塩野七生のレビュー一覧
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ネタバレ読書感想|ローマ人の物語14 キリストの勝利
塩野七生のライフワークとも言える15年をかけたローマ人の物シリーズの14巻が本作「キリストの勝利」になる。取り上げるのは、コンスタンティヌス大帝の息子であるコンスタンティウスから、事実上ローマ帝国を東西に分割することになるテオドシウス帝までの80年弱の時期となる。
とはいっても本作で取り上げるのは皇帝たちの物語というよりも、表題にある通り、どちらかといえばキリスト教がローマ帝国の国教となり、それまでのギリシア・ローマ宗教が完全に否定されるまでの期間といえる。
前作でもそうであったように、ローマ帝国がすでに下降段階に入ったこの間では、塩野七生が描くローマ帝国もそれほど魅力的には見えてこない。もしかしたら彼女に言わせれば、それは彼女の文の問題ではなく、ローマ帝国そのものが魅力を失ってしまったからであるかもしれないが、いずれにせよ、興隆期には生き生きとしていた。彼女の文も、この時期になるとかなり隠うつな雰囲気を表すようになっている。
その中で唯一、彼女が楽しげに書いているのが、”廃教者”という二つ名がついているユリアヌス帝の時代だ。彼はコンスタンティヌス大帝により、ローマはキリスト教を国教とするという道筋がはっきり示された中で、ただ一人ギリシア・ローマの宗教を復活させようとした皇帝である。
それまでほとんど軍事の経験がなかったにもかかわらず、いかにもローマ的な男として皇帝の重責を担い、数年の統治のうちに戦争で死んでしまったこの皇帝を、塩野七生はまるで慈しむように、あるいは悼むように書いている。
彼女によれば、かつての彼女はユリアヌスをアナクロニズムの代表者のように捉えていたらしいのだが、この巻を書いた時の彼女は、ユリアヌスをただ一人古代において一神教の脅威を理解していた人間として捉え直している。まさにそうであるがゆえに、彼女はユリアヌスをローマ的な彼女が愛するローマ的な男の代表として書いているのだろう。
著者自身も書いている通り、キリスト教徒でない彼女にとって、この時期のローマ帝国の変化というのは、本当に心の底からは理解できるものではないようであり、その感想は自分にとっても共有する思いだ。
なぜコンスタンティヌスがあれほどまでに国の宗教を変えようとしたのかというのを、本当の意味で自分が理解することはできず、それが宗教心から来たのか、あるいは政治的な理由から来たのかすらも判別ができない。
また、なぜ彼女は本作の副題を”キリスト教の勝利”ではなく、”キリストの勝利”としたのかというところについても、自分は本当の意図を理解することはできずにいる。もしかしたらローマ的な男たちに対立するイエス・キリストという存在の最終的な勝利であると書きたかったのかもしれない。 -
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読書感想|ローマ人の物語13 最後の努力
塩野七海のライフワークとも言える15年をかけたローマ人の物シリーズの13巻が本作「最後の努力」になる。取り上げるのは、研究者によってはローマ帝国の最後の皇帝とも言われるディオクレティアヌス帝と、滅亡までの最後の100年を持ち堪えた最後の帝国を作り上げたコンスタンティヌス1世だ。
五賢帝の統治が終わった「終わりの始まり」から明らかだったが、興隆期のローマhを描くときには、とても楽しげだった塩野七海の筆もこの巻ではすっかり変わってしまっている。もともとローマ人を描くために始めた作品であるこのシリーズにおいては、本来であれば、ローマが歴史的に滅亡するまでを淡々と同じペースで書くことを期待されていただろう。しかし、それはあまりにも感情豊かであある塩野七生にはできないことだったのに違いない。
本書を貫くトーンを一言で言えば諦念だ。 確かに入れ物としてはローマ帝国であったこの時代。彼女が書くことを好きでやまない男たちはすでにローマ人的ではなくなっている。
ディオクレティアヌスは確かに帝国を維持することには成功したが、国家支配層はすでに軍人と官僚で完全に別れてしまい、そして内戦の後にその後を継いだコンスタンティヌスはキリスト教を公認することによって、ローマを全く違う国家と変貌させることに成功する。
考えてみれば、西のローマ帝国に対して東に存在する中華王朝というのは、先制君主を頂点とする皇帝制を採用した国家を何度も作ってきた。 そのアジアにいる自分たち日本人にとっては、本来は強大な権力者を頂点とした国家形態こそが馴染み深い。しかしながら、ここまでローマ人の物語を読んできた読者であれば、コンスタンティヌスの改革を見て、疑問を持たずに人はいないのではないだろうか。
その疑問とは「なぜ彼はこんなにも個人のための帝国を作り変えようとしたのか」だ。
残念ながら、その答えは歴史の中にはなく、当然本書の中にも記載されていない。
レス・プブリカと呼ばれる共同体だったローマは、この時代において完全にコンスタンティヌス=皇帝を頂点とする専制君主国家に置き換えられる。これが歴史の要請だったのか、あるいは個人の強烈な意思によるものなのかは、わからないが、やがて時代は暗黒の中世へと近づいていく。
残りの2巻、この諦念に満ちた物語を読むのは辛いと思いつつも、ここまで来たら最後まで読まなければならないという気持ちで、次の巻へ向かうのだった。 -
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ネタバレ塩野七海のライフワークとも言える15年をかけたローマ人の物語のうちの12巻が本作「迷走する帝国」になる。取り上げるのは、歴史的には3世紀の危機と呼ばれる時代で、軍人皇帝が次々と皇帝になっては退場していく時代を描く。
教科書レベルの話だと、ローマ帝国はゲルマン民族の大移動というか、北からのゲルマン民族の侵入によって崩壊したとされているが、本作を読むと、少なくともその侵入は3世紀から行われていたことがわかる。
・・・というか、このシリーズの愛読者であれば、ゲルマ民族の侵入というのは、ローマ帝国にとっては切り離せない問題だったことを知っている。
とはいえ本作に書かれているように、蛮族の侵入が大きな問題になるのは、2世紀の終わりから3世紀であり、その侵入はローマ帝国の性質を大きく変えざるを得ないものだった。
究極的には塩野七生は「ローマ帝国はなぜ滅びた」のではなく、「なぜあれほど続いたのか」を描こうとすることがこの『ローマ人の物語』を書くも目的だと最初の方に書いているのだが、このシリーズ12作目まで来ると、いよいよそのローマ帝国の文明も尽きかけようとしている。
本書を読むとそれは決してローマ帝国やローマ市民が歴史の中で変化して役割を終えようとしただけではなく、やはりゲルマン人の変化、特に彼らが大規模な騎兵としてローマ帝国に侵入するようになったということが大きいことがよくわかる。
曲がりなりにも平和な世界にいる我々とは違い、古代の世界では軍事と政治は不可分なものであり、軍事的な危機は政治的な危機と直結する。あるいは、政治的な危機は軍事的な危機へと直結する。
その大前提の中で、ローマ人たちは自国を守るために軍人たちが政治を握るようになり、やがてそれは軍人と政治家の分離を招いていく。それは確かに国家レベルでは人材の空洞化や衰退を招いたかもしれないが、決してそれは望んだものでなく、結果であるという気もしてくる。 -
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ネタバレ塩野七海のライフワークとも言える15年をかけたローマ人の物語のうちの11巻が本作「終わりの始まり」になる。取り上げるのは、五賢帝最後の皇帝であるマルクス・アウレリウスから息子のコンモドゥスそして、内乱を経ての軍人皇帝セプティミウス・セウェルスまでだ。
本作における作者の問題意識はかなり明確で、5賢帝の後に訪れるローマ帝国の衰退は、実はマルクス・アウレリウスの時代に始まったのではないかというものだ。
彼女の描く『ローマ人の物語』は、経営者層をはじめとして、いわゆるおっさんたちに大ヒットをしたことでよく知られている。一方で、学会からは歴史の描写が不適切であるとか、勉強が不十分であるといった批判が多く寄せられている。
彼女の本を長年読んでいる自分からすると、彼女の作品は歴史を正しく伝える教科書ではなく、彼女が取り上げたいと抱えた人間を中心とした「男の生き方」を描くものが多い。もちろん彼女の作品には女性も出てくるのだが、何せ取り上げる対象が古代だったり中世だったりするので、主要なキャラクターが男性になってしまうのは仕方がない。
