柴田裕之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「死」について、論理的に考えてみるのは、確かに興味深い。
意識が無くなったら死と言えるのか。
肉体が残っていても、それは死と言えるのか。
様々なパターンを例として挙げながら、学生たちに「あなたはどう考えるか?」と問う形式の授業内容をまとめたものだ。
本書の中に、余命宣告を受けた学生が、この授業を受講したエピソードが記載されている。
その学生が、この授業をなぜ選択したのかは分からない。
死に向き合おうとしての選択なのか。
単純に「死」を知識として探求したい目的の受講なのか。
当たり前であるが、死を体験して自身で理解することは、論理的に不可能だ。
死ぬ瞬間については想像できるかもしれない。
しかし、実際に死を体験する訳にはいかないのだから、本質の部分を理解することは、事実上不可能と言える。
そんな制限された環境の中で、「このパターンはどう考えるか?あのパターンならどう考えるか?」をひたすら問い続け、探求していく授業だ。
「自殺は本当に許されない行為なのか?」という問いも出てくるのだが、これだけ考えても相当に難しい。
唯一の答えはないし、それこそ国や文化によっても、個人の価値観によっても、全然違う回答が出てくるはずだ。
だからこそ「あなたはどう考えるか」という部分が重要になってくる。
我々にとって「死」とは本当に何なのだろうか。
死について深く考えることは、同時にどうやって生きるかを考えることだ。
つまり「生き方」についても、唯一の正解はないと言える。
そんなことは当たり前であるはずなのに、ついつい我々は「生き方の正解」を求めてしまう。
お金持ちになる生き方が、正解だと思ってしまう。
無条件の愛情を受けられる人生を、正解だと思ってしまう。
出世して人に認められたり、褒められたりする人生を正解だと思ってしまう。
そんな都合良い話があるはずがないし、そんな恵まれた生活を送れる人はほとんどいないはずなのに、そんな人生に憧れてしまう。
自分なりに納得する人生を見つけるのは、簡単な話ではない。
むしろ所詮人生はコントロールが効かないのだから、今の人生を受け入れて納得するしかない。
そういう境地に至るのを「悟り」というのかもしれないが、そんな大そうな話にせずとも、「死」について考えることは「生」について考えるきっかけになることは間違いない。
これから益々社会は変化していく。
AIの進化は凄まじく、人間の能力を凌駕していくことは間違いない。
そんな時に、人間だからこそできることは何なのか。
それこそ、生も死も、人間だからこそ与えられた特徴と言えるだろう。
こればかりは、AIでは決して代替できないことだ。
人間として生きること。
AIでは真似できないこと。
これからの時代は、「人間だからこそ」の部分を突き詰めていく必要がある。
AIが進化して、ロボットに組み込まれていく際に、最早人間とロボットの境界は曖昧になっていくだろう。
そんな物語は、SF世界ではよくある話だが、いよいよ現実化し始めたということだ。
人間が機械化していくのか、ロボットが感情を持って人間化していくのか。
そんな時代には、「生と死」が非常に重要な意味を持つようになるだろう。
これはそんなに遠い未来の話ではない。
今から人間の生死について考えるのに、早過ぎることはない。
そういうきっかけを与えてくれる書籍だ。
死について真剣に考えて、自分なりの生き方を実践していきたいと思う。
(2025/4/27日) -
Posted by ブクログ
ジョークと具体例の中にポイントが紛れていることがおおくやや冗長で読みづらかった。
何回も読まないと実践できないくらいのTIPがたくさん。
まずは簡単な瞑想から習慣化スタート。
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・幸せとは心のデフォルト設定
・情動は心ではなく体に現れる(呼吸や汗、肩のこわばり)
・注意とメタ注意
・エンジニアでさえ求められる能力のほとんどはEQ(ナイスガイが一位になる!)
