岡田尊司のレビュー一覧

  • マンガでわかる 愛着障害~自分を知り、幸せになるためのレッスン~

    Posted by ブクログ

    [この本を読むことで]
    ・自分を客観的に見ることができる
    ・自分の生きづらさの原因を知ることができる(原因を考えるきっかけになる)
    ・対人理解に繋がる

    [感想]
    対人関係やメンタル面において、自分が生きづらさを感じているのは自分のせいではないのだと許してくれる一方で、
    この生きづらさは親のせいだと言っているようで、私はあまりいい気がしなかった。

    私は親から沢山の愛を受けて育ってきたと思っているため少し違和感を感じたが、
    人によっては、この生きづらさは自分のせいではないのだと安心することができる人も居ると思う。(親のことを恨み始める人もいそう)

    ただ、自分を客観的に見ることができたおかげで、私はあの時寂しい思いをしていたのかな、と自分の愛着スタイルの原因を考え直すきっかけになった。

    1
    2021年03月21日
  • インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで

    Posted by ブクログ

    結構昔に読んだ本なので内容がどうだったのか細かく覚えていないのですが、依存症ビジネスの本は基本的なパターンは同じですよね。
    脳のドーパミンが出て、それを求めて依存症になる。

    0
    2021年02月06日
  • あなたの中の異常心理

    Posted by ブクログ

    読みやすい
    無理にあてはめてるのでは?と思う箇所もあったけど、ほほうと新しく知る事もあって面白かった

    0
    2021年01月14日
  • マンガでわかる 愛着障害~自分を知り、幸せになるためのレッスン~

    Posted by ブクログ

    マンガなのでとっつきやすくて分かりやすいです。
    重苦しくなく、救いもあり、心が疲れている時でも読みやすく、愛着障害の基本を知るには良い本でした。


    大人の3人に1人は愛着障害を抱えていて、その原因の多くは幼少期の出来事によるという。

    救いなのは、安全基地となる人との出会いを自分の感情を表現すること(アートなど)などを通じて、不安型や回避型の人でも安定型になれるということ。
    取り返しがつかないということはなく、改善、修正できるという点に触れているところが良い。

    「安全基地となる5つの条件」
    安全感を保証…一緒に居て傷つけられない
    応答性…求めてきた時に応じる
    共感性…否定しない
    安定性…一貫した対応
    誠実さ…必要な時には意に反することもいう


    自己肯定感は主観、という点も良かった。

    自分は自己肯定感が低い…
    高めなければ生きづらさが抜けない…
    それはただの主観かも。

    先に読んだ「反応しない練習」にも通じるけれど、それらはただの思い込み、勘違いで実態はなく、考え方のクセ、心の反応なのかもしれない。


    好きなのに何故離れたくなるのか。
    好きなのに何故不安になるのか。
    何故いつも見捨てられ不安がつきまとうのか…

    知ることで、気づくことでラベリングができ、そこで初めて改善のためのスタート地点に立てる。

    2
    2021年01月13日
  • 母という病

    Posted by ブクログ

     病気と躾の境は難しい。


     女性といえども、まだ娘のうちは、子どもに無関心な人も多い。子どもは泣くので嫌いという人も少なくないだろう。しかし、一度親になると、子どもが可愛くてたまらなくなる。泣き声さえ愛おしくてたまらなくなる。
     なぜ、そんなことが起きるのだろうか。
     そこには、命をつなぐ営みに欠かすことのできない生物学的な仕組みがかかわっている。その仕組みが愛着システムだ。母性を育み、また母子の愛着を生み出す源は、陣痛を引き起こし、授乳のときに活発に分泌するホルモンと同じなのだ。そのホルモンを、オキシトシンという。
     お腹を痛めて産んだ子だから可愛いという言い回しには、深い真実がある。陣痛の最中、大量に分泌されるオキシトシンが、母子の絆を一気に高め、授乳を通して、その絆はさらに持続的なものとなっていく。
     抱っこや愛撫といったスキンシップが重要なのは、このオキシトシンの分泌が、スキンシップによって促されるからだ。
     愛着やスキンシップが心地よく、子どもを世話することが、苦痛よりも歓びになるのも、オキシトシンの働きによる。オキシトシンには、不安を鎮め、心地よさをもたらす働きがある。
     オキシトシンの分泌が悪かったり、オキシトシンと結びつくはずの受容体の数が少ないと、この仕組みがうまく働かない。不安を感じやすく、神経質で潔癖になるだけでなく、人との接触や子どもの世話をすることにも歓びを感じにくい。
     生きることは不快な体験となり、対人関係も子育ても、楽しく感じられない。ネガティブな感情に支配されやすく、信頼関係も育まれにくい。 どうしてそんなことが起きてしまうのだろうか。
     実は、オキシトシンの分泌やオキシトシンと結びつく受容体の数を左右するのは、幼い頃にどれくらい愛情深く世話をされたかなのだ。
     大切に育てられた人では、オキシトシンの働きが良いので、自分自身ストレスを感じにくいだけでなく、子どもを育てたり、人を愛することも容易になる。
     しかし、虐げられたりかまわれずに育った人は、それとは正反対な体質を身に着けてしまう。

