あらすじ
ついに待望の文庫版登場! 世界的ベストセラー『サピエンス全史』に続いて著者が放つ「衝撃の未来」。カズオ・イシグロ、ビル・ゲイツ、ダニエル・カーネマンが絶賛する面白さと深い考察。
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Posted by ブクログ
いつものように著者の知識による比喩がとても分かりやすく理解しやすい。とは言えだいぶ難解でもあるハイカロリー本!
科学が発展を遂げるに従って、人類が自由主義の到来からここ2世紀信じて来た内なる自己が生体アルゴリズムの結果に過ぎないことが明らかになり、ビッグデータによってすべて人間の意思の外の"外部"で決められる事が出来、自己決定すら危うくなる…自由主義の時代を担ってきた人間至上主義が崩壊する…その場合の未来にホモ・サピエンスは消滅する。著者のこの予測は当たるだろうか?この未来が気に入らなければ変えるよう何らかの努力することが必要だ…という内容。
特にこの下巻での、人間の"生きる意味"はない、人が自分の経験から人生に与えようとする意味は虚構に過ぎない…という、著者の合理的な見解は去年からまさにジャーナリングを実行している私に刺さって致命傷笑
でもそうして自分を理解しながら生きていきたいからジャーナリングは続けていきますが!
天文学者や物理学者、それと著者のような哲学者はこれだけ合理的な思考をするので無神論者だったりするがまさにそれで著者はイスラエル出身だがユダヤ教にもキリスト教にもイスラムにも神は死んだと言うし教典を未だめくっているうちは21世紀に出発しようとしているホモ・サピエンスの恐らく進歩の最終列車に乗り遅れるだろうと容赦なく言う。
また何度も出てくる、意識と知性はどちらがより高等なのか?動物と人間では、どちらも意識はあるが人間は知性があるからこの地球上でより優れているのだという考えは、より知性あるコンピュータが生まれた時人間はコンピュータよりも劣等種になるというのか?という疑問、SF小説ではよく読むこのテーマが現実世界で身近になって来た現在、鳥肌が立った。
何がすごいって邦訳のラグもあり私が今読んだというのも有るけどこの本自体は10年近く前に出版されたものなんですよね。
その当時にこれだけの内容を書ける頭脳…!
シンギュラリティにはまだ十数年かかるだろうけどその時人類はどうなっているのか…
Posted by ブクログ
『ホモ・デウス(下)』では、上巻で描かれた「人類が神に近づく未来」の具体的な姿がさらに鮮明に語られます。AIやアルゴリズムが人間を超える存在になるとき、私たちが信じてきた「自由意志」や「個人の尊厳」はどうなるのか――本書はその問いを真正面から突きつけてきます。
特に印象的だったのは、「人間よりもデータが自分を理解する時代が来る」という指摘。好きな映画や恋人さえ、アルゴリズムのほうが自分自身より正確に選び出す未来を想像すると、便利さと同時に強い恐怖を覚えました。
また、宗教や思想を「物語」として捉え直す視点も興味深く、人類は常に物語を信じることで社会を作ってきたのだと改めて気づかされました。
下巻は難解な部分もありますが、「AIの時代を人間はどう生きるのか」という問いは、まさに今の自分たちが直面しているテーマ。未来を考える上で必読の一冊だと思います。
Posted by ブクログ
自由意志など存在せず、人間は単なる有機アルゴリズムであり解明可能というスタンスで科学は突き進む。
そうなのかもしれないけど、意識や心や思考(と呼ばれるもの)がどのように生じるか、完璧なメカニズムはまだまだ解明に時間がかかりそうだし、最後の1ピースが見つからずにやっぱり解明できないのかもしれない。
なんだか、ぜひそうあって欲しい。
でもその反面、データ至上主義の観点で世の中を解説されると妙に腑に落ちるところもある。
データは人間に理解しきれないアルゴリズムの境地にいよいよ到達しているが、このまま我々を押しのけて地球の中心になるのか?
