塩野七生のレビュー一覧
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ネタバレカエサルはついにルビコン川を渡り、ポンペイウス擁する元老院派との対決に臨む。決意を決めたカエサルとは対照的に、国賊認定をしてカエサルを追い込んだ元老院派はルビコン川を越えたカエサルの行動は予想できていなかった。冬季であったため、軍勢を整えるためにも春まで待つだろうと予想をしていたからであった。準備ができていないポンペイウス陣営は、早々にローマを捨て南伊ブリンディシに向かい、イタリアをも捨てギリシャへと渡る。ポンペイウスは地中海の海賊一掃作戦を通して地中海全域に渡り多数の「クリエンテス」を有しており、イタリア内での決着よりも地中海全域を盤面とした方が有利とみたからであった。カエサルは当然この展開を防ぐべくイタリア内での早期決着を望んでいたが、海軍を持たないカエサルは港を封鎖することができず、ブリンディシ包囲戦でポンペイウスをイタリア内に留めることはできなかった。
ポンペイウスをギリシャに逃した事で長期戦となった対決だったが、「東」での決着を万全とするには「西」のスペイン・「南」のアフリカを支配下におき、背後の憂いを断つ必要があった。カエサル自身はスペインに赴き、ポンペイウス配下の将を降伏に追い込んだものの、アフリカを任せた若き将クリオは任務を果たすことができずアフリカの地に散ることとなった。
南への憂いを残す形となったが、カエサルはポンペイウスを追いギリシャへの向かう。決戦の地をギリシャに移した後は、ドゥラキウム攻防戦、ファルサルスの会戦にて決着となり。ポンペイウスは逃亡を強いられる形になる。この時、ポンペイウスには2つの選択肢があった。①クリオを撃破したポンペイウス派の武将と合流し体制を立て直して再度カエサルとの対決に挑む。②エジプトのプトレマイオス朝への「貸し」を頼りに、一時の助力を乞う(プトレマイオス朝を共同統治している姉と弟の父親は過去にポンペイウスに助力を求め、ポンペイウスのお陰で王に返り咲きした過去がある)。ポンペイウスの取った選択は②であったが、これが判断ミスとなる。カエサルの覇権を予知したプトレマイオス朝は、ポンペイウスをだまし討ちしてしまう。エジプトに到着したカエサルはポンペイウスの変わり果てた姿を見て涙を流したと言われている。すぐにローマへ帰ると思われたカエサルだったが、意外に長期滞在をすることになる。弟(プトレマイオス13世)と姉(クレオパトラ)の権力闘争を収める必要性を感じたからであった。この時、有名な逸話として国外逃亡中の身にあったクレオパトラは洗濯籠に隠れてカエサルの居室に侵入し、カエサル目の前に突然現れてその美貌で魅了したというのがある。クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていた、みたいな、どうしようない話も残っている。(クレオパトラに魅了されたか否かはともかく)カエサルの下した裁定は、先王の遺言(弟と姉の共同統治)を守る、という事であった。プトレマイオス13世陣営からすればたまったものではない。カエサルへ反抗しアレクサンドリア戦役が始まる。戦力では劣ってたカエサル陣営は援軍が来るまで耐えるしかないが、援軍が合流した後は即決着となり、プトレマイオス13世は戦死。戦役後もカエサルは姉クレオパトラともう一人の弟プトレマイオス14世との共同統治を裁定するが、プトレマイオス14世はまだ幼いため、実質的にはクレオパトラ単独の王位となる。ポンペイウスの残党が残るアフリカへ赴いたカエサルは、タプソスの会戦にて勝利し、内乱を終えるのであった。
ローマでの凱旋式を終えたカエサルは、終身独裁官として様々な治世を行うも、カエサルの独裁を警戒した勢力により3月15日に暗殺されてしまう(著者によると、ヨーロッパでは3月15日はカエサルが暗殺された日として皆が認知しているとのこと、本当か?)。カエサル亡き後は、ローマ世界はアントニウスとアクタヴィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)の覇権争いへとステージを変える。オクタヴィアヌスはカエサルの姉の子を母親にもっており、カエサルの遺言状にて後継者に指名されていた。