【感想・ネタバレ】母という病のレビュー

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Posted by ブクログ 2023年11月17日

動物、人は、母から産まれてくる。
母が子を育てることは、当然、本能とされている。
「母だから」「母なのに」・・・
その言葉に傷つく女性=母たちが大勢いる。

母なる大地、母は太陽、母なる海・・・などと、
母は偉大な存在なんかではない。
土砂崩れを起こしたり、雲に隠れたり、津波になったり、決して平穏な...続きを読む存在ではない。

なぜなら、母も一人の人間。
完璧な人間がいないように、完璧な母はいない。

「母という病」によって、
ヘッセのような文学がうまれたり、
ジョン・レノンのように素晴らしい音楽がうまれたり、
岡本太郎のように、芸術品ができたり、
全てがマイナスばかりではなく、
本人の資質が大きくかかわっていると思う。

子供の時には気づかなかった、母の姿が、
成長することで、客観的にみることができ、
状況や理由を理解し、許すことができたら、
きっと、その時が、親離れ、大人に成長した証かもしれない。
傷ついたまま、成長できない子供たちには、
しっかりと大人のサポートが得られたら、
どんなにいいか。
そして、この本は心の傷に、暖かい手でそっと包んでくれる。

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Posted by ブクログ 2022年03月20日

岡田先生の本を読むと過去の経験がまるっと受け入れられるような感覚になる

「過去の傷や渇きはそのままにしておいても絶対に消えることはない。だからこそ正面から向き合わなくてはならない」という旨のことが本書で述べられていた
これはなかなかに難しく、大変なことだ

"信じること"がどう...続きを読むいうことなのか最近わかってきたけど、"許すこと"がどういうことなのかはまだよくわからない
藤井風の帰ろうにその本質があるような気がしていて、とすると許すこととは"忘れること"なのではないかと思う
必ずしも痛みと正面から向き合う必要はないのかもしれない

✏自分は大丈夫だという安心感は、自分の力に対する自信からだけではなく、困ったときはきっと誰かが助けてくれるという周囲に対する信頼感(=基本的信頼感)からもきている

✏母親が自己愛的になるということは、母性を失うということに等しい

✏自分自身が自立していない母親は、自分の人生を主体的に生きるということができないため、思い通りになる子どもを、際限なく甘やかすことで、ある種の代理的満足を得ようとするのだ

✏オキシトシン・リッチな人では、寛容で、とらわれない性格を示しやすいのだが、オキシトシン・プアな人では、厳格で、ルールに縛られ、潔癖になりやすい

✏そもそも自立という関門は、ある意味、母親に見切りをつけるプロセスだと言える。(中略)たっぷり甘えて、愛情をもらった人のほうが、この関門を容易に通過できるのだが、母親に愛されなかった人ほど、未練が強くなる

✏完璧を求めるのは、思春期までで十分だ。そろそろ終わりにしよう。大人として円熟するということは、完璧へのこだわりを卒業するということなのかもしれない

✏母親から愛情をもらえず、母という病を抱えた人は、しばしば自分が誰かの親代わりの存在になることで、自分に得られなかったものを他人に与え、それによって自分の抱えた傷を乗り越えようとする

✏苦しみの九割はら自分自身の傷つきやすさと人を信じられない気持ちが作り出している

✏思い込みは、傷ついた気持ちが映し出された幻だ。幻にとらわれて、過剰反応してしまうことで、余計に事態をまずくしてしまう

✏親のことを許すことができたとき、子どもは自分に対しても、誰に対しても、大きな肯定を手に入れることができる。人生に対して、これで良かったと思うことができる。

✏そしてある日、まるで自分を蝕んでいた害毒がら透明な結晶となって固まり、取り出されるように、心から剥がれ落ちる

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Posted by ブクログ 2020年04月15日

家族関係の問題では、夫婦(両親)のどちらかだけが一方的に悪いということは絶対にないということを、この本を読んで理解しました。
この著者の本には、必ずと言っていいほど「愛着障害」や「安全基地」という言葉(概念)が出てきますが、この本でも後半(第7章「母という病」を克服する)の中で書かれていました。
...続きを読むなみに、この本でも「『一旦見切りをつける(一旦縁を切り離れる)』こと、『感情ではなく事実で見ること(客観的になること)』で、本当に自分にとって大切なものが見えてくる」と書かれていますが、本当にその通りだと私は思っています。

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Posted by ブクログ 2019年12月24日

現代で急激に増えている心の病のかなりの部分をカバーする内容ではないかと思う。新型うつとか、境界性パーソナル障害とか、発達障害とか色々な病名があるが、すべてここに行き着く気がする。現代に生きる人の必読書と思う。特に親は、この本を読み、子供と向き合ってほしいと思う。特に、子供が良い子で、うまくいっている...続きを読むと思っている親は、手遅れにならないうちに。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2018年02月09日

こざっぱりとした食卓で、家族みんなで夕食を囲んで、和やかに話したりテレビを見て自然に笑うことが許されて落ち着く、なんていう得られなかった場面がどうしてもまだ欲してるというか憧れているのを、これを読んで気づかされてしまう。

母は私の気持ちを理解しようとしてくれていただろうか、汲み取ろうとしていただろ...続きを読むうか。
演じず自然に生きるということがどれほど難しいか。
本書の随所随所で過去を振り返ってしまう。

たとえば、両親が喧嘩することを恐れていた感情だけが残ってる場面。母が怒りの感情を手持ち無沙汰にしているように感じた場面。

でもこれは、母親個人の問題ではなく、社会全体の問題なんだと思う。核家族化、ひとり親家庭といった普段ネガティヴに取り上げられるだけでなく、ポジティブに捉えられる女性の社会進出へのまなざしも必要なんだろうな。女性が働きながら母親の役割を果たすために、なんらかの新しい手立てが生まれるべき。

いま現代の1/3の人が母という病をなんらかの形で抱えているという。多くの人に読まれ多くの人とともに考え、ともに支え合っていける社会になってゆけたらなあと思う。


〈以下引用〉
‪この世に唯一変わらないものがあるとしたら、それは母親に愛されたいという子どもの願いかもしれない。そこには何の掛け値も打算もない。愛されなかった子どもほど、その思いは強烈で一途だ。‬

豊かで快適になったはずの社会は、子どもから、本来の母親を奪ってしまってきたように思える。それが、母という病の増加をもたらしている大きな原因ではないだろうか。経済が豊かになっても、幸福になるどころか、生きることすら意味が感じられず、空虚感に苛まれる人が増えている一因が、そこにあるように思えてならない。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年11月03日