本書では「すべてのモノのインターネット」に接続することでデータ自由化が加速度的に進むことを目指し、すでに我々は走り始めているということだった。でも、もしかしたらインターネットを介さない、我々の認識できない別の次元で、もうすでに我々は接続されているのではないかと妄想した。
人間よりも優れたアルゴリズムが人間よりもはるか昔からその別次元に存在しており、ただひたすらその筋書き通りに、人間は宗教を作ったり遺伝子工学を発展させたりAIを開発してきただけなのかもしれない。
人間内部に解明できないアルゴリズムがあることも、開発途上のAIあるいは外部アルゴリズムのうち、人間が解明できていない部分があることも、いずれも我々よりも高次元のモノの存在を感じさせる。
その場合、その大いなるアルゴリズムこそ、我々が神と呼んできた存在ではないか。
Posted by ブクログ
かなりおもしろかった。
特に人間の人格は本当に分割不可能か、人間に自由意志はあるか、などの項目。テッドチャン「息吹」を彷彿とさせる。
「歴史を学ぶのは過去から解放されるためだ」と言うように、膨大な歴史の知識を元にした人類への眼差しは、まるで宇宙人が人類を研究している本のようにも感じられ、SF的な感覚があった。
Posted by ブクログ
稀にみる大作を今読み終えた。
ホモ•サピエンスからホモ•デウスへの道。
情報生物としてのヒトの管理。
アルゴリズムによる予測。人間は至高の存在になる。
Posted by ブクログ
過去の事実や科学の発展に伴ってわかった様々なことから人間至上主義を超え、データ至上主義に至ろうとしていることを説く。
自分はウェアラフデバイスで睡眠や活動を計測し、多くのコミュニケーションをチャットツールで行い、こうして読書の記録もデータという形にしている。
それらデータと自分の人生の意味みたいなものとの間を埋めるものはなんだろうか。
こういうのは悩みになる。最近は悩むぐらいなら行動しろと言われるけれども行動しても少なくとも短期的には結局納得感には辿り着けない。
Posted by ブクログ
上巻を読み終えるのにかなり苦労したのですが、下巻は文庫を買って肌身離さず携帯していたので意外に早く読み終えることができました。
やはりかなり難しかったですが、一応、著者の主張を理解しながら結論に到達することができました。
以下ネタバレなので注意して下さい↓
上巻のレビューにも書いたとおり、下巻では「人間至上主義」にとって変わるものは何かを予想する、ってことになってたので、何が出てくるん!?と期待して読みました。な、な、な、なんと、本書での説によると・・・
科学が進歩すると、人間も他の生き物も、ただの「アルゴリズム」にすぎないことが分かってしまう。最終的には一部の人間が力を手に入れて、多くの人間は失業者ですらなく、「無用者」になってしまう。意識と知能が切り離され、知能はAIが人間の脳に接続され、超人が誕生する。地球上の人間やありとあらゆるモノのデータがすべてつながり、人間はデータ処理するためのツールでしかなくなる、鶏より人間が勝っているのは、ただ単に鶏より人間の方が複雑なデータを処理することができるからだ。今や人類は、常にwebにアクセスしてその経験や意識を「共有」しないと価値がない状態になっており、あなたがどんなに素晴らしい経験をしても、それをデータとして保存し、SNSにアップロードし、公開し、いいねをもらわないと価値がないとされる。
↑読んでいるうちに不安になってくるがもちろん極論で、最後は「本当にそうなのかよく考えろ」的なことも書かれているので良かった。
今回も、ところどころ日本の政治の例も差し挟まれていて興味深かった。また、「訳者あとがき」が素晴らしくわかりやすかった。
Posted by ブクログ
歴史を学ぶことの大切さが身に沁みました。
歴史を学ぶのは未来を予測するためではなく、未来の選択肢を増やすため。
選択肢が増えたところで最善の未来を選択できるわけではないけれど、少なくとも繰り返す過去の呪縛からは逃れ、今よりちょびっとでも自由になれる。
昔から”自由”という言葉に憧れてきた僕には、未来の為に過去を知るという、単純だけれどとても大切なことを再確認させてくれた良書です。
Posted by ブクログ
テクノロジーの進化によって手に入れた新しい力は、自分たちを至高の存在と思い込んでいる人類をどう変えるかの考察…
