柴田裕之のレビュー一覧

  • ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来

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    ネタバレ

    21世紀の人類はどこへ向かうのかを考察した本の下巻。

    著者が予測している世界では人の感情や思考による判断は膨大なデータのアルゴリズムに置き換えられて出番がなくなるとされている。

    アニメのサイコパスの世界観とかなり近い感じがした。

    ただし、著者は本当にこうなるのだろうか?と疑問を投げかけて本書を締め括っている。
    自分なりの予測を立てて、それを確かめるように過ごしてみるのも楽しそう。

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    2024年10月15日
  • ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来

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    今までの人類史の間、ずっと苦しめられてきた3大死因である飢餓、感染症、戦争を全て克服した人類は、21世紀以降どこへ向かうのかを考察ている本。

    これから自分は何を学び、何を考え、何をしていこうかを俯瞰して考えるのにとても役に立ちました。

    SFの世界ががいよいよ現実味を帯びてくるかもしれないと感じさせられて、読み物としてもとても面白いですよ。

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    2024年10月15日
  • 格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか

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    ー 人類の旅は、魅惑的なエピソードに富んでいる。ディテールの大海原に漂い、波にもまれていると、水面下の強力な流れはつい見過ごしてしまう。本書の第1部では、これらの底流、つまり技術の進歩と人口の規模や構成との相互作用に焦点を当ててきた。こうした力が人類の発展―脳の進化、農業革命と産業革命という二つの重大な革命、人的資本への投資の増加と人口転換など、私たちを地球上でもっとも有力な種にした主な出来事にどんな貢献をしたかを把握せずに人類の歴史を理解するのは、事実上不可能だ。

    これらの底流はすべてを統合する概念の枠組みを提供し、人類の旅を理解する明確な軸を与えてくれる。それがなければ、人類の発展の歴史は単に事実を年代順に羅列した一覧になってしまい、文明が栄えては滅ぶことを繰り返す不可解な光景が広がるばかりだろう。

    そうは言うものの、生活水準はどこでも同じように改善したわけでもなければ、向上の速さが一つに決まっていたわけでもない。それどころか、現代の人類の状況は、世界の人々の生活水準が主として出生地に左右されるという点で過去に例を見ない。現代の国家や地域のあいだに存在する貧富の巨大な差の根本原因は、何なのだろう? 人間の社会はみな、それぞれ発生した場所の歴史と地理の制約を受け続けざるを得ないのか? 現在の格差は、おおむね起こるべくして起こったのか、あるいは偶然だったのか? 深く根づいた制度や文化や社会の特性は、国家間の豊かさの相違が生まれる過程で、どのような役割を果たしたのだろうか? ー

    「歴史の準自然実験」の論証の正当性は詳しくは学んでいないので分からないが、第一部の“何が成長をもたらしたのか”、は刺激的で面白かった。
    第二部の“なぜ格差が生じたのか”、はうまくはぐらかされている感じがした。何故かはここでは議論しないが、未来志向、教育、技術革新、男女平等、多元主義、ダイバーシティが普遍的な繁栄のカギ、というのが結論のようだ。

    ん〜、結論の前までは良かったのに、結論の後に、未来は明るい、気候変動も何とかなる、我々は解決出来る、と結ばれると、急に胡散臭くなる。
    これは彼のマルサスへの評価と同じで、過去はうまく説明出来たが、未来予想はイケてなかった、と同じような気がした。

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    2024年10月01日
  • レジリエンスの時代 再野生化する地球で、人類が生き抜くための大転換(集英社シリーズ・コモン)

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    経済学者による資本主義的な「進歩の時代」から民主主義的な「レジリエンスの時代」への転換の必然性が書かれた本。

    前半は科学的な記載が多く、生物学的・化学的・物理的な原理や過去の発明に基づきながら、現代社会の変化やそれに伴う警鐘を鳴らしている。
    あくまでも個人の感想だが、あまりこの辺りは頭に入って来ず、経済社会を科学的に捉えるという新鮮さや合理性は強く感じたが、それを自分の論として取り入れるほど解釈することができなかった。

    後半は、そういった時代背景も含めて、どのような社会がレジリエンスが高い社会なのかを具体的に述べている。
    ・クリーンエネルギーやIoTなどの発展、またそれに伴う監視と分散が実現する非中央集権的なインフラの構築
    ・自然災害などの身近に感じやすく、そこから生まれる生命地域主導のバイオリージョンに基づく統治形態及び生命愛に基づくバイオフィリア
    ・代議制民主正義の発展系である、ピア議会・ピア政治。より地域住民や市民が合議的な議論や権限を持って、行政を運営/意見していくような状態

    これらの具体的な将来像が非常にわかりやすく、実現性の高い論旨になっていることに非常に感動した。

    時代の変化とそれに応じて何が求められるかという点を哲学や宗教のみならず、科学や社会学などの観点からも論じている部分が刺激的であった。

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    2024年09月29日
  • 格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか

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    【感想】
    世界には途方もない格差が存在している。アメリカの一人あたりGDP(2020年)は63,028ドルである一方で、アフリカ諸国の一人あたりGDPは、サハラ以南の国家全体を足しても、1,502ドルしかない。一方、国家間だけでなく一国内でも格差は深刻であり、アメリカでは上位1%の超富裕層が総資産の30%を握り、上位10%が全体の70%を握っている。
    格差は年を追うごとにどんどん拡大していっているのだが、しかしそもそも、格差が出現する発端となったのはどういう事象だったのか?欧米とアフリカの間に格差があるのは今に始まった話ではないが、何故数世紀も昔から経済状況に優劣があったのか?そうした疑問を紐解くのが、本書『格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか』である。成長の謎と格差の謎に取り組み、それぞれの社会が異なる発展の道筋をたどった理由や、国家間の生活水準の差が途方もなく広がった理由を考察する一冊となっている。

    まず本書は「成長は何故生まれたか」について論じる。ホモ・サピエンスの誕生から農耕社会の出現、それにつづく国家の誕生といった、「人類史の始まり」からヒトの経済活動を振り返っていく。なぜ数ある動物のうち人間だけが成長の軌道に乗れたのかというと、「適応力」があったからだ。脳の進化によって、適応力が向上し、新たな技術を開発したりする能力が高まり、それがさらに適応力を高めた。適応力の向上→技術の開発→その技術への適応という循環こそが、人間を成長の軌道に載せてくれた梃子であった。

    だがしかし、いくら技術が進歩しても、人々の物質的豊かさを長期にわたって大きく向上させることはできなかった。なぜなら、人類は「貧困の罠」に捕らえられていたからだ。(※本書で定義されている「貧困の罠」とは、マルサスの人口論のことであるため注意。)技術の進歩とそれに伴う資源の増大はきまって人口の増加を招き、進歩の成果を次第に多くの人間が分けあう羽目になる。技術革新は数世代のあいだは経済の繁栄を促したが、結局は人口増によって人々の暮らしは貧しくなり、生存水準に引き戻された。

    例えば、ジャガイモがアイルランドに広く普及した時代のこと。ジャガイモが南アメリカから導入されたあと、1600年には約140万人だったアイルランドの人口は、1841年には820万人にまで膨れ上がったが、暮らしは生存水準に近いままだった。それどころか、状況は以前よりも悪化することになる。
    ジャガイモはアイルランドの土壌と気候にとりわけ適しており、農民の収入は短期的には増加し、時には新たに家畜を買う余裕さえできた。ジャガイモを栽培し始めた当時の農民は、カロリー摂取量も生活の質も大幅に上昇した。しかし、ジャガイモに疫病菌が広がり、アイルランド大飢饉が発生すると、主に貧しい農村地帯で100万人もの死者が出て、100万人を超える人がグレートブリテン島や北アメリカに移住した。こうして3世紀のあいだに、優れた作物の導入とその後の大惨事は人口の増加とそれに続く大激減を引き起こしたが、長期的に見れば、生活水準にはほとんど影響が出なかったという。

    ただしそれでも水面下では、着実に変化が起こっていた。人類の歴史の大きな歯車――技術の進歩と人口の規模・構成との相互作用――は最初から回り続けていたのだ。そしてついに18世紀後半に、産業革命という技術の爆発的進歩を引き起こした。それから100年後、技術革新の加速と、それによる技術環境の変化に対応できる、教育を受けた労働者の需要の高まりは、平均寿命の延びや児童労働の減少、男女の賃金格差の縮小と相まって人口転換を引き起こし、経済成長を人口増加の相殺効果から解放したというわけだ。

    そうして人類は、産業革命の力により人口増加を超える豊かさを手にしたわけだが、この転換が速やかに行われた地域もあれば、そうでない地域もあった。これが現在における「格差」として残っているわけだが、いったい両者のどこに違いがあったのか?

