柴田裕之のレビュー一覧
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私たちは物事には単純明快な原因があると本能的に信じている。でも、実際は小さな偶然の連続でできているんだ、ということが書かれた本。
どちらかというと、自分は世界は?人生は?複雑でコントロールなんてできない、と思っているタイプ。なので、この本を読んで新しい視点だ!とはならなかった。
でも、本の中に出てくるいろいろな「偶然」の事例が面白くて、やっぱり事実は小説より奇なりだなぁと思ったり。
以下メモ(結構長い)
・社会科学者である著者の曾祖父の前妻は、子ども4人とともに自死したという。その後再婚した女性との間に著者の祖父が生まれた。
前妻の凶行がなければ自分は生まれていなかったという事実から「自分が時に素晴らしく時に大いに問題のある過去の派生物」であることに気付く。
・この世界のカオスを受け入れれば、より幸せな人生を送れるのか
・収束性:万事は理由があって起こる
小さな点は問題なく、起こるべきものは起こる
ニュートンの運動法則・神の見えざる手
・偶発性:物事は単に起こる
ほんのささいな違いがその後の結果を大いに左右する
バタフライエフェクト
自分だけでなく周囲との関係の中でも変わる
・カモノハシは偶発性の好例、収束性の好例は甲殻類。
・カーシニゼーション :タラバガニもやヤドカリなど、本物の蟹ではない甲殻類が、進化の過程でカニに似た姿形へと独自に変化する収斂進化の一例。
・12個のフラスコの実験(大腸菌の長期進化実験)
たった1匹の共通の祖先から分けた大腸菌を12個のフラスコで35年以上(8万世代以上)にわたり別々に育て続けることで、生物の進化をリアルタイムで観察している世界最長の実験。
実験開始から約3万1500世代目に、12個のうちのたった1つのフラスコの大腸菌だけが、本来は食べられないはずの「クエン酸」を栄養として利用できる新しい能力を突然変異によって獲得し、進化には偶然の積み重ねや歴史的なめぐり合わせが深く関わっていることを科学的に証明した。
・ラプラスの悪魔
すべての結果には原因があるという考え方に基づき、「もし現在の全粒子の位置や運動量を完璧に知る知性がいたら、過去から未来までの全運動を完全に計算できる」という
・自己組織化臨界性
砂山の例え
砂粒は1粒ずつ安定したパターンで積み重なる。
臨界状態に達するとあと一粒加えただけで大規模な崩壊が起こる。
たった1粒の砂がその崩壊を引き起こす。
それぞれの砂粒は何もコントロールしていないが、ほぼすべてに影響を与える。
・ブラックスワン
事前にほとんど予測できず、起こったときの衝撃が非常に大きい、極めてまれな事象や出来事
由来:昔のヨーロッパでは「白鳥は白いもの」が常識。だがオーストラリアで黒い白鳥(コクチョウ)が発見され、それまでの常識が覆されたことから
・現代世界はバッタの大群(トビバッタ) と同じで制御も予測も不可能である。
私たちは自信過剰で目が曇っている。
・なぜ現代の世界はこうも複雑になったのか
インターネットの普及:広く拡散する情報を生み出す人の数を増やした
最適化、効率性を追い求める結果、社会のシステムにゆとりがない
・数学の発展、数値化、確率
それに対してヒュームは、確率は確実性とはかけ離れている、と。未来が過去と同じであるという保証はない
・ヨーロッパでアラビア数字が普及しなかった理由は、簡単に改ざんできるから。時代が進み、印刷機が普及することで手書きで改ざんができなくなり、アラビア数字が安心して使われるようになった。結果数学が発展した。
・単純なものは偽り、複雑なものは使い物にならない
1/1縮尺の地図を欲しがる人などどこにもいない
・偉人説
主要な人物が歴史を決める。偉人に注目して変化が起こった理由を解釈しようとする
・アナ―ル学派
個々の人物は現れては消えるもの。歴史の最終目標は決まっている
・出来事が起こる「時」の重要性
仮にコロナが1990年に拡散していたら、リモートワークはできなかった。