ある一握りの人間が圧倒的な力を手に入れた神となり、無用階級の人間が増えていくというのは、今のプラットフォーマーが絶大なパワーを持つこの世界の果てにある世界なのかもしれない。
Posted by ブクログ
文庫本が出たので再読しました。サピエンス全史に比べると、妙に説明が長くわかり辛いと思っていたのですが、考えてみれば過去の歴史の場合の説明とまだ起こっていない未来についての説明ではその困難さが大きく違うのは当たり前です。未来のことは誰もわからないので、未来予測はほとんど当たることはありません。
でもこの本の秀逸なところは、サピエンスの行く末についてその根源的な方向性について語っているところです。きっとハラリは、この本を書くために、「サピエンス全史」を書いたんじゃないかと思うのです。
というのも、現在我々は自由主義という経済体制と民主主義という政治体制の下で生活をしていますが、それぞれの体制が予定している個人というのは、森羅万象についてきちんとその意味を理解できて適正な判断ができるという個人です。ところが現代人は森羅万象どころかどんな社会を目指すべきだとか、何が正義であるかはもちろんのこと自分自身についても全く理解できていません。
そして科学的には「生き物はアルゴリズムである」そして「生命はデータ処理である」という前提に立てば、サピエンスより高度な知能を持ち、圧倒的に優れたデータ処理のできるアルゴリズムにその判断を委ねる事になることは当然のことなのだと言えます。
考えてみれば私たちが今後目指すことは、健康、幸福、長生きなのですが、これを実現するために我々は多くのデータをアルゴリズムに供給する事になり、そして誰もそのアルゴリズムを理解できないままそのアルゴリズムの判断を尊重するようになっていくのは当然だと言えます。
その行き着くところは新しい神への従属かもしれません。
現代人はこの事を理解しておく必要があります。
Posted by ブクログ
(上下巻まとめて)
サピエンス全史で、ヒトは物語を創造しこれを基盤に大勢が協力することができたから他の動物の上に君臨できた、という著者の考え方のベースはだいたいつかめていたので、スムーズに読み始めた。
「全史」の上に積み重ねるようにして展開する未来予測。知能と意識を分けて考え、生命はアルゴリズムか?と問う。私たちが普段考えている「感情」が脳の働きから来ることを考え、自由意思はあるのか?と問題提起。欲望や選択という行為は自由だ、と考えたいが、その欲望自体が遺伝子コードを反映していると解釈しないと、ダーウィン流の”自然選択”の出番がなくなる、と説明する。なるほど、だとすれば、生命はアルゴリズムだ、というテーゼに限りなく近づいていく。
人間至上主義からデータ至上主義へ、という流れを合わせて考え、このアルゴリズムの外部化というか、データ共有を重視する主義、世界の分析はなかなか面白かった。自分しか読まない従来の日記に意味はなく、経験は共有されなければ無価値だ、と。旅先で珍しいものを見た時、自分はどう感じるか?と問うのではなく、この経験を大量のデータフローにつなげることが重要。データ至上主義の世界では、データフローを妨げることが最大の罪になる。死とは、情報が流れない状態だ。
ああ、これはすでに我々が住んでいる世界の話だと改めて気づかされ、本書の未来予測がより説得力を持つ。
Posted by ブクログ
流石のハラリ先生。
最終章のデータ教の理解は深い。
自由主義と社会主義で勝った理由も、どちらが素晴らしい概念とかではなく、データ処理が早かったから。
人間が霊長なのも、動物よりもデータ処理アルゴリズムが的確で、フローが多かったから。
理解として、分かりやすくて面白い。
なら、AI全盛期の今、人間ってデータ処理スピード遅いし、要らないですよね?という結論になるのは至極真っ当で。
それに対する別の見立てというかオチも良い。
かなり面白かった。
Posted by ブクログ
人類に対して警告を与えているようであり、多少の恐怖も感じた。特に、生き物はアルゴリズムであり、予言ではなく可能性として論じているところに背筋を冷たくさせる。自分自身を含めた生き物をたとえ比喩でもアルゴリズムと思ったことなどなく、それが現実の可能性として描かれている点が恐怖でもあり、自分はどう生きていくべきかと本気で考えさせられる。
以下、印象的な一文。