    それは、制度、文化、地理、多様性といった諸要素のせいである。

    例えば文化の違いについて、現在、イタリア南部の一人当たりの所得は、北部のわずか3分の2程度である。イタリアは1871年以来、法律的にも経済的にも単一の国であるにもかかわらずだ。
    この格差について、アメリカで公共政策を研究していたロバート・パットナムは、原因を「文化の違い」に見出した。今から1000年前、イタリア南部はノルマン人の君主たちの統治下にあり、封建的な経済体制が敷かれていた。一方、北部の都市は神聖ローマ帝国のくびきを打ち捨てて以来、ある程度の自由を享受しており、より民主的な制度を発達させた。したがって、北イタリアの市民は昔から政治に積極的に参加し、社会活動にも貢献し、まわりの人をかなり信頼してきたが、南イタリアの人々は強固な階層構造をとる政治制度の中で限られた発言権しかもてないことに徐々に慣れてしまった。パットナムによれば、こうしてイタリアの北部では民主主義につながる文化が育まれたのに対し、南部の多くの地域は古い封建的な秩序の名残をとどめる制度を維持し、マフィアに牛耳られるようになったという。
    パットナムは、民主主義を育む重要な材料は「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)=市民を政治に参加させる文化的特性」だ、と主張している。北イタリアはこの文化的特性によって、市民活動に熱心で、投票率が高く、投資率も高く、経済が繁栄している。こうした格差が文化的特性に現れて長期にわたって持続した結果、現在の社会や政治の展開に影響を与えているのだ。
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    以上が本書のまとめである。
    読んだ感想だが、格差の論じ方が系統立っていて分かりやすく、かつ非常に面白い。人々が豊かになった理由を原始時代→農耕社会時代→暗黒時代→産業革命時代→現在と時系列順に追っているのだが、国家間に格差が生まれた理由は逆に、現代→植民地時代→古代→原始時代と遡って論じており、2つの対比が明確になるように示されている。内容としてはダロン・アセモグルの『国家はなぜ衰退するのか』『技術革新と不平等の1000年史』やスティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』、ジャレド・ダイアモンドの各書と結構被る内容があるため、これらを読んでいれば目新しさは無いかもしれない。ただ、人類史と並行して経済問題のルーツを解き直した、という意味では非常に優れた一冊と言える。ぜひおすすめだ。
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    【まとめ】
    0 まえがき
    今から数百年前、大半の人の暮らしは、その子孫である現代人の暮らしよりもむしろ、何千年も前の遠い祖先やその当時世界各地にいた人類の大半の暮らしに近かった。ところが、19世紀初頭以降、平均寿命は2倍以上に延び、1人当たりの生活所得はもっとも発展を遂げた地域では20倍に、世界全体では14倍に急上昇した。

    不思議なことに、ここ2世紀ほどで社会が急激に繁栄に向かったとき、その繁栄は世界の一部にとどまった。そのせいで、人類に特有の大きな変化がもう一つ起きた。社会のあいだで著しい格差が生じたのだ。この現象は主に、停滞の時代からの脱出時期に地域差があったためだと考えられるかもしれない。西ヨーロッパ諸国と、そこから派生した北アメリカやオセアニアの国の一部では、早くも19世紀に生活水準が飛躍的に向上した。一方、アジア、アフリカ、ラテンアメリカのほとんどの地域では20世紀後半になってようやく向上が見られた。一部の地域でほかよりも早くこの変化が起きたのは、なぜなのだろうか?


    1 成長のはじまり~生活水準停滞期
    全てのきっかけは、ホモ・サピエンスが脳の進化によって、居住地の変化や新たな道具に適応できるようになったことだ。適応力の向上によって、環境をうまく操ったり新たな技術を開発したりする能力を高めた。適応力の向上→技術の開発→その技術への適応という循環こそが、成長の引き金である。

    また、都市の出現も、技術の進歩によって促されるとともに、技術のいっそうの進歩を促した。技術革新の突然の加速によって動植物の飼育や栽培がさらに進み、耕作や貯蔵、情報の伝達、運搬の方法が向上した。農業革命も同様に、人類の生活様式や道具を大きく変え、その過程で新たな環境への生物学的適応を促したのだ。

    しかし、知識と技術のこうした大きな進歩があったにもかかわらず、寿命、生活の質、物質的な快適さや繁栄の程度という物差しで計った場合の人類の生活水準は、なんとも不思議なことに、ほぼ停滞したままだった。それは「貧困の罠」のせいである。
    ここで言う「貧困の罠」とは、マルサスの人口論のことだ。人類がどれだけ食糧の生産性を上げても、結局その成果は人口の増加によって帳消しになるため、長期的には豊かになれないという説である。
    事実、産業革命以前の時代は、技術水準の基準が高い地域ほど人口密度も高かったが、一人あたりの所得への影響はごくわずかだった。新たな作物や技術が導入されたとしても、それはすぐ人口増加率を上げるので、経済の繁栄にはつながりにくかった。一方、長期的には飢饉や病気や戦争を通して人口が減少するため、人口増加を原因とする長期的な経済の荒廃は、最終的には回避された。こうして、繁栄と荒廃の合間で停滞する「経済の氷河期」が、いやおうなく続いたのだった。


    2 水面下で回る歯車
    だがついに、人類は繁栄と荒廃の均衡を破り、持続的経済成長へと相転移した。マルサス時代のあいだ中、休むことなく回り続け、ついには過去2世紀に生活水準の劇的な変容を引き起こした謎の歯車とは、いったい何なのだろう?

