025年12月了) -
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ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、1976年イスラエル生まれの歴史学者。オックスフォード大学で博士号を取得(中世史・軍事史を専攻)し、現在はエルサレムのヘブライ大学歴史学部教授。代表作の『サピエンス全史』(2011年ヘブライ語版、2014年英語版、2016年日本語版、それぞれ刊行)は世界的ベストセラーとなり、60以上の言語に翻訳され、累計販売部数は2,500万部を超えている。ダボス会議など国際舞台でも講演を行う。
本書は、人類の誕生から文明発展までの歴史を俯瞰的に描いた『サピエンス全史』に続き、科学技術とAIの進歩を背景に、人類が向かう未来とそれに対する警鐘について書かれたもので、2015年ヘブライ語版、2016年英語版、2018年日本語版(2022年文庫版)が出版された。
私は、暫く前に『サピエンス全史』を読んだ後、本書については文庫化後すぐに入手していたものの積読状態で、今般ようやく通読した。
上巻のポイントは概ね以下である。
◆人間は、誕生からこれまで、「飢饉」と「疫病」と「戦争」という3つの脅威と戦ってきたが、21世紀に入った今、それらの脅威は完全に解決されたわけではないものの、対処可能な問題に変わった。
◆人間は次に「不死」と「幸福」と「神性」を目標とする、即ち、ホモ・サピエンスをホモ・デウスにアップグレードすることを目指すだろう。そのために取り得る道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学のいずれかである。そうした世界を恐れる人は、だれかにブレーキを踏んで欲しいというが、そもそも誰もブレーキがどこにあるのかを知らないし、仮に踏めたとしても、経済(無限の成長を前提とした資本主義経済)も社会も崩壊するだろう。
◆人間は、狩猟採集民だったときはアニミズムの信奉者(人間と自然を隔てるような溝はないと考える)だったが、農業革命により、人間は特別であるという信念が生まれ、有神論の宗教もその副産物だった。さらに、近代の科学革命において、人間は神を黙らせ、人間至上主義(という宗教)を誕生させた。
◆人間は、自らが特別である理由として、魂と心(感覚や情動)を持っていると考えてきたが、現代科学は、人間は他の動物と同じく魂を持たないし、他の動物は人間と同じく心を持つ(感覚や情動とは生化学的なアルゴリズムに過ぎない)ことを明らかにした。
◆一方で、人間は認知革命により、共同主観的な意味(人間に共通の想像の中にしか存在しないもの)のウェブを作ることができるようになり、それが人間を地球の支配者にした。しかし、想像の中にしか存在しないもの(物語)はあくまでも虚構であり、道具に過ぎないにもかかわらず、現代では虚構が現実を支配しつつあり、その傾向はさらに強まるだろう。
◆宗教とは、人間の法・規範・価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語のことである。科学と宗教は対立するものと考えがちだが、実際には、科学において研究・発見されたものを、人間がどう使うかの指針を与えるのは宗教の役割である。つまり、現代においては、人間至上主義という宗教の教義を実行するために科学が利用されている。
(下巻のレビューに続く)
(2025年12月了) -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書は、死生観を通じて「人が何を価値とみなし、どのように生きるべきか」を再定義する一冊です。経営者が読む意味は、宗教的・哲学的関心ではなく、意思決定の基準を長期視点で再構築するための思考資源にあります。
本書が提示する核心は、死を避けるのではなく、有限性を前提に人生と選択をデザインする視点です。これは経営における本質と重なります。すべての資源は有限であり、だからこそ何に時間を投じ、何を捨てるかという“選択の質”が結果を左右します。また、死とは何かを科学・哲学・倫理の各側面から検討するプロセスは、経営者が複雑な問題を扱う際に必要な多面的な思考の訓練として有用です。単一視点での判断は誤りを生みますが、本書は思考を強制的に広げる効果を持っています。
さらに、死をテーマにしながらも、結論は極めて実務的です。人生の優先順位・働き方と生き方の統合・他者との関係性の扱い方、これらを再整理することで、経営者自身の意思決定の軸がより強固になります。