1950年に武漢で発生していたら、こんなにも早く世界に拡散しなかった。
・社会を理解するための「社会調査の問題」
再現性の問題
P値ハッキング:P値は0.05未満が統計的に優位である可能性が高い。0.051の時にデータを操作する
お蔵入り問題:同じ実験を行い、20人中1人、何か「発見」をするとそれは「発表」される。残り19人はなにも発見がない場合、それは公表されない。
ある理論は、「その時」正しかったとしても、時代が進むとあわなくなる。
・不確実性の利点
意外な結末、思いがけない発見
現在のあなたの行動が最適化した未来をどのように生み出しうるかには重きをおかず、あなたのために生み出された現在を享受するのにもう少し重きを置く。
・自由意志はあるのか
私たちはなんでも自分が欲するものを自由に欲することはできるが、自分が欲するものを自分で選択できるわけではない。
私たちが自由なのはたとえ自らの好みを自主的に選べなくても、好みを追求できるからだ。
・決定論の悪用
環境決定論(地理的決定論)は人間の文化や社会、文明の発展が気候や地形といった自然環境によって決定されるとする考え方であり、歴史的に人種差別や植民地支配を正当化する道具として利用された。
・自由意志と倫理
私たちは自分の遺伝子や親、子ども時代の経験、自分の脳の物理的組成を選べないが、それらの要因は明らかに私たちの未来の振る舞いを決定する。人々のその行動を非難することは理にかなっているのだろうか。犯罪者にその理由がないなら、彼らを罰することがどうして正当化できるのだろうか。 -
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ネタバレ序盤は共感できることも散見され、テーマも興味深く読んでいたが、同時に、初めて「(悪い意味での)ずいぶんナラティブなレビューだな」という感触も付きまとっていた。
これまで読んでいるレビューのほぼすべてがナラティブレビューであり、それに否定的なわけでは全くない(むしろ天才や専門家の深い知見を知れるので大好き)のだが、本書からは「根拠としている部分にどこまでコンセンサスが得られているのだろうか?」や「引用がかなり恣意的な気がする」という疑問が浮かぶことも多く、自説へ引っ張りすぎているのではないかと思っていた。
決定的に「おかしい」と感じ、著者の背景を調べたのは『男女間の格差』の節であった。
この話題の前節までの「(人種)差別とそれに伴う待遇の違いが実際に格差を生み、差別をさらに強化していく」という論旨は明解で説得力があるものであった。しかし、男女の違いを論じ始めると倫理を無視したような無理筋な主張を繰り広げ始め、首をかしげた。
社会を維持するためのルールを破壊しても「生物学的に可能だから」で良いわけがない。例として心理的抵抗感のある殺人や犯罪、生命倫理ではなく同性愛を持ってくることも詭弁のように思えた。また、「生物学的に可能」は、実は万能な表現ではない。交雑種のように「可能だが普通はしない」ことが多くあり、著者の主張に反する「生物学的に可能だけど不自然」があることを無視している。
この『同性愛』というテーマも性急に現れており「男女間の”身体的差異”は多くのことに無関係という主張ではなかったのか?そこへなぜ同性愛を?」と論旨のブレに引っかかりを感じ、また論調が”男性”同性愛への感情的な訴えにすり替わったことにも強い違和感を感じた。
そもそもフォーカスしていることが、性的少数者でも、両性愛や同性愛ですらなく、”男性”の同性愛という極端な部分であることが非常に奇妙(というより論理構造のあまりの偏りに気持ち悪さを感じたという方が近い)であった。 後に著者を調べてみてゲイであることがわかり、極端な選択をした理由の一端が分かった気がした。
著者の性的嗜好についてははっきり言ってどうでも良く、また、ゲイに対する差別的な考えが本書の発想の大元になったようである(= 個人の体験に基づく問題提起)という点も特に咎め立てる事ではないのだが、
