私は自分の問題としてこの本を手に取った。具体例から社会論まで書ききっている、なかなかの著作だった。
人格障害とは、ボーダーライン(境界性人格障害)に代表されるような、精神病未満、神経症以上の、自己愛や自己否定を伴うこころの障害である。うつや依存症をひきおこす根本原因である場合もあるとも説明されている。
人格障害には10のタイプが定義されており、程度の重いものから順に、
A群 妄想性人格障害、統合失調質人格障害、統合失調症型人格障害
B群 境界性人格障害、反社会性人格障害、自己愛製人格障害、演技性人格障害
C群 回避性人格障害、強迫性人格障害、依存性人格障害
となっている。それぞれのケースが具体例を伴って示されており、わかりやすい。例えば演技性人格障害の項では性的欲望の対象を演じ続けるマドンナを挙げている。
激しい自己愛と、それが受け入れられない場合の自傷・自殺企図を特長とする境界性人格障害(境界例)という診断が医療の現場では増えており、人格障害という概念は浸透しているらしい。
治療には長い年月がかかる、ということで、まずは患者の主訴、おそらく現実におこっているうつの症状などに対処していくところから始め、いきなり「人格障害」そのものをターゲットにして治療することはないという。そして治療者や周囲の適度な受容と、治療者と患者の関係があいまいにならないようなルール・枠組みの設定とその厳守、本人の現実対応能力の向上と改善が必要としている。
周囲が過度に甘やかすと、依存が深まったりするので、本人が自ら治ろう、改善しようという意思を持ち、現実対応のためのコミュニケーション能力などを自ら磨いていくことが結局必要になる。激しい自己愛は思春期の状態をそのまま引きずっていることの現われなので、結局は本人の成長を待つしかない側面があるということである。ひきこもりがちで、対人関係を恐れ避ける回避性人格障害ではないだろうか、と思っている私は、身をつまされる感じを受ける。少しずつ改善していければと思う。
また、人格は社会を構成しており、社会は人格の集合として成り立っており、人格の病は社会の鏡であることも言っている。そこではニーチェからサルトルへの実存主義の流れ(私が大事、自分に正直にという超個人主義)やドルゥーズ・ガタリの資本主義が分裂症を生み出したという主張と絡んでいるという。
最近内田樹の「死と身体」で、現代は奴隷道徳というニーチェ的世界観が大衆社会で浸透したという論旨を読んだが、人格障害というキーワードもそれに似ているのかもしれない。万人がニーチェを読もうが読むまいが、実存的世界観は実現してしまったのだと思う。
人格障害はそれを生み出す家庭環境や親自身も人格障害的である。そう考えると、みんなが未成熟な人格障害者であり、それらがまた子どもを生み育ててしまうという恐ろしい循環がある。