岡田尊司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
時々無性に読みたくなるメンタル系の本。
医師がこれ系の本を書くと、読む人のニーズを考えればそうならざるを得ないのだが、「症状」「対処」「療法」の話になってしまって、どの本も似たり寄ったりになってしまうのだが、この本は統合失調症の歴史や国ごとの発症率、患者のエピソードなど、ノンフィクショナルな要素も入っていて、そのあたりがとても楽しめた。
むしろ治療という観点をまったく除いた、心脳論的な本があれば是非読みたいのにと思うのだが、そのように扱うにはあまりにもナイーブな話題なのだろうなとも思った。
しかし、「統合失調症患者は綺麗な心の持ち主が多く、接していて安らぎを感じる事が多い」という著者の意見は、職業人としての立場を超えた率直さが感じられて、うーむと唸ってしまった。
そして、例えば「犬は猫です」と「前田敦子は可愛い」という2つの発言を僕がしたとして、この命題の客観的妥当性に本当に差があるのだろうか、などとも考えてしまった。
いずれにしてもなかなか楽しめる良い本だと思いました。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
短絡的な殺人など、不可解な事件がなぜ起こるのか。
アルコール依存や拒食症はなぜ止まらないのか。
児童虐待、家庭内暴力がなぜ多くなっているのか。
欲望をコントロールできない人がなぜ増えているのか…。
これらは「人格障害」という病理から発しているのだ。
現代人の誰もが感じ、直面している不安に、治療の最前線に立つ精神科医が答えを示す。
[ 目次 ]
第1章 おかしいのは、子供だけか?
第2章 人格障害とは
第3章 人格障害のタイプその特徴と注意点
第4章 生きづらさを生む人格障害
第5章 人格障害を手当てする
第6章 社会を蝕む人格障害
第7章 浸透する人格障害の背景
第8章 人格障害から子供と社会を守る
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
幼児期から青年期にかけて現れる、様々な「心の病」を網羅的に概説し、症状や症例、診断の基準、どのような人にどのくらいの割合で発症するのかといったデータ、効果的な治療法などが書かれている。一般的な索引に加えて、「症状別索引」、例えば「笑顔がなく、表情が乏しい」→「適応障害、抑うつ性障害、双極性障害、統合失調症」といった索引も用意されている。新書としては300ページを超えるやや分厚めの本。
単に「発達障害」「LD」「ADHD」などの用語を、教育心理等で耳にはするが、具体的にどのような症状が、現実の世界でどのように現れるのか、どうすればよいのか、というところまでは、なかなか専門家でもない限り、把握するのは難しいと思うが、「ケース」として、症例が紹介されている点で、良い意味でとっつきやすい。さらに、ピカソや坂本龍馬、『禁じられた遊び』など、有名人や有名な文芸作品において現れている「心の病」も紹介されており、とても興味深く感じられる。症状別索引など、もちろん素人判断で病を診断することはできないが、専門家に相談する前の予備知識や参考には充分なりうる。こういった良心的な構成もとても良いと思った。
様々な「病」が紹介されているが、特に「幼い子どもにとって、親がどれほど大切なものかを改めて考えさせられる。だが、肝心な親の方は、そのことを忘れてしまうことも少なくない」(p.86)の部分は、全くその通りだと思った。そして本書に書かれているような、科学的な知識が、教育や育児に関わる全ての人に必要なものであることを痛感した。(11/02/03) -
Posted by ブクログ
著者は、小説家としても活躍しているそうで、どうりで、他のこういった系統の本に比べて、読みやすく且つしっかりとしていた。
自分の性格や、障害に苦しみを見出している人には、一読することをお勧めしたい本だ。
読んだ中で、いくつか、興味深かった部分を自分なりにまとめて、紹介させてもらってもいいかしらん。
・自我が未発達であると、「妄想・分裂ポジション」という幼い子どもに見られる特徴が出現する。これは、一人の人間にたいして、全く別人のような態度をとる。相手を、自分にとって都合がいいか悪いかの一部分だけで、判断し、良い悪いを含めた全体としての相手という観点を持たない。こうした一部分だけで対象と繋がる関係を「部分対象関係」と呼び、人格障害の特徴でもある、1か10か、全か無か、という二分法的な思考ともつながっている。
自我が強化され、自分の都合の悪い部分も受け入れられるようになるという、よい対象への同一化が進むと、より統合された「全体対象関係」へと移行する。
・障害へ立ち向かう者に援助しようと思うものがとるべき態度は、相手の都合や要求に対して、ある枠組みを超えることには、はっきりと「ノー」と言える、そうしたびくともしない一貫性である。「ノー」の領域、枠組みを持たずに、ただ、要求を次々と受け入れている状態では、人格障害の人は、どんどん不安定になっていくことが多い。明確な枠組み、頑丈でしっかりとした存在が、人格障害の人を落ち着かせ、信頼関係を築き上げていく。
・援助者は、受容と枠組みの中で、障害者が自分の内面や過去を紐解き、自分の問題に向かい合い、ごまかしや責任転化によってではなく、より適応的な生き方を手伝うことになる。
その作業は、最初は、根気強く、同じことの繰り返しであっても、何度も話し、輪郭をなぞっていく。そうした中で、障害者は徐々にその堂堂巡りから脱してくる。だんだんと、過去の自分の過去が断片的に明らかになっていき、断片的であったものが、繋がっていき、ついには、過去と現在が繋がり、自分のこれまでの人生を俯瞰できるようになっていく。自分の人生を外から見る客観性を身につけるわけである。
すると、現在抱える諸所の問題と、自分の過去の人生体験が、密接に絡みあったものであることに気づいていく。たとえば、親が原因だとわかった場合、そこで始めて親への反撥、憎しみといったものが芽生えてくる(これがいわば反抗期で多くの人が経験する自我の発露)。たとえば依存性障害者は始めて自分の意思で親の頼みごとを拒んだりする。だから、この反発という経緯は自我を形成する重要な要素である。
・人格障害を克服する最後の段階は、最終段階は、親を求めたり、誰かのせいにする気持ちから脱し、諦めと悟りの中で、自分自身で責任を引き受けることである。過去との和解。本来の自分との再会。
「十代の間に、こうした問題に向かい合う人もいれば、五十を過ぎてから、ようやく自分に向かい合える人もいる。それは早いとか遅いとかの問題ではない。人それぞれの人生があり、人それぞれの時期があるのだと思う。その人が変われるかどうかは、その人自身が自分に向かい合えるかどうかなのである。」
・・・最後にあげた括弧の言葉に、痛く感銘した僕であった。
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Posted by ブクログ
えーと、まあ、「ゲーム脳」がトンデモとかいわれて、一緒にトンデモとかいわれているようです。
でも、あたりまえに考えて、テレビに全面的に子守を任せておけば、何が起こるかはわかるわなぁ……。
テレビゲームや、テレビというのは、散らからないし、子どもの相手をしなくていいし、まったく「大人にとって」都合のいいおもちゃです。
まあ、そのツケは、いずれかえってくるような気が、最近にはしている。
子どもには、使用禁止が正しいと思います。
まあ、ご多分に漏れず、テレビゲームは嫌いではないですよ、わたしも。
でも、時間がかかるのと、やっぱり、脳にはなにか起きているとは思います。
……特にテトリス……。
やり続けると、すべてがテトリスに見えてきます……。
古!