あらすじ
イェール大学で23年連続の人気講義が、ついに日本上陸!
――人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか――
なぜ、余命宣告をされた学生は、
最後に“命をかけて”、
この講義を受けたのか!?
死を通すことでますます「生」が輝きを増す、世界的名著!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
・死は本人にとって何が悪いのか。剥奪説(相対的に、本来教授できたことのロス)、存在要件
・存在要件 存在しない無数のラリー 緩やかな存在要件。死後の剥奪と生前の剥奪の違い。過去と未来の価値は違いそう
・快楽主義 完璧なバーチャル人生はあり?
・死ぬのは良いことである(不死は永遠な長期的に見れば悪いこと。すべてに飽きても死ねない!)
・人生は、何もしないには長すぎるが、何かをするには短すぎる
Posted by ブクログ
この本でよかったのは、子どもが自分の人生を受け継いでいくという感覚を得ることができたことです。
「死んでも子ども達が生きていればいいじゃん」という感覚になれたことが、とてもよかったです。死への恐怖が襲ってきた時は、そこに立ちかえるようにします(^^)
死を客観的に捉えていくところが、とても興味深い本でした。
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イェール大学教授 シェリー・ケーガン
◻︎形而上学(けいじじょうがく)
・魂の存在や死の本質、死後も存在し続けることにまつわる疑問
◻︎価値論
・死はなぜ、どのように悪いのか、死を恐れるべきなのか、
◻︎心(魂)と身体は切り離せるか
・二元論
◻︎私たちには二つの主要な部分、すなわち物質的な身体と非物質的な魂がある。
・物理主義
・魂は存在せず、身体があるだけ。
◻︎今の自分と明日の自分は本当に同じ人?
・身体説と、人格説
・将来存在する人が私かどうかを決める本質的な疑問は、じつは、その人が私の人格を持っているかどうかの問題であって、私の身体そのものを持っているかどうかの問題ではないことがありうる。
・人格をアップロードすることがらできれば、自分の肉体の死後も存在し続けることになる。
◻︎人生の意義とは?
・自分が今持っているのと同じ人格を持った人に、将来も存在していてもらいたい。
◻︎死んでいるとはどういうことなのか想像する
・何も聞こえない、何も見えない、なにも考えない、、、最終的に想像できない
・人が死んだら、想像するべきことは何一つその人の内部では起こっていない。
・内部からは思い描けない、外部から思い描きさえすれば良い
◻︎死を恐れる必要はない
・あるゆる災難のうちで最も恐ろしい死は、私たちにとっては取るに足りないものなのだ。なぜなら、私たちが存在している限り、死は私たちとともにはないからだ。だが、死が訪れたときには、今度は私たちが存在しなくなる。ならば、死は生者にも死者にも重要ではない。前者にとっては存在しないし、後者にはもはや存在しないのだから。
◻︎死はなぜ悪いのか
・死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。死が私たちにとって悪いのは、私たちが死んでさえきなければ人生がもたらしてくれただろうものを享受できないからにほかならない。
【名言】
永遠に生きたくはありません。
私たちは永遠に生きるべきではないからです。
もし私たちが永遠に生きるはずだとしてら、永遠に生きるとでしょう。
でも、私たちは永遠に生きられません。
だから私は、永遠に生きたくないのです。
私たちが死ぬまでに考えておくべき、死にまつわる6つの問題
1.死は絶対に避けられないという事実をめぐる考察
自分だけでなく、すべての人が死ぬ
2.なぜ寿命は、平等に与えられないのか
3.自分に残された時間を誰も知りえない問題
4.人生の形が幸福度に与える影響
5.突発的に起こりうる死との向き合い方
6.生と死の組み合わせによる相互作用
死に対する立場
・事実を認めて、その後でそれに即して生きる。
Posted by ブクログ
