塩野七生のレビュー一覧
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ネタバレ1000年に及ぶ繁栄を続けてきたヴェネツィアにも衰退の影が・・・。コロンブスの新大陸発見以上に脅威となったバスコダガマの喜望峰発見。それは経済大国ヴェネツィアの利益の源泉であった胡椒の独占が崩れる予兆だったとのこと。実際にはオランダの台頭・東インドの領有により完全に優位を失うまで時間は要するのですが、地中海中心から大西洋の時代になぜヴェネツィアが乗り遅れたのか。昔の聖地巡礼パックツアーがヴェネツィア商人の発明で、ライバル・マルセイユを圧倒した話、そして聖地への熱意が冷めるにつれ、ヴェネツィアそのものが観光の対象となってきた18世紀は既に爛熟、腐敗、衰退が始まっていたというのは当然だと思います。ゲーテなどが訪問したのもその頃です。ナポレオンの進出によるヴェネツィア共和国の滅亡は突然のようですが、売り物であった政治力が失われてきたということであり、爛熟売り物であった政治力が失われてきたということであり、爛熟した文明は終焉の予感を感じさせるものがあります。
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ネタバレ五賢帝の最後を飾るマルクス・アウレリウス。しかし、著者はハドリヤヌス、アントニヌス・ピウスの時代に遡ってとき始める。なぜマルクス帝の時代にローマが没落し始めるのか、それは彼の息子が愚帝であったためだけなのか、マルクスの時代がハドリヤヌス、ピウスの時代とどのように異なるのか、詳しく書いており納得性に富みます。そしてなぜ哲人皇帝が後継者に失敗したのか、やはり息子への偏愛に眼が曇ったのか?著者の説明はこれまでの常識に対して挑戦するように、ピウスに厳しかったり、マルクスの悩みに焦点を当てたりと極めて飽きさせない推理に富んだ素晴らしい歴史でした。映画「グラディエーター」をこの執筆のために何度も見たということ。私自身も見たことがあり、あの戦争シーンについて「確かにあのような戦争だったのかも知れない」という説明に頷けます。
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ネタバレついに1000年を超えるローマ興亡史の終了です。476年の西ローマ帝国の滅亡が学校で学んだ歴史ですが、実は何時滅んだのか劇的な最期ではなかった!それをその622年前のカルタゴの滅亡の際にスキピオ・エミリアヌスが瓦礫の山と化した都市を前に「われわれは今、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という偉大な瞬間に立ち会っている。だが、この今私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかはわがローマもこれと同じ時を迎えるであろうという哀感なのだ」と語った言葉を著者は引用している。しかし、ローマは劇的ではなく、徐々に傷だらけになっていったという別の哀しみを感じるのでした。西ローマの初期の将軍スティリコを始め、後期の将軍アエティウス、東ローマ・ユスティニアヌス大帝の将軍ベリサリウスなどこの時代の将軍たちの運命は寂しさを覚えます。西ローマ滅亡後、東ローマがイタリアを回復しますが、むしろそれがイタリアの荒廃を進め、ローマ元老院が546年に消滅するに至るということは知りませんでした。そして著者はそこで筆を置きます。ローマ共和制の始まりとともに生れた元老院の滅亡こそローマの最期に相応しいのでしょう。
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人間の顔というものは、その人個人のものであるはずである。
だが、場合によっては、その人が生きた時代を象徴する「顔」になるときもある。
という一文で始まる。
ペリクレス、アレクサンダー大王、大カトー、ユリウス・カエサル、北条時宗、織田信長、千利休、西郷隆盛、ナポレオン、フランツ・ヨゼフ一世、毛沢東、コシモ・デ・メディチ、マーカス・アグリッパ、チャーチル
14人の歴史上の人物をとりあげている。
各人物の肖像画、彫像の写真、顔写真が合わせて掲載してある。
日本史に出てくる名前は一応みんな知ってましたが・・
この齢になって初めて聞く名前も2・3あった(世界史の先生ごめんなさい・・)
少し紹介しますね。
【ペリクレス】
著者はこの人物の顔を初めてみたのは高校の教科書だったと書いている。
アテネの民主政治の説明のかたわらに載っている、その「端正な美貌」を見ながら読むと
その政治体制自体が「端正」のものに思えてきたとも・・
ペリクレスの顔は民主主義の広告として大いに貢献しているのではないかとも言っている。
う~ん・・妙に納得してしまった。
アテネの民主政のリーダーとして民衆から支持を得るにはもちろんそれだけではないことも確かだ。
「選ばれたる能力の持主ではない人が、全員平等の制度を好むのはうなずける。だが、その種の人々だけでこの制度を運用すると、なぜか失敗におわるのも事実だ。やはり、運用役には、選ばれたる能力の持主を必要とするらしい。」
といっても、その反対の平等主義の民主政を運用するのだから、その能力も性格も第一級であったのでしょう!