 ある小説の、『娘の不幸は全て母親から始まる』のように書いた一節を思い出した。母親に愛されたことがないことがその人間に及ぼす影響は、『愛されたことがないから愛し方が分からない』の一言では語り尽くせない影響があるのだと痛感した。
 納得するフレーズが多くて、大変勉強となった。心に留めておきたい。本にラ...続きを読むインマーカーを引く習慣がないので付箋をつけるに留めていたが、付箋をつけた数が多いのでラインマーカーで塗ろうかどうしようかを迷っている。
 以下、作中より引用。
 『けれども、子どもの方は、親よりもずっと純粋だ。どんなあさましい親側の都合であれ、子どもはそれを仕方のないこととして受け入れ、親の期待に答えようとする。
 なぜなら、子供は親に愛されたいから。その気持ちはどんなものより純粋だ』
 『甘えていいはずの人に甘えられず、一番危険な人に助けを求めてしまう。うわべだけを見れば、一番危険な人が、一番優しそうに振る舞うから。
 本当の愛情というものを知ってる人なら、簡単に見破ることのできる見せかけの愛情にひっかかってしまうのだ』
 『子どもは親を憎みたくなんかない。ただ親を愛したいのだ

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Posted by ブクログ 2015年03月14日

自分がこれまで苦しんでいた理由がまさに本書に記されていた。
母という病に知らず知らずのうちに侵され、ダメな自分は生きる価値がないと嘆き、悩み、ひたすら自分を責め続けた。
この本に出会うことができて本当によかった。
少しずつでもいいので、自立して自分を確立させていきたいと思う。
著者の岡田さん、ありが...続きを読むとうございます。

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Posted by ブクログ 2014年08月14日

母子関係はかくも子供の人格形成、人生に影響を与えるものかと改めて知らされる。母親の代わりは絶対どこにも無い中、働きながらの子育てをどう考えるべきなのかなと、特に予定もないけど考えてみる。
後半は母子関係を軸に広くコミュニケーションについて参考になる説明も多い。手帳に書きとめたので、たまに振り返って自...続きを読む分の生活を見直したい。

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Posted by ブクログ 2014年05月22日

若い頃は 母の理不尽を感じながら気付かぬ振りをしていたけれど、年齢を重ね自分も母になってから、子供達には自分がされて来た事をしない様に 無意識に意識していたことを最近になって認識したようです。多分 後数年以内には亡くなるであろう母が生きている間に この本を読まなくては、と強く思った。読みながら、自分...続きを読むでも不思議な自分が こう言う事で作られてたのかと腑に落ちることが多々。ただ、きちんと母を母と言う病について向かい合わせるには、母は歳を取りすぎている。 そして、これもこの病の症状らしいが、今更苦しめても仕方ないから、諦めて何も言わず[いい子]を演じたまま 今世での関係を終わらせるのだろうなぁとおもっている。 母がもう少し若くて元気でも、きっと向かい合えなかっただろうけど…

でも、読んでよかった。

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Posted by ブクログ 2014年03月19日

この本は、実際に母親のことで悩んで、進めなくて、がんじがらめにされて、断ち切れない、どうにもならない、思いで生きてきた人にしか、理解できないのではないでしょうか?

長い間、苦しめられてきた存在の分析を、少しづつ出来るようになり、楽にはなってきた。

だが、不信感、嫌悪感しか抱けない(子供の頃は、何...続きを読むもわからないから、信頼しきっていた(だまされていた))、自分が、欠落人間だと、思っていて、自信もなかった。
よく考えれば、そう思うように、コントロールされていたことに気づいた。
でも、そう思う人間が、気持ちが汚いと、罵倒され続けた。

・・・

私の、うまく、説明できない、でも、真理をわかっている気持ち・・・が本になっていた。
読むのが辛かったが、冷静に受け取り、これからの自分の指針にしたいと思いました。

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Posted by ブクログ 2024年01月10日

母親の存在の大きさに驚いた。それぞれの人の価値観や考え方は過去に起因することは分かっていたが、経験を受け止める皿として母親の存在があるため、それが重要。乳幼児期の母親の存在がオキシトシンの受容体の数に影響することが衝撃的だった。
人のどんな行動も愛着を求めてゆえだと思えると対処しやすくなる感じがした...続きを読む
過干渉、母親の自己愛、兄弟との比較など客観的に見れば問題があってもいざやろうとするとバランスが難しいんだろうなぁととても思う。
自分は母親という病を乗り越えて今は安定しているのかな。幼少期の癇癪、悪戯、乱暴、悪い行為もそうだし、中高生の時期に頑張って完璧を求めていた部分もそうなのだろう。あとは最近まであった、楽しいとか幸せだと感じても一瞬後には全てがダメになってしまうような不安感。
けど今は家庭の中の問題に気づいて混乱とか衝撃は大きかったが人との会話も繰り返しながら事実を捉えて向き合えるようになった。早い段階で気づいて対処できて良かったし、受け止めてもらえる環境だったのが非常にありがたい。
自分の大切な人からの愛情を、信じられずに跳ね飛ばしてしまうことはとても悲しい。現にそうしかけている自分がいる。不安になった時は相手の考えを聞いてそのまま受け止めるようにしたい。自信のなさでバイアスがかかることもあると思うが。
「100点でなく50点で満足できると、人生はずっと楽になる。60点だったら、上出来だと思おう。100点なんて、不自然だ。」という箇所が印象的だった。
日本人は真面目だと言われるが、慎重派だったり頑張りすぎてしまう部分がずっと母親から子へと受け継がれた結果だとしたなら悲しいなと感じる。

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Posted by ブクログ 2023年07月08日

母の存在、そして愛の関係性がどんなに重要かということを改めて思い巡らしながら読み進めた。紹介されるケースに自分自身の身を置きながら、私と母との関わり、私と娘との関わりを考察してみるきっかけとなった。

そもそも、「完璧な自分」「理想の自分」って、そんなに良いものだろうか?それは、本当に自分が望むもの...続きを読むだろうか。(p278)
「悪い子」の自分も、また大切な自分だということ。「悪い子」の自分を受け入れたとき、人は一人前に一歩近づく。(p279)

失敗をし、迷いながらでも、なんとか毎日過ごしている自分に、それでいいんだよと言ってもらえてる気がした。

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Posted by ブクログ 2022年07月08日

愛着障害の方の様々な事例があげられており、どのような生い立ちが、どのように人生に影響するかということが、想像しやすかった。簡潔に書かれていれば、尚読みやすい。

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Posted by ブクログ 2017年10月07日

本の中に自分を発見しました。(p.232)
母との関係が今の自分を作っているなんて思いもよらず、ただなんとなく、最近母とうまくいかないなあと思い手に取った本。
冒頭から虐待にあった子ども、ネグレクトにあった子ども、捨てられた子ども、本当に想像を絶するありとあらゆる不幸な子どもの半生が書かれていた。
...続きを読む
ああ、自分のことではないと読み進めていたが、232ページ目に自分を発見してしまった。幼い頃に母にされた厳し目の躾、弟ばかり可愛がる母の眼差し、わたしのことを豚呼ばわりする両親の嘲る笑い声、ヒステリーみたいに叫ぶ母と物を投げまくる父、私には全く無関心で弟の野球の話に明け暮れる夕飯の時間。
ありとあらゆる嫌な場面が走馬灯のように襲ってきた。ああ、こんなにも私は内側に黒々とした思いを閉じ込めてきたのか、と、

昨日、久しぶりに実家に帰ってわかった。私があの家でどれだけのストレスを抱えていたのか。聞かないように注意していても耳に入ってきてしまう両親の罵声。母親が酷いことを言われていないか、気づかぬうちにそば耳を立てていた。ご飯を食べる時のぎくしゃくした雰囲気。父が怒り狂うのが怖くてだまったまま俯いて食べる夕飯。