    ●人口規模
    工業化初期の19世紀初頭には、人類は10億人を突破する寸前だった。実は人口規模と技術の変化は相互関係にあり、人口が増加するにつれて、新たな製品や道具や手法とそれらを考案できる優れた人材の需要と供給は高まる傾向にあった。さらに、大規模な社会では専門化の進展と専門技術の発達や、交易を通じたアイデア交換の増進のおかげで、新たな技術の普及と浸透がいっそう加速した。この自己強化型の好循環は、まさに人類の出現とともに始まり、以来ずっと続いている。

    ●人口構成
    風土病に対する自然免疫や感染症に対する抵抗性などの「身体的に有利な変化」、また模倣、教育、人的資本への投資といった「文化的に有利な変化」が起こることで、人口構成の大部分が、技術の変化を加速させる特性を持った人間たちへと移っていった。


    3 産業革命と成長爆発
    歯車の力、そして産業革命によって、ついに人間社会に劇的な変化が訪れた。平均寿命が大幅に伸び、乳幼児死亡率が急落した。このとき起こっていたのが、有史以来類例のない、技術の進歩の驚異的な加速だった。蒸気機関に代表される工業技術、陸・海・空の輸送、通信、化学、農業、軍事、金融……。人類の活動の事実上すべての分野が、この技術革新の時代にすっかり変容したのだ。そして教育の対象が一般市民にまで広がることで、技術と文化のさらなる変化に拍車がかかった。(工業化が進展するにつれ、読み書きのできない労働者よりも技能を持つ労働者の需要が大幅に高まった。)15世紀後半に印刷機を導入した都市は主に転入によってよそよりも人口が増加し、学問や文学の中心地となり、識字能力は立派な市民が身につけるべき高尚な素養として、またそれ自体がもつ価値からも、さらに普及した。

    産業革命の闇の部分として知られているのは「児童労働」だが、実が世間で思われているのとは裏腹に、児童労働は産業革命期の新たな現象でもなければ工業化にとって重要な要因でもなかった。そして、児童労働が根絶されたのは、じつはそれを禁止する法律が制定されたからではなかった。
    児童労働は、歴史を通して人間社会と切り離しようのない要素だった。生き延びるのが精いっぱいの厳しい生活の中で、幼い子どもはやむなく家事と農業の両方の過酷な労働を担わされてきた。そして、産業革命が起きたときにはすでに、児童労働の広まりは未曽有の規模に達していた。
    しかし、工業化の過程で技術が急速に進歩し、教育を受けた労働者の需要が高まるにつれ、親と産業資本家のどちらにとっても、児童労働の収益性は2つの形で次第に減少した。まず、新たな機械の出現によって、それまで子どもにも可能だった単純作業が自動化され、子どもの相対的な生産性が下がり、その結果、親と子の収入獲得能力の差が広がって、児童労働から親が受ける恩恵が減った。また、生産過程での人的資本の重要性が増したため、親が子どもの時間とエネルギーを労働にではなく教育に向けさせるようになるとともに、労働者に適切な技能を身につけさせることに熱心な産業資本家が、児童労働を制限する法律を――そして最終的には児童労働を禁止する法律を――支持するようになったのだ。

    技術革新の驚異的な加速、大衆教育の登場、児童労働の撤廃という3つの重要な点で、産業革命はまさに進歩の時代だった。
    とは言うものの、相転移とマルサスの罠からの脱出をもたらしたのは、これらの要因が女性や家庭や出産に及ぼした影響だった。

    19世紀後半~20世紀には、西ヨーロッパ諸国、アメリカで出生率が30〜50%低下し、人口転換が起こった。技術の進歩が人口の増加を追い越し、生活水準の長期的な向上につながり、停滞の時代は終わりを告げた。
    人口転換の引き金となった要因はいくつかある。1つ目が子どもの「質と量のトレードオフ」だ。親の所得が伸び、人数ではなく「質」を重視した教育投資が増えたのだ。子どもの平均寿命の急上昇と死亡率の低下によって、コストよりもリターンが(=人的資本の利益率が)上昇した。
    2つ目が男女の賃金格差の縮小だ。1820年のアメリカでは、平均的な働く女性の賃金は、男性の賃金の30%にすぎなかった。それが、1890年には46%になり、第二次世界大戦のころには約60%にまで上昇していた。男女の賃金格差の縮小は女性の教育機会の増加と同時に起こり、かつ、出生率の低下をさらに促進した。


