柴田裕之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
(上巻のレビューから続く)
下巻のポイントは概ね以下である。
◆近代に入るまで、人間は、全能の神或いは自然の永遠の摂理により、何らかの宇宙の構想の中で役割を与えられている、即ち、(力を制限されるのと引き換えに)人生に意味を与えられていると信じていた。しかし、現代においては、人間はどんなドラマの役割も与えられておらず、人生に意味はないことが明らかになり、代わりに制限のない力を持つようになった。いわば「人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する」という「現代の契約」を結んだ。また、この契約では、何らかの宇宙の構想を基盤とせずに人生の意味を見つけた場合、契約違反にはならず、人間は、人間の知識(=経験×感性)こそが宇宙に意味を与えるとする「人間至上主義」を生み出した。人間至上主義は、個人・自由を重視する自由主義と、社会主義と、進化論的人間至上主義(ナチス等)に分かれ、宗教戦争が起こったが、勝ち残ったのは自由主義である。
◆自由主義者が個人の自由を重視するのは、人間には自由意志があると信じているためだが、21世紀の科学は、人間には自由な意志も個人の意志もない(生化学的なアルゴリズムに過ぎない)と主張する。
◆今日までは、高度な「知能」と発達した「意識」は密接に結びついていたが、今では、意識を持たないアルゴリズムがパターン認識で人間の意識を凌ぐようになっている(チェスの試合や自動車の運転や病気の診断など)。また、知能と意識を区別した場合、知能の方が圧倒的に重要と考えられている。非有機的なアルゴリズムが有機的なアルゴリズム(=人間)を凌駕した結果起こるのは、①人間が価値を失う、②人間は集団としては依然貴重ではあるが、個人としての権威は失い、代わりに外部アルゴリズムに管理される、③一部の人間は(生物工学により)アップグレードされて超人となりシステムをも支配するが、アップグレードされない大多数はアルゴリズムと超人に支配される劣等カーストになる、ということであり、自由主義のイデオロギーは崩壊する。
◆現在シリコンバレーでは、テクノロジーがすべてである新宗教が生まれつつある。一つは「テクノ人間至上主義」で、生物化学で人間の心をアップグレードしようとするものだが、それは即ち、人間の意志を制御したりデザインしたりすることであり、人間の意志と経験が意味の源泉であると考える人間至上主義とは相容れない。
◆もう一つは「データ教」で、森羅万象がデータの流れからできており、全ての価値がデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとする、データ至上主義に基づく。データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体が単一のデータ処理システムであり、「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。データ至上主義者によれば、個人の経験は共有されなければ無価値で、経験を記録し、アッロードし、シェアすれば、(自分の中に意味を見出さずとも)アルゴリズムがその意味を見出して、私たちにどうすればいいかを教えてくれる。20~30年後には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれず、そのとき、データ至上主義は「アルゴリズムに耳を傾けよ!」と命令するだろう。現在のアルゴリズムの多くは人間が書いているが、成長したアルゴリズムが支配者になったとき、人間は誰もそれを理解できない。人間からアルゴリズムへといったん権限が移ってしまえば、不死・幸福・神性という人間至上主義のプロジェクトは意味を失い、それに留まらず、人間至上主義のもとで他の動物が辿ってきた運命と同じ運命を、人間は辿ることになるだろう