     幼年時代がいくら幸福で恵まれたものでも、その後の体験によって、愛着が大きな傷を受ければ、愛着が不安定になるということも起こりうる。
     その一つは、両親の不和や離婚だ。ある意味、安定した愛着を両親と結んでいればいるほど、両親の諍いや片方の親との離別は、その子の愛着に深い傷を負わせる。対人関係や恋愛に対して懐疑的になったり消極的になったり、逆に親代わりを求めようとして過剰に依存する場合もある。
     もう一つ、普通の家庭にも起きやすいのは、子どもに対する過度な支配やコントロールによって、母親が子どもの主体性を侵害するという状況だ。母親は最善を尽くし、 良い親をしているつもりでも、子どもが求めているものとの間にギャップが広がり、愛着は不安定となっていく。子どもの気持ちを汲みとれていないからだ。
     親との関係がもちろん重要だが、年齢が上がるとともに、その子をとりまく友人や教師などとの関係も重要になっていく。安心していられる居場所が確保され、安全基地になってその子を見守ってくれる存在に出会えると、たとえ家庭が多少不安定でも、 その子の愛着は次第に安定したものに変わっていく。
     母親の役割は、外の世界とのかかわりにおいても、その子が安心できる環境や安全基地となる存在に恵まれるように、さまざまな配慮や働きかけをすることだと言える。自分自身が、安定した愛着をもつ母親では、そうしたことを、うまくやりこなしやすいが、母親自身が不安定な場合には、問題が生じていても無関心に放置したり、極端な対応をとったりして、逆に子どもを孤立させてしまうという結果を招きやすい。
     もちろん、母親の力だけではどうにもならない部分も大きい。社会自体が優しさや余裕を失い、自分を守ることに汲々としたり、融通の利かないルールで杓子定規な応をしたり、多数派の都合ばかりを優先したりするようになると、不安定で立場の弱いものは、ますます居場所を失っていく。
     その意味で、母という病は、母親だけに原因があるというよりも、母親や子ども 守れない社会にも、原因があるということだ。

     
     回避的な人は、…失敗を恐れ、チャレンジを避けるため、自分の真価を発揮することができない。石橋を叩きすぎて、橋を渡らないままに年を取ってしまうということにもなる。
     慎重さも大事だが、思い切ってやってみるという勇気も、人生を切り開いていくには必要だ。
     回避的な若者に共通するのは、親からあまり褒められたことがなく、悪い点ばかりをあげつらわれてきたことだ。親はたいてい真面目で、義務感の強い人で、~するのが楽しいとか、~したいという気持ちよりも、~せねばならないという責任やルールを重んじる。
     親の存在が大きすぎ、過干渉になって、子どもの主体性が脅かされていることも多い。子どもは、自分の願望や意思よりも、親の意向に支配され、無理やり動かされている。
     チャレンジして成功しても評価されず、失敗したときだけ責められては、チャレンジなど割に合わなくなってしまう。自分の意思で何かをやろうとして失敗すればそれこそ何を言われるかわからない。
     それならと、非難を避けるために、親の意向に従い、自分が本当に望んでいるのではないことを選んでしまう。
     そういう状況が小さい頃から続くと、チャレンジするよりも、無理なことはせず現状維持を第一とするようになる。自分で意思決定をするよりも、責任を逃れるために他の人に決定をゆだねてしまうということにもなる。
     そうなると、本当にやりたいことをしているわけではないので、積極的な意欲もなくなってしまう。


     母親は義務感のとても強い人だったが、義務感や潔癖さというのは、母性的な優しさとは正反対なものだ。先にも触れたが、母性的傾向が強まると、潔癖さやこだわりといったものは薄れ、寛大になる傾向がみられる。これは価値観の問題ではなく、生理的メカニズムでそうなるのだ。母性や愛着に関係するオキシトシンというホルモンは、潔癖さを和らげ、寛大にする働きをもつ。
     実際、母性が高まった状態になると、わが子に対して優しくなるだけでなく、どんな子どもに対しても愛情を感じやすくなり、心が穏やかで寛くなる。母性とは、損得や規則で考えるのとは正反対な性質をもつ。
     ところが逆に、母性が乏しい状態になると、潔癖で完璧主義になり、細かい問題が気になり、他罰的で、批判的で、排他的になる。心が狭くなると言ってもいいだろう。 自分の身を守るのを優先し、利己的に生きるのであれば、母性など乏しい状態の方がいいわけだ。自分のことだけ完璧にこなし、それを邪魔するものは、排除した方が安全だし、身のためだ。


     不安定な人は、自分の安定を図るために、しばしば盲目的な信仰や価値観、迷信的な儀式や占いに頼ろうとする。ほどほどにならば、さして害もないが、それが生活の中心になるほど肥大し、そこに子どもも巻き込まれることになると、影響は小さくない。
     母という病によって苦しんだ人の多くは、母親が頼った偏執的なまでの信仰や迷信に振り回された不快で、苦痛で、ときには滑稽とも言えるような体験を味わってきているものだ。
     とらわれやすく極端になりやすい性格は、先にも述べたようにオキシトシンの働きとも関係している。オキシトシン・リッチな人では、寛容で、とらわれない性格を示しやすいのだが、オキシトシン・プアな人では、厳格で、ルールに縛られ、潔癖になりやすい。
     自分自身過酷な環境で育ったヘッセの母親は、オキシトシン・リッチというよりも、オキシトシン・プアな性格傾向を、典型的に示していたと言えるだろう。ヘッセが傷ついたのは、母親の愛情不足というよりも、その偏狭で頑なな価値観による部分が少なくなかった。
     多くの人が不安定な心を抱え、過酷な子ども時代を過ごすことが増えている現代においては、こうしたことは、さまざまに形を変えて、もっと頻繁に起きやすくなっている。不安定な愛着を抱えた人ほど、薬物やアルコールに依存してしまいやすいように、新興宗教や占いにも救いや安心を求めようとする。
     もともと希薄で不安定だった母親との関係は、そこに新たな精神的支配や押し付けが加わることによって、もっと歪なものとなっていく。身近でも、そうした例は、あまりにも溢れているだろう。
     先の小川眞由美の娘・雅代さんの場合も、彼女をさらに苦しめることになったのは、母親が占いやゲンを担いだ儀式に熱中し、それに一家の生活まで縛られたことだった。占い師から緑と紫は不吉と言われると、その色が一切排除されたという。その色が間違って交じっていたりすれば、黒マジックで塗りつぶされた。最初は強制されてやっていたが、そのうち本当にその色が嫌いになってしまったという。
     それは、他のすべての価値観や行動についても言えることだ。最初はいやいや押し付けられてやっていても、いつしか自分自身がそれに染まっていく。母という病は、ちょうど正常の細胞に浸潤したガン細胞のようなもので、もはやどちらがどちらとも見分けがつかなくなり、切り分けることもできなくなる。
     思春期以降に、母親を拒否するようになるのは、その意味で正常な拒絶反応が、ようやく起き始めたのだと言えるだろう。