こんなに「死」を深堀して考えたことなかったので読んでいる間楽しい時間だった。哲学的な部分は読むのが大変に感じてしまったが、死はどのような状態をいうのか、死の何が恐いのか、不死は良いことなのか、自殺はどのように考えたらいいのかなど、死に直面する前に考えておきたいことばかりだった。
Posted by ブクログ
本書は、死生観を通じて「人が何を価値とみなし、どのように生きるべきか」を再定義する一冊です。経営者が読む意味は、宗教的・哲学的関心ではなく、意思決定の基準を長期視点で再構築するための思考資源にあります。
本書が提示する核心は、死を避けるのではなく、有限性を前提に人生と選択をデザインする視点です。これは経営における本質と重なります。すべての資源は有限であり、だからこそ何に時間を投じ、何を捨てるかという“選択の質”が結果を左右します。また、死とは何かを科学・哲学・倫理の各側面から検討するプロセスは、経営者が複雑な問題を扱う際に必要な多面的な思考の訓練として有用です。単一視点での判断は誤りを生みますが、本書は思考を強制的に広げる効果を持っています。
さらに、死をテーマにしながらも、結論は極めて実務的です。人生の優先順位・働き方と生き方の統合・他者との関係性の扱い方、これらを再整理することで、経営者自身の意思決定の軸がより強固になります。
Posted by ブクログ
死について考える事は,すなわち生について考える事と同義であり,死についての講義ですが同時に人生について深く思考できました。死が悪い事と感じるかどうかは,読んだ後のあなた次第です。
Posted by ブクログ
「死」について、論理的に考えてみるのは、確かに興味深い。
意識が無くなったら死と言えるのか。
肉体が残っていても、それは死と言えるのか。
様々なパターンを例として挙げながら、学生たちに「あなたはどう考えるか?」と問う形式の授業内容をまとめたものだ。
本書の中に、余命宣告を受けた学生が、この授業を受講したエピソードが記載されている。
その学生が、この授業をなぜ選択したのかは分からない。
死に向き合おうとしての選択なのか。
単純に「死」を知識として探求したい目的の受講なのか。
当たり前であるが、死を体験して自身で理解することは、論理的に不可能だ。
死ぬ瞬間については想像できるかもしれない。
しかし、実際に死を体験する訳にはいかないのだから、本質の部分を理解することは、事実上不可能と言える。
そんな制限された環境の中で、「このパターンはどう考えるか?あのパターンならどう考えるか?」をひたすら問い続け、探求していく授業だ。
「自殺は本当に許されない行為なのか?」という問いも出てくるのだが、これだけ考えても相当に難しい。
唯一の答えはないし、それこそ国や文化によっても、個人の価値観によっても、全然違う回答が出てくるはずだ。
だからこそ「あなたはどう考えるか」という部分が重要になってくる。
我々にとって「死」とは本当に何なのだろうか。
死について深く考えることは、同時にどうやって生きるかを考えることだ。
つまり「生き方」についても、唯一の正解はないと言える。
そんなことは当たり前であるはずなのに、ついつい我々は「生き方の正解」を求めてしまう。
お金持ちになる生き方が、正解だと思ってしまう。
無条件の愛情を受けられる人生を、正解だと思ってしまう。
出世して人に認められたり、褒められたりする人生を正解だと思ってしまう。
そんな都合良い話があるはずがないし、そんな恵まれた生活を送れる人はほとんどいないはずなのに、そんな人生に憧れてしまう。
自分なりに納得する人生を見つけるのは、簡単な話ではない。
むしろ所詮人生はコントロールが効かないのだから、今の人生を受け入れて納得するしかない。
そういう境地に至るのを「悟り」というのかもしれないが、そんな大そうな話にせずとも、「死」について考えることは「生」について考えるきっかけになることは間違いない。
これから益々社会は変化していく。
AIの進化は凄まじく、人間の能力を凌駕していくことは間違いない。
そんな時に、人間だからこそできることは何なのか。
それこそ、生も死も、人間だからこそ与えられた特徴と言えるだろう。
こればかりは、AIでは決して代替できないことだ。
人間として生きること。
AIでは真似できないこと。
これからの時代は、「人間だからこそ」の部分を突き詰めていく必要がある。