「自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップデートしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない。」
Posted by ブクログ
前著「サピエンス全史」に続き、現代最大の知性によるとてつもない想像力と構想力、思想は圧倒的。
科学革命により人類が強大な力を得た結果、人間至上主義、自由市場資本主義が世界を支配し、人類が神となり人間の中にこそ神聖な価値の源泉があるとされるようになった。そして現在、世界はデータ至上主義に飲み込まれつつある。そこでは最終的に人間は単なるデータチップとなり、人間性の価値は溶けてなくなるという。実際自分もスマホやgoogleに頼り切きった生活を送っているのに気づいて心底ゾッとする。将来、意思のないネットワークシステムに人間が完全に支配、制御されるということは考えにくいけれども、大変気味の悪い未来になるだろうことは当たり前に想像できる。
上巻の序文と同じように最後にも「本書で概説した筋書きは、みな予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性の中に気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい」とある。
本著が世に出た後にコロナ禍、ウクライナへの軍事侵攻は始まった。イデオロギー、テクノロジー両面で現代が歴史の転換点にあることは間違いなく、人類はこれから幾多の重大な選択に迫られる。そのような時代に本著は一人でも多くの人に読まれるべきでる。
Posted by ブクログ
歴史パートに関しては、面白く読めた。ジャレドダイアモンド的な壮大なお話。
後半、知能と意識を分けて考えるということ、テクノロジーに意識はないはずと言い切れないこと、が1番考えさせられたポイント。
テクノロジーの波が脅威と感じていたけれど、キリスト教、資本主義、データ教と歴史が移り変わってきたので、ある意味時間の流れの中で少しずつ変わっていくことだから、流れに身を任せるしかないという気持ちになることもできた。※著者は問題提起しているので、読後そんな受け身な気持ちになってほしいとは思っていないかもしれないが…
Posted by ブクログ
ちょっと具体例というか個々のトピックに文章さき過ぎではあったので、知ってる、あるいはここは丁寧に説明されなくてもまぁわかるって所はサクサク読むくらいのつもりで。現実見てると書いてる事薄っすら当たってきてるように見える一方で、ある程度、(いい面でも悪い面でも)スムーズに技術面の進化と現実への運用が進んだシナリオではあるんじゃないかとは思う。ここ数年の人類の悪戦苦闘から見るに賢い人らが予想もしてないような事で色々つまずきながら現実は進んでくようで、なんというか事あるごとに停滞しながらの歩みになってるのでこの通りになるにしても進捗は思ったより時間かかるんじゃなかろうか?
Posted by ブクログ
超簡単に本の内容を説明すると、自然科学と社会科学の幅広い分野から人類の歩みとその未来を語るって感じなのですが兎に角、内容が難しい。結論、未来は予測出来ない!こんな感じで如何でしょうか。
Posted by ブクログ
ポストコロナで加速されたかな。
データ至上主義に突入している昨今、競うようにシェアされる個人情報、個人の感想がスマホから溢れている。
cookieを拒否したところで自ら発信しているのだから世話ない。
承認欲求は甘いクッキー。個人を個人たらしめるはずの発信が継続することで個性は溶け、データの一部になってしまうとは皮肉だ。
彼の主張は悲観的な予言ではなく、現実に根差した論理的な予測で納得感がある。
じゃあもうブログ書かない、SNS見ない、と決めたところで、この潮流は変わらないしアルゴリズムの恩恵を受けられないのはもはや不便な世の中になりつつある。
より良い体験をしたいし、良い物が欲しいじゃないか。
欲求がなくならない限り私たちは個人情報を垂れ流し続ける。
科学が人間を追い越すとき。
SFがサイエンスノンフィクションになろうとしているこの瞬間に立ち会えることは、貴重な経験と言えるかもしれない。
追い越されたら最後、その前髪を見ることは二度とないだろうから。
彼の以前言っていた仏教的悟りの世界に突入したら、未来は変わるかもしれない。ホモ・デウスの世の中は人口を減らすかもしれないが、際限ない欲望はそれでも地球を破壊するだろうか?