     一流企業に勤める父親と、栄養士の母親をもつ高校生の少女が、覚醒剤で捕まって、施設に送られてきた。
     デリヘルで売春をして、覚醒剤を買う金を稼いでいたと言う。まったく普通の家庭のお嬢さんである彼女に何が起きたのだろうか。兄と姉には、非行歴もなく、問題なく育っている。母親は教育熱心で、子育ても頑張り、堅実な家庭を築いてきたつもりだった。下の娘にだけ、なぜそんなことが起きてしまったのだろうか。

     瑠美(仮名)は、どちらかというと慎重で、おとなしい二人のきょうだいとは違って、小さい頃からやんちゃなところがあった。小学校の頃は、男子に交じってドッジボールをする活発な少女だった。
     好奇心旺盛で、じっとしているより、体を動かすことを好み、男勝りな少女。そんなところが、母親から見ると危なっかしく、つい注意したり叱ったりすることが多くなった。
     新しい物好きで、好奇心旺盛な傾向は「新奇性探究」と呼ばれ、生まれもった気質的要素が強い。新奇性探究の強い人は、多動で衝動的で、不注意な傾向もみられ、押さえつけの養育を受けると、先の例にも見たように、ADHDなどの行動障害がひどくなりやすい。
     新奇性探究が強いタイプの人は、薬物依存になるリスクも高い。つい好奇心で、衝動的に薬物に手を染めやすい。親との関係がぎくしゃくしたり、親から否定された状況があると、薬物が避難場所になってしまうことで、余計に依存を形成しやすい。
     新奇性探究の強い人は、この瑠美のように、「困った子」「言うことを聞かない子」と親や教師が受け止め、否定的な接し方をしてしまいやすい。そのことで、なおのこと危険な薬物や危うい輩との関係に、避難場所を求めてしまう。もちろん、それは本当の避難場所になるどころか、地獄への入口になってしまう。

     しかし、この新奇性探究の傾向は、本来は長所でもある。大移動を経験した民族では、このタイプの人の割合が高い。危機の時代を生き延びる力を秘めているのだ。ただ、それが良い方向に発揮されるためには、その特性が理解され、肯定的に受け止められる必要がある。そして、そのことを誰よりもしてほしいと子どもが望むのは、親であり母親だ。
     だが現実は、母親の目には、「ガサガサしている」「言うことを聞かない」「悪いことばかりする」と映り、否定的に扱われることになりやすい。
     生真面目で、潔癖な母親ほど、こうしたタイプの子どもを、何とか「良い子」にしようと、注意したり、叱ったりが多くなってしまう。
     しかし、いくら注意しても、生まれもった気質でもあるので、急に変わることはないし、本人が気をつければ改善するという問題でもない。むしろ、叱られ続けることで、マイナスな影響を生んでしまう。
     否定され続けることに反発を感じるようになり、反抗や行動上の問題が始まり、もう一方では、自己否定を抱え、うつや不安が強まったり、自傷行為を繰り返したりすることも少なくない。活発で、元気そうに見えて、意外に傷つきやすいのだ。
     新奇性探究の強いタイプでは、共感的で肯定的な育てられ方をすると、とても伸びて、能力を開花させるとともに、親との関係も、通常以上に良いということになるが、 否定的な関わり方をすると、問題が噴出することになる。良い方にも悪い方にも、違いが大きく出やすい。


     境界性パーソナリティ障害や薬物依存症といった問題を抱えた人の母親に、大勢会ってきた。そこには共通する特徴がある。それは、気持ちを汲みとり理解するのが苦手な人が多いということだ。
     母親自身、情緒不安定で衝動的で、気まぐれだというケースもあるが、合併で、安定して、一見すると問題がないというケースもある。ただ、どちらにも当てはまる頃向として、子どもの気持ちを汲みとり、子どもの立場で気持ちを考えながらやり取りするということがうまくできないのだ。
     表に出る言動や行動だけで、物事を見てしまい、その背後にある気持ちを感じることができない。表面的な事実や結果にばかり関心が向いて、義務や理屈で考える。その結果、できていないことや欠点にばかり注意がいくことになる。
     そうしたタイプの母親に、何か困っていることを相談したりすれば、有効な助けを得られるどころか、困っていること自体を非難されたり貶されたりする。困っていること自体が、努力が足りないことであり、悪いことになってしまう。
     子どもは下手なことは言えなくなり、悪いことや困っていることがあっても、自分の中で処理しようとする。子どもは、「良い子」となって母親の言いなりになるか、「悪い子」になって反抗するしかないが、どちらにしても害を免れない。


     問題にうまく対処する第一歩は、問題に感情で反応しないことだ。
     安定した愛情に恵まれなかった人や傷にとらわれた人は、感情的になることで、問題をこじらせてしまう。自分から傷口を広げ、小さなかすり傷を、命にかかわる傷にしてしまう。それは馬鹿げたことだ。
     一つ大きく深呼吸して、気持ちを落ち着けたら、まずすべきことは、事実と気持ちを切り分け、事実だけを冷静に見つめること。
     人は恐れていることや期待していることを、事実と勘違いしてしまいやすい。不安定な人では、余計に事実と思い込みの取り違えが起きる。
     思い込みは、傷ついた気持ちが映し出された幻だ。幻にとらわれて、過剰反応してしまうことで、余計に事態をまずくしてしまう。
     嫌なことがあったとき、何が起きたかを、冷静に振り返ってみることだ。
     いつも挨拶してくれる同僚が、そっぽを向いたままなのを見たとしよう。人の顔色を気にする人は、すっかり落ち込むかもしれない。自分を無視されたように受け止めてしまうのだ。
     また、他の人が集まって楽しそうにしゃべっているのを見ただけで、嫌な気分になる人もいるかもしれない。自分がのけ者にされたと思ってしまうのだ。
     こうした反応をどう思うだろうか。ちょっと敏感すぎると思う人もいるだろうし、自分もそんなときがあると感じる人もいるかもしれない。
     心が傷ついた人は、普通の顔を見ても、怒っているように感じたり、悪意を持たれているように受け取ってしまいやすい。
     母という病に苦しんできた人は、大抵否定されたり、傷つけられたりした人なので、何気ない素振りや意味のない表情にも、敵意や怒りを感じてしまう。いつも自分が恐れてきたものが、見えてしまうのだ。
     余計なことに傷つかないためには、どうしたらいいだろう。
     その一つは、自分に言い聞かせる言葉を使うことだ。たとえば、「他のことに気を取られていたんだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
    「みんながただ集まって盛り上がっていただけだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
    「あの人は怒っていなくても、怒ったような顔なんだ。別に意味はない」と、言い聞かせる。
     言い聞かせるという方法は、かなり効果的だ。
     もう一つは、自分の身に起きたのと同じことが、別の人に起きた場合を想像してみる。自分が信頼する安定した人格の人を思い浮かべて、その人だったら、どう受け止め、どう対応するか考えてみる。すると、事態が客観的に眺められ、冷静になることができるし、もっといい受け止め方や反応の仕方も見えてくる。
     日頃から、安定した愛着スタイルの人と接して、その人の考え方や行動の仕方に触れていることは、知らずしらずそれを学ぶことになる。