AIが進化して、ロボットに組み込まれていく際に、最早人間とロボットの境界は曖昧になっていくだろう。
そんな物語は、SF世界ではよくある話だが、いよいよ現実化し始めたということだ。
人間が機械化していくのか、ロボットが感情を持って人間化していくのか。
そんな時代には、「生と死」が非常に重要な意味を持つようになるだろう。
これはそんなに遠い未来の話ではない。
今から人間の生死について考えるのに、早過ぎることはない。
そういうきっかけを与えてくれる書籍だ。
死について真剣に考えて、自分なりの生き方を実践していきたいと思う。
(2025/4/27日)
Posted by ブクログ
52冊目『「死」とは何か [日本縮約版] イェール大学で23年連続の人気講義』(シェリー・ケーガン 著、柴田裕之 訳、2018年10月、文響社)
イェール大学で哲学や倫理学を教える教授による、「死」についての哲学本。「死」とは本当に悪いものなのか、恐れるべきものなのかを論理立てて突き詰めてゆく。
著者自らが「入門書」であると述べている様に、文章は平易で読みやすい。「死」を専門的に追究したい人には物足りないかも知れないが、「生」を見つめ直す入り口にはなるだろう。
〈思うに、死を恐れるのは不適切な対応だ〉
Posted by ブクログ
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義
著:シェリー・ケーガン
訳:柴田裕之
出版社:文響社
死についての西洋哲学的考察の本です。
購入してから、一読するのにかなりの時間がかかりました。
聖書からは離れられないかと思いましたが、いったん宗教からはなれて死というものは何かを考えなおしたものと受け止めました。
当然、深く考えるためには、仏教や神道を中心とした、東洋的、日本的な考察も参考にすべきであるとは思いましたが。
気になったのは、以下です。
二元論および、物理主義、2つ考え方の対比ではじまる。
二元論とは、物質的な身体と、非物質的な魂があるというもの
対して、物理主義とは魂は存在せず、身体があるだけであるというもの
死を科学の観点からとらえると、解明すべき詳細の点は多々あるが、哲学的な観点から死とは、身体が作動し、それから、壊れる。死とはただそれだけだのことである。
死ぬときは、けっきょく独り、それは必然か、偶然か。この自明となる命題にも、著者が疑問を投げかける
死はなぜ悪いのか、本当に悪いのか、そして、もし、そうなら、死のどんな側面のせいなのか
⇒死は、死んだ人にとっては悪くないが、残された人にとっては悪い
⇒死が悪いのは、主に何のせいかを考えているのなら、本人が死んでいることに的を絞るべきのようだが
エピクロスの言
あらゆる災難のうちでも最も恐ろしい死は、私たちにとっては取るに足りないものなのだ。
なぜなら、私たちが存在している限り、死は私たちとともにはないからだ。
だが、死が訪れたときには、今度は私たちが存在しなくなる。
ならば、死は生者にも死者にも重要ではない。
前者にとっては存在しないし、後者はもはや存在しないのだから。
生まれる前と、死んだ後の時間は同じ価値をもつか
死後の期間のほうが悪いのは、死には喪失が伴うのに対して、誕生前の非存在は喪失を伴わない
不死こそが人間にとって最善なのか
長く生きるほど人間は幸せなのか
いずれ死ぬ私たちー人生で何をするべきか
死ぬか死なないか以前に、人生を台無しにしないこと
人生は、何もしないには長すぎるが、何かをするには短すぎる
自殺の合理性に対する疑問
①どんな状況ならば、自殺は合理的な決断となりうるか
②自殺の決断は明晰で冷静になされうるか
結論
死は不快なテーマであり、私たちはそれを頭から追い出そうとする
たいていの人は、どうしても死について考えたくない
人生が価値あるおのをもう提供できなくなるまで生きる力が私たちにあったほうが、間違いなくのぞましいだろう
死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものととらえるのは適切ではない。死に対する比類なく合理的な応答には程遠い。
おもうに、死を恐れるのは不適切な対応だ。
目次
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第1講「死」について考える