やはり、うちは、おかしいのだ。
そう、おかしいのだ。

そんなことを思ってはいけないとずっと思い込んでいた。父も母も一生懸命働いていたし、何より、私に愛情がないわけではないことはうすうす気づいていたから。

でも、いま、はっきりと思う。やっぱりおかしいのだ。私はあの二人に育てられ、何かが欠落した状態で大きくなってしまった。

手がかからないように、いい子でいるように振舞ってきた。でも爆発した。それが高校生のときのわたしなのだろう。

きっとこれからもこの想いは伝えられないかもしれない。でも良い。気づけただけでも1つの句切れ目だ。

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Posted by ブクログ 2016年03月24日

毒親の片側、母親のみに焦点をあてて書かれた本。
確かに母親だけに責任を求めるのは酷だと思う。何故なら母親もまた高確率で彼女の母親の被害者だったのだから。しかしまず外部に責任を求めることで被害者が自身の内罰的な言動を改めることが出来るなら、それが回復への第一歩になり得るのではないだろうか?その意味で母...続きを読む親に責任を求めるという行為は必要な過程だと思う。
ただしそれは、もし遠い未来に自分の子供にその子の生きづらさの責任を求められたならばその責任は親である自分が果たさなければならない、ということでもあるが。

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Posted by ブクログ 2015年06月12日

なんでこの世の中がこんなにも生きづらく、逃げ場がないのだろうと分からずに苦しんでいる若者が読めば、なにかそこから抜け出すきっかけになるのかもしれない。すべてが母親のせいではないが、何かのヒントを得られるかもしれないとおもった。

父という病、家族という病を読もうと思う。

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Posted by ブクログ 2014年11月11日

少し前話題になってた新書。けっこう前に買ってたけど手をつけないまま数ヶ月置いてて、いろんな意味で落ち着いたのでようやく読みました。

母親との関係に苦しむ人たちの実例(虐待、ネグレクト、離婚、支配、兄弟・姉妹との愛情の格差etc)と、それによって出た症状や影響(精神的な病、薬物中毒、恋愛における過剰...続きを読むな偏りetc)を紹介するとともに、そういう苦しみから脱け出していく過程、考え方の変換の仕方などが書かれている本。
読むのけっこう辛かったけど、読んでよかったと思った。
自分の親はやや偏ってるけれど、十分幸せな環境に育ってきたんだな、と思えた。

深すぎる感想は他の某所に書いたのでこの辺でやめておきます。笑

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Posted by ブクログ 2014年10月06日

子どもを授かるということに対して強く不安を感じた。35歳の私は、もしこの5年で子どもを授かったとしても40歳だ。子どもとの間に愛着を育てることはできるだろうか。私はどうだったろうか。親との愛着は。深く悩む。

もう結婚なんてしない方がよいのではないかとさえ思ってしまう。どうだろう。子どもを授かり育て...続きを読む次につなげると同じくらいこれからの社会に対して貢献できることはあるだろうか。それを模索した方が、残された時間(大げさ)の配分を考えると良いのではないかと考えてしまう。

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Posted by ブクログ 2020年06月06日

子どもの感受性や受け止め方次第で「母という病」の影響は変わるだろうが、ほんの些細なことでも複雑で残酷な結果につながってしまう。偉人(特に芸術家・作家)に「母という病」を患った人が多いという。

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Posted by ブクログ 2014年03月11日

子どもの成長にとって、どれだけ母という存在が特別であり、重要であるかを知ることが出来た本。母との関係がうまくいていない人は、うつや薬物・アルコール依存などに陥りやすい。何歳になっても、母との関係は引きづってしまうそうだ。これから母になるかもしれなず、教員になる自分にとって、大変勉強になった。

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Posted by ブクログ 2021年01月11日

 病気と躾の境は難しい。


 女性といえども、まだ娘のうちは、子どもに無関心な人も多い。子どもは泣くので嫌いという人も少なくないだろう。しかし、一度親になると、子どもが可愛くてたまらなくなる。泣き声さえ愛おしくてたまらなくなる。
 なぜ、そんなことが起きるのだろうか。
 そこには、命をつなぐ営みに...続きを読む欠かすことのできない生物学的な仕組みがかかわっている。その仕組みが愛着システムだ。母性を育み、また母子の愛着を生み出す源は、陣痛を引き起こし、授乳のときに活発に分泌するホルモンと同じなのだ。そのホルモンを、オキシトシンという。
 お腹を痛めて産んだ子だから可愛いという言い回しには、深い真実がある。陣痛の最中、大量に分泌されるオキシトシンが、母子の絆を一気に高め、授乳を通して、その絆はさらに持続的なものとなっていく。
 抱っこや愛撫といったスキンシップが重要なのは、このオキシトシンの分泌が、スキンシップによって促されるからだ。
 愛着やスキンシップが心地よく、子どもを世話することが、苦痛よりも歓びになるのも、オキシトシンの働きによる。オキシトシンには、不安を鎮め、心地よさをもたらす働きがある。
 オキシトシンの分泌が悪かったり、オキシトシンと結びつくはずの受容体の数が少ないと、この仕組みがうまく働かない。不安を感じやすく、神経質で潔癖になるだけでなく、人との接触や子どもの世話をすることにも歓びを感じにくい。
 生きることは不快な体験となり、対人関係も子育ても、楽しく感じられない。ネガティブな感情に支配されやすく、信頼関係も育まれにくい。 どうしてそんなことが起きてしまうのだろうか。
 実は、オキシトシンの分泌やオキシトシンと結びつく受容体の数を左右するのは、幼い頃にどれくらい愛情深く世話をされたかなのだ。
 大切に育てられた人では、オキシトシンの働きが良いので、自分自身ストレスを感じにくいだけでなく、子どもを育てたり、人を愛することも容易になる。
 しかし、虐げられたりかまわれずに育った人は、それとは正反対な体質を身に着けてしまう。

 幼年時代がいくら幸福で恵まれたものでも、その後の体験によって、愛着が大きな傷を受ければ、愛着が不安定になるということも起こりうる。
 その一つは、両親の不和や離婚だ。ある意味、安定した愛着を両親と結んでいればいるほど、両親の諍いや片方の親との離別は、その子の愛着に深い傷を負わせる。対人関係や恋愛に対して懐疑的になったり消極的になったり、逆に親代わりを求めようとして過剰に依存する場合もある。
 もう一つ、普通の家庭にも起きやすいのは、子どもに対する過度な支配やコントロールによって、母親が子どもの主体性を侵害するという状況だ。母親は最善を尽くし、 良い親をしているつもりでも、子どもが求めているものとの間にギャップが広がり、愛着は不安定となっていく。子どもの気持ちを汲みとれていないからだ。
 親との関係がもちろん重要だが、年齢が上がるとともに、その子をとりまく友人や教師などとの関係も重要になっていく。安心していられる居場所が確保され、安全基地になってその子を見守ってくれる存在に出会えると、たとえ家庭が多少不安定でも、 その子の愛着は次第に安定したものに変わっていく。
 母親の役割は、外の世界とのかかわりにおいても、その子が安心できる環境や安全基地となる存在に恵まれるように、さまざまな配慮や働きかけをすることだと言える。自分自身が、安定した愛着をもつ母親では、そうしたことを、うまくやりこなしやすいが、母親自身が不安定な場合には、問題が生じていても無関心に放置したり、極端な対応をとったりして、逆に子どもを孤立させてしまうという結果を招きやすい。
 もちろん、母親の力だけではどうにもならない部分も大きい。社会自体が優しさや余裕を失い、自分を守ることに汲々としたり、融通の利かないルールで杓子定規な応をしたり、多数派の都合ばかりを優先したりするようになると、不安定で立場の弱いものは、ますます居場所を失っていく。
 その意味で、母という病は、母親だけに原因があるというよりも、母親や子ども 守れない社会にも、原因があるということだ。

 
 回避的な人は、…失敗を恐れ、チャレンジを避けるため、自分の真価を発揮することができない。石橋を叩きすぎて、橋を渡らないままに年を取ってしまうということにもなる。
 慎重さも大事だが、思い切ってやってみるという勇気も、人生を切り開いていくには必要だ。
 回避的な若者に共通するのは、親からあまり褒められたことがなく、悪い点ばかりをあげつらわれてきたことだ。親はたいてい真面目で、義務感の強い人で、~するのが楽しいとか、~したいという気持ちよりも、~せねばならないという責任やルールを重んじる。
 親の存在が大きすぎ、過干渉になって、子どもの主体性が脅かされていることも多い。子どもは、自分の願望や意思よりも、親の意向に支配され、無理やり動かされている。
 チャレンジして成功しても評価されず、失敗したときだけ責められては、チャレンジなど割に合わなくなってしまう。自分の意思で何かをやろうとして失敗すればそれこそ何を言われるかわからない。
 それならと、非難を避けるために、親の意向に従い、自分が本当に望んでいるのではないことを選んでしまう。
 そういう状況が小さい頃から続くと、チャレンジするよりも、無理なことはせず現状維持を第一とするようになる。自分で意思決定をするよりも、責任を逃れるために他の人に決定をゆだねてしまうということにもなる。
 そうなると、本当にやりたいことをしているわけではないので、積極的な意欲もなくなってしまう。


 母親は義務感のとても強い人だったが、義務感や潔癖さというのは、母性的な優しさとは正反対なものだ。先にも触れたが、母性的傾向が強まると、潔癖さやこだわりといったものは薄れ、寛大になる傾向がみられる。これは価値観の問題ではなく、生理的メカニズムでそうなるのだ。母性や愛着に関係するオキシトシンというホルモンは、潔癖さを和らげ、寛大にする働きをもつ。
 実際、母性が高まった状態になると、わが子に対して優しくなるだけでなく、どんな子どもに対しても愛情を感じやすくなり、心が穏やかで寛くなる。母性とは、損得や規則で考えるのとは正反対な性質をもつ。
 ところが逆に、母性が乏しい状態になると、潔癖で完璧主義になり、細かい問題が気になり、他罰的で、批判的で、排他的になる。心が狭くなると言ってもいいだろう。 自分の身を守るのを優先し、利己的に生きるのであれば、母性など乏しい状態の方がいいわけだ。自分のことだけ完璧にこなし、それを邪魔するものは、排除した方が安全だし、身のためだ。


 不安定な人は、自分の安定を図るために、しばしば盲目的な信仰や価値観、迷信的な儀式や占いに頼ろうとする。ほどほどにならば、さして害もないが、それが生活の中心になるほど肥大し、そこに子どもも巻き込まれることになると、影響は小さくない。
 母という病によって苦しんだ人の多くは、母親が頼った偏執的なまでの信仰や迷信に振り回された不快で、苦痛で、ときには滑稽とも言えるような体験を味わってきているものだ。
 とらわれやすく極端になりやすい性格は、先にも述べたようにオキシトシンの働きとも関係している。オキシトシン・リッチな人では、寛容で、とらわれない性格を示しやすいのだが、オキシトシン・プアな人では、厳格で、ルールに縛られ、潔癖になりやすい。
 自分自身過酷な環境で育ったヘッセの母親は、オキシトシン・リッチというよりも、オキシトシン・プアな性格傾向を、典型的に示していたと言えるだろう。ヘッセが傷ついたのは、母親の愛情不足というよりも、その偏狭で頑なな価値観による部分が少なくなかった。
 多くの人が不安定な心を抱え、過酷な子ども時代を過ごすことが増えている現代においては、こうしたことは、さまざまに形を変えて、もっと頻繁に起きやすくなっている。不安定な愛着を抱えた人ほど、薬物やアルコールに依存してしまいやすいように、新興宗教や占いにも救いや安心を求めようとする。
 もともと希薄で不安定だった母親との関係は、そこに新たな精神的支配や押し付けが加わることによって、もっと歪なものとなっていく。身近でも、そうした例は、あまりにも溢れているだろう。
 先の小川眞由美の娘・雅代さんの場合も、彼女をさらに苦しめることになったのは、母親が占いやゲンを担いだ儀式に熱中し、それに一家の生活まで縛られたことだった。占い師から緑と紫は不吉と言われると、その色が一切排除されたという。その色が間違って交じっていたりすれば、黒マジックで塗りつぶされた。最初は強制されてやっていたが、そのうち本当にその色が嫌いになってしまったという。
 それは、他のすべての価値観や行動についても言えることだ。最初はいやいや押し付けられてやっていても、いつしか自分自身がそれに染まっていく。母という病は、ちょうど正常の細胞に浸潤したガン細胞のようなもので、もはやどちらがどちらとも見分けがつかなくなり、切り分けることもできなくなる。
 思春期以降に、母親を拒否するようになるのは、その意味で正常な拒絶反応が、ようやく起き始めたのだと言えるだろう。



 一流企業に勤める父親と、栄養士の母親をもつ高校生の少女が、覚醒剤で捕まって、施設に送られてきた。
 デリヘルで売春をして、覚醒剤を買う金を稼いでいたと言う。まったく普通の家庭のお嬢さんである彼女に何が起きたのだろうか。兄と姉には、非行歴もなく、問題なく育っている。母親は教育熱心で、子育ても頑張り、堅実な家庭を築いてきたつもりだった。下の娘にだけ、なぜそんなことが起きてしまったのだろうか。

 瑠美(仮名)は、どちらかというと慎重で、おとなしい二人のきょうだいとは違って、小さい頃からやんちゃなところがあった。小学校の頃は、男子に交じってドッジボールをする活発な少女だった。
 好奇心旺盛で、じっとしているより、体を動かすことを好み、男勝りな少女。そんなところが、母親から見ると危なっかしく、つい注意したり叱ったりすることが多くなった。
 新しい物好きで、好奇心旺盛な傾向は「新奇性探究」と呼ばれ、生まれもった気質的要素が強い。新奇性探究の強い人は、多動で衝動的で、不注意な傾向もみられ、押さえつけの養育を受けると、先の例にも見たように、ADHDなどの行動障害がひどくなりやすい。
 新奇性探究が強いタイプの人は、薬物依存になるリスクも高い。つい好奇心で、衝動的に薬物に手を染めやすい。親との関係がぎくしゃくしたり、親から否定された状況があると、薬物が避難場所になってしまうことで、余計に依存を形成しやすい。
 新奇性探究の強い人は、この瑠美のように、「困った子」「言うことを聞かない子」と親や教師が受け止め、否定的な接し方をしてしまいやすい。そのことで、なおのこと危険な薬物や危うい輩との関係に、避難場所を求めてしまう。もちろん、それは本当の避難場所になるどころか、地獄への入口になってしまう。