    4 工業化の限界
    産業革命期に西洋で起こった生活水準の向上は主に、人的資本の形成と急速な技術の進歩が互いに促進し合った結果だった。当時の技術の進歩は工業化だった。しかし21世紀に入ると、工業のような低技能産業では、人的資本の育成や経済成長は促進されず、むしろ抑制された。
    フランスを例に考えよう。19世紀半ばに急速な工業化と経済成長を経験した地域は1930年代までは相対的に豊かであり続けたが、21世紀初頭には、工業化が遅れていたほかの地域に追い越されていた。製造業に特化した工業中心地では、短期的には地元住民は裕福になれた。だが、工業化が進んだこれらの地域では、基礎教育だけを受けた労働者に工業部門が依存したことが裏目に出て、時とともに高等教育への投資意欲が薄れ、住民の教育面での向上心がさらに抑え込まれた。低技能の工業地域と高技能の工業やサービス業が中心の地域との人的資本形成での格差は、時とともにいっそう広がった。その結果、かつての工業中心地では高水準の教育を必要とする技術の導入が遅れ、低技能の分野に重点を置く傾向がなおさら強まり、衰退が進んだ。

    近年では、ドナルド・トランプ旋風やブレグジットなどの現象に見られるように、世界的に製造業の衰退が進んでいる。新たにバトンを渡されたのは、サービス業や金融業やデジタル技術などの部門だった。


    5 グローバル時代の始まり――植民地と貿易による格差
    現在、世界の地域間には生活水準の巨大な格差が生じている。そうした格差は、人権や市民的自由、社会や政治の安定性、教育の質、平均寿命、収入獲得能力、近年とみに緊迫している暴力紛争の蔓延などの差に表れている。
    ではなぜ、一部の国の人が他の国の住民よりもはるかに多く稼ぐのか?言い換えれば、なぜ一部の国の生産過程は、より優れた技能を持つ労働者やより高度な技術の恩恵を受けているのだろうか?普通なら、成長モデルに従って、先行する先進国と後発の途上国の経済の差は縮まっていくはずであるが、現状そうはなっていない。

    その理由の1つは、過去2世紀の間に起こったグローバル化と植民地化の影響だ。工業化の初期に起きた国際貿易の拡大は、工業国と非工業国の双方の発展に重大な、そして非対称の影響をもたらした。工業国での国際貿易の拡大は、比較的技能の高い労働者を必要とする工業製品の生産への特化を促し、推し進めた。こうして技能をもつ労働者の需要が高まったことで、それらの国では人的資本への投資が強化され、人口転換に拍車がかかり、技術の進歩がさらに促され、そうした製品の生産での比較優位性が増すことになった。
    それとは対照的に、非工業国での国際貿易は、技能をあまり必要としない農産物や原材料の生産への特化を奨励した。こうした部門では教育を受けた労働者への需要があまりないため、人的資本に投資する意欲が抑えられがちで、人口転換も遅れた。それがさらに、低技能の労働者を相対的に増やし、「技能集約型」の製品を生産するうえで比較劣位性をますます強めることになった。
    こうして、工業国では貿易の利益は主に教育の投資に向けられ、それが一人当たりの所得の向上につながったが、非工業国では貿易の利益の大半は多産と人口増加に回されてしまった。そうして2つの国の技術や教育の差がなおさら広がり、格差が拡大した。


    6 植民地時代以前――制度による格差
    では、そもそも植民地時代以前に存在していた不均衡な発展は、どう説明すればいいのか。
    その1つは制度の違いだ。人間社会が大きく複雑になるにつれて、拘束力と強制力のある規範を成文化する必要が生まれた。共通の通貨、財産権の保護、一律に課される法律など、貿易に役立つような制度をやがて発展させた社会のほうが、経済成長をうまく促進でき、人口の規模・構成と技術の進歩との好循環を強化できたことだろう。逆に、貿易や経済に適した制度を整えるのが遅かった社会――専制政治に代表されるような「収奪的制度」の国家――は、後れを取ることになった。

    植民地時代には、地理的な特性や病気の蔓延しやすさや人口密度を反映して、収奪的な制度が形成されて存続する植民地もあれば、もっと包括的な制度が広まる植民地もあった。最近の一連の証拠によれば、重要な交絡因子、とりわけ病気の蔓延しやすさや植民者の人的資本が、確固とした定量的結論を妨げている可能性があるものの、こうした制度がかつての植民地の経済発展に多大な継続的影響を与えたことが窺われる。

    だが、植民地化されなかった社会はどうだったのか?そうした社会の制度の起源は何なのだろう?


    7 制度を支えるもの――文化による格差
    社会に行き渡り、世代から世代へと受け継がれる共通の価値観や規範、信念、嗜好などの文化的特性は、社会の発展の過程にしばしば大きな影響を与えてきた。なかでも、家族の強い絆や個人間の信頼、個人主義、未来志向、人的資本への投資の維持に人々を向かわせたり、逆にそれらから遠ざけたりする文化の側面が、長期にわたる大きな影響を経済に及ぼしてきた。