・優秀なのはポジティブで穏やかで達成基準と意欲が高く社交的
・EQ=情動的能力→自己認識→情動の自覚(情動と影響/正確な自己査定(長所と限界)/自信(価値と能力の実感)
・山のようにおだやかで隙がなく座り、思考の流れをただ眺めlet go
・自分の限界がわかるから人を頼れる
・ダニエルゴールマン EQの権威
・習慣化の個人的な順番呼吸→ジャーナリング→マインドフルリスニング
・情動は起きるもの
・執着しない、距離を置く
・情動は暴れ馬。押さえ込むのではなく、コントロールする
・仲間を作る最短は人の関心を引くより、人へ関心を向けること
・自分より大きなもののために自分にとって意味のあることの一部になる -
Posted by ブクログ
死生観を公平な視点と哲学で「死」とは何かについて説く良書である。
死は必ず誰にでもどんな存在でも訪れる不変なもの。本著では、人間という死の先には無があると説く。
世の中には、死後の世界についての経験を語る人は少なくない。本著はそれらも否定しない。純粋に人間として、死とは何か、今生きる私たちが幸福でいられるためにはどう過ごせばよいのか、そして、死を問うことで生きることに繋がると本著は強いメッセージを私たちに伝えてきてくれる。
死生観は十人十色だ。本著を通じて学べることは、死を極端に怖がる必要ないこと。自殺について否定的であり、「死を問うことで、未来の可能性を見いだし、生きる希望を持つこと」を説く。私も同感だ。仮にあの世があるとして、自殺したからといって救いがあるとも証明はされてはいない。
私は、私という人生の終わりの先が無であれ、人生の最後の言葉は「ああ、善く良く生きたな。疲れたな、満足だ」と言って死にたいと思っている。
現代の私たちもこれからの私たちにも刺さる良書といえよう。 -
Posted by ブクログ
ちょっと具体例というか個々のトピックに文章さき過ぎではあったので、知ってる、あるいはここは丁寧に説明されなくてもまぁわかるって所はサクサク読むくらいのつもりで。現実見てると書いてる事薄っすら当たってきてるように見える一方で、ある程度、(いい面でも悪い面でも)スムーズに技術面の進化と現実への運用が進んだシナリオではあるんじゃないかとは思う。ここ数年の人類の悪戦苦闘から見るに賢い人らが予想もしてないような事で色々つまずきながら現実は進んでくようで、なんというか事あるごとに停滞しながらの歩みになってるのでこの通りになるにしても進捗は思ったより時間かかるんじゃなかろうか?
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「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義
著:シェリー・ケーガン
訳:柴田裕之
出版社:文響社
死についての西洋哲学的考察の本です。
購入してから、一読するのにかなりの時間がかかりました。
聖書からは離れられないかと思いましたが、いったん宗教からはなれて死というものは何かを考えなおしたものと受け止めました。
当然、深く考えるためには、仏教や神道を中心とした、東洋的、日本的な考察も参考にすべきであるとは思いましたが。
気になったのは、以下です。
二元論および、物理主義、2つ考え方の対比ではじまる。
二元論とは、物質的な身体と、非物質的な魂があるというもの
対して、物理主義とは魂は存在せず、身体があるだけであるというもの
死を科学の観点からとらえると、解明すべき詳細の点は多々あるが、哲学的な観点から死とは、身体が作動し、それから、壊れる。死とはただそれだけだのことである。
死ぬときは、けっきょく独り、それは必然か、偶然か。この自明となる命題にも、著者が疑問を投げかける
死はなぜ悪いのか、本当に悪いのか、そして、もし、そうなら、死のどんな側面のせいなのか
⇒死は、死んだ人にとっては悪くないが、残された人にとっては悪い
⇒死が悪いのは、主に何のせいかを考えているのなら、本人が死んでいることに的を絞るべきのようだが
エピクロスの言
あらゆる災難のうちでも最も恐ろしい死は、私たちにとっては取るに足りないものなのだ。
なぜなら、私たちが存在している限り、死は私たちとともにはないからだ。
だが、死が訪れたときには、今度は私たちが存在しなくなる。
ならば、死は生者にも死者にも重要ではない。
前者にとっては存在しないし、後者はもはや存在しないのだから。
生まれる前と、死んだ後の時間は同じ価値をもつか
死後の期間のほうが悪いのは、死には喪失が伴うのに対して、誕生前の非存在は喪失を伴わない
不死こそが人間にとって最善なのか
長く生きるほど人間は幸せなのか
いずれ死ぬ私たちー人生で何をするべきか
死ぬか死なないか以前に、人生を台無しにしないこと
人生は、何もしないには長すぎるが、何かをするには短すぎる
自殺の合理性に対する疑問
①どんな状況ならば、自殺は合理的な決断となりうるか
②自殺の決断は明晰で冷静になされうるか
結論
死は不快なテーマであり、私たちはそれを頭から追い出そうとする
たいていの人は、どうしても死について考えたくない
人生が価値あるおのをもう提供できなくなるまで生きる力が私たちにあったほうが、間違いなくのぞましいだろう
