柴田裕之のレビュー一覧
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事故や病気で脳が損傷し、生きてはいるが反応がない、意識がない、いわゆる植物状態となった患者さんたち。実は、そのうちの15%〜20%の方は、周囲で起こっていることを認識し、理解しているし、コミュニケーションを取ることができることがわかったという驚愕の事例。まだまだ検証が必要ではあるものの、技術の発達や、診療の工夫により、今までわからなかったことがわかるようになり、それによって、定義や判断基準が大きく変わることになる。今まで話しかけても意味がないと考えられていた患者さんが、実はそのことを認識していて、我々にわかるように反応はできないけれど、ちゃんと思考している。これは、その後の治療方針や、もっというと延命措置の是非に関わる重大事項。技術の発達によって、いろいろな、複雑なことを、前例にとらわれずに考えなければならないのだ。
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ネタバレ面白かった。植物状態の人間に意識は、人格はあるのか?どうすればそれを証明できるのか?という謎にせまる研究者の本。なかば著者のエッセイのような趣で、植物状態となった患者の人となりにも触れ、家族の献身にも目を向ける。著者は子供の頃に生死をさまよう壮絶な闘病生活を経験しており、母親の脳腫瘍による死、元恋人の突然の植物人間化という個人的な事情にも突き動かされ、たくさんの患者との実験、ふれあい、科学技術の進歩を通して植物人間の隠された意識へと手を伸ばしていくのだ。
意識があるのかないのか不明な「グレイ・ゾーン」と呼ばれる状態はまさに人の生と死のはざま。必然的に常にドラマティックになり、どうか実験でいい成果が出ますようにと思わず祈りたくなる場面も多い。植物状態の人でも明瞭に意識と感覚、記憶を保っている場合がある、というのは驚いた。救いの見えない状況でもわが身をなげうって懸命に介護を続ける家族たちの姿に心は痛むが、世界でどんどん進む研究や科学技術の進歩への信頼が著者の中で揺らがず存在しているため、この本はあくまで希望的な調子を崩さない。現代では人類の進歩というものに悲観的になることも多いけれど、それでもどこかで人類は進んでいると信じたくなる一冊だった。 -
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・人の眼は、人の肌の色の変化を捉えるように進化してきたか、なるほど。さすが社会的生物。
・顔の前に二つの目があるこの形態、立体視のためではなく、(目と目の間隔も小さい)障害物の向こうを透かしてみるために有利か、一理あるな。
・錯視は見て処理している間に過去になる現在(未来)を見るための情報処理(未来予見)の副作用。まあ、表現はともかく、ね。
・ただ、4勝の「霊読」とおどろおどろしい表現をしているが、文字を読む事については、「自然を視覚的に理解できるように進化した脳で文章(文字)をたやすく読めるのは、文字が数千年かけて自然に類似するように進化させられたからだ」
「眼のための文字」と「手のための文字」(速記)
ウマが人間が乗るためにデザインされているように見えるというのは、社会が文化的にウマを受け入れてきたから。
第四章はちょいとうさんくさかったけれど、解説で、きちんとした論文が本書のベースだよと言われたので、受け入れるものとするw -
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ネタバレ"Time is money"というが、お金よりも時間中心のマインドセットにする方が総じて幸せになれるのに、人はお金を増やすことに執着しがちだと述べた上で、"タイム・リッチ"になるための方法を具体的に紹介した本。
よくあるタイム・トラップとして、
・テクノロジーとの絶え間ない接続
・働くこととお金を稼ぐことへの執着
・時間の価値の過小評価
・多忙のステータスシンボル化
・手持ち無沙汰の嫌悪
・「イエス」と言った(引き受けた)後、しまった(時間がない)となりがち
といったことが挙げられているなど、わかっていてもやりがちで、なるほどと思うことが多かった。