     安定した愛着を育むのに大切なことは、結局、一言で言えば、互いが互いの安全基地となるということだ。
     そのためには、安全が守られ、安心できるということが何よりも大事だ。ネガティブな反応をしないということは、安心感を傷つけないということでもある。
     その場合に、知らずしらず相手の安心感を損なってしまうのが、相手を思い通りに支配しすぎることだ。安全基地のはずが、相手の主体性を侵してしまい、押し売りや監督官のようになってしまう。相手は、のびのびと自分を出すことができず、息苦し く感じてしまう。
     母という病を抱えた人は、自分と他人の境目がもろい。母親の意思を自分の意思のようにいつも感じ、支配されてきたため、自分の気持ちと人の気持ちをうまく区別することができない。
     自分が望むことを相手も望み、自分が恐れることを相手も恐れると勘違いしやすい。自分と同じように相手も感じていると思い込んでしまう。逆に、相手が求めていることや恐れていることが、自分の気持ちだと錯覚してしまうこともある。たとえ、相手が求めていることが、自分にとってためにならないことであっても。
     親しくなればなるほど、相手と自分との境目が曖昧になり、支配されたり、支配したりが起きやすくなる。なぜなら、その人の母親も、その人をそのように扱ってきたからだ。長年、母親がその人にしたように、その人もまた愛する人にしてしまう。それは相手の自立、自分の自立も損なう。いつのまにか、押し付けや支配や依存が起きやすい。

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    2021年01月11日
  • 母という病

    Posted by ブクログ

     病気と躾の境は難しい。


     女性といえども、まだ娘のうちは、子どもに無関心な人も多い。子どもは泣くので嫌いという人も少なくないだろう。しかし、一度親になると、子どもが可愛くてたまらなくなる。泣き声さえ愛おしくてたまらなくなる。
     なぜ、そんなことが起きるのだろうか。
     そこには、命をつなぐ営みに欠かすことのできない生物学的な仕組みがかかわっている。その仕組みが愛着システムだ。母性を育み、また母子の愛着を生み出す源は、陣痛を引き起こし、授乳のときに活発に分泌するホルモンと同じなのだ。そのホルモンを、オキシトシンという。
     お腹を痛めて産んだ子だから可愛いという言い回しには、深い真実がある。陣痛の最中、大量に分泌されるオキシトシンが、母子の絆を一気に高め、授乳を通して、その絆はさらに持続的なものとなっていく。
     抱っこや愛撫といったスキンシップが重要なのは、このオキシトシンの分泌が、スキンシップによって促されるからだ。
     愛着やスキンシップが心地よく、子どもを世話することが、苦痛よりも歓びになるのも、オキシトシンの働きによる。オキシトシンには、不安を鎮め、心地よさをもたらす働きがある。
     オキシトシンの分泌が悪かったり、オキシトシンと結びつくはずの受容体の数が少ないと、この仕組みがうまく働かない。不安を感じやすく、神経質で潔癖になるだけでなく、人との接触や子どもの世話をすることにも歓びを感じにくい。
     生きることは不快な体験となり、対人関係も子育ても、楽しく感じられない。ネガティブな感情に支配されやすく、信頼関係も育まれにくい。 どうしてそんなことが起きてしまうのだろうか。
     実は、オキシトシンの分泌やオキシトシンと結びつく受容体の数を左右するのは、幼い頃にどれくらい愛情深く世話をされたかなのだ。
     大切に育てられた人では、オキシトシンの働きが良いので、自分自身ストレスを感じにくいだけでなく、子どもを育てたり、人を愛することも容易になる。
     しかし、虐げられたりかまわれずに育った人は、それとは正反対な体質を身に着けてしまう。

     幼年時代がいくら幸福で恵まれたものでも、その後の体験によって、愛着が大きな傷を受ければ、愛着が不安定になるということも起こりうる。
     その一つは、両親の不和や離婚だ。ある意味、安定した愛着を両親と結んでいればいるほど、両親の諍いや片方の親との離別は、その子の愛着に深い傷を負わせる。対人関係や恋愛に対して懐疑的になったり消極的になったり、逆に親代わりを求めようとして過剰に依存する場合もある。
     もう一つ、普通の家庭にも起きやすいのは、子どもに対する過度な支配やコントロールによって、母親が子どもの主体性を侵害するという状況だ。母親は最善を尽くし、 良い親をしているつもりでも、子どもが求めているものとの間にギャップが広がり、愛着は不安定となっていく。子どもの気持ちを汲みとれていないからだ。
     親との関係がもちろん重要だが、年齢が上がるとともに、その子をとりまく友人や教師などとの関係も重要になっていく。安心していられる居場所が確保され、安全基地になってその子を見守ってくれる存在に出会えると、たとえ家庭が多少不安定でも、 その子の愛着は次第に安定したものに変わっていく。
     母親の役割は、外の世界とのかかわりにおいても、その子が安心できる環境や安全基地となる存在に恵まれるように、さまざまな配慮や働きかけをすることだと言える。自分自身が、安定した愛着をもつ母親では、そうしたことを、うまくやりこなしやすいが、母親自身が不安定な場合には、問題が生じていても無関心に放置したり、極端な対応をとったりして、逆に子どもを孤立させてしまうという結果を招きやすい。
     もちろん、母親の力だけではどうにもならない部分も大きい。社会自体が優しさや余裕を失い、自分を守ることに汲々としたり、融通の利かないルールで杓子定規な応をしたり、多数派の都合ばかりを優先したりするようになると、不安定で立場の弱いものは、ますます居場所を失っていく。
     その意味で、母という病は、母親だけに原因があるというよりも、母親や子ども 守れない社会にも、原因があるということだ。