◆現在、データ至上主義は科学の全学問領域に広まりつつあり、それが統一された科学的パラダイムとなれば、仮に欠陥があったとしても、抗することは難しい。しかし、テクノロジーは決定論的ではないし、未来を予測することはできない。今我々が注目しなくてはならないのは、①生き物はアルゴリズムに過ぎないのか?生命はデータ処理に過ぎないのか? ②知能と意識はどちらが価値があるのか? ③意識は持たないものの高度な知能を持つアルゴリズムが、私たちよりも私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか? の3点である。
私は、行き過ぎた資本主義と科学万能主義に問題意識を持ち、科学に関しては、特に生命工学でバイオエンハンスメント(生命科学的手法による機能強化)の今後の行方に強い関心を持っている。そうした意味で、「ホモ・デウス」という書名からの想像も含め、テクノ人間至上主義の内容については、(そうなることを望んではいないものの)概ね予想できるものではあった。(無論、そこに至る歴史的な背景の分析については、目から鱗の内容が随所にあったが)
一方、データ至上主義に関してはかなりショッキングな内容だった。しかし、本書が書かれてから既に10年が経つが、その間のIoTやAIなどのデジタルテクノロジーの驚くべき進歩や(10年前には、生成AIは一般には登場していなかった)、世界中のあらゆる人々が、できるだけ早く、できるだけ多く、SNSで情報発信をすることに没頭している、「個人の経験は共有されなければ無価値」というデータ至上主義の原理そのものに基づく行動様式への変容を見ると、あながち想像上のシナリオとは言えないのかもしれない。
著者が最後に書いている、人類に希望を与える3つの問い(特に前の2つ)については、この10年間で最先端の研究において何が判明してきているのか、残念ながら私にはわからないが、今後も注目して行かねばならない。人間が人間であるために。。。
(2025年12月了) -
Posted by ブクログ
ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、1976年イスラエル生まれの歴史学者。オックスフォード大学で博士号を取得(中世史・軍事史を専攻)し、現在はエルサレムのヘブライ大学歴史学部教授。代表作の『サピエンス全史』(2011年ヘブライ語版、2014年英語版、2016年日本語版、それぞれ刊行)は世界的ベストセラーとなり、60以上の言語に翻訳され、累計販売部数は2,500万部を超えている。ダボス会議など国際舞台でも講演を行う。
本書は、人類の誕生から文明発展までの歴史を俯瞰的に描いた『サピエンス全史』に続き、科学技術とAIの進歩を背景に、人類が向かう未来とそれに対する警鐘について書かれたもので、2015年ヘブライ語版、2016年英語版、2018年日本語版(2022年文庫版)が出版された。
私は、暫く前に『サピエンス全史』を読んだ後、本書については文庫化後すぐに入手していたものの積読状態で、今般ようやく通読した。
上巻のポイントは概ね以下である。
◆人間は、誕生からこれまで、「飢饉」と「疫病」と「戦争」という3つの脅威と戦ってきたが、21世紀に入った今、それらの脅威は完全に解決されたわけではないものの、対処可能な問題に変わった。
◆人間は次に「不死」と「幸福」と「神性」を目標とする、即ち、ホモ・サピエンスをホモ・デウスにアップグレードすることを目指すだろう。そのために取り得る道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学のいずれかである。そうした世界を恐れる人は、だれかにブレーキを踏んで欲しいというが、そもそも誰もブレーキがどこにあるのかを知らないし、仮に踏めたとしても、経済(無限の成長を前提とした資本主義経済)も社会も崩壊するだろう。
◆人間は、狩猟採集民だったときはアニミズムの信奉者(人間と自然を隔てるような溝はないと考える)だったが、農業革命により、人間は特別であるという信念が生まれ、有神論の宗教もその副産物だった。さらに、近代の科学革命において、人間は神を黙らせ、人間至上主義(という宗教)を誕生させた。
◆人間は、自らが特別である理由として、魂と心(感覚や情動)を持っていると考えてきたが、現代科学は、人間は他の動物と同じく魂を持たないし、他の動物は人間と同じく心を持つ(感覚や情動とは生化学的なアルゴリズムに過ぎない)ことを明らかにした。