問題は自身の特殊な立ち位置を本文中で一切明かさず(そもそも原著出版時に公にしていたかも怪しい)に、巧妙にゲイだけを擁護する表現を紛れ込ませている点だ。触れられているのが”男女”間の差異の節であり、併記できる文脈があるにもかかわらず”女性”同性愛を一切記さないという点も印象が悪い。
正々堂々と節を分けて性的少数者の是非をバランス良く論じてやればよいだけで、そうすれば次節の『生物学的な性別と・・』との接続も良くなり性別に対する見方を揺らがせる効果も上がるだろう。妙だと思った「生物学的に可能」に関する主張も綺麗に収まる。現状の書き方、対象の選択のまずさが周辺の節にまで歪みを生じさせているように思えた。
前述の「悪い意味でのナラティブレビューだ」という感覚と合わせると、著者は人類史の帰結に見せかけながら本書の各所で自身の考えに有利な方向へ誘導しているのではないかという疑念が強くなった。
そのため、本書は「著者の鋭い感性によって得られるものも多いが、そのまま丸呑みしてはいけない書籍」という見方に変わった。
本書に対して懐疑的な見方をしながら終盤部分を読み進める(ふり返ってまで数え上げる気にはならない)と、「不当な議論をしている」と感じる部分がいくつかあった。
男女間の差異、特に男性が優位な条件を論じていく内容は、どうも議論の歯切れが悪い。
本書前半部分で散々遺伝子とそれを乗り越える共同主観の話を繰り返しているので、男性が優位となることに遺伝的因子が関係している(:家父長制遺伝子の淘汰で説明するのではなく、サピエンスの基本的なプログラムとして家父長制を採る遺伝子を持っている)可能性を論じないのは不自然である。
この議論ではボノボやゾウを例として女性優位型の社会を例示しているが、これまで例として扱ったチンパンジー(:チンパンジー属のチンパンジー = ナミチンパンジー)を扱わないのは不公平であると感じた。そのチンパンジーはアルファ“オス”を頂点とする群れを築くと何度も本書中に出てくる。彼らがメスを支配する様子についても併記して良いはずだ。
チンパンジーもボノボもサピエンスと遺伝的な距離に差がないとはいえ、その生態は明瞭に違いがある。この節だけチンパンジーについて触れず、ボノボ(チンパンジー属ボノボ = ピグミーチンパンジー)のみを例に出すのなら、明確な理由と説明が必要である。
また、著者に懐疑的になっているので、広義の意味のチンパンジー(:チンパンジー属 = チンパンジー + ボノボ)と狭義の意味のチンパンジー(チンパンジー属チンパンジー)の違いに敢えて触れておらず、わざと混同させているのではないかとも思ってしまう。
男性が優位に立った理由に関しては男-女間での比較と男性間での比較、あるいは労働と知識、戦闘についての観点を都合良く出し入れして理由を有耶無耶にしようとしているように感じた。
「女性が男性より平均的に優位であってもどこかに致命的に弱い部分があり、男性はやや劣るが大きな弱点がない。また、一度リーダーになると覆すのが難しい(:本書、黒人差別の部分と同じ)」とするだけで特に男性が優位でなくとも世代交代するほど女性政権が消えていくのは簡単にシミュレートできるだろう。
弱い部分がどこかはわからない(本書、『筋力』中にあるように、リーダーは過度に若い個体ではないだろうから妊娠は積極的な理由になり得ないだろう)が、男性優位という現象が起きることは不思議ではない。
この弱い部分は単純に筋力差でも説明がつく。
先史時代、数十人規模での戦闘では指揮官が戦陣にあるのはそれほど珍しいことではなく、古代の貴族なども先陣を切り、命を張ることで尊敬される地盤を作った。著者の「指揮官は前線に立たない」という論は、部隊の規模が一定以上に大きくなり、戦術、戦略が重くなる場合、より時代が下った時のみである。
リーダーが腕っ節が強いわけではないという指摘も「従う者が強い」で片がついてしまう。この従う者は息子であったり、歳の若い親族であろう。日本にも子飼いや一族郎党という言葉があるが、血縁やそれに準じる絆は時代が下っても残るほど強力である。
仲間を指揮することが巧みで勇敢な者がリーダーになり、老いてはその息子や近親者が勇を示す。それだけで男性による支配権の継承が見えてしまう。
