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Posted by ブクログ
〈第1講 死について考える〉
・望むものは将来も存在し続けることだけでなく、将来の私が今の私とよく似た人格を持っていることである。
(例)
900年以上生きられるとして100歳くらいの若造だった時の記憶を次第に忘れながらゆっくりと人格が変化していく。果たしてこれは望むものを叶えている?
著者的には違う。今の私の目標や記憶などを持った人になりたい。
〈第2講 死の本質〉
・死と生の区切り
身体説: 体を機能できる能力が失われた時に死と判定する
人格説: 思考できる能力を失った時に死と判定する
脳死の時の状態は、記憶がない赤ちゃんの時は、寝ている時は、冷凍状態の時は生きていると言える?
〈第3講 当事者意識と孤独感 死を巡る2つの主張〉
主張1: 誰もが自分が死ぬことを本気で信じてはいない
死の淵までの経験をした人がガラッと生き方を変えることはよくあるが、普通の人である私たちはそのように振る舞ってはいない
主張2: 死ぬ時は結局独り
共同作業はできない→普通の生活も同じでは?
〈第4講 死はなぜ悪いのか〉
・剥奪説
機械費用(もしもう片方を選んでいれば今の選択肢よりもいい結果だったという考え)により死んでいれば受けられたはずの喜びを受けられなくなる。
・死はいつの時点で悪い?
生きていれば悪くはないし、死んでいるのなら存在しないから悪くもならない→ある時点で生きてさえいれば時点は明確でなくても悪と言える
・生まれる前の存在してない時間も悪と考える?
いいえ。もっと早く生まれればという考えに至るには若くして死んでしまった時。もしくは早く生まれたと考えても終わりはそれ相応の時間を考えている。
〈第5講 不死が可能だとしたらあなたは不死を手に入れたいか?〉
・好きなことをしていても1億年後などはいずれ飽き退屈になる。
ならば100万年前のことは忘れる脳になっていたら?1億年後の自分は今の自分が考えていることは引き継がずに別人になっている。それは今の自分が望んでいるもの?(自分としては少しずつ変わっていっても自分は自分だと考えてしまう、未来の自分がガラッと変わっていても問題はないかなぁ)
快楽だけを受ける装置にずっといたら?快楽も飽きるだろう。それを考える脳に手術したら?それは人間ではなくなってしまう。
つまり、最善の生とは自分が望むだけ生きられることだと思う。
〈第6講 死が教える人生の測り方〉
・マトリックスのような現実ではない世界はいいことばかり起きる人生なら何が悪い?→実際には起きていない。
・生きること自体が+なのであればどれくらい加算すればいい?
〈第7講 死ぬまでに考えておくべき死にまつわる6つの問題〉
①死は絶対に避けられないという事実を巡る考察
この事実はプラス?マイナス?
マイナス: 死ぬだけでも悪いのにそれに関して何一つ対処できない。全人類がそうなのだから尚更悪い。
プラス: どうやっても変えられない事実であるためそれについて考える負担が減る。全人類を考えれば自分だけ狙い撃ちされるわけではないのだからいいのでは?
②なぜ寿命は平等に与えられないのか
平均寿命があってそれより長く与えられる人と短く与えられる人がいたとする。数字的には合わせたら平均になるのだが、気持ち的には短い人の方がメンタルの振れ幅は大きくて辛いのでは?
③自分に残された時間を誰を知り得ない問題
もし知っていたら?
マイナス: 毎日それを意識して過ごさねばならない
プラス: 最後がわかるのでそれまでを充実させようとする
④人生の形が幸福度に与える影響
面積は同じの人生上り坂と下り坂、どっちがいいかと言われると人は上り坂を選択する。つまり、生きているだけではなく人生の形が幸福に影響している。人生のMAXをどこに持ってくるべき?→それがその人の価値観
⑤突発的に起こりうる死との向き合い方
死は赤の他人にも、私の周りにも、私自身にも偏在的に起こる。
⑥生と死の組み合わせによる相互作用
ピザとチョコはどちらも美味いが組み合わせは悪い。
生と死は必ず組み合わさっているがその相性はどうか?
プラス: 有限だからより大事にできる
マイナス: 楽しいことを味見しただけで味わい尽くせない。人間という高貴な身分から没落する
筆者的には人生はかなり素晴らしいものになると考える程度には楽観的。多くの人は生きる価値がたっぷりある人生を達成するように思える。
〈第8講 死に直面しながら生きる〉
・死に対する3つの立場
否定する、対応する、無視する
無視するのは良くないと誰もが感じる。それを思わせるのは何故か?
→知っていたら人生が変わることが根拠として大いにあるから
・私たちが人生を大切にする理由
死を免れないからということでも、短いからでもない。目指す価値のあることがどれほど多くあり、それらを達成するのがどれほど困難であった場合に大切に感じる。
もし不死ならば永遠には大切にはしないだろうし、簡単な人生であれば面白みがないので大切に思わない。
・人生は、何もしないには長すぎるが、何かをするには短すぎる