◆一方で、人間は認知革命により、共同主観的な意味(人間に共通の想像の中にしか存在しないもの)のウェブを作ることができるようになり、それが人間を地球の支配者にした。しかし、想像の中にしか存在しないもの(物語)はあくまでも虚構であり、道具に過ぎないにもかかわらず、現代では虚構が現実を支配しつつあり、その傾向はさらに強まるだろう。
◆宗教とは、人間の法・規範・価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語のことである。科学と宗教は対立するものと考えがちだが、実際には、科学において研究・発見されたものを、人間がどう使うかの指針を与えるのは宗教の役割である。つまり、現代においては、人間至上主義という宗教の教義を実行するために科学が利用されている。
(下巻のレビューに続く)
(2025年12月了) -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書は、死生観を通じて「人が何を価値とみなし、どのように生きるべきか」を再定義する一冊です。経営者が読む意味は、宗教的・哲学的関心ではなく、意思決定の基準を長期視点で再構築するための思考資源にあります。
本書が提示する核心は、死を避けるのではなく、有限性を前提に人生と選択をデザインする視点です。これは経営における本質と重なります。すべての資源は有限であり、だからこそ何に時間を投じ、何を捨てるかという“選択の質”が結果を左右します。また、死とは何かを科学・哲学・倫理の各側面から検討するプロセスは、経営者が複雑な問題を扱う際に必要な多面的な思考の訓練として有用です。単一視点での判断は誤りを生みますが、本書は思考を強制的に広げる効果を持っています。
さらに、死をテーマにしながらも、結論は極めて実務的です。人生の優先順位・働き方と生き方の統合・他者との関係性の扱い方、これらを再整理することで、経営者自身の意思決定の軸がより強固になります。 -
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「死」について、論理的に考えてみるのは、確かに興味深い。
意識が無くなったら死と言えるのか。
肉体が残っていても、それは死と言えるのか。
様々なパターンを例として挙げながら、学生たちに「あなたはどう考えるか?」と問う形式の授業内容をまとめたものだ。
本書の中に、余命宣告を受けた学生が、この授業を受講したエピソードが記載されている。
その学生が、この授業をなぜ選択したのかは分からない。
死に向き合おうとしての選択なのか。
単純に「死」を知識として探求したい目的の受講なのか。
当たり前であるが、死を体験して自身で理解することは、論理的に不可能だ。
死ぬ瞬間については想像できるかもしれない。
しかし、実際に死を体験する訳にはいかないのだから、本質の部分を理解することは、事実上不可能と言える。
そんな制限された環境の中で、「このパターンはどう考えるか?あのパターンならどう考えるか?」をひたすら問い続け、探求していく授業だ。
「自殺は本当に許されない行為なのか?」という問いも出てくるのだが、これだけ考えても相当に難しい。
唯一の答えはないし、それこそ国や文化によっても、個人の価値観によっても、全然違う回答が出てくるはずだ。
だからこそ「あなたはどう考えるか」という部分が重要になってくる。
我々にとって「死」とは本当に何なのだろうか。
死について深く考えることは、同時にどうやって生きるかを考えることだ。
つまり「生き方」についても、唯一の正解はないと言える。
そんなことは当たり前であるはずなのに、ついつい我々は「生き方の正解」を求めてしまう。
お金持ちになる生き方が、正解だと思ってしまう。
無条件の愛情を受けられる人生を、正解だと思ってしまう。
出世して人に認められたり、褒められたりする人生を正解だと思ってしまう。
そんな都合良い話があるはずがないし、そんな恵まれた生活を送れる人はほとんどいないはずなのに、そんな人生に憧れてしまう。
自分なりに納得する人生を見つけるのは、簡単な話ではない。
むしろ所詮人生はコントロールが効かないのだから、今の人生を受け入れて納得するしかない。