    文化や規範は、それぞれの社会が独自の生態的地位や歴史的状況に適応した結果生まれる。そのため各共同体で異なるものだが、あるとき、世界のある地域で劇的な転換が起こり、「成長の文化」が生まれることになった。
    文化にまつわる知恵や伝統はそれが生存を助けるからこそ大切にされてきた。そして、そうした知恵や伝統が人々の幸福や健康にどのように貢献しているのかをほとんどの人は深く理解していなかったので、それらの妥当性を疑問視することは進化の観点からは危険だっただろう。
    そのため、歴史上の人間社会のほとんどは、技術や哲学や科学の大きな進歩を伴うような、文化の急激な変化には抵抗してきた。文化は変化を受け入れる代わりに、しばしば古い祖先の思慮分別を重んじ、郷愁と理想主義の混じりあった気持ちで遠い過去を敬った。
    だが、技術の変化がさらに速まり、とうとう保守主義の利点が失われ始めると、昔ながらの知恵に対する敬意は徐々に衰えていった。

    重要なのは、西ヨーロッパの社会が人的資本への投資や男女平等を重んじる文化的特性を取り入れたことだ。それが、人口転換の原動力となり、持続的な成長体制への扉を開くことになる。さらに、それらの社会は個人主義と世俗主義という成長促進型の価値観も、やがて受け入れるようになった。個人主義や世俗主義は、社会にも宗教にさえも縛られず、個人は自分で自分の運命を決める権利をもつべきであるとする考えだ。このような文化の変容は、さらなる技術の進歩につながる政治や経済の制度を樹立するのにも役立った。
    そして、技術や社会の変化が速まるにつれ、これらの新しい文化規範や制度的構造は、なおさら有利なものになり、好循環が始まっていった。


    8 文化や制度の根底――地理と多様性
    では、文化規範や制度的構造の出現を支えたのはなにか。それは地理と多様性だ。
    地理は経済の発展に影響を与えてきた。海や航行可能な河川に近いと、交易や技術の普及に非常に優位だ。事実、内陸国の大半は今でも貧しいままである。また、ヨーロッパのような、多くの国に分かれて国家と言語がモザイクのように入り乱れていた国は、中国のように単一中央集権の国と違って競争が促進されるため、技術革新を行ったり制度を状況に適応させたりする文化の誕生を助けていた。

    地図上の位置関係だけでなく、土壌の特性もまた制度の出現を支えた。土壌が大規模なプランテーション農業に向いていれば、そこには収奪的な制度が生まれがちだった――そして、搾取や奴隷制度を道徳上むりやり正当化し、そうした制度を補強する、人種差別という文化的特性も現れた。作物の栽培で大きな収量が得られる地理的特性は、より未来志向の考え方をする文化的特性の出現につながり、さらにおそらくは、財産権の保護や契約遵守の強制などによってそうした特性を強化する制度を生むことにもなった。地理的特性は文化や制度や生産性の進化を起動させる究極の力の一部なのだ。

    しかし、経済の発展にはまた別の、根本的な力が影響している。それは人間の多様性だ。
    地球上で人間の多様性にばらつきがある原因は、6万~9万年前に、ホモ・サピエンスがアフリカ大陸を出発したからだ。次から次へ移動を繰り返すので、アフリカから遠い場所に移動して定住した人口集団ほど必然的に多様性が下がった。人類がアフリカから遠く離れるほど(ヨーロッパ、アジア、北アメリカ、南アメリカと離れるにつれ)、社会の文化や言語、行動、身体の多様性は低くなったのだ。

    研究によると、異なる民族集団の経済発展に人間の均質性が影響を与えたことが判明している。都市化率やGDP、ないしは紀元前レベルの人口密度の高さなどの指標を測定した結果、均質性が高い国ほど経済発展が遅れていることがわかった。つまり、社会の多様性は実際に、相反する影響を経済の豊かさにもたらしてきたのだ。

    多様性は、社会的な相互作用の中で個人の価値観や信念や嗜好の幅を広げることによって、個人間の信頼を低下させ、社会の結束を弱め、内戦を増やし、公益の提供を非効率化し、そのせいで景気を悪化させてきたことが、調査の結果から窺える。その一方で、社会の多様性の高まりは、経済の発展を促してもきた。技能や問題解決の取り組み方など、個人の特性の幅を広げることによって、専門化が進んだり、革新的な活動でアイデアの「交雑」を後押ししたりし、変わりゆく技術環境に迅速に適応することが可能になるからだ。

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    2024年09月17日
  • 統合失調症の一族 遺伝か、環境か

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    発売されてすぐに一度読み始めたものの一旦挫折。
    が、やはり続きが気になって再開し、今度は読み終えました。
    とにかく印象的だったのは、下の女の子2人の環境のひどさ。自分だったらと思うとかなり気が重くなりました。
    訳者のあとがきにもありますが、事実は小説よりも奇なり。まさにこの言葉が当てはまる話でした。

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    2024年09月15日
  • 統合失調症の一族 遺伝か、環境か