     
     回避的な人は、…失敗を恐れ、チャレンジを避けるため、自分の真価を発揮することができない。石橋を叩きすぎて、橋を渡らないままに年を取ってしまうということにもなる。
     慎重さも大事だが、思い切ってやってみるという勇気も、人生を切り開いていくには必要だ。
     回避的な若者に共通するのは、親からあまり褒められたことがなく、悪い点ばかりをあげつらわれてきたことだ。親はたいてい真面目で、義務感の強い人で、〜するのが楽しいとか、〜したいという気持ちよりも、〜せねばならないという責任やルールを重んじる。
     親の存在が大きすぎ、過干渉になって、子どもの主体性が脅かされていることも多い。子どもは、自分の願望や意思よりも、親の意向に支配され、無理やり動かされている。
     チャレンジして成功しても評価されず、失敗したときだけ責められては、チャレンジなど割に合わなくなってしまう。自分の意思で何かをやろうとして失敗すればそれこそ何を言われるかわからない。
     それならと、非難を避けるために、親の意向に従い、自分が本当に望んでいるのではないことを選んでしまう。
     そういう状況が小さい頃から続くと、チャレンジするよりも、無理なことはせず現状維持を第一とするようになる。自分で意思決定をするよりも、責任を逃れるために他の人に決定をゆだねてしまうということにもなる。
     そうなると、本当にやりたいことをしているわけではないので、積極的な意欲もなくなってしまう。


     母親は義務感のとても強い人だったが、義務感や潔癖さというのは、母性的な優しさとは正反対なものだ。先にも触れたが、母性的傾向が強まると、潔癖さやこだわりといったものは薄れ、寛大になる傾向がみられる。これは価値観の問題ではなく、生理的メカニズムでそうなるのだ。母性や愛着に関係するオキシトシンというホルモンは、潔癖さを和らげ、寛大にする働きをもつ。
     実際、母性が高まった状態になると、わが子に対して優しくなるだけでなく、どんな子どもに対しても愛情を感じやすくなり、心が穏やかで寛くなる。母性とは、損得や規則で考えるのとは正反対な性質をもつ。
     ところが逆に、母性が乏しい状態になると、潔癖で完璧主義になり、細かい問題が気になり、他罰的で、批判的で、排他的になる。心が狭くなると言ってもいいだろう。 自分の身を守るのを優先し、利己的に生きるのであれば、母性など乏しい状態の方がいいわけだ。自分のことだけ完璧にこなし、それを邪魔するものは、排除した方が安全だし、身のためだ。


     不安定な人は、自分の安定を図るために、しばしば盲目的な信仰や価値観、迷信的な儀式や占いに頼ろうとする。ほどほどにならば、さして害もないが、それが生活の中心になるほど肥大し、そこに子どもも巻き込まれることになると、影響は小さくない。
     母という病によって苦しんだ人の多くは、母親が頼った偏執的なまでの信仰や迷信に振り回された不快で、苦痛で、ときには滑稽とも言えるような体験を味わってきているものだ。
     とらわれやすく極端になりやすい性格は、先にも述べたようにオキシトシンの働きとも関係している。オキシトシン・リッチな人では、寛容で、とらわれない性格を示しやすいのだが、オキシトシン・プアな人では、厳格で、ルールに縛られ、潔癖になりやすい。
     自分自身過酷な環境で育ったヘッセの母親は、オキシトシン・リッチというよりも、オキシトシン・プアな性格傾向を、典型的に示していたと言えるだろう。ヘッセが傷ついたのは、母親の愛情不足というよりも、その偏狭で頑なな価値観による部分が少なくなかった。
     多くの人が不安定な心を抱え、過酷な子ども時代を過ごすことが増えている現代においては、こうしたことは、さまざまに形を変えて、もっと頻繁に起きやすくなっている。不安定な愛着を抱えた人ほど、薬物やアルコールに依存してしまいやすいように、新興宗教や占いにも救いや安心を求めようとする。
     もともと希薄で不安定だった母親との関係は、そこに新たな精神的支配や押し付けが加わることによって、もっと歪なものとなっていく。身近でも、そうした例は、あまりにも溢れているだろう。
     先の小川眞由美の娘・雅代さんの場合も、彼女をさらに苦しめることになったのは、母親が占いやゲンを担いだ儀式に熱中し、それに一家の生活まで縛られたことだった。占い師から緑と紫は不吉と言われると、その色が一切排除されたという。その色が間違って交じっていたりすれば、黒マジックで塗りつぶされた。最初は強制されてやっていたが、そのうち本当にその色が嫌いになってしまったという。
     それは、他のすべての価値観や行動についても言えることだ。最初はいやいや押し付けられてやっていても、いつしか自分自身がそれに染まっていく。母という病は、ちょうど正常の細胞に浸潤したガン細胞のようなもので、もはやどちらがどちらとも見分けがつかなくなり、切り分けることもできなくなる。
     思春期以降に、母親を拒否するようになるのは、その意味で正常な拒絶反応が、ようやく起き始めたのだと言えるだろう。



     一流企業に勤める父親と、栄養士の母親をもつ高校生の少女が、覚醒剤で捕まって、施設に送られてきた。
     デリヘルで売春をして、覚醒剤を買う金を稼いでいたと言う。まったく普通の家庭のお嬢さんである彼女に何が起きたのだろうか。兄と姉には、非行歴もなく、問題なく育っている。母親は教育熱心で、子育ても頑張り、堅実な家庭を築いてきたつもりだった。下の娘にだけ、なぜそんなことが起きてしまったのだろうか。