女性は筋力差により戦闘での働きができないため、狩猟採集時代から農耕の初期までに男性優位が決定し、覆せなかった。という単純なモデルは誰でも思いつきそうである。
このような皆が思いつきそうな内容を触れずに、より複雑な議論をしたうえで答えが出ない、というのは検討不足に感じる。
『悪の帝国?』の終盤、カレドニアの族長カルガクスについて触れている部分では異論がある部分を巧妙にごまかしている。
カルガクスの演説が創作だという点は異論が出ないと思われるが、人物が完全な創造(実在性)という点については一致をみていないようだ。
前後の文脈からも発言内容と人物の実在性を最大限の強さで言い切る必要が無い(見解の一致している「発言が虚構」ということだけ述べておけばよく、すべてが創造だと『学者が一致している』などと強調する必要性が全く無い)。
本書は一般向けにわかりやすく断定口調で述べられているが、それでも諸説ある部分を意図的に切り捨てることとは別である。ここまで感じ続けていた「引用が恣意的ではないか」などの感覚を省みれば、このような小さなねじ曲げを行っている箇所はここだけではあるまい。
「一見、人類史から導かれた公平で包括的な問題の提起に見えるが、その実、著者自身の問題意識や仮説に強く方向付けられている(ということに注意して読まねばならない)書籍」というのが上巻を読み終わった際の感想だった。
コンセンサスを得られていない知見を恣意的に引用していたり、証拠として挙げるものを自身の議論に都合の良いように出し入れしていること、自身に都合の悪い部分は話題からそらすなどの行動は無意識的に行うことではない。
これをトレーニングを受けた学者が自らの専門分野で行うのはかなりの不誠実に思えてしまう。
読みやすく流れるような文章と断定的な書き口の心地よさという優れたナラティブの才能を持っており、常識を覆し目を見張るような視点を創造することにも長けているのだから、過剰な装飾などせず堅実な根拠や自説の立ち位置を明確にして誠実に書けば良いのにと思ってしまった。 -
Posted by ブクログ
上巻では主に、下巻で書かれるであろう本題を理解するために必要な予備知識が書かれていました。新たに知ることや新たな視点が多く、読んでいる間ずっと脳が活き活きとして、集中を切らすことなく読み通せました。モヤモヤと自分なりに考えていたことが、読みながら整理されスッキリしていく感じがしました。
いくつか意味を知らない用語が出てきて、その都度Google検索をしながら読みました。また、「可謬」と「不可謬」という慣れない言葉が頻出し、その度に止まって意味を考える時間を少し要しましたが、読み進めるうちにだんだん慣れてきて瞬時に理解できるようになりました。脳が活性化しているうちに、そして上巻で得た知識や考えたことを忘れないうちに、すぐに下巻を読みたいと思います。 -
Posted by ブクログ
情報は物事を結びつけるものである。
情報の複雑な見方では、情報は真実と秩序を作り出し、それぞれが力を持つが、真実だけが知恵を創造する。
人類の情報との関わり合いはこの真実と秩序のバランスをとることの歴史ともいえる。
不可謬の幻想を保った全体主義の悲惨な歴史を概観するが、かと言って民主主義を礼賛するのではなく、どちらもそれぞれの問題を潜在的にはらんでいることを説く。
下巻では人間のものとは異質の知能「エイリアンインテリジェンス」がもたらすものについて可能性を探る。
(本書での「官僚制」って言葉はもっといい日本語の訳があったんじゃないか?) -
Posted by ブクログ
日本縮約版の方を読んだ。
最初はちょっと合わないかもと感じた。まずは死んだら終わりという定義から始まっているのだ。潔いというか、まったく死後の世界を俎上に載せない前提から始まる。真宗で往生とか考えている自分としては、そうだなそれが科学的な視点かもということで改めて自分が宗教的環境にいるということを思い知らされる。
この方は外国人で哲学者で、生きる意味について語られた時に、それはやっぱり名を成した人が言うことであって、名もなき一般人にはそんな生き方できねーよみたいなところもあり、そこはもやっとした。