 しかし、この新奇性探究の傾向は、本来は長所でもある。大移動を経験した民族では、このタイプの人の割合が高い。危機の時代を生き延びる力を秘めているのだ。ただ、それが良い方向に発揮されるためには、その特性が理解され、肯定的に受け止められる必要がある。そして、そのことを誰よりもしてほしいと子どもが望むのは、親であり母親だ。
 だが現実は、母親の目には、「ガサガサしている」「言うことを聞かない」「悪いことばかりする」と映り、否定的に扱われることになりやすい。
 生真面目で、潔癖な母親ほど、こうしたタイプの子どもを、何とか「良い子」にしようと、注意したり、叱ったりが多くなってしまう。
 しかし、いくら注意しても、生まれもった気質でもあるので、急に変わることはないし、本人が気をつければ改善するという問題でもない。むしろ、叱られ続けることで、マイナスな影響を生んでしまう。
 否定され続けることに反発を感じるようになり、反抗や行動上の問題が始まり、もう一方では、自己否定を抱え、うつや不安が強まったり、自傷行為を繰り返したりすることも少なくない。活発で、元気そうに見えて、意外に傷つきやすいのだ。
 新奇性探究の強いタイプでは、共感的で肯定的な育てられ方をすると、とても伸びて、能力を開花させるとともに、親との関係も、通常以上に良いということになるが、 否定的な関わり方をすると、問題が噴出することになる。良い方にも悪い方にも、違いが大きく出やすい。


 境界性パーソナリティ障害や薬物依存症といった問題を抱えた人の母親に、大勢会ってきた。そこには共通する特徴がある。それは、気持ちを汲みとり理解するのが苦手な人が多いということだ。
 母親自身、情緒不安定で衝動的で、気まぐれだというケースもあるが、合併で、安定して、一見すると問題がないというケースもある。ただ、どちらにも当てはまる頃向として、子どもの気持ちを汲みとり、子どもの立場で気持ちを考えながらやり取りするということがうまくできないのだ。
 表に出る言動や行動だけで、物事を見てしまい、その背後にある気持ちを感じることができない。表面的な事実や結果にばかり関心が向いて、義務や理屈で考える。その結果、できていないことや欠点にばかり注意がいくことになる。
 そうしたタイプの母親に、何か困っていることを相談したりすれば、有効な助けを得られるどころか、困っていること自体を非難されたり貶されたりする。困っていること自体が、努力が足りないことであり、悪いことになってしまう。
 子どもは下手なことは言えなくなり、悪いことや困っていることがあっても、自分の中で処理しようとする。子どもは、「良い子」となって母親の言いなりになるか、「悪い子」になって反抗するしかないが、どちらにしても害を免れない。


 問題にうまく対処する第一歩は、問題に感情で反応しないことだ。
 安定した愛情に恵まれなかった人や傷にとらわれた人は、感情的になることで、問題をこじらせてしまう。自分から傷口を広げ、小さなかすり傷を、命にかかわる傷にしてしまう。それは馬鹿げたことだ。
 一つ大きく深呼吸して、気持ちを落ち着けたら、まずすべきことは、事実と気持ちを切り分け、事実だけを冷静に見つめること。
 人は恐れていることや期待していることを、事実と勘違いしてしまいやすい。不安定な人では、余計に事実と思い込みの取り違えが起きる。
 思い込みは、傷ついた気持ちが映し出された幻だ。幻にとらわれて、過剰反応してしまうことで、余計に事態をまずくしてしまう。
 嫌なことがあったとき、何が起きたかを、冷静に振り返ってみることだ。
 いつも挨拶してくれる同僚が、そっぽを向いたままなのを見たとしよう。人の顔色を気にする人は、すっかり落ち込むかもしれない。自分を無視されたように受け止めてしまうのだ。
 また、他の人が集まって楽しそうにしゃべっているのを見ただけで、嫌な気分になる人もいるかもしれない。自分がのけ者にされたと思ってしまうのだ。
 こうした反応をどう思うだろうか。ちょっと敏感すぎると思う人もいるだろうし、自分もそんなときがあると感じる人もいるかもしれない。
 心が傷ついた人は、普通の顔を見ても、怒っているように感じたり、悪意を持たれているように受け取ってしまいやすい。
 母という病に苦しんできた人は、大抵否定されたり、傷つけられたりした人なので、何気ない素振りや意味のない表情にも、敵意や怒りを感じてしまう。いつも自分が恐れてきたものが、見えてしまうのだ。
 余計なことに傷つかないためには、どうしたらいいだろう。
 その一つは、自分に言い聞かせる言葉を使うことだ。たとえば、「他のことに気を取られていたんだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
「みんながただ集まって盛り上がっていただけだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
「あの人は怒っていなくても、怒ったような顔なんだ。別に意味はない」と、言い聞かせる。
 言い聞かせるという方法は、かなり効果的だ。
 もう一つは、自分の身に起きたのと同じことが、別の人に起きた場合を想像してみる。自分が信頼する安定した人格の人を思い浮かべて、その人だったら、どう受け止め、どう対応するか考えてみる。すると、事態が客観的に眺められ、冷静になることができるし、もっといい受け止め方や反応の仕方も見えてくる。
 日頃から、安定した愛着スタイルの人と接して、その人の考え方や行動の仕方に触れていることは、知らずしらずそれを学ぶことになる。


 安定した愛着を育むのに大切なことは、結局、一言で言えば、互いが互いの安全基地となるということだ。
 そのためには、安全が守られ、安心できるということが何よりも大事だ。ネガティブな反応をしないということは、安心感を傷つけないということでもある。
 その場合に、知らずしらず相手の安心感を損なってしまうのが、相手を思い通りに支配しすぎることだ。安全基地のはずが、相手の主体性を侵してしまい、押し売りや監督官のようになってしまう。相手は、のびのびと自分を出すことができず、息苦し く感じてしまう。
 母という病を抱えた人は、自分と他人の境目がもろい。母親の意思を自分の意思のようにいつも感じ、支配されてきたため、自分の気持ちと人の気持ちをうまく区別することができない。
 自分が望むことを相手も望み、自分が恐れることを相手も恐れると勘違いしやすい。自分と同じように相手も感じていると思い込んでしまう。逆に、相手が求めていることや恐れていることが、自分の気持ちだと錯覚してしまうこともある。たとえ、相手が求めていることが、自分にとってためにならないことであっても。
 親しくなればなるほど、相手と自分との境目が曖昧になり、支配されたり、支配したりが起きやすくなる。なぜなら、その人の母親も、その人をそのように扱ってきたからだ。長年、母親がその人にしたように、その人もまた愛する人にしてしまう。それは相手の自立、自分の自立も損なう。いつのまにか、押し付けや支配や依存が起きやすい。