     瑠美(仮名)は、どちらかというと慎重で、おとなしい二人のきょうだいとは違って、小さい頃からやんちゃなところがあった。小学校の頃は、男子に交じってドッジボールをする活発な少女だった。
     好奇心旺盛で、じっとしているより、体を動かすことを好み、男勝りな少女。そんなところが、母親から見ると危なっかしく、つい注意したり叱ったりすることが多くなった。
     新しい物好きで、好奇心旺盛な傾向は「新奇性探究」と呼ばれ、生まれもった気質的要素が強い。新奇性探究の強い人は、多動で衝動的で、不注意な傾向もみられ、押さえつけの養育を受けると、先の例にも見たように、ADHDなどの行動障害がひどくなりやすい。
     新奇性探究が強いタイプの人は、薬物依存になるリスクも高い。つい好奇心で、衝動的に薬物に手を染めやすい。親との関係がぎくしゃくしたり、親から否定された状況があると、薬物が避難場所になってしまうことで、余計に依存を形成しやすい。
     新奇性探究の強い人は、この瑠美のように、「困った子」「言うことを聞かない子」と親や教師が受け止め、否定的な接し方をしてしまいやすい。そのことで、なおのこと危険な薬物や危うい輩との関係に、避難場所を求めてしまう。もちろん、それは本当の避難場所になるどころか、地獄への入口になってしまう。

     しかし、この新奇性探究の傾向は、本来は長所でもある。大移動を経験した民族では、このタイプの人の割合が高い。危機の時代を生き延びる力を秘めているのだ。ただ、それが良い方向に発揮されるためには、その特性が理解され、肯定的に受け止められる必要がある。そして、そのことを誰よりもしてほしいと子どもが望むのは、親であり母親だ。
     だが現実は、母親の目には、「ガサガサしている」「言うことを聞かない」「悪いことばかりする」と映り、否定的に扱われることになりやすい。
     生真面目で、潔癖な母親ほど、こうしたタイプの子どもを、何とか「良い子」にしようと、注意したり、叱ったりが多くなってしまう。
     しかし、いくら注意しても、生まれもった気質でもあるので、急に変わることはないし、本人が気をつければ改善するという問題でもない。むしろ、叱られ続けることで、マイナスな影響を生んでしまう。
     否定され続けることに反発を感じるようになり、反抗や行動上の問題が始まり、もう一方では、自己否定を抱え、うつや不安が強まったり、自傷行為を繰り返したりすることも少なくない。活発で、元気そうに見えて、意外に傷つきやすいのだ。
     新奇性探究の強いタイプでは、共感的で肯定的な育てられ方をすると、とても伸びて、能力を開花させるとともに、親との関係も、通常以上に良いということになるが、 否定的な関わり方をすると、問題が噴出することになる。良い方にも悪い方にも、違いが大きく出やすい。


     境界性パーソナリティ障害や薬物依存症といった問題を抱えた人の母親に、大勢会ってきた。そこには共通する特徴がある。それは、気持ちを汲みとり理解するのが苦手な人が多いということだ。
     母親自身、情緒不安定で衝動的で、気まぐれだというケースもあるが、合併で、安定して、一見すると問題がないというケースもある。ただ、どちらにも当てはまる頃向として、子どもの気持ちを汲みとり、子どもの立場で気持ちを考えながらやり取りするということがうまくできないのだ。
     表に出る言動や行動だけで、物事を見てしまい、その背後にある気持ちを感じることができない。表面的な事実や結果にばかり関心が向いて、義務や理屈で考える。その結果、できていないことや欠点にばかり注意がいくことになる。
     そうしたタイプの母親に、何か困っていることを相談したりすれば、有効な助けを得られるどころか、困っていること自体を非難されたり貶されたりする。困っていること自体が、努力が足りないことであり、悪いことになってしまう。
     子どもは下手なことは言えなくなり、悪いことや困っていることがあっても、自分の中で処理しようとする。子どもは、「良い子」となって母親の言いなりになるか、「悪い子」になって反抗するしかないが、どちらにしても害を免れない。


     問題にうまく対処する第一歩は、問題に感情で反応しないことだ。
     安定した愛情に恵まれなかった人や傷にとらわれた人は、感情的になることで、問題をこじらせてしまう。自分から傷口を広げ、小さなかすり傷を、命にかかわる傷にしてしまう。それは馬鹿げたことだ。
     一つ大きく深呼吸して、気持ちを落ち着けたら、まずすべきことは、事実と気持ちを切り分け、事実だけを冷静に見つめること。
     人は恐れていることや期待していることを、事実と勘違いしてしまいやすい。不安定な人では、余計に事実と思い込みの取り違えが起きる。
     思い込みは、傷ついた気持ちが映し出された幻だ。幻にとらわれて、過剰反応してしまうことで、余計に事態をまずくしてしまう。
     嫌なことがあったとき、何が起きたかを、冷静に振り返ってみることだ。
     いつも挨拶してくれる同僚が、そっぽを向いたままなのを見たとしよう。人の顔色を気にする人は、すっかり落ち込むかもしれない。自分を無視されたように受け止めてしまうのだ。
     また、他の人が集まって楽しそうにしゃべっているのを見ただけで、嫌な気分になる人もいるかもしれない。自分がのけ者にされたと思ってしまうのだ。
     こうした反応をどう思うだろうか。ちょっと敏感すぎると思う人もいるだろうし、自分もそんなときがあると感じる人もいるかもしれない。
     心が傷ついた人は、普通の顔を見ても、怒っているように感じたり、悪意を持たれているように受け取ってしまいやすい。
     母という病に苦しんできた人は、大抵否定されたり、傷つけられたりした人なので、何気ない素振りや意味のない表情にも、敵意や怒りを感じてしまう。いつも自分が恐れてきたものが、見えてしまうのだ。
     余計なことに傷つかないためには、どうしたらいいだろう。
     その一つは、自分に言い聞かせる言葉を使うことだ。たとえば、「他のことに気を取られていたんだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
    「みんながただ集まって盛り上がっていただけだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
    「あの人は怒っていなくても、怒ったような顔なんだ。別に意味はない」と、言い聞かせる。
     言い聞かせるという方法は、かなり効果的だ。
     もう一つは、自分の身に起きたのと同じことが、別の人に起きた場合を想像してみる。自分が信頼する安定した人格の人を思い浮かべて、その人だったら、どう受け止め、どう対応するか考えてみる。すると、事態が客観的に眺められ、冷静になることができるし、もっといい受け止め方や反応の仕方も見えてくる。
     日頃から、安定した愛着スタイルの人と接して、その人の考え方や行動の仕方に触れていることは、知らずしらずそれを学ぶことになる。