    Posted by ブクログ

    事実に基づくノンフィクション作品。12人の子供のうち、6人が統合失調症である家族を中心に、その生活の過酷さや統合失調症という症状への世界の理解の進みが書かれています。結論として、何かが解決していることはないようですが、この1つの症状について、とても理解が深まりました。
    印象的だったのは、統合失調症がその特性上、創薬においてとても不利であるということ。患者が自信の権利や意見の主張を正確に行えない以上、患者に対する調査や分析が意味をなさないのだと理解しました。
    長くて大変でしたが読んでよかったです。

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    2024年09月07日
  • 「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

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    死に対する考え方が覆された。
    今までは死といえば全く未知の世界で曖昧模糊とした輪郭に漠然と恐怖を感じていたが、地球引いては宇宙での歴史を考えたら自分が生きている時間なんてほんの一瞬にすぎない。
    生まれる前と死んだ後の無の状態こそがデフォルト。

    誰もが経験する死に自分も直面した時、恐怖や後悔がなるべくないように今のうちからやれることはやっておきたいと思った。

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    2024年08月29日
  • 統合失調症の一族 遺伝か、環境か

    Posted by ブクログ

    二次大戦前後から現在に至るまでの家族(子供が12人、うち6人が統合失調症)の物語であり、治療と研究の進歩の話であり、社会や療養施設の話でもある。
    面白かったけど、翻訳がイマイチ。

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    2024年08月25日
  • 統合失調症の一族 遺伝か、環境か

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    ネタバレ

    統合失調症の兄がいます。娘がいつか遺伝発症しないか頭の片隅に不安を抱えています。著書では男子の発症率が高いことを知りました。環境誘発をしないよう親なりに整えながら、発症しないよう見守ろうと思っています。

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    2024年08月25日
  • 「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

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    この本を読むまでは自分の死について全く考えてしませんでした。
    死ぬ事に対して死は悪なのか、、、
    死なないまま生きるのが幸せなのか、、、
    不老不死で生きていくのが幸せなのか、、、
    様々な角度から死について考え
    学ぶことができました。

    死は必ず誰にでも平等に訪れます。
    その時には笑って人生に悔いの無いよう
    死を受け入れ最期を迎えたいです。

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    2024年08月19日
  • それはあくまで偶然です 運と迷信の統計学

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    統計学者である筆者が、カルマや宿命、運命、魔法等、偶然起きた出来事に特別な意味があると思いたい、過度な解釈を加えてしまう人間の性に対し、著書の題名通り、それはあくまで偶然ということを、サプライズな出会い、宝くじ、占星術、超感覚的知覚等様々な身近な例を挙げて、統計的な分析と、運の罠を取り上げることで明らかにしていく。人生の面白みや楽しみは半減してしまうが、ただの偶然である可能性と運の罠を理解した上で、起きた出来事や情報に対する正しい判断ができるようにする為にも、知っておくべき内容だと思う。

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    2024年08月08日
  • 統合失調症の一族 遺伝か、環境か

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    すごい労作。ドンとミミ夫妻の間に生まれた12人の子供達。15年に渡りほぼ連続して出産していることも衝撃だけど、兄達が弟妹達に性的暴行をしていた事実に言葉を失う。半数が統合失調症を発症し、それが遺伝なのか環境なのかと議論されているけど、どちらにしろ生育環境がいかに成長過程で精神の形成に影響を与えるか。こんなにいたらそりゃあ一人一人に目を配って教育なんて不可能。表紙のインパクトがすごい。

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    2024年07月17日
  • 静寂の技法―最良の人生を導く「静けさ」の力

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    外部騒音(物理的な音) 情報騒音(多すぎる情報) 内部騒音(自分の内なる声)

    環境のコントロールももちろん重要

    騒音にただ耳を傾 けると自分の中に静けさが訪れることがある。
    →あるがままを受け入れるとほぼ同じ

    フロー状態や一体感でも静寂は作れる。
    →静寂は没頭と同じ意味とも捉えることができる


    つまり、自分の中でプラスの波とマイナスの波のバランスがうまく取れている状態を作ればいい。
    今の世の中はモノや情報があるれすぎてプラスの波が大きすぎることがほとんどなので、
    静かにできるマイナスの状態を意識的に増やせばバランスが取れることがほとんど。
    →健康に良い食事と同じ考え方。


    何もない「間」を不必要なものと考える必要はない。
    これもマイナスの波長の一種だと考えることができる。

    何もしないは長期的にみるとうまくいく戦略になることがある。
    もっともっとは長期的には危険かもしれない。
    Less is more 少ない方が豊か
    Simple is the best

    GDPはお金に換算できるものの価値(価格)しか表せない指標 
    価格で表せない自分にとっての価値は人によって違うのだから、自分で定義すればいい。

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    2024年06月05日
  • 限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭

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    IoTを中心としたインターネットの発展によって、財やサービスを1ユニット当たり生み出す費用がゼロになる。物質を追求する資本主義社会から、他者との親交を追求する協働型コモンズの社会が到来するという、2015年当時では先進的な主張が展開される。
    限界費用ゼロになるというのは、ケインズが「100年後に人間は労働から開放される」と主張したものの、人間の飽くなき物質的追求欲を見誤ったように極端だとは思うが、先進国のGDP的成長率が低減していく中で、「本当の幸せとは何か」を考える風潮や世代は増えている。テクノロジーの飛躍的進化を享受した後、人類は何のために何を目指すべきかを考えさせられる良著。事例は冗長に感じた。

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    2024年05月21日
  • ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来

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    生物はアルゴリズムで、コンピューターがいずれ私より私自身をよく知るようになるので個人主義は崩壊する。きわめてあり得そうな筋書きだ。自分自身をうまくコントロールできなくて困っているひとはたくさんいる。

    上巻と読む期間が空いたため全体を捉えられていない。また読み返したい。

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    2024年05月02日
  • 静寂の技法―最良の人生を導く「静けさ」の力

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    空白を意味のない会話で埋めてくる人を鬱陶しいと思ったことはないだろうか。質問の答えを考えている間に、重ねて何か言ってくる人にちょっと黙ってほしいと思ったことは。私はある。
    質問の後に訪れる短い沈黙、会話の途中の少考で生じる静寂、本書ではそういう「間」が日本独特の文化として紹介されている。著者はその初感を”文化的な奇行”とまで書いているが、それは自身が育ってきた文化によって条件づけられた”空白を埋めたいという衝動”があるからだと言う。アメリカでは内向型の人はさぞ生きにくいであろう。

    私たちの日常は騒音に溢れている。スマホやSNSの発達で常にオンラインでいることが当たり前になって、少しでも目を離すと何かを見逃したような気持ちになり、レスポンスが遅いとできないやつだと思われる。情報は増えても、それを処理する人間の能力は上がらないと言うのに。
    さらに、騒音は外部に留まらない。”自分自身について自分に対して語るのをやめる”必要がある。

    静寂の見つけ方として、瞑想、運動、自然の中で過ごす、無言の日を作る等々、具体的な方法が紹介されている。もっと簡単にできることは、次の行動に移る前にゆっくりと3回呼吸してみる、コーヒーを淹れる動作を儀式のように集中して優雅にやってみる等、余裕がないときこそ実践してみたいと思う。

    その他、印象に残ったフレーズ
    「早起きの人と夜更かしの人は正反対と思われがちだが、両者はともに、1日のうちの静かな時間帯、外部からの要求がない時間帯の真価を理解している」
    「休息は贅沢だとか特権だとか言うのをやめる」
    「騒音のコストの1つは、人生で何が重要かがよくわからなくなること」
    「静寂の時間を許せば、部屋の奥のほうのおとなしい子どもや、ディナーの食卓のおとなしい子どもも、発言する余地を見つけられます」

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    2024年04月14日
  • ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来

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    サピエンス全史と内容のかぶる部分も多い。だが本書の主張に即して最適化されており、既視感はありつつも別角度から眺めている感じだ。
    未来のことを考えるために過去のことについて入念に分析・考察している。そう、サピエンス全史は「解説」で、これは「分析」や「考察」と表現するのがふさわしい気がする。その分より抽象的で難しい気もするが、著者の他の作品と同様にとてもわかりやすく書かれている。
    下巻も楽しみ

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    2024年04月11日
  • 静寂の技法―最良の人生を導く「静けさ」の力

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    「合間」を上手く使う
    忙しい現代人に必要なのは「静寂」と言う時間と行動・場所、だと言う。33通りの「心の静寂」を説いた心理、実践的な指南書である。ストレスが多い世の中で如何に自分の「静寂」の時を作りより良い人生にするかだが、特に気になったのが、物事に集中した後には「合間」時間をしっかり取り自分を省みることが必要だと言うこと。よく言われる、人間の集中力は15分(15・45・90の法則)に沿うことがいいのかもしれない。その他、外に散歩に出かけ身体を動かし、自然を観て耳を澄ましてみることなどだ。

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    2024年03月06日
  • レジリエンスの時代 再野生化する地球で、人類が生き抜くための大転換(集英社シリーズ・コモン)

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     米国の経済社会理論家リフキン氏が著した話題な「レジリエンスの時代」。地球を人類に適応させる「進歩の時代」から人類が地球に適応し、自然界と共存する「レジリエンスの時代」への移行を提唱する。災害大国な日本では「脆弱性の克服」と捉えられることが多い。しかし、地球を人類に適応させるのでははく、人類を地球に適応させることがレジリエンスであると著者は説く。「自然を知り、経験すると、人はより幸福で健康になると言うことを、大半の証拠が疑いの余地をなく示している」ということには強く共感できる。

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    2024年02月29日