死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものととらえるのは適切ではない。死に対する比類なく合理的な応答には程遠い。
おもうに、死を恐れるのは不適切な対応だ。
目次
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第1講「死」について考える
日本の読者のみなさんへ
第2講 死の本質
第3講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
第4講 死はなぜ悪いのか
第5講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
第6講 死が教える「人生の価値」の測り方
第7講 私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題
第8講 死に直面しながら生きる
第9講 自殺
死についての最終講義 これからを生きる君たちへ
訳者あとがき
注
ISBN:9784866510774
出版社:文響社
判型:A5変
ページ数:384ページ
定価:1850円(本体)
2018年10月10日第1刷発行
2019年02月18日第7刷発行 -
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ネタバレ読書メモ
人類のこの先の課題
人類は飢饉、疫病、戦争の問題を解決してきた。
死を克服し、神になるのがその先の課題である。
また幸福の追求も課題。
幸福の度合を測るのは難しい。古代人が得る幸福と現代人が得る幸福は脳内物質程度の点では同じ。
人新世
地質年代における完新世の中の最近7万年。サピエンス登場。地質的、生物的影響が地球レベルである。世界の動物の質量分布は人類とその家畜で90%におよぶ。
アミニズム→他の動物たちの中の人間
一神教→動物と話すことをやめ神と人が支配する世
人が特別である理由
やはり宗教でしか説明つなかい。
意識は他の動物にもある。科学の進歩が人類の偽りの輝きを剥ぎ取る。
古代の王や神はブランド
ファラオは現代のアップル
客観的という場合2つの種類ある
科学的追証可能な観測的事実
共同的主観もまた客観的と扱われることがある。
互いに語り合う物語の意味のネットワークがおりあがって共同的主観が形成される。時代とともに意味のネットワークがかわり何百年後にはまったく共感できない行動基盤になることもある。
結果、人間は3種類の世界で生きている。
自身の内面世界である主観世界
自分以外の他者や自然の観察から得られる客観世界
人類どうしの意味のネットワークに存在する共同主観世界
時に3つ目が最重視され、個人や世界が歪められる。物語がなによりも重要。
宗教なしには人は集団的にまとまりえない。
個人は自身が属する組織が信じる虚構を信じるしかない。それが最上のものである保証や比較は難しい。
科学と宗教は奇妙な夫婦。完全に互いを否定するものでもない。
宗教は秩序、科学は力をもとめる。
真理を求める点に話が及ぶと衝突する。
人類至上主義という宗教と科学はこの500年非常にうまく共存してきた。現代はその流れの先端である。
人類至上主義の到達点が神への到達であり、古代の人が信じた神を現実につくれる科学が目の前にきている。。
人類至上主義のがその座を譲るつぎの宗教があるのか?下巻に続く。 -
Posted by ブクログ
ハラリが21のトピックについて自分の考えを書いたもの。ほとんどが納得できるものである。特にイスラエル人だからか宗教についての考察が多いが、ユダヤ教をはじめとする一神教への批判が鋭い。宗教的にも国家的にも軽くなっている日本人には受け入れられやすいように思う。
しかし、気候温暖化、AIについての切迫感の強さは戦争よりも強いように思えた。
早く行動すべきというのが紙面から窺える。
個人的には人生には意味がないと繰り返し言っていることと瞑想を一つの解決方法としていることが面白かった。
人生に意味はないが、自分を観察して適切に動くためには、自分を知ることが必要ということ。
自分を知ることと世界へ行動を起こすことの繋がりはわかりにくい。
仏教的諦観からは地球が温暖化し、人間が絶滅しても何の問題もないような気がするが、人類として生き残る努力をするべきということか。
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12人の兄妹を持つ14人家族のギャルヴィン家。そして彼らのうち6人は統合失調症に苦しめられている。そんなギャルヴィン家のファミリーヒストリーと統合失調症の原因について「生まれか育ちか?」という研究の進展についてとが並行して進んでいく大著。非常に読み応えがあった。
ギャルヴィン家が抱えた困難は単純に統合失調症だけではない。目まぐるしく変化していく社会情勢、精神病への偏見、管理的な治療が良しとされていた精神医療、家庭内で蔓延する暴力や虐待の連鎖とあらゆる問題が総体として押し寄せてくる。
まさに家族が直面して来た困難は歴史そのものなのだ。人が生き、一族が生きるということは何かが書かれている。