日本の読者のみなさんへ
第2講 死の本質
第3講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
第4講 死はなぜ悪いのか
第5講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
第6講 死が教える「人生の価値」の測り方
第7講 私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題
第8講 死に直面しながら生きる
第9講 自殺
死についての最終講義 これからを生きる君たちへ
訳者あとがき
注
ISBN:9784866510774
出版社:文響社
判型:A5変
ページ数:384ページ
定価:1850円(本体)
2018年10月10日第1刷発行
2019年02月18日第7刷発行
Posted by ブクログ
この本を通して、感情的に反応してしまう「死」に対して、論理的に向き合うことができます。
自殺に関する記述は特に読んでよかった。
自殺を考えるような状況では、損得を合理的に判断することは可能なのか。
著者と同じく、自殺が理に適う時は非常に少ないと思います。
読んだ人にとっては、本当につらい時の、最後の一歩を阻む障壁になってくれるはず。
Posted by ブクログ
死とは悲しくて恐ろしいもの。
その認識は誰によって作られ、
どうして確立されたものなのか。
映画ドラマの中で描かれる死は、
誰かの悲しみの対照であり、
その悲しみを背負い生きている生者の心に寄り添う。
そうやって生まれた数々の名作を見てきた私にとっては、
同じくそういう感情になることもある。
でも、悲しみばかりではない時もあった。
その違いはなんなのか、
どうして私は人と違う死の感覚を持つのか、
そんな疑問が多角的に分析・解説されていて、
とても読み応えがあった。
また文章自体は、こういう本を読み慣れていない人(私)
にとっても、言葉が容易で読みやすかった。
分厚いこれ系の本に手を出すには勇気がいるものの、
読むことで手に入れられる知識と、
読み切った達成感を味わえる一冊だと思う。
Posted by ブクログ
「生」と「死」について道徳性や合理性などの観点からもアプローチして多角的な視点から哲学的に論じている。答えは自分で見つけないといけないか。
「死とはどういうことか」と「自殺とは?自殺は本当にいけないことなのか?」というセクションが印象深く、「そういう考え方もあるのか」と考えさせられた。
翻訳本なので言い回しが日本の図書と異なるので読みづらさはあるかも。。
ボリュームがあるが何回も読んで理解を深めたい本です!
Posted by ブクログ
死に対する考え方が覆された。
今までは死といえば全く未知の世界で曖昧模糊とした輪郭に漠然と恐怖を感じていたが、地球引いては宇宙での歴史を考えたら自分が生きている時間なんてほんの一瞬にすぎない。
生まれる前と死んだ後の無の状態こそがデフォルト。
誰もが経験する死に自分も直面した時、恐怖や後悔がなるべくないように今のうちからやれることはやっておきたいと思った。
Posted by ブクログ
この本を読むまでは自分の死について全く考えてしませんでした。
死ぬ事に対して死は悪なのか、、、
死なないまま生きるのが幸せなのか、、、
不老不死で生きていくのが幸せなのか、、、
様々な角度から死について考え
学ぶことができました。
死は必ず誰にでも平等に訪れます。
その時には笑って人生に悔いの無いよう
死を受け入れ最期を迎えたいです。
Posted by ブクログ
序盤の「宗教的に考えません」って所でもう心を掴まれてたんだけど、形而上学的な考察が長くてって言うか終始それなんだけど中弛みがありはした。
ただ、やはり、死の考察はそれぞれがやるべきだけど「宗教がこういうからこう思う」で済ませる人を否定も出来ないなと改めて思った。
結局、この本の言ってる事を踏まえた上で抽象化すると、身近に例えると「人=細胞」かな。システムではあるんだけど、それを悪性や良性に分けたり、殺す意味や細胞の適齢を伸ばす意味、生まれ変わりとしての代謝、自浄作用などを自分の体内で起こってる事なんだけど俯瞰で見るとこういう言い方にもなるのかなとも思いながら。