まずは、自分が嫌なこと、ストレスに感じることに費やす時間を減らし、その浮いた時間を自分がより価値を感じられる活動に充てようと思う。
また、仕事を休むことに罪悪感を覚えることなく、余暇をしっかり楽しむことが大事だというのも同意。一方で、最近、ライフワークバランスを重視する人が増えてきたことはよい傾向だと思うが、そのためには日頃から優先順位をつけて、計画的に業務をこなしておく必要もある。
その意味で、本書は、個人の時間を大事にすることが強調されすぎているかもしれない。(本の趣旨からいって、仕方ないけど。) -
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講義調でやや冗長ながらも、死と徹底的に向き合う全750ページ超は、人生を再考する恰好の機会と視点を与えてくれる。
死といかに向き合うべきかは、すなわちどう生きるべきかと同義であり、ゆえに死とうまく向き合うことは、うまく人生を生きるために欠かせないことなんだと改めて。剥奪説の考察など、なるほどと膝を打つ論考も随所に。
"人生は、何もしないには長過ぎるが、何かをするには短すぎるーーあまり時間はない。人生は、二、三度のやり直しをするには十分に長いが、その機会はそれほど多くない。だから私たちは注意を払わなければならない。人生で何をするべきか、人生をどう満たすべきなのか、何を目指すべきなのか、と問わなければならない。" -
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端的に言うと、幸せになるためには【時間】>【お金】であると言うことを述べている本。
人間はどうしてもお金に価値があると考え、お金基準に物事を判断してしまう生き物であり、お金を払ってでも自分の時間を確保すべきだと主張している。生きて行くために最低限必要なお金さえ確保出来ているのなら、この考えは極めて正しいと思う。何億も持っているお金持ちが、もっと稼がないとと無理をして幸せになれない理由がよく分かった。なお気を付けないと行けないのは、この本にはどうやったらタイムリッチになれるか、具体的な方法までは書かれていない事。まあ人それぞれ状況が違うので仕方ないと思うが、具体的な方法を期待している人はご注意ください。 -
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著者のユヴァル・ノア・ハラリは名著にしてベストセラー『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』を書いたイスラエルの歴史学者である。本書は新型コロナによる感染症が世界に拡大し始めた2020年3月から4月に書かれた3「タイム」「FT」「ガーディアン」に寄せられた3つの寄稿記事とインタビューから成る。
この本を読んだのは、2020年秋のだったが、このレビューを書いているのはそれから約1年ほども経った21年9月である。
ハラリは、コロナについておそらくは何かを書く必然性があった。なぜなら、『ホモ・デウス』において人類の歴史において長きに渡って苦しんできた飢餓・疫病・戦争を克服したとして人類の未来についてその論を進めたからだ。おそらくは執筆当時この危機が克服可能であり、影響は大きいが、そこまで長く続くものではないという前提であったはずだ。
ハラリは冒頭、 「医学的な助言はできない」と断りながら、歴史学者としての観点からの「助言」ならできるかもしれないとする。そのひとつは「私たちが直面している最大の危機はウイルスではなく、人類が内に抱えた魔物たち、すなわち、憎悪と強欲と無知」だというものである。その危機を乗り越えるために人類は互いに協力し、叡智を集めこの危機に対応すべきではないかと願う。今なら「憎悪と強欲と無知」は問題であり続けたと言うと思うが、決して「危機はウイルスではない」とは言わないだろう。とは言うものの、ここで書かれた内容が価値がないというものではない。むしろウイルス自体の危機に目を取られていない分、ますます本質を突いている部分も多くなっているかもしれない。
■ 人類は新型コロナウイルスといかに闘うべきか ―― いまこそグローバルな信頼と団結を (タイム)
歴史学者らしく、これまで人類に降りかかった感染症 ― ペストや天然痘、エイズ、エボラ出血熱 ― と人類との闘いの歴史を辿る。
新型コロナウイルスの特徴は、グローバル化された現代において発生したというものである。対策はひとつの国に閉じることはなく、全人類を危機に陥れることがわかった。これが全人類の協力が進展することをハラリは期待し、切望する。そして、この時期に生じているアメリカが残した空白を嘆く。
ここにはワクチンのことはまだ書かれていないが、全人類における協力は一部では実現した。それでも、この危機を抑え込んだというにはまだまだであるし、ハラリが懸念をしたアメリカではその政治的にも多くの要因を挙げることができるであろう対応のまずさによって大きな犠牲を払うこととなった。
■ コロナ後の世界 ―― 今行う選択が今後長く続く変化を私たちにもたらす (フィナンシャル・タイムズ)
コロナの嵐はいずれ収まる。われわれはコロナ後の世界のことを考えて今行動する必要があるという指摘である。
「緊急事態は歴史のプロセスを早送りする」とハラリは言う。そして、今迫られている重要な選択として、①全体主義的監視か、国民の権利拡大かという選択と、②ナショナリズムに基づく孤立か、グローバルな団結かという選択の二つを挙げる。
①についてはハラリは皮下モニタによる生体監視システムまで想像する。しかし、われわれはプライバシーと健康の二者択一ではなく両方を目指すべきで、その鍵は知識と信頼であるという指摘する。この危機によって、その意識が高まることを望む。②については、もはやアメリカへの批判と捉えるべきだろう。トランプが大統領選に敗れ、バイデンが勝利したことはハラリにとってはひとつの懸念がなくなったことになるのかもしれないが、もしかしたら大統領選挙を越えてここまでコロナ危機が長引くとも思っていなかったのかもしれない。
■ 死に対する私たちの態度はかわるか? ―― 私たちは正しく考えるだろう (ザ・ガーディアン)
死の問題はハラリが『ホモ・デウス』で提起したわれわれの世代の課題である。コロナが蔓延したことで、われわれは唯々諾々と死を受け入れることになるだろうか。当然、その反対で必死の体で死に抗おうとするだろう。少なくとも今の世代の人間はいずれにしても死すべき運命であるにも関わらず。ハラリは次のように言う。
「医師は私たちのために、人間の存在にまつわる哲学的な謎を解き明かすことはできない。だが彼らは、私たちがそれに取り組むための時間を、あと少しばかり稼ぐことはできる。その時間で何をするかは、私たち次第なのだ」
コロナの重症化から医療のおかげで回復することができた個人的な体験からは、もちろんあと少しばかり稼いでいただいた時間をどのように使うか考えたい。一方で、死を受け入れるための準備もまた同時に必要と感じるのだ。
■ 緊急インタビュー「パンデミックが変える世界」 (NHK Eテレ インタビュアー 道傅愛子)
インタビューでは、従前の三つの寄稿での考察と主張が繰り返されることになる。パンデミックの後、雇用市場や働き方・学び方には新たな秩序が確立している。経済や教育のシステムのルールが書き換わるとき、政治はそれを絶好の機会と捉えるべきなのだ。
監視体制への影響にも改めて憂慮を表明する。それはイチかゼロではない。また、相互協力とそのための情報共有の透明性にも言及する。集団的リーダーシップについて言及し、パオロ・ジョルダーノが指摘したように新型コロナ対策を戦争のメタファーで語るべきではないと伝える。そして、科学的合理性への信頼を表明するのだ。
ハラリもここまで危機が長引くとはこのとき思っていなかったのかもしれない。そのため、コロナ後の世界について拙速に語りすぎていたかもしれない。もし何か修正が必要であるとすれば、もう少し長くこのコロナ危機の状況と変化に付き合っていく必要がどうやらありそうだということと、コロナ後の世界はより大きな変容が待っているかもしれないというところだろうか。そして、科学への信頼は一層重要になることだろう。
『ホモ・デウス』の自己正当化のモティベーションがあったとはいえ、2020年4月という早い時点で、コロナに対して知識人としてまとまった見解の表明をする勇気にも感謝。