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Posted by ブクログ 2021年08月08日

 病気と躾の境は難しい。


 女性といえども、まだ娘のうちは、子どもに無関心な人も多い。子どもは泣くので嫌いという人も少なくないだろう。しかし、一度親になると、子どもが可愛くてたまらなくなる。泣き声さえ愛おしくてたまらなくなる。
 なぜ、そんなことが起きるのだろうか。
 そこには、命をつなぐ営みに...続きを読む欠かすことのできない生物学的な仕組みがかかわっている。その仕組みが愛着システムだ。母性を育み、また母子の愛着を生み出す源は、陣痛を引き起こし、授乳のときに活発に分泌するホルモンと同じなのだ。そのホルモンを、オキシトシンという。
 お腹を痛めて産んだ子だから可愛いという言い回しには、深い真実がある。陣痛の最中、大量に分泌されるオキシトシンが、母子の絆を一気に高め、授乳を通して、その絆はさらに持続的なものとなっていく。
 抱っこや愛撫といったスキンシップが重要なのは、このオキシトシンの分泌が、スキンシップによって促されるからだ。
 愛着やスキンシップが心地よく、子どもを世話することが、苦痛よりも歓びになるのも、オキシトシンの働きによる。オキシトシンには、不安を鎮め、心地よさをもたらす働きがある。
 オキシトシンの分泌が悪かったり、オキシトシンと結びつくはずの受容体の数が少ないと、この仕組みがうまく働かない。不安を感じやすく、神経質で潔癖になるだけでなく、人との接触や子どもの世話をすることにも歓びを感じにくい。
 生きることは不快な体験となり、対人関係も子育ても、楽しく感じられない。ネガティブな感情に支配されやすく、信頼関係も育まれにくい。 どうしてそんなことが起きてしまうのだろうか。
 実は、オキシトシンの分泌やオキシトシンと結びつく受容体の数を左右するのは、幼い頃にどれくらい愛情深く世話をされたかなのだ。
 大切に育てられた人では、オキシトシンの働きが良いので、自分自身ストレスを感じにくいだけでなく、子どもを育てたり、人を愛することも容易になる。
 しかし、虐げられたりかまわれずに育った人は、それとは正反対な体質を身に着けてしまう。

 幼年時代がいくら幸福で恵まれたものでも、その後の体験によって、愛着が大きな傷を受ければ、愛着が不安定になるということも起こりうる。
 その一つは、両親の不和や離婚だ。ある意味、安定した愛着を両親と結んでいればいるほど、両親の諍いや片方の親との離別は、その子の愛着に深い傷を負わせる。対人関係や恋愛に対して懐疑的になったり消極的になったり、逆に親代わりを求めようとして過剰に依存する場合もある。
 もう一つ、普通の家庭にも起きやすいのは、子どもに対する過度な支配やコントロールによって、母親が子どもの主体性を侵害するという状況だ。母親は最善を尽くし、 良い親をしているつもりでも、子どもが求めているものとの間にギャップが広がり、愛着は不安定となっていく。子どもの気持ちを汲みとれていないからだ。
 親との関係がもちろん重要だが、年齢が上がるとともに、その子をとりまく友人や教師などとの関係も重要になっていく。安心していられる居場所が確保され、安全基地になってその子を見守ってくれる存在に出会えると、たとえ家庭が多少不安定でも、 その子の愛着は次第に安定したものに変わっていく。
 母親の役割は、外の世界とのかかわりにおいても、その子が安心できる環境や安全基地となる存在に恵まれるように、さまざまな配慮や働きかけをすることだと言える。自分自身が、安定した愛着をもつ母親では、そうしたことを、うまくやりこなしやすいが、母親自身が不安定な場合には、問題が生じていても無関心に放置したり、極端な対応をとったりして、逆に子どもを孤立させてしまうという結果を招きやすい。
 もちろん、母親の力だけではどうにもならない部分も大きい。社会自体が優しさや余裕を失い、自分を守ることに汲々としたり、融通の利かないルールで杓子定規な応をしたり、多数派の都合ばかりを優先したりするようになると、不安定で立場の弱いものは、ますます居場所を失っていく。
 その意味で、母という病は、母親だけに原因があるというよりも、母親や子ども 守れない社会にも、原因があるということだ。

 
 回避的な人は、…失敗を恐れ、チャレンジを避けるため、自分の真価を発揮することができない。石橋を叩きすぎて、橋を渡らないままに年を取ってしまうということにもなる。
 慎重さも大事だが、思い切ってやってみるという勇気も、人生を切り開いていくには必要だ。
 回避的な若者に共通するのは、親からあまり褒められたことがなく、悪い点ばかりをあげつらわれてきたことだ。親はたいてい真面目で、義務感の強い人で、〜するのが楽しいとか、〜したいという気持ちよりも、〜せねばならないという責任やルールを重んじる。
 親の存在が大きすぎ、過干渉になって、子どもの主体性が脅かされていることも多い。子どもは、自分の願望や意思よりも、親の意向に支配され、無理やり動かされている。
 チャレンジして成功しても評価されず、失敗したときだけ責められては、チャレンジなど割に合わなくなってしまう。自分の意思で何かをやろうとして失敗すればそれこそ何を言われるかわからない。
 それならと、非難を避けるために、親の意向に従い、自分が本当に望んでいるのではないことを選んでしまう。
 そういう状況が小さい頃から続くと、チャレンジするよりも、無理なことはせず現状維持を第一とするようになる。自分で意思決定をするよりも、責任を逃れるために他の人に決定をゆだねてしまうということにもなる。
 そうなると、本当にやりたいことをしているわけではないので、積極的な意欲もなくなってしまう。


 母親は義務感のとても強い人だったが、義務感や潔癖さというのは、母性的な優しさとは正反対なものだ。先にも触れたが、母性的傾向が強まると、潔癖さやこだわりといったものは薄れ、寛大になる傾向がみられる。これは価値観の問題ではなく、生理的メカニズムでそうなるのだ。母性や愛着に関係するオキシトシンというホルモンは、潔癖さを和らげ、寛大にする働きをもつ。
 実際、母性が高まった状態になると、わが子に対して優しくなるだけでなく、どんな子どもに対しても愛情を感じやすくなり、心が穏やかで寛くなる。母性とは、損得や規則で考えるのとは正反対な性質をもつ。
 ところが逆に、母性が乏しい状態になると、潔癖で完璧主義になり、細かい問題が気になり、他罰的で、批判的で、排他的になる。心が狭くなると言ってもいいだろう。 自分の身を守るのを優先し、利己的に生きるのであれば、母性など乏しい状態の方がいいわけだ。自分のことだけ完璧にこなし、それを邪魔するものは、排除した方が安全だし、身のためだ。