本にはアルカイックスマイルを浮かべる胸像の写真が載っているがホントにハンサムだ!
その上、彼の演説は定評のあるものだ(それくらいは知ってます^^)
また演説の際にはいかなる感情にも乱されない上衣の着こなし、という評言も残っているらしい。
もって生まれた美貌だけではなく、言葉つき、歩きぶり、声の出し方などすべてにおいて崇高な雰囲気だったのかもしれない。
【西郷隆盛】
私も著者と同じで、上野の山にある銅像は子供の頃からみていたが・・
あまり興味をもったことはなかった。
著者が愕然としたという
「一日西郷に接すれば、一日の愛生ず。三日接すれば、三日の愛生ず。親愛日に加わり、
今は去るべくもあらず。ただ、死生をともにせんのみ」
これには私もへぇ~って思いました。
これは男が男に抱いた思いだと思うと、西郷どんの人柄が思い浮かんでくる。
坂本龍馬の西郷評に
「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く釣鐘のような人物」
というのがあるらしい。
良い人物であることはわかりますが、
100年以上前に身長180センチ近く、体重100キロ超え、牛のように太い首回り・・
何度見直しても・・私の好みじゃない(そんな情報要りませんね)
【ユリウス・カエサル】
この章はカエサルからエジプトの女王クレオパトラへの手紙という形になっている。
著者の戯作ということだが、カエサルならこういうこと書きそうって感じだ。
(もちろん私の知ってる範囲のカエサルだが)
これを読むとカエサルのひととなりとともにクレオパトラの愛人としての可愛らしさや母親としての愛情深さや、
なにより女王としての知性を浮き彫りにしている。
男女の格差が大きくあった当時・・カエサルは妻にはけしって愛を囁くことはなくても、
女王としてのクレオパトラには自分と同等の者として充分に囁いたのかもしれない。
著者はいいところをついていると思った。
著者はすべて女性としての目線で書いています。
読んでいてなるほど!そうかもって思えることが多い。(それは私が一応・・女だからかもしれない・・笑)
作家としての塩野七生はすごいと思うだれでも知っている歴史上の人物(それも大物)を
「歴史上の人物は皆、私の知り合いになってしまった。いや、イイ男だったら、皆、愛人にしてしまった。」
と言ってのけた(笑)
解説者が述べるところによると・・
「こういう文章を味わっていると、セクシーな感覚の深化は、ただ感覚的な表現で達成されるものではなく、知的な営みの深さによってはじめて可能になるものだということがわかる。塩野七生さんの男性論の魅力はそういうところにある。」
さらには、著者を地中海作家と呼ぶ解説者は
「高貴なる精神と通俗的なエロスの微妙な重ねかたも、この地中海作家の得意技といえる。そこがユーモアの源泉でもある。」とあるように・・
人間に興味があるなら歴史に興味のない人にも面白く読める本だと思った。 -
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ネタバレ塩野さんが本書を書いた目的は「マキアヴェッリの思想を、彼が対象にした人々に近い条件で、現代の日本人に提供したかった」とのこと。
この目的は十分果たせている。16世紀に生きたマキアヴェッリの思想を注釈なしで、生々しく感じ取ることができた。
「自らの安全を自らの力によって守る意志を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない(p82)」
「結果さえよければ、手段は常に正当化される(p103)」
「頼れるのは自力のみということに目覚め、運命が自由勝手にふるまうのを牽制する必要がある(p203)」
きれい事ですまない君主(場合によってはリーダー)の行動様式を説くマキアヴェッリの言葉は、現代の政治家はもとより、組織人にも響く。 -
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911前後の話が多い。ローマ帝国史やマキャベリに基づく言説が小気味良い。
『人間ならば誰にでも,現実の全てがみえるわけではない。多くの人は,見たいと思う現実しかみていない』(ユリウス・カエサル)
このフレーズが何回か出てきておりこの本の核となる考えといえる。
「成果主義のプラスとマイナス」の章は秀逸。第一層は刺激を与えるだけで能力を発揮する人,第二層は安定を保証すれば能力を発揮する人,第三層は刺激を与えても安定を保証しても成果を出すことのできない人。歴史上,上手く機能した国の例からすると,順に2割,7割,1割の割合となる。納得。7割に保証を与えず刺激だけを与えても不安が高まるだけで生産性が上がらない。納得である。