     安定した愛着を育むのに大切なことは、結局、一言で言えば、互いが互いの安全基地となるということだ。
     そのためには、安全が守られ、安心できるということが何よりも大事だ。ネガティブな反応をしないということは、安心感を傷つけないということでもある。
     その場合に、知らずしらず相手の安心感を損なってしまうのが、相手を思い通りに支配しすぎることだ。安全基地のはずが、相手の主体性を侵してしまい、押し売りや監督官のようになってしまう。相手は、のびのびと自分を出すことができず、息苦し く感じてしまう。
     母という病を抱えた人は、自分と他人の境目がもろい。母親の意思を自分の意思のようにいつも感じ、支配されてきたため、自分の気持ちと人の気持ちをうまく区別することができない。
     自分が望むことを相手も望み、自分が恐れることを相手も恐れると勘違いしやすい。自分と同じように相手も感じていると思い込んでしまう。逆に、相手が求めていることや恐れていることが、自分の気持ちだと錯覚してしまうこともある。たとえ、相手が求めていることが、自分にとってためにならないことであっても。
     親しくなればなるほど、相手と自分との境目が曖昧になり、支配されたり、支配したりが起きやすくなる。なぜなら、その人の母親も、その人をそのように扱ってきたからだ。長年、母親がその人にしたように、その人もまた愛する人にしてしまう。それは相手の自立、自分の自立も損なう。いつのまにか、押し付けや支配や依存が起きやすい。

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    2021年08月08日
  • インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで

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    脳の画像診断が飛躍的に進んだせいか、こういう本を精神科医が書くとき、ファクト元として脳をひっぱってくるのが多いなあ。それはともかく。
    行動でも覚醒剤などの薬と同じように依存性になる、と。確かにギャンブルや買い物なんかもそうだし、それは納得。
    そして国内外の実例など、怖いエピソードが続き‥ちょっと食傷気味かつ個別ケースとその因果関係が本当にそうなのかあんまりよく分からんぞ、とは思うが。ただ、新しいものは何か影響がありそうだ、となっても、実際にわかるまで時間かかるので、君子危うきに近寄らずじゃないけど、慎重に取り入れていく必要はあるなと思う。結論としては予防が第一、と。なっちゃったら完全に治んないし、治療は予防よりはるかに大変、とのことで、予防法(子どもとのルール作り、時間制限、フィルタリングなどの機器設定、など)が具体的に書かれていてよかった。古本屋で100円だったわりに、良かった(蛇足)

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    2021年01月01日
  • あなたの中の異常心理

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    ネタバレ

    著者は精神科医師ということで、いろいろな症例を元に述べられていますし、また今は亡くなっている有名作家などを例にあげたりで読みやすいと思います。

    正常も異常も、養育環境の影響かわからないけど紙一重だな、と思ってしまう。
    社会から逸脱しないから正常と言えるか?と問われれば、間違いなく誰の中にも異常心理のかけらはあるわけで。
    異常性が行動・言動に出てしまうと社会生活が難しくなるだろうから、そこに至る前に手を打つことが大事なのかな。
    完璧主義思考は危ういとか、ドキッとする箇所がありました。

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    2020年12月09日
  • 死に至る病~あなたを蝕む愛着障害の脅威~

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    東京大学から、京都大学 医学部のバケモン。
    キルケゴールは、死に至る病を“絶望”としたが、著者は“愛着障害”とした。
    生物学的な幸福は、エンドルフィン系、ドーパミン系、オキシトシン系から成っており、それらの相互補完の話が面白い。
    作家等の有名人の実例(正確かどうかは定かではないが)も面白かった。
    子供がいる人、持つ予定の人には、刺激的な内容だと思った。でも、病根の疑いが分かるだけで、具体的な接し方、養育方法は教えてくれないのは、世間一般のそれと同じ。それは個別具体で、答えなんてないからなんでしょう。

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    2020年09月09日
  • 愛着障害の克服~「愛着アプローチ」で、人は変われる~

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    愛着障害という、愛着を抱くべき人に適切な愛着を抱けなかった事によって起きる様々な障害についての本。
     愛着障害に対する治療法が書かれているのかと思ったが、まず筆者は愛着障害の原因は障害を抱えた本人ではなく、親や親類、上司など周囲の人間にあるという。
     そのせいか、愛着障害を持ち、苦しむ本人が、自分から何かに働きかけて治す方法ではなく、周囲の人間から愛着障害を持つ人間への関わり方を、愛着障害のタイプ別に説明される。
     つまり、この本の大半は「愛着障害に困る人が自分ひとりで克服するための方法」ではなく、「愛着障害を抱えた人の周囲の人が、愛着障害の人を支えるための方法」なのだな、と思って読み進めていた。
     しかし、最後の愛着障害の克服という章で、今まで紹介されていた、愛着障害者の安全基地となる考え方が、実は、愛着障害の克服するための考え方でもあると明かされる。
     愛着障害者の周囲の人が愛着障害者に優しく接するための方法は、愛着障害者が自分自身に優しく接する方法、また愛着障害者が周囲の人と優しく接するための方法であると、最後の最後に視点の回転が起こる。
     そのため、やはりこの本は愛着障害者本人が愛着障害を乗り越えるための本でもあるのだな、と思った。