 不安定な人は、自分の安定を図るために、しばしば盲目的な信仰や価値観、迷信的な儀式や占いに頼ろうとする。ほどほどにならば、さして害もないが、それが生活の中心になるほど肥大し、そこに子どもも巻き込まれることになると、影響は小さくない。
 母という病によって苦しんだ人の多くは、母親が頼った偏執的なまでの信仰や迷信に振り回された不快で、苦痛で、ときには滑稽とも言えるような体験を味わってきているものだ。
 とらわれやすく極端になりやすい性格は、先にも述べたようにオキシトシンの働きとも関係している。オキシトシン・リッチな人では、寛容で、とらわれない性格を示しやすいのだが、オキシトシン・プアな人では、厳格で、ルールに縛られ、潔癖になりやすい。
 自分自身過酷な環境で育ったヘッセの母親は、オキシトシン・リッチというよりも、オキシトシン・プアな性格傾向を、典型的に示していたと言えるだろう。ヘッセが傷ついたのは、母親の愛情不足というよりも、その偏狭で頑なな価値観による部分が少なくなかった。
 多くの人が不安定な心を抱え、過酷な子ども時代を過ごすことが増えている現代においては、こうしたことは、さまざまに形を変えて、もっと頻繁に起きやすくなっている。不安定な愛着を抱えた人ほど、薬物やアルコールに依存してしまいやすいように、新興宗教や占いにも救いや安心を求めようとする。
 もともと希薄で不安定だった母親との関係は、そこに新たな精神的支配や押し付けが加わることによって、もっと歪なものとなっていく。身近でも、そうした例は、あまりにも溢れているだろう。
 先の小川眞由美の娘・雅代さんの場合も、彼女をさらに苦しめることになったのは、母親が占いやゲンを担いだ儀式に熱中し、それに一家の生活まで縛られたことだった。占い師から緑と紫は不吉と言われると、その色が一切排除されたという。その色が間違って交じっていたりすれば、黒マジックで塗りつぶされた。最初は強制されてやっていたが、そのうち本当にその色が嫌いになってしまったという。
 それは、他のすべての価値観や行動についても言えることだ。最初はいやいや押し付けられてやっていても、いつしか自分自身がそれに染まっていく。母という病は、ちょうど正常の細胞に浸潤したガン細胞のようなもので、もはやどちらがどちらとも見分けがつかなくなり、切り分けることもできなくなる。
 思春期以降に、母親を拒否するようになるのは、その意味で正常な拒絶反応が、ようやく起き始めたのだと言えるだろう。



 一流企業に勤める父親と、栄養士の母親をもつ高校生の少女が、覚醒剤で捕まって、施設に送られてきた。
 デリヘルで売春をして、覚醒剤を買う金を稼いでいたと言う。まったく普通の家庭のお嬢さんである彼女に何が起きたのだろうか。兄と姉には、非行歴もなく、問題なく育っている。母親は教育熱心で、子育ても頑張り、堅実な家庭を築いてきたつもりだった。下の娘にだけ、なぜそんなことが起きてしまったのだろうか。

 瑠美(仮名)は、どちらかというと慎重で、おとなしい二人のきょうだいとは違って、小さい頃からやんちゃなところがあった。小学校の頃は、男子に交じってドッジボールをする活発な少女だった。
 好奇心旺盛で、じっとしているより、体を動かすことを好み、男勝りな少女。そんなところが、母親から見ると危なっかしく、つい注意したり叱ったりすることが多くなった。
 新しい物好きで、好奇心旺盛な傾向は「新奇性探究」と呼ばれ、生まれもった気質的要素が強い。新奇性探究の強い人は、多動で衝動的で、不注意な傾向もみられ、押さえつけの養育を受けると、先の例にも見たように、ADHDなどの行動障害がひどくなりやすい。
 新奇性探究が強いタイプの人は、薬物依存になるリスクも高い。つい好奇心で、衝動的に薬物に手を染めやすい。親との関係がぎくしゃくしたり、親から否定された状況があると、薬物が避難場所になってしまうことで、余計に依存を形成しやすい。
 新奇性探究の強い人は、この瑠美のように、「困った子」「言うことを聞かない子」と親や教師が受け止め、否定的な接し方をしてしまいやすい。そのことで、なおのこと危険な薬物や危うい輩との関係に、避難場所を求めてしまう。もちろん、それは本当の避難場所になるどころか、地獄への入口になってしまう。

 しかし、この新奇性探究の傾向は、本来は長所でもある。大移動を経験した民族では、このタイプの人の割合が高い。危機の時代を生き延びる力を秘めているのだ。ただ、それが良い方向に発揮されるためには、その特性が理解され、肯定的に受け止められる必要がある。そして、そのことを誰よりもしてほしいと子どもが望むのは、親であり母親だ。
 だが現実は、母親の目には、「ガサガサしている」「言うことを聞かない」「悪いことばかりする」と映り、否定的に扱われることになりやすい。
 生真面目で、潔癖な母親ほど、こうしたタイプの子どもを、何とか「良い子」にしようと、注意したり、叱ったりが多くなってしまう。
 しかし、いくら注意しても、生まれもった気質でもあるので、急に変わることはないし、本人が気をつければ改善するという問題でもない。むしろ、叱られ続けることで、マイナスな影響を生んでしまう。
 否定され続けることに反発を感じるようになり、反抗や行動上の問題が始まり、もう一方では、自己否定を抱え、うつや不安が強まったり、自傷行為を繰り返したりすることも少なくない。活発で、元気そうに見えて、意外に傷つきやすいのだ。
 新奇性探究の強いタイプでは、共感的で肯定的な育てられ方をすると、とても伸びて、能力を開花させるとともに、親との関係も、通常以上に良いということになるが、 否定的な関わり方をすると、問題が噴出することになる。良い方にも悪い方にも、違いが大きく出やすい。


 境界性パーソナリティ障害や薬物依存症といった問題を抱えた人の母親に、大勢会ってきた。そこには共通する特徴がある。それは、気持ちを汲みとり理解するのが苦手な人が多いということだ。
 母親自身、情緒不安定で衝動的で、気まぐれだというケースもあるが、合併で、安定して、一見すると問題がないというケースもある。ただ、どちらにも当てはまる頃向として、子どもの気持ちを汲みとり、子どもの立場で気持ちを考えながらやり取りするということがうまくできないのだ。
 表に出る言動や行動だけで、物事を見てしまい、その背後にある気持ちを感じることができない。表面的な事実や結果にばかり関心が向いて、義務や理屈で考える。その結果、できていないことや欠点にばかり注意がいくことになる。
 そうしたタイプの母親に、何か困っていることを相談したりすれば、有効な助けを得られるどころか、困っていること自体を非難されたり貶されたりする。困っていること自体が、努力が足りないことであり、悪いことになってしまう。
 子どもは下手なことは言えなくなり、悪いことや困っていることがあっても、自分の中で処理しようとする。子どもは、「良い子」となって母親の言いなりになるか、「悪い子」になって反抗するしかないが、どちらにしても害を免れない。