『いかなる事業といえどもその成否は,参加する全員が利益を得るシステムを作れたかにかかっている(マキャベリ)』。これも納得。 -
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巻末には14頁にわたる参考図書が記載されているが本文中に書名が出てくることはない。これこそ歴史小説だと思う。自署についても最初に注意書き、後は注釈程度で良かったと思うが。
欧州諸国の何故は充分読み応えがあるが、イスラム世界側は今ひとつである。その地に今立っても書いている時代に戻れたほどの資料は集まらなかったのだろうか。肖像画などビジュアルがないことも影響しているかもしれない(イスラムでは自画像は御法度らしい)。ローマ時代には緑豊かな農業地域であったという北アフリカが、緑化も困難な土地になってしまった経緯をもっと知りたかった。住み着いた人々の民族性だけが問題だったのだろうか。海賊産業に貿易業は無理だったのは理解できるが、周辺企業?の人々はどうやって食べていたんだろう。
一神教は度し難い。人が人のために作ったものであるとつくづく実感した。 -
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ネタバレこの第七巻の副題が「悪名高き皇帝たち」となっている。 よく聞かれるのは暴君ネロなどであるが、実際にどのようなものであったのだろうか。
まずはティベリウスであるが、最終的にはローマ市民には不評であった皇帝であるが、市民に人気はないが、政治の中身はアウグストゥスの意思をひたすら受け継いでいくというものであった。
カプリに隠遁して文書のみでの支持というのが不評の原因であるが、現代でもマスメディアに顔を出しているほうが人気があり、票が集まるもの同様である。
つづいてのカリグラはアウグストゥスの血のつながりだけで皇位についたようなもので、金銭感覚がなく、外交に関しても経験不足であった。
今でいうところの二世政治家といったところか。
元老院は即位直後にすべての権限を授与したことが問題であろう。 抑止力がなくなってしまった。
結局、カリグラはもっとも身近な近衛軍団大隊長に暗殺されるが、この暗殺を実行した者がカリグラ憎しというよりは、著者のいうところの「不肖の息子を殺す父親の気持ち」で、と私も考える。
そして四代目の皇帝クラウディウスの登場であるが、無理やり担がされた感のある彼だが、歴史を学び続けてきた彼ならではの政治は、ローマ帝国を盤石なものにしたのではないだろうか。
庶民からは敬意を払われることはあまりなかったようだが、カエサル、アウグストゥスの考えたローマ帝国を作ったのは彼ではなかったか。
残念なことにメッサリーナ、アグリッピーナという欲望のかたまりのような女を妻に迎えたこと、政治以外の疎すぎたことが彼の人気がなかった要因であろうが、私個人的には好きな皇帝である。
そしてこの巻最後に登場するのが暴君で名の知れたネロ。
母・アグリッピーナの欲望のために16歳にして皇帝にさせられた、という感じの彼である。
いくら古代といえども16歳では遊びたい盛りであったろう。
それに軍事・政治経験もなし。
側近として優秀な人材がいたにしろ、あの広大なローマ帝国の皇帝をやるにはすべてにおいて幼すぎたのではないか?
結局は、母、妻を殺し、有名なキリスト教へ罪をかぶせての虐殺と悪いイメージばかりであるが、彼ならではの奇抜な発想は、今までの皇帝にはなく、現代のわれわれには好感のもてる部分も多かったように思う。
しかし、古代ローマでは皇帝は市民の「安全」と「食」を維持するものと考えられていたわけで、皇帝の座を他者に譲って・・・というわけにはいかなかったか。
しかしネロ=暴君というイメージは多少変わった。
若気の至りという感じさえある。
ここまで来るとローマ帝国のイメージもずいぶんと変わってきた。
寡頭政と君主制。 やはりどちらがいいのかは難しい問題であることは変わりはないが。 -
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ネタバレカエサルの後継者として選ばれたオクタヴィアヌス。
著者の宣言通り、華々しい戦闘シーンや痛快な戦術を駆使した勝利、という話はまったくなかったが、彼の政治センスはなかなかおもしろいものであった。
カエサルが見込んだのことはあるセンスにより、元老院議員の心を誘導しつつ、帝政ローマ建国へ向かう様子は、カエサルとはまた違った魅力を感じるところである。
あまりにも厳格な法の制定、特に「ユリウス姦通罪・婚外交渉罪法ユリウス正式婚姻法」には、疑問であったが・・・
現在の少子化対策において、このような法を制定したら、今の日本はどうなるであろうか? と考えてみたが、おそらく犯罪者だらけになってしまうであろう。
それにしても、彼の血統へのこだわりは異常ではなかろうか?