結果としてはとてもいい読書経験だった。死ぬということは、自分にとっていいことかということを突き詰めていったら、死んだ自分がどうこう思うことがないからそういう問題ではないということが自分に明らかになった。それではなにが自分にとって死がポジティブではないのかというと、死に至る瞬間、ものすごく痛いのではないかという恐怖がある。死んだら自分がなくなるということよりもそっちの方が自分にとっては恐怖だなというのを感じた。ということは、思いもよらない事故や災害、戦争などで身体が傷つけられることの恐怖が一番恐ろしく、次いでは病気かな。病の痛みは今ではだいぶん配慮されるようになっているので、ガンガン痛み止め使ってくださいという方針をお願いすれば自分の恐怖の元は解決されるのではなかろうか。と思うとちょっと気が楽になった(気がする)。
などということを本気で考える時間を作れるということでこの本はすごくいいと思った。
一回、自分が死ぬということを、あらゆるシチュエーション(自殺も含めて)真剣に考えてみることで自己分析ができるのではないだろうか。 -
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ネタバレうちも機能不全家庭で私が不調になって大変な思いしたので、傷が疼いた。ここまで酷くないけど。
長男がおかしくなってしまった理由はなんとなくわかるような…おかしくなって苦しんでるのは辛かった。親のせいだよこれは。
昔とはいえ大金持ちでもないのに12人も子供をもうけるのはもうその時点で酷い。この場合は違うみたいだけど、今だったら多産DVを疑う案件。
姉妹が公表したがった気持ちもわかる。
同じ境遇だった姉妹の家族への関わり方が違うけど、私は姉と同じ。自分の平穏を守るために親とは距離を置いている。接すると精神状態が崩れる。もう二度と人生を壊されたくない。 -
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映画「悪は存在しない」の主人公のセリフをずっと思い出していた。すべてはバランス次第だというセリフ。漫画「チ。」の理不尽も。真実/秩序、科学/宗教、革新/保守、すべてそれぞれに正義があるんだよな、それがどれだけ醜悪に見えても。
誰もが、何もかもを、AIに聞ける今日において、バランスをとってくれるものは一体なんなんだろう。
メモ
・情報ネットワークは、真実と秩序のバランスを取ろうとする綱渡り
・情報テクノロジーの速度と効率を増すだけでは世の中は必ずしもより良い場所にはならない
・社会を一つにまとめている高貴な嘘
・秩序は虚構を通していた方が維持しやすい
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Posted by ブクログ
【概要】
「死」を題材に哲学する本。
初見ではわかりにくい概念・考え方も身近な例や思考実験を使って解説してくれるので、哲学に親しみがない読者にも優しい。
本書の前半では「死とは何か」「『私が死ぬ』とはどういうことか」を考えるために、「『私』とは何か」と「『死』とは何か」について徹底的に検証を重ねていく。
後半では、前半での結論を前提として「死は悪いのか」「悪いとして、どのような場合に悪いのか」「自殺は悪いのか」といった内容について考察を重ねていく。
【感想】
科学的な書籍ではなく、徹頭徹尾哲学的な本。
上述のように、著者の思考の道筋が入念に文章にしたためられているため、哲学的な考え方の入門書としても良書であるように感じた。
説明が丁寧な分、文章量は多いが難解な文章ではないので読みにくくはない。
一方で、本書で結論づけられている「シェリー先生の見解」については全面的に同意できるかというとそこは少し微妙な面があった。
理由として、以下のような展開がいくつか見られた点が挙げられる。
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1. 「結局重要なのは○○は××であるかという点である」とことん深くまで追求する
2. 「正直、それはわからない。私は○○だと思うし、読者の多くもそうだと思う」といった形での結論づけをサラッとしてしまう
3. それを前提に後続の議論を続ける
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ただ、現実的には、どこかのタイミングでこういった「感想」に依拠してしまうのは避けられないことだとは思うし、それを明示的に述べているのでやはり本書は哲学の本として良書だと感じている。
本書を読んでいると、「哲学をするのは時間と精神力を使う、贅沢な趣味なんだなぁ...」と感じた。
忙しなく活動する現代人としては新鮮な時間だった。
時間に余裕のある時に読んでみるのが良いかもしれない。 -
Posted by ブクログ
●学びと感想(上下巻)
Nexus=繋がりは、情報は人々を結びつける物語であって、物語なのだから全てが真実とは限らない。有害なものがある。真実は不快、不穏、複雑で広まりにくく、広がりにくい。単純なもの、わかりやすいものであれば、真実でなくても広がりやすい。むしろ有害なものこそ人々を結びつけやすいかもしれない。
AIの進化は凄まじい。個人レベルでも便利に使っている一方、怖さも同時に感じるため、頼りすぎたり、色んな意味で思考停止になって支配されたりしないよう、常に気をつけていないといけない。このような状態を世界に当てはめて考える。
* 世界は、米国・中国などを中心とする異なるデジタル圏に分裂し、「シリコンのカーテン」(デジタル上の境界)が下りる可能性がある。同じ人類なのに、共有する現実そのものがなくなる可能性。
→共通の「スター」が現在居なくなりつつあることを思い出した
* 強国が他国のデータを吸い上げる「データ植民地主義」も起こりうる。
* 国ごとに異なるAIと情報空間が形成されれば、人類は同じ現実を共有できなくなり、身体や文化のあり方まで分断される可能性がある。
* 技術の行方は必然ではなく、どのような制度・規則・価値観を組み込むかという人間の選択に左右される。
* AI開発では、速さだけを競わず、失敗を発見して修正できる速度に抑える必要がある。
* 民主主義を守る鍵は、情報を完全に自由にすることではなく、権力を分散し、誤りを認め、修正できる制度を維持すること。
* 人類最大の問題は「情報不足」ではない。強力な情報ネットワークを作りながら、それを賢く制御できていないことにある
●本概要
『サピエンス全史』を超える衝撃――
知の巨人、6年ぶりの書き下ろし超大作
「ネクサス」(NEXUS)とは?
――「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などの意
人間ならざる知能を前に
人間の「絆」(ネットワーク)を守れるか?
AIの真の新しさとは何か?
それは、自ら決定を下したり、新しい考えを生み出したりすることができるようになった史上初のテクノロジーだという点にある。
私たちは、ついに「人間のものとは異質の知能」(エイリアン・インテリジェンス)と対峙することになったのだ。
*
憎悪の拡散、常時オンの監視、ブラックボックスの中で下される決定……。
AIが社会の分断を加速させ、ついには全人類から力を奪い、人間と人間以外という究極の分断を生み出すのを防ぐことはできるのか?
*
今こそ、過去の歴史に学ぶときだ――
古代ローマの政争や、近世の魔女狩り、ナポレオンの生涯などから得られる教訓を通じて、知の巨人が「AI革命」の射程を明らかにする。
情報により発展を遂げた人類は、情報により没落する宿命なのか。本書のAI論は、混迷する世界で民主主義を守るための羅針盤になるだろう。
――斎藤幸平氏(経済思想家・『人新世の「資本論」』著者)
その深い洞察は、私たちが著書『PLURALITY』で提唱する多元的な共創の原理とも響き合い、進化するデジタル時代で人々を導く羅針盤となる。
――オードリー・タン氏(台湾・初代デジタル発展相)