 問題にうまく対処する第一歩は、問題に感情で反応しないことだ。
 安定した愛情に恵まれなかった人や傷にとらわれた人は、感情的になることで、問題をこじらせてしまう。自分から傷口を広げ、小さなかすり傷を、命にかかわる傷にしてしまう。それは馬鹿げたことだ。
 一つ大きく深呼吸して、気持ちを落ち着けたら、まずすべきことは、事実と気持ちを切り分け、事実だけを冷静に見つめること。
 人は恐れていることや期待していることを、事実と勘違いしてしまいやすい。不安定な人では、余計に事実と思い込みの取り違えが起きる。
 思い込みは、傷ついた気持ちが映し出された幻だ。幻にとらわれて、過剰反応してしまうことで、余計に事態をまずくしてしまう。
 嫌なことがあったとき、何が起きたかを、冷静に振り返ってみることだ。
 いつも挨拶してくれる同僚が、そっぽを向いたままなのを見たとしよう。人の顔色を気にする人は、すっかり落ち込むかもしれない。自分を無視されたように受け止めてしまうのだ。
 また、他の人が集まって楽しそうにしゃべっているのを見ただけで、嫌な気分になる人もいるかもしれない。自分がのけ者にされたと思ってしまうのだ。
 こうした反応をどう思うだろうか。ちょっと敏感すぎると思う人もいるだろうし、自分もそんなときがあると感じる人もいるかもしれない。
 心が傷ついた人は、普通の顔を見ても、怒っているように感じたり、悪意を持たれているように受け取ってしまいやすい。
 母という病に苦しんできた人は、大抵否定されたり、傷つけられたりした人なので、何気ない素振りや意味のない表情にも、敵意や怒りを感じてしまう。いつも自分が恐れてきたものが、見えてしまうのだ。
 余計なことに傷つかないためには、どうしたらいいだろう。
 その一つは、自分に言い聞かせる言葉を使うことだ。たとえば、「他のことに気を取られていたんだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
「みんながただ集まって盛り上がっていただけだ。別に意味はない」と言い聞かせる。
「あの人は怒っていなくても、怒ったような顔なんだ。別に意味はない」と、言い聞かせる。
 言い聞かせるという方法は、かなり効果的だ。
 もう一つは、自分の身に起きたのと同じことが、別の人に起きた場合を想像してみる。自分が信頼する安定した人格の人を思い浮かべて、その人だったら、どう受け止め、どう対応するか考えてみる。すると、事態が客観的に眺められ、冷静になることができるし、もっといい受け止め方や反応の仕方も見えてくる。
 日頃から、安定した愛着スタイルの人と接して、その人の考え方や行動の仕方に触れていることは、知らずしらずそれを学ぶことになる。


 安定した愛着を育むのに大切なことは、結局、一言で言えば、互いが互いの安全基地となるということだ。
 そのためには、安全が守られ、安心できるということが何よりも大事だ。ネガティブな反応をしないということは、安心感を傷つけないということでもある。
 その場合に、知らずしらず相手の安心感を損なってしまうのが、相手を思い通りに支配しすぎることだ。安全基地のはずが、相手の主体性を侵してしまい、押し売りや監督官のようになってしまう。相手は、のびのびと自分を出すことができず、息苦し く感じてしまう。
 母という病を抱えた人は、自分と他人の境目がもろい。母親の意思を自分の意思のようにいつも感じ、支配されてきたため、自分の気持ちと人の気持ちをうまく区別することができない。
 自分が望むことを相手も望み、自分が恐れることを相手も恐れると勘違いしやすい。自分と同じように相手も感じていると思い込んでしまう。逆に、相手が求めていることや恐れていることが、自分の気持ちだと錯覚してしまうこともある。たとえ、相手が求めていることが、自分にとってためにならないことであっても。
 親しくなればなるほど、相手と自分との境目が曖昧になり、支配されたり、支配したりが起きやすくなる。なぜなら、その人の母親も、その人をそのように扱ってきたからだ。長年、母親がその人にしたように、その人もまた愛する人にしてしまう。それは相手の自立、自分の自立も損なう。いつのまにか、押し付けや支配や依存が起きやすい。

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Posted by ブクログ 2017年08月12日

身につまされる内容で、何やかや読み切りはしたけど、結局同じ内容の繰り返しで、3分の1くらいのボリュームでよかったのでは?

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Posted by ブクログ 2015年05月04日

自殺願望の根底には、親から植え込まれた罪悪感と自己否定がある。人生はその人の言っているようになっていく。自分がどうしたいか?それがはっきりしていることが大事だ。自分でもそれが分からなくては、その人らしい人生など手に入ることもないし、誰もそれを与えることはできない。こうなりたいこと、こうはなりたくない...続きを読むことを、いつも口にすること。それが人生をデザインし、進むべき針路を明確にする。

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Posted by ブクログ 2015年03月22日

この本に手を出すことに罪悪感があって(これがもう既に病気なのでしょうか)しばらく保留にした後、母が自分を産んだ歳を超えてから、やっと読みました。我が家の場合は愛情過多で心配性、自立の道を阻んでいます。親の気持ちを大事にしながら、うまく離れていくにはどうしたらいいんだろう。すぐ解決しそうにはないけれど...続きを読む、そういうことを考えるのは悪いことじゃないんだと思えただけでも良かった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年01月25日

うつや精神疾患、問題行動等の原因を、「母親との関係」という視点から論じた本。すべてが母親との関係に原因があるような書きっぷりが若干目につくが、ある意味では真理の部分もあると思う。ADHDの気がある娘の子育てにも参考にさせてもらいたい。ただ、内容として同じようなことをずっと論じているので、ややくどい印...続きを読む象があることや、父親について全く触れられていないことが残念。

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Posted by ブクログ 2014年08月05日

2014.8.4ー56
全てが母親に通じる訳でもないと思うけれども、まぁ間違いなく増えてはいるんだろうな。

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Posted by ブクログ 2014年05月18日

岡田尊司の著書には、独特の父親のような雰囲気がある。どっしりと落ち着き、ポイントをゆっくり、何度も優しく語りかけるような。事例が挿話風で、引用が歴史上の人物だからだろうか。兎に角、分かりやすく、しかも、読者に正しい倫理観で語りかけてくる。だから、彼の著書を面白いと思う。反面、刺激に乏しく、展開が遅い...続きを読むと感じる。

母親と子供の愛着プロセス。幼少期に愛着が育まれず、オシキトシンの働きが弱くなれば、不安が強く、対人関係に支障が出る。しかし、一方で感情の昇華を見せ、芸術家になるような人物もいる。精神障害の由縁の大部分は、母親との関係性に由来する。これを、母という病と名付けた。

どういう形であれ、傷ついた思いを言葉にして語り尽くすという作業が、不可欠だ。最初のうちは、吐き出したバケツの水も、汚れで真っ黒になるだろう。しかし、それを何度も何度も繰り返しているうちに、どんな強い汚れも、次第に薄まっていく。

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Posted by ブクログ 2014年05月17日

母と子の関係が、子どもの人生において大きな影響を及ぼすという内容。どちらかというと、悩める子どもへ向けた情報が多いので、悩める母の私にとっての収穫は薄かったものの、母として自覚しとかないといけないと思うことはありました。

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Posted by ブクログ 2014年03月07日

タイトル以上でも以下でもない内容。

確かに母親が子供に与える影響は大きいと思うが、この本を読んでいると、子供にとって父親は不要なのかな、と錯覚しそうになる。

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