蚊帳の中で考えるが、人智を超えた未来は想像するに難い。
Posted by ブクログ
21世紀の人類はどこへ向かうのかを考察した本の下巻。
著者が予測している世界では人の感情や思考による判断は膨大なデータのアルゴリズムに置き換えられて出番がなくなるとされている。
アニメのサイコパスの世界観とかなり近い感じがした。
ただし、著者は本当にこうなるのだろうか?と疑問を投げかけて本書を締め括っている。
自分なりの予測を立てて、それを確かめるように過ごしてみるのも楽しそう。
Posted by ブクログ
生物はアルゴリズムで、コンピューターがいずれ私より私自身をよく知るようになるので個人主義は崩壊する。きわめてあり得そうな筋書きだ。自分自身をうまくコントロールできなくて困っているひとはたくさんいる。
上巻と読む期間が空いたため全体を捉えられていない。また読み返したい。
Posted by ブクログ
著者の歴史(事実)を知ることは、未来を予測するために役立つのではなく。過去から離れるために有効という考え方が面白いと思った。
知るほど視野が広がることは、自分の経験でも思い当たる節があるため腑に落ちた。
人類という大きな推論のため、すぐに自分に活かせることは思い当たらなかったけど、著者の言う通り視野を広げることができた。
Posted by ブクログ
audibleで視聴した。
そのためザックリの内容理解。
気が向いたら、本のバージョンも読みたい(上巻など完全に忘れてしまった。笑)
宗教至上主義から、人間(個人)至上主義にそして、データ(AI)至上主義に変化していくと書かれていた。確かに、生成AIの台頭を含めハラリさんが予想する未来に近づいている気がする。
火の鳥未来編の様に人工知能から神託を受ける様な世界になる未来線、もしかしたら生きてる内にあるのかなとも思ってしまう。
また、AIやテクノロジー、生命科学を味方につけたものとつけないものの格差はどんどん広がっていくのでないかとの考察も
また、ところどころ皮肉が効いたジョークが入っていて笑ってしまった。
特に、タクシー運転手や、レジ業務など多くの業務がテクノロジーで代替されていく可能性が高いなか、1番代替されてく可能性が低い職種の中に「考古学者」があるとのこと。
へー、やるじゃん。と思っていたら、代替されない理由として、そもそも代替することの市場インパクトとニーズがないからと書かれていた。斜め上の視点だったので、つい笑ってしまった。
Posted by ブクログ
難しくて読みづらい部分も少しあったが面白かった。人類が繁栄してきた歴史を振り返りつつ、それに基づいて今後の未来を予測していく。今後、人類とAIやアルゴリズムがどのように共存していくのか、はたまた人類はオワコンとなっていくのか。これからを生きていく上で頭に入れておいて損はない考え方の1つを提供してくれる本だった。
Posted by ブクログ
大きな歴史の流れを踏まえた上で、未来の人間像を論理的に予想する。生物はアルゴリズムである(著者の主張でなく分子生物学分野での定説とのこと)と捉えた上で、他種に比べやや高度なアルゴリズムの生命活動を営む人類(=サピエンス)でも、AIの進歩により大半は存在価値を失い、「無用者階級」へ追いやられる。残った一部のAIを使いこなすエリートが、科学技術により、生物学的限界を突破するアップグレード(=ホモ・デウス誕生)を行い、無用者階級の支配、切り捨てが行われ、現在のようなサピエンスの社会構造は終焉を迎える。という説。
この望ましくない未来像の可能性を回避するためには、その未来像につながってしまう選択肢を選ばないよう、大局的視点で注意深く意思決定することだというメッセージが込められていると感じる。イデオロギーや社会的制約に縛られない想像力をもって意思決定・行動できるようになるために、歴史を学んで社会・文化・宗教・政治が形成されてきた背景と現在の自身が置かれている社会的状況を客観的に理解することが重要ということだと思う。
Posted by ブクログ
データ、データ、データ。
確かにそうだなーと。
私たちは単なるアルゴリズムだと言われると、そんな気もする。
私はアップデート出来る気がしない、、、