ただ、私の死に対する恐怖は単に「健康寿命との差異」だな。それについては触れてたかも知れないけど、あまり私の読み方では目につかなかったなぁ。
Posted by ブクログ
死とは何か、死はなぜ悪いのか、人生の価値をいかにして測定するか、といった死にまつわる諸論点の哲学的説明を試みる本。
機会費用的な考えを応用した剥奪説に対してエピクロスやエピクロスの再解釈、ルクレーティウスをぶつけ、さらに反論を加えたあたりはなかなかエレガントだったように思う。
また著者の主張の本流ではないかもしれないが、カート・ヴォネガットの著作の一節から引用した考え方が素敵だった。
死に向き合おうとするときの適切な反応は、生への感謝であるという。起き上がることを許された我々「幸運な泥」たちは、多大なる幸福に浴している。
一つの論点に網羅的な可能性を提示し平易な言葉で十分な検討を加えてくれるのは素晴らしいのだが、説明が平易な分、思考の交通整理にはややこしい。ひとまず頭から一読した。
Posted by ブクログ
「死」とは何か?この深遠なる謎に対して、まったく未知の、あるいはこれまで抱いていた概念がガラリと変わるような、そんな知識を授かることを期待していましたが、その期待は外れました。著者はドラスティックに断言します。「人は機械である」と。機械は壊れてしまえばもうおしまい。つまり、魂など存在せず「死」は一巻の終わりであり、その後は無であると。私も、もとよりこの考えでしたが、それでは救いがない。どこかで永遠不滅の魂というものが存在することに期待を寄せていました。けれども、本書を通じて、そもそも「死」を深遠なる謎などと見なすことが不適切である、と考え直しました。そこには「死」に面と向き合うことを避ける心理が見てとれます。その先には、どう生きるか?なにを為すか?という問いが立ちません。「死」に対する不安や恐怖は依然としてあります。また、多くの人にとって「死」は早く訪れ過ぎると思います。技術の進歩が新たな生命の器をもたらし、自分が心から満足するまで生きることができて、いつの日か「もう充分」と思ったら、死に方や死ぬ時も意のままになる。そんな世界が訪れないかと幻想を抱きます。一方で、事実を受け入れ、恐れたり幻想を抱いたりしないようにしよう、という対立する新しいチャネルが自分のなかに立ち上がったことも確かです。本書は、「死」について考えるきっかけを与えてくれる良書だと思います
Posted by ブクログ
驚くほど期待はずれな一冊。というのもこれは日本版で縮小されているからであり、本来読みたい形而上学的な問いはほぼ省かれてしまっており、倫理の側面のみにスポットライトを当てているから。仕方ないことだけど、求めているものではなかった…!
この縮尺版で至った答えは、死はなんら特別なことではなく当たり前であること。それを受け入れる心を養えるかどうかに、本当の豊かさはあるのではないかと考えられるようにはなっている。言葉だけであれば陳腐だが読み進めるにすれその言葉の真意を読み取れたとは到底思えないほど、やはり死は遠い
Posted by ブクログ
誰もが知っているようでいて、突き詰めて考えるとわかっていないような、「死」をテーマに、イェール大学で長年行われているという哲学の講義をまとめた本です。宗教的な考えは一切排除して客観的に善か悪か、外堀を少しずつ埋めていくように一歩一歩これでもかとあらゆる可能性について検討して、結論へと向かっていく様は、途中なかなか進まないので読むのに苦労した箇所もありましたが、さすがの内容でした。この著作(講義)は大きく二部からなっていながら、日本語版では前半部分をザバッと削ってしまい後半の論理的なところだけを収録するという荒ごとをやってのけています(収録されなかった経緯については最初にページが割かれて説明があり、削られた分の日本語全訳がweb上に無償で公開されています)。身近な家族を看取った経験があるせいか、期待したほど目新しいことはなく、ただ実感として既知のことを明確に文章化してもらった、という感想です。興味があったのはむしろ削られている部分(死後の世界はあるのか、魂はあるのか)についてだったので、あまり時間が経たないうちに、そちらも読んでみようかと思っています。
Posted by ブクログ
ひたすらに「死」について考える本です。