最後はなりふりかまわずといった感があったが、彼のイメージにはそぐわない行動に思えて、苦笑してしまった。
カエサルの後継者でありながら、彼独自の方法で(たとえば、処罰者名簿の作成など)進め、ローマ帝国を築きあげ、初代皇帝として名を残した功績は認めるが、やはりカエサルと比較すると見劣りしてしまうのは私だけだろうか?
カエサルと比較するほうが間違っているのか?
いずれにしても、最後のページで登場するエジプト・アレクサンドリアからの商船の船乗りの言葉、
「あなたのおかげです、われわれが生活が成り立つのも。 あなたのおかげです、私たちが安全に旅をできるのも。 あなたのおかげです、われわれが自由で平和に生きていけるのも」
が象徴するように、パクス・ロマーナは構築されたのは疑いようがないことであろう。
上に立つ者は、一般人から讃辞をささげられることこそが、政策の成功であるはずであるのだから・・・
共和制から帝政へ完全移行したローマ。
カエサルやアウグストゥスが望むようなローマになっていくのであろうか・・・ -
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ネタバレカエサルが暗殺された。
第四巻からここまで読んできて、カエサルに魅了されてしまった私には2000年以上も前のことながらなにか、悲しいものがあった。
元老院による寡頭制に疑問を呈し、人生をかけてローマ帝国を築き上げようとしたカエサル。
戦略的頭脳にも、政治的頭脳にも優れ、それでいて女好き。 魅力満点の男である。
また元老院に担がれた感じの「三頭政治」の一人、ポンペイウスも戦いに敗れ、戦術家としてはおもしろい人物である。
この二人の「ファルサルスの戦い」は、読んでいるだけで興奮してしまう。
才能ある二人だからこその歴史上に残る戦い方。
当時のローマ人の知性には頭が下がる。 今でいうインテリジェンス(情報)を十分に駆使した戦いは、まさにお手本ともいうべきものであった。
そんなカエサルの凱旋式でのシュプレヒコール 「市民たちよ、女房を隠せ。禿の女たらしのお出ましだ!」は傑作である。 ユーモアもあるローマ人にもまた魅力を感じる場面であった。
そんな彼の考えとは正反対のローマ人。共和制ローマを維持することこそ、ローマの本来の姿と疑わなかった人たちもまた、否定されるべきものではないであろう。
どちらが正しく、どちらが間違っているかの答えは出せないのではないか?
カエサルの考えたは、どの民族であろうが関係ないとしたところには、現代に生きる私も違和感がある。
それよりも日本古来のものを重視したい、と願うのは私だけではないであろう。
それと同じ考えだったかはわからないが、小カトーは最後に壮絶な自死を選ぶが、彼もまた、ローマを愛した男であったことは間違いない。
それに比べて・・・と言っては失礼だが、この書籍で登場するキケロは何とも優柔不断であった。
ローマ有数の知識人としてだれもが認め、その文体も素晴らしいものであったそうであるが、ひたすらグチを言う人物として私の頭の中に定着してしまった。
彼もまた、共和制ローマを愛した男であったが・・・
カエサル暗殺とはなんだったのか?
カエサルが殺されたことでは、共和制ローマは復活しなかった。
市民はそれを望まなかったからなのか。
それが今後のローマにとってよかったのか、あるいは・・・
カエサルに後継者として指名されたオクタヴィアヌス。
カエサル死後、オクタヴィアヌスはひたすら帝政ローマを樹立する道を選ぶが、そのやり方がカエサルとは正反対なのが印象的だ。
処罰者名簿の作成がその典型。 カエサルの後継者として恥じぬよう、必死だったのか? あるいは、ローマを自分のものにするための行動なのか?