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    2020年08月02日
  • 人を動かす対話術 心の奇跡はなぜ起きるのか

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    対話の持つ二人の働きとして、共感的作用と弁証法的作用があること。相手の関心を受け入れること。人は往々にして両化的葛藤に悩まされていること。等々、単なる技術だけでなく、対話が持つ働きや心構えの大切さがわかった気がする。

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    2020年07月11日
  • 死に至る病~あなたを蝕む愛着障害の脅威~

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    自身をADHDやHSP、愛着障害等と決めつけて過去の失敗を肯定し安心するのではなく、今の自分を理解し受け入れてから未来の自分を変えるために何をすべきか考え、実践することが大切だと思いました。

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    2020年11月26日
  • ネオサピエンス 回避型人類の登場

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     著者が定義されている「回避型人類」の存在と現状認識は大いに賛同できると感じた。実をいう自分自身にもいくらかあてはまる部分もあり、「回避型人類」に対する定義としてあげられている「共感型人類」との関係性などは、現実に体験していると思われる。
     しかし、著者がいわれる「回避型人類」の特性が、遺伝子に刻まれるとか人類の進化と関係するという議論には、どうも賛同できない。これらの特性は、社会構造や科学技術の発展における変化に対応する現象であり、ヒトの進化や遺伝子変異と結びつけるには、あまりに早計であろうと思われる。
     さらに両人類は、明確に区別できるものではなく、その人物が置かれている環境で様々な状況が存在する。やはり社会現象のひとつであろう。

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    2020年06月14日
  • マンガでわかる 愛着障害~自分を知り、幸せになるためのレッスン~

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    「オレも教職のはしくれだから、わかるんだけど、亜美ちゃんは愛着障害だと思う。」って、まだ結婚していた頃、当時の夫に言われたことば。
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    なんとなーく気になって、ずるずる来たけど、なかなか当てはまる。(だからと言って、自分を不幸ぶるわけじゃないから、安心してくださいね!)
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    けっこう、自己肯定はできてる方だと思うんだけど、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだというのを知って、人間を育てるには本当に愛情が大切なんだと思い知りました。
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    こないだ息子からは「かかほど、過剰に愛情表現するお母さんいるかな」って言われたけど、それってわたしには勲章。
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    気づかせてくれた、元夫には感謝だね。
    あ、離婚はそれが原因なわけじゃありません。たぶん。
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    成人の1/3が愛着不安定なんだとか。
    好きなら好きって、どんどん言えばいいのにね。

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    2020年06月11日
  • マインド・コントロール 増補改訂版

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    人を自在に操るマインドコントロールというものがよく理解できた。
    テロなどの凶悪犯罪の背後にはこういったものがあるということを知っていると、解決するためにどうすればいいかが見えてくるのではないか。

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    2020年05月23日
  • マインド・コントロール 増補改訂版

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    自分には関わりのないことと思いながら読み始めたが、CMや広告もマインド・コントロールの一種だと知り、急に自分事となった。

    さらに、子育てにおいては自分が子どもに対してマインド・コントロールを行う側になり得るとは、想像してもいなかった。
    確かに親子の関係においては、親の立場が圧倒的に強く、子をマインド・コントロールすることは容易かもしれない。マインド・コントロールにより子どもの人生を狂わせることもあるが、やる気を引き出す方向に持っていければ、子の成長にプラスになることもわかった。

    自分は子どもをマインド・コントロールしようとしていないか?を確認するためにも、時間を置いて再読したい。

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    2020年02月07日
  • マンガでわかる 愛着障害~自分を知り、幸せになるためのレッスン~

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    愛着障害という言葉は知らなかったけど、ずっと私が手放せていないものみたい。私はもういい加減、愛されたいのに愛される訳がないと思っていて、人に何かを期待できない。自分の望む結果にならなかったときに、すべてを否定された気持ちになってしまうから、最初から期待をしないことで自分を守っている。その寂しさはわかるから人には与えることができるけど、自分のことがこじれていることが根深い。知識としては少し理解できたから、体系的に解き放てると良いのですが。

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    2020年01月22日
  • カサンドラ症候群 身近な人がアスペルガーだったら

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    関心の共有と共感的応答の乏しさ
    毎日毎日ちょっとしたことが、澱のように沈み、突然非難や罵声を浴びることになる。理不尽なように思えるが、それはある意味必然の結果。

    幼い時に親との愛着が形成されなかったり、生得的なもので共感性が乏しかったりすることもある
    そうでない人でも、家庭以外の場所でのストレスなどで、心の余裕が失われると、共感的応答が出来なくなる。

    一時的な非応答ではなくて、常態的な場合は、一見上手く行っていそうな関係でも、臨界に達すると、非難などでこぼれてしまう。
    今度は関係が逆転してしまう。
    不機嫌の椅子のは一脚しかない。
    顔色を伺う、ある種の安定となるが、健全とは言えない。

    解消には患う方に加えてパートーナー、そして相互の周囲の状況までを見て改善すること良い。
    片方がストレスフルの職場から離れることで改善された事例がある

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    2019年12月31日
  • 過敏で傷つきやすい人たち

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    過敏や生きづらさの原因を、科学的に説明。ただ途中から、なんとなく子供の生育には母親の役割が大事だから完璧な親になれって言われてる気がして、憂鬱になった。安全基地は父親だっていいし、ネグレクトの原因が母親が「働いてること」みたいに書かなくてもよくない?って本質と違うところが気になってしまった。ただ認知の歪みを認識するとか原因を把握するに良い本だったと思う。この分野はそろそろもう一歩踏み込んで学びたいなぁ。

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    2019年11月24日
  • 話を聞きたがらない夫 悩みを聞いてほしい妻 精神科医が教えるコミュニケーションのコツ

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    子どもにとっても夫にとっても自分が安全基地になる。
    相手の安全基地になれば、愛着は相互的な仕組みなので、いつのまにか自分にとっても相手が安全基地になっている。

    自分に安全基地ができれば、生きやすくなる。
    相手の安全基地になれば、生きやすくしてあげられる。

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    2019年07月19日