Posted by ブクログ
サピエンスの歴史をベースに未来の可能性を示唆。脳科学や生物学の動向を語りながら、それはアリゴリズムに過ぎないことを説く。とはいえ、それを結論としているわけではなく、意識研究が進めば違う未来も見えてくる可能性は残す。
様々な快楽も所詮脳の電気反応に過ぎず、だとすればさらなる刺激を求め続けるだけという、人間の退屈さのベースとなるものも垣間見えて納得。
歴史は漸進的に進むように思っていたが、データー教は確かに急速に進んでいて、自分の身の回りだってこの10年20年で大きく変わってきた。長い歴史の中の人一人の人生での変化はたいそうなものでなくともあと何十年かの未来から振り返ればたいそうなものになっているのだろう。
サピエンス全史とこのホモ・デウスと客観的な理論をベースに語られていて非常に面白く読んだ。
Posted by ブクログ
上巻では人類の行動原理を示した。下巻では、実際に行われるであろう具体的行動を考察していく。私たちがテクノロジーに従うべきなのか、感情や心の声に耳を傾けるべきなのかを考えるきっけになった。
現代の人間生活は、食糧の生産から資本の拡大へと目的が移り変わっている。その例として、生態系や環境の保全が積極的に進んでいないことが挙げられる。経済の発展による技術の進化が問題を解決してくれると思い込んでいるからだ。
神の権威よりも人間の感情を優先するのが近代だ。かつて、芸術者は神の意思を伝えるものとされていた。しかし、大衆の評価によって芸術者の価値が決まるように変わった。私たちが世界に意味をもたらすようになったのである。さらに、現在の技術は、人間の感性すらもAIに模倣されようとしている。音楽や絵、囲碁の分野で私たちと同等の力をAIが発揮するようになってきたのがその証拠だ。目で見えない物も数値で表されようとしている。
数値化は、私たちの活動を便利にした後、今度は人類の存在意義すら奪ってしまうかもしれない。その世界は、まだずいぶん先の話ではあるけれども。産業活動が全てAIで賄われたとき、私たちは何を求めていくのだろうか。個人的には、バーチャル世界やなんらかの振興活動など娯楽に勤しむのではないかと考える。
また、テクノ人間至上主義とデータ教を合わせたテクノ教が新たな宗教として台頭するかもしれない。テクノ人間至上主義によって、心を制御しようとする。しかし、その行動は自分の心に従った行動といえるのだろうか。ただ、抗うつ薬などが使われている点を考えると多くの人は、人間の意志を科学に明け渡してしまうと考える。また、データ教によって国を隔てる壁が極限に薄くなるかもしれない。データを集めることで、人体の情報や傾向を収集し、最も効率的なソリューションを導き出すためだ。例として、検索履歴や動画閲覧の傾向を記録することが挙げられる。また、大量のデータを処理するために中央集権制がさらに加速するのではないか。共産主義が世界で広まりきらなかったのは、扱う情報量が増えすぎてしまったことに他ならない。
世界は資本主義を中心に回っていることは今一度心に留めておくべきである。そして、神の権威よりも人間のアップグレードが経済成長の標的になっているいて、意識をどのように扱うのかを定期的に考える必要があると感じた。
下巻の方が上巻に比べて少し具体性が増したように思う。ただ、依然としてつかみどころがないことに変わりはない。
Posted by ブクログ
下巻では、21世紀の人間が「不死」「幸福」「神性」を獲得すべくAIや生命工学を駆使していくと最終的にどんな結末が待ち受けているのか、を著者なりの視点から描いた本になります。最後に著者が述べているのですが、本書で書かれていることは著者の未来予測ではなく、あくまでシナリオの1つである、もしこのシナリオが気に入らなければ、そうならないように我々は努力する必要がある、ということなのですが、ハラリ氏はかなりの度合いで、ここで書かれていることが現実に起こると考えているのではないでしょうか。
ハラリ氏が描いている「ホモ・デウス」とは、スタートレックに登場する「ヴォーグ」のような存在だと私は解釈しました(新スタートレックをご参照ください)。すべての人がつながり、知識を共有する。個々人の感情はない(あるいはあっても尊重されない)、各人が勝手な行動をとることはない、そしてあのお決まりのセリフ「抵抗は無意味だ」ということで、全宇宙の人類が統合されるかもしれない、という身の毛もよだつ存在なわけです。