カエサルに心奪われた私は、オクタヴィアヌスのやり方が少々、強引で、カエサルはこれで納得するのか?と疑問に思ってしまった。
まぁ、クレオパトラというエジプトの野心を持った女に心を奪われ、ローマ人としての誇りも捨ててしまったアントニウスを敵に回しての戦いは別として。
カエサルの副将として戦ったアントニウスの人生さえも狂わせたクレオパトラとはそこまでの美女だったということか。
クレオパトラ = 世界三大美女、しか印象のなかったが、このような形でローマとかかわりあい、悲しい最期を遂げているとは・・・
しかしこれで、いよいよオクタヴィアヌスの帝政ローマがはじまるわけである。
どんなローマになっていくのか。 カエサルの臨んだローマなのか。 期待とともに、不安の気持ちで次巻を読み始めることとなりそうだ。
カエサルの有名な言葉
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ない
私の心に残るこの言葉で第五巻の書評を結ぶ。 -
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カルタゴが滅亡し、新たな人物が次々と登場する第三巻。
ここで最初に登場するグラックス兄弟は、印象的である。
紀元前のこの時代に、果敢に改革を試みる若者たち。
いつの時代にも、勇敢で正義感あふれる者はいるであろうが、この時代に、というのが驚かされる。
すでに元老院を中心とする共和制が成り立っているローマであるが、市民の格差問題があらわになり農地改革を実行しようとするわけであるが、大きな権力を相手にするとき、なかなかうまくいかなものであることは、いつの時代も同じ。
結果的に二人とも志半ばでの死を迎えるわけであるが、これが呼び水になり、ローマが大きく動き出すことになるということは、歴史上大きな意味のあることであったのであろう。
そして登場するスッラ。
一見、冷徹で独裁主義者の感じのある彼であるが、逆に共和制ローマへの信念の強い者であった。
自分の信念を貫き通すがために、多くの犠牲もあった。
読み進める中では、スッラという人物はやはり、ローマを自分の独裁下に置こうとするものではないかと思わせた。
しかし、自分が目指す、元老院中心の共和制ローマを実現するための法を制定するや、独裁官を辞職し、政治の場からも身を引いた彼の行動が物語るように、ローマを独裁制から切り離し、共和制を実現するために努力した人物といえるのかもしれない。
賛否両論分かれるであろうが・・・
このスッラという人物は、グラックス兄弟以上に、私の心に残る歴史上の人物となった。
冷酷で醒めた政治家の食卓は、哄笑で包まれるのが常だった
この一行がとても印象的である。 彼はただの冷徹な人間ではなく、共和制ローマを実現したかっただけなのだろう。
その後ポンペイウスによって、地中海、オリエント地方をローマが制圧するわけであるが、戦術に長けた武将の感のあるポンペイウスにも魅力は感じるが、個人的にはいま一つ、心に残るものがない人物である。
いよいよローマの勢力も大きくなり、政治も大きく動いてきているが、次巻も楽しみである。 -
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この第二巻は、ハンニバルのカルタゴとローマの戦いのポエニ戦役が舞台。
ハンニバルはもちろん聞いたことはあるが、実際にどんな戦術でローマと闘い、どんな人物だったのかは、世界史を知らない私にはまさに未知の世界。
実際、読み進めていくにつれ、ハンニバルへの思いが強くなり、フィクションの戦争小説を読んでいるような気持になった。
歴史名を残す武将・ハンニバル。 彼の戦術は、2000年以上前のものとは思えないほどに緻密なものであった。
私の完璧な偏見ではあったが、紀元前の世界では絶対王政、戦いは単純な歩兵同士の激突、と考えていたが、ハンニバルは違った。
情報戦、今でいうインテリジェンスに長けた戦術家という印象を与えるハンニバル。
そのハンニバルを破った、ローマの若き武将・スキピオもまた魅力的な戦術家である。
著者は、スキピオをハンニバルの弟子と称しているが、優れた戦術を十分に生かし、さらにそれを己のものとして利用することができたスキピオは優れた才能の持ち主であったのだろう。
今の時代でも、教えてもらったことをどう生かせるかが重要であることは同じである。
それにしても、当時のローマの政治というのはおもしろい。
戦いに敗れた国を征服、侵略するのではなく、同胞あるいは属州として存続させ、ローマ連合という大きな組織を作ることに成功しているのは、まさにローマ人ならではの考え方である。
そんな紀元前のローマにも、嫉妬というのは存在していたというのも興味深い。
現代ではスキャンダルによって影響力を失う政治家をよく見かけるが、昔も今も似たようなものなのか。
ローマを守り、勢力を拡大させたスキピオは結局最後はローマを離れて死を迎えるわけだが、なんともさみしい終わり方である。
優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人である。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的では、持続は望めない。
興味深く言葉である。 確かにその通りなのか・・・ 実際ハンニバルはそうであったようであるが。
ポエニ戦役後、スキピオを失脚させたローマは大カトーの台頭により、穏やかな帝国主義から厳しい帝国主義へ変革していくが、これも歴の流れからいえば必然なのか・・・
第三巻がまた楽しみになった。