暗殺者のメンバーには、カエサルの元幕僚も名を連ねており、カシウス、マルクス・ブルータス、デキウス・ブルータスが主要なメンバーと言える。デキウス・ブルータスはカエサル配下の軍団長であり、遺言状ではオクタヴィアヌスに相続できない場合の次点に名前を挙げらていたほど信頼されていた人物であった。「ブルータスお前もか」のブルータスは、一般的にはカエサルの愛人セルヴィーリアの息子であるマルクス・ブルータスとされているが、このデキウス・ブルータスの事を指す説もあるとのこと。暗殺直後は騒然となったローマも、次第に英雄カエサルの暗殺者達を恨むムードが醸成されていく。共和制主義者のキケロは暗殺者達を援護する事でローマが共和制に戻る機運を高めようとするが、既に時代はそれを許さなかった。カエサルの死後専横を誇っていたアントニウスを弾劾する演説(フィリッピケ)を行うも、民衆の支持は得られなかったようである。軍事力を得たオクタヴィアヌスは、元老院を脅して暗殺者達を国外追放とする法案を成立させ、北伊属州へと旅立つ(この時、キケロはオクタヴィアヌスがアントニウスを打倒してくれる事を期待していたらしいが、オクタヴィアヌスとアントニウスが組んで第二次三頭政治を表明した事で希望は打ち砕かれた)。三頭政治と言っても、その一角レピドゥスの存在感は薄く、実質的には二人のタッグであった。この二人はカエサルの「寛容(クレメンティア)」の精神は引き継がなかったようで、スッラばりの「処刑者名簿」を作成し、共和制主義者・ポンペイウス派の人物を皆殺しにしてしまう。
この後は、オクタヴィアヌスとアントニウスの権力闘争の色が濃くなるが、この時点は圧倒的にアントニウスが有利な状況だった。アントニウスはローマを二分し、「西」をオクタヴィアヌスに、裕福なオリエント文化圏を有する「東」を自身の担当とした。エジプト女王のクレオパトラを呼びつけカエサル・ポンペイウス対決の時に協力しなかった事を弾劾しようとしたアントニウスだが、豪華絢爛な登場を演出したクレオパトラに圧倒されると共に、クレオパトラに文字通り骨抜きにされてしまったアントニウスのこの後の運命は悲惨なものとなる。クレオパトラとの間に子供を設け、事あるごとにクレオパトラ寄りの判断を行うようになったアントニウスに対し、ローマの民衆は冷ややかな視線を送る。アントニウスとしては、カエサルも成し遂げられなかったパルティア遠征を成功させれば、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスの正当性も失われるだろうという戦略であった。ローマ防衛線構築のためのパルティア遠征なら兵もついてくるが、クレオパトラの野望に巻き込まれたアントニウスはパルティアの占拠を戦略とするも、これでは兵はついてこない。結局パルティア遠征は失敗に終わり、あまつさえ凱旋式をエジプトにて行うという暴挙に出た事でローマ市民の反感を買ってしまう。オクタヴィアヌスは巧みにプロパガンダを行い、アントニウスをそそのかしたクレオパトラという図式を喧伝し、あくまでもローマ対エジプトという図式の中で、打倒アントニウスに向けて軍を発するのであった(オクタヴィアヌス対アントニウスという図式とでは、兵の士気に差が出るからであった)。
オクタヴィアヌス対アントニウスの決戦は「アクティウム(ペロポネソス半島より北西の海域)の海戦」に委ねられる。アントニウス側は最初から海戦にて敗北した際はエジプトの陸戦にて決着を行うという戦略を決めていたがこれが裏目に出てしまう。海上に指揮を執っていたクレオパトラが激戦の地獄絵図に折しも吹いた北からの風に乗り早々に離脱してしまったのである。アントニウスもこれを追い南へ逃げるが、主力軍が湾に取り残されオクタヴィアヌス軍に囲まれて降伏してしまう。これを見たアントニウスは絶望することになる。
ローマ軍が迫る中、残る騎兵を先導し迎え撃とうするものの、味方騎兵の寝返りに遭う中、クレオパトラ自死の報をアントニウスは受け取る。これに絶望したアントニウスは自死を選ぶが即死はできなかった。そこにクレオパトラの自死は誤報であると告げる使者が到着し、アントニウスは自身をクレオパトラの元へ連れていくよう命じ、死後は愛する女クレオパトラの腕の中で死んだ。クレオパトラはローマへ連行される道すがら、忍ばせた毒蛇で自死したと言われている。ここに長きに亘った内乱が終結するこになり、オクタヴィアヌスによる「パクス・ロマーナ」の時代となるのであった。 -