そういう補助線を引いておくと、本作での問題意識というのは結局のところ「統治者は現場情報なしで統治が可能なのか?」という問題意識だったのだろうと想像がつく。そしてこのように問題を定めれば、これは現代の組織の問題に対しても応用が可能だ。そしてこの問いに対する答え、少なくとも塩野七生の答えは、現地経験こそ統治においては必要不可欠であるというものだ。
その観点で言うと、マルクス・アウレリウスは皇帝になった段階では、十分な統治をなすだけの経験がなかったと言える。しかしその皇帝統治期間の後半が、現ドイツの防衛線に張り付き、最終的にはその地で没したことからもわかるとおり、自らが足りなかった経験を埋め合わせるための努力をしたことは十分にわかる。そもそも彼の現地経験が足りないのは、彼のせいではなく、彼の先帝となるアントニオ・ピウスがローマにて統治をすることを好み、またそこで十分だったことが挙げられる。
また、彼の後に皇帝を継いだコンモドゥスにより帝国は大きく揺らぐことになるのだが、これも自らの子供が一人しかいないというところにおいては、選択肢を取ることができず、彼のせいであると言い切ることには難しい。そもそも14人の子供がいたにもかかわらず、男子が一人しか生まれなかったのは、帝国においても不運だったとしか言いようがない。
そう考えると、この『終わりの始まり』という巻は、人間がどれほどその現場で努力しようとも大きな流れが傾いた時には、立て直すことができないということを示し始めた一冊目ということで、少しずつ暗いトーンがこの物語を覆い始めたのを実感してしまうのだった。 -
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ネタバレ1453年、オスマン帝国の大王といわれたマホメッド2世が、ローマ帝国の一つのビザンツ帝国を陥落させる話。孫にセリム、その次がスレイマン大帝で、シナンの時代である。
はあーーー面白かった。2週目したい。ちょうどトルコに行ったばかりで、行きの飛行機でも途中まで読んでいて、これがあの城壁かあなどしみじみしたし、行ったからイメージが湧く上で読むのも面白かった。
滅ぼされる側にも正義があって、正義のために死んだのだ。そして死ぬ前に、喜びもあったし、人間臭いドラマもあったとわかった。イタリアが意外と絡んでいて知らなかったけど面白いなあと思った。ギリシャ人が、東ローマ帝国の末裔をしていて、もう弱体化してるとわかっても、でも西欧からすれば同じキリスト教であり、あの古代ローマを引き継ぐ国が終わってしまった、という喪失感があっただろう。もう一度場所を確認しながら、再読したい。そんな本でした。 -
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ネタバレ恥ずかしながら、皇帝フリードリッヒ2世という人をこの本を読んで初めて知った。
法王vs皇帝
最初の法王、皇帝を御すべく送り込んだ正妻もお目付け役も、結局フリードリッヒの味方になってしまっていたのは皮肉。
子育て
意外なことに、彼のような人でも一人目の育児は思い通りにはいかなかった。況や我々庶民に於いてをや、である。
ところで、他の作品を読んだときにはあまり感じなかったのだが。本作では筆者の文章のクセというか同じような言い回しがちょいちょい出てきて、少し鼻につく。
「〜ならば・・だった」とか「〜笑ってしまう」、特に必要のない「〜のである」など。 -
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十字軍の始まりから終わりまで。
十字軍の概要は知っていたが、それぞれの十字軍がどういった経緯で発足したのか、戦いの中心人物やイスラム側の事情などのディテールを知ることができた。
個人的には第一次が好きだった。リチャード1世で有名な第三次は知っていたが、第一次のボエモンドや司教アデマール、タンクレディなどイェルサレム奪還を成し遂げた人たちのことは知らず裏側を知れた感じがして新鮮だったから。詳細を見ていくと人物もそうだがイスラム側・キリスト側の事情や現地での人々の戦い以外の交流を知ることができ、歴史の教科書に書かれているような単純な出来事ではなかったんだと痛感する。何事もそうだがディテールまで見るということ重要性も学んだ気がした。