ハラリ氏の論理展開は、シナリオとしてはありえるとは思うものの、いかにも一神教がベースになっている文化圏の人々が陥りやすい特徴を持っていて、仏教になじみのある私にとっては正直あまりピンときませんでした。どういうことかというと、一神教は排他的で、神性が同時に複数存在することを許さないのです。その意味でハラリ氏は仏教を学ぶべきでしょう。ハラリ氏の論理展開はこうです。人間は近代以前、外に「神」の存在を認めていたが、近世になって神はいなくなり人間個人を崇拝するようになった。しかしAIの進化によって、権威は人間から外部の「アルゴリズム」に移る。それが最終的には人類の衰退につがるということで、彼はそれを「データ教」と呼んでいますが、正確には「アルゴリズム教」でしょう。この2つは大きく違います。つまりアルゴリズムが神託をくだし、人間は従うだけの存在になるというわけです。
他方、仏教では「衆生本来仏なり」、あるいは密教では「草木国土悉皆成仏」ということで、生きとし生けるものすべてに仏性を認めます。つまりアルゴリズムがものすごく発展して、それが私以上に私のことを知ることが仮にできたとしても、依然として仏性は各人に宿っていることに変わりはないのです。だからどうしたということです。もっと言えば仏教では自分自身だけでなくアルゴリズムにも仏性を認めるようになるかもしれません。長年使った人形や刃物を処分する際にそれらを供養するように、ロボット供養なる儀式が生まれるでしょう。私は本書を読んで、一神教の文化圏の人々が思想的に行き詰っている、ということをハラリ氏の論調を通じてむしろ強く感じました。
Posted by ブクログ
ホモ・サピエンス全史の続刊である本書の下巻。
世界の頂点になったホモ・サピエンスはどんな未来を歩んでいくのか。
アルゴリズムに人類は取って代わられてしまうのか、データを使って新たな世界にいくのか(第二の認知革命)歴史を見ながら著者が考えるホモ・サピエンスの未来について書かれている。
アルゴリズムによって知的単純労働はAIに取って代わることになるが、人類は知能と意識を持っている。この世は知能だけで解決できることはまだ少なく、すぐに取って代わるとは思えないが、汎用性の高いAIがいつ登場するか。それによって世界の構造が変わってくると思う。
人類が生き残るために必要なことは、新たな問いや問題を作る能力、そしてその問いを解決する能力が必要になってくる為、自身の構想力を高めていきたいと感じた。
Posted by ブクログ
最近自由意志が尊重されているが本当に自由意志というものは存在するのか。
自由意志とは突き詰めれば発火するニューロンのパターン
前近代はリスクマネーが供給されなかった。
なぜなら現代の成長は、私たちの直感や人間が進化の過程で受け継いできたものや、世界の仕組みに反していたから。
ほとんどの生存競争は他者を犠牲にしなければ反映しない、ゼロサムゲームと考えられていた
伝統時には宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたが、人間至上主義は役割を逆転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然と考える。
意味のない世界のために意味を生み出せ。これこそ人間至上主義が私たちに与えた戒律。
人間は21世紀には不死と至福と神聖を獲得しようとするだろう。
自由主義が支配的なイデオロギーになったのは、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的に軍事的にも実に理に適っていたから。
21世紀には自由主義は自らを売り込むのがずっと難しくなる。
経済的重要性がテクノロジーの進化に取って代わられることにより、道徳的理由だけで人権と自由を守れるのか。
社会的不平等に対する自由主義の解決策は、全員のために同じ経験を生み出そうとするのではなく、異なる人間の経験に等しい価値を与えること