時々アメリカンな例えが出てくるのでクスッとしたり、これは何を言っているんだ?と咀嚼するのに時間がかかったりしましたがなんとか読み切れました。
Posted by ブクログ
日本語訳がおかしいのか
自分の理解力が足りないのか
理解しにくい箇所が多々あって気になった
無闇に死に怯えている人や自死を考える人に読ませたい
Posted by ブクログ
再読。
初めて読んだときの感動は超えられなかったがとても面白かった。
書きぶりが易しく、例えが多いので、分量の割にはかなり読みやすい。
「死とはなにか」定期的に考えてしまう人にはかなりおすすめ
Posted by ブクログ
前半の定義の問題の話は興味がない。第四章以降はそれなりに面白いが、「死は悪である」ことにするために「緩やかな存在要件」を採用している感じがして、その点についてはとても気持ち悪かった。
Posted by ブクログ
死というものの本質を哲学的に論じた本。死の合理性を冷静に語っている箇所もあり、ある種の冷酷さも感じられたが、余命一年を宣告された学生が受講を望んだというシーンにハッとさせられた。自分がそうなった時に何をしたく何を選択するだろうと考えながら思いを巡らせてみたが、答えが出ない。一つ言えるのは周囲の人に感謝を忘れずに日々を大切に過ごしていきたい。
Posted by ブクログ
最終的な筆者の結論は、私にとっては受け入れやすく納得できるものであった。死についての様々な考察を巡らせており、普通の人がここまであらゆる角度から考えることはほとんどないと思われるため、一度読んでみるとモヤモヤとした形のなかった考えがスッキリとまとまる感覚が得られるかもしれない。
ただ、翻訳した本であるという点も理由の一つと思われるが、日本人としては時折理解しにくい部分もあり、長く感じたのも否めない。
総じて一読の価値はあると思うが、一気に読むというよりは、自分の頭がしっかり覚醒している時に少しずつ読み進めるのが良いと思う。
Posted by ブクログ
筆者の結論は「魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。もちろん、ただのありきたりの機械ではない。私たちは驚くべき機械だ。愛したり、夢を抱いたり、創造したりする能力があり、計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない。 そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、特別に不思議なわけではない。」
したがって「死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものと捉えるのは適切ではない。適切ではないどころか、死に対する比類なく合理的な応答にはほど遠い。思うに、死を恐れるのは不適切な対応だ。」ということである。
結論として私の考えと同じなので異論はない。
この結論を前提に考えれば、著者が長々と論考していることは当然の帰結である。
できれば、だからどう生きていくという部分をもう少し充実させていただきたいものである。
本書は、哲学的考察部分を省いた日本縮訳版だそうであるが、この調子で哲学的論考をされると、多分途中で放り投げると想像するのである。
Posted by ブクログ
7月に3年ぶりに帰省した際に、94歳の祖母の認知症が進んでいた事と、年に1〜2回帰省できたとしてもあと数回しか会えないのだなと考えた。
ずっといると思っていた人にも死が近づいてくる、というのを実感した時に死ぬ事とはなんだろうかと考えた。
そんな中、そのまんまのタイトルのこちらの本を見つけたので読んでみた。
こういった哲学的な内容の本を読んだ事が今までほぼ無かったので新鮮だった。
普段何気なく過ぎていく事も深く考えればここまで広がるのか、と終始感心した。
死ぬ事は悪い事なのか、これについての考えは本当に人それぞれだと思う。
お互いの合意があれば殺してもいいのか、死んでしまってもいいのか、というのも深く考えさせられた話だった。
自分には難しい内容だったというのが正直なところで、読むのにも時間がかかってしまった。
内容を上手く自分でもまとめきれていないので、これかれ他の方の感想を読んだりして改めて理解を深めたい。