そういう境地に至るのを「悟り」というのかもしれないが、そんな大そうな話にせずとも、「死」について考えることは「生」について考えるきっかけになることは間違いない。
これから益々社会は変化していく。
AIの進化は凄まじく、人間の能力を凌駕していくことは間違いない。
そんな時に、人間だからこそできることは何なのか。
それこそ、生も死も、人間だからこそ与えられた特徴と言えるだろう。
こればかりは、AIでは決して代替できないことだ。
人間として生きること。
AIでは真似できないこと。
これからの時代は、「人間だからこそ」の部分を突き詰めていく必要がある。
AIが進化して、ロボットに組み込まれていく際に、最早人間とロボットの境界は曖昧になっていくだろう。
そんな物語は、SF世界ではよくある話だが、いよいよ現実化し始めたということだ。
人間が機械化していくのか、ロボットが感情を持って人間化していくのか。
そんな時代には、「生と死」が非常に重要な意味を持つようになるだろう。
これはそんなに遠い未来の話ではない。
今から人間の生死について考えるのに、早過ぎることはない。
そういうきっかけを与えてくれる書籍だ。
死について真剣に考えて、自分なりの生き方を実践していきたいと思う。
(2025/4/27日) -
Posted by ブクログ
ジョークと具体例の中にポイントが紛れていることがおおくやや冗長で読みづらかった。
何回も読まないと実践できないくらいのTIPがたくさん。
まずは簡単な瞑想から習慣化スタート。
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・幸せとは心のデフォルト設定
・情動は心ではなく体に現れる(呼吸や汗、肩のこわばり)
・注意とメタ注意
・エンジニアでさえ求められる能力のほとんどはEQ(ナイスガイが一位になる!)
・優秀なのはポジティブで穏やかで達成基準と意欲が高く社交的
・EQ=情動的能力→自己認識→情動の自覚(情動と影響/正確な自己査定(長所と限界)/自信(価値と能力の実感)
・山のようにおだやかで隙がなく座り、思考の流れをただ眺めlet go
・自分の限界がわかるから人を頼れる
・ダニエルゴールマン EQの権威
・習慣化の個人的な順番呼吸→ジャーナリング→マインドフルリスニング
・情動は起きるもの
・執着しない、距離を置く
・情動は暴れ馬。押さえ込むのではなく、コントロールする
・仲間を作る最短は人の関心を引くより、人へ関心を向けること
・自分より大きなもののために自分にとって意味のあることの一部になる -
Posted by ブクログ
死生観を公平な視点と哲学で「死」とは何かについて説く良書である。
死は必ず誰にでもどんな存在でも訪れる不変なもの。本著では、人間という死の先には無があると説く。
世の中には、死後の世界についての経験を語る人は少なくない。本著はそれらも否定しない。純粋に人間として、死とは何か、今生きる私たちが幸福でいられるためにはどう過ごせばよいのか、そして、死を問うことで生きることに繋がると本著は強いメッセージを私たちに伝えてきてくれる。
死生観は十人十色だ。本著を通じて学べることは、死を極端に怖がる必要ないこと。自殺について否定的であり、「死を問うことで、未来の可能性を見いだし、生きる希望を持つこと」を説く。私も同感だ。仮にあの世があるとして、自殺したからといって救いがあるとも証明はされてはいない。
私は、私という人生の終わりの先が無であれ、人生の最後の言葉は「ああ、善く良く生きたな。疲れたな、満足だ」と言って死にたいと思っている。
現代の私たちもこれからの私たちにも刺さる良書といえよう。 -
Posted by ブクログ
ちょっと具体例というか個々のトピックに文章さき過ぎではあったので、知ってる、あるいはここは丁寧に説明されなくてもまぁわかるって所はサクサク読むくらいのつもりで。現実見てると書いてる事薄っすら当たってきてるように見える一方で、ある程度、(いい面でも悪い面でも)スムーズに技術面の進化と現実への運用が進んだシナリオではあるんじゃないかとは思う。ここ数年の人類の悪戦苦闘から見るに賢い人らが予想もしてないような事で色々つまずきながら現実は進んでくようで、なんというか事あるごとに停滞しながらの歩みになってるのでこの通りになるにしても進捗は思ったより時間かかるんじゃなかろうか?