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ネタバレローマの歴史における英雄中の英雄ガイウス・ユリウス・カエサルについての叙述がいよいよ始まる。カエサルは紀元前100年の生まれという事で覚えやすい。項羽と劉邦の時代のおよそ100年後、カエサルの100年後にキリストの時代となるのでなんとも贅沢な時代である。
カエサルの少年期は、マリウス(民衆派)とスッラ(元老院派)の抗争の時代と重なる。母方の伯父にあたるマリウスがカエサルの伯父2人を処刑するという凄惨な出来事を13歳の時に経験している。16歳で父親を亡くしたカエサルは家長となり、政略結婚を経て当時の政争に巻き込まれていく。マリウスのバトンを受けとった執政官キンナは、オリエント平定を終えたスッラを迎え撃つにあたり、自身の支持基盤を確立しておく必要があった。民主派の英雄であるマリウスの甥にあたるカエサルと自身の娘を結婚させ、支持を固めるのが目的だった。スッラがローマに帰国すると、メテルス、クラッスス、ポンペイウスといったマリウスの粛清を逃れていた「元老院派」の軍が合流し、「民衆派」の正規軍は粉砕される。スッラによる「民衆派」の粛清は苛烈を極め、スッラの抹殺リストにはカエサルの名前も載っていたが、周囲からの助命嘆願により抹殺リストから渋々カエサルの名前を消す(このカエサルが後々元老院を打倒する部分は源頼朝と似ている)。スッラは助命は許すもののキンナの娘との離婚を命じるが、カエサルの返事は「否」であり、激怒したスッラから逃れるため小アジアへと逃避する。離婚を拒否した理由は諸説あるが、カエサルは絶対権力者といえど、個人の私生活の権利を侵害できないと考えたのでは、と著者は言う。
逃亡先の小アジアで軍務に就くことにしたカエサルであったが、数年後にスッラの訃報を受けローマに急ぎ戻る。戻ったものの、ローマはスッラの死後も「元老院派」が幅を利かせている状況でカエサルは何もすることができない状態だった。そこでカエサルは弁護士として身を立てていく事を選択する。名のある人物の裁判に勝訴すれば自身の名前が一気に売れるからである。2回目の訴訟でスッラ派の重鎮を法廷に引きずり出した事で、再度「元老院派」から目をつけられロードス島に留学を兼ねて逃亡する。ロードス島への道中、海賊に捕らえられたカエサルは身代金20タレントを要求されるが、なんとこれを一笑に付し50タレントに吊り上げた。身代金の高さが身の安全を守ってくれるとの計算が働いたのではとされるがなんとも豪胆である。捕虜というより、ボディガードを携えた重要人物のような暮らしをする中、海賊達に「いつか縛首にしてやる」と発言して笑われていたが、身代金の支払いが終わると実際に私兵を携えて海賊拠点を襲撃し、海賊達を本当に絞首刑にする。
母方の伯父であるアウレリウス・コッタが、ボスフォロス海峡を有するビティニアの属州総督として派遣されると、ロードス島を引払いビティニアに向かう。だが、ポントス王のミトリダテスに早速侵攻を受け、コッタは逃亡先で病死し、スッラ派の重鎮ルクルスが派遣される。カエサルはまたも行き先を失うが、ローマからコッタの死により空席になった神祇官に任命されたとの知らせが届く。
カエサルが27歳になったこの時期は、後に仲間にも仇敵にもなるポンペイウスとクラッススの覇権争いの時期と重なる。「スパルタクスの乱」を鎮圧したクラッスス、スペインでの「セルトリウス戦役」を終えたポンペイウスも共にローマにいた。スッラの粛清時に、粛清された貴族達の資産を安く買い叩いたクラッススはローマ一の大金持ちだったが、手段を選ばない蓄財をポンペイウスからは軽蔑されており、若くして名声を得たポンペイウスをクラッススは嫉妬していた。仲の悪かった二人ではあるが、利害は一致しており手を結ぶことになる。ポンペイウスは執政官への立候補資格が無かったが、これまでの数々の軍功をバックに元老院に立候補を認めさせようとしていた(法律違反だが軍隊も解散していなかったので軍事力を背景にした恫喝にも近い)。クラッススは、立候補の資格は問題なかったが、あどい金儲けにより人望がなかった。そこで、クラッススは裏で手をまわしてポンペイウスの立候補を元老院に認めさせ、ポンペイウスは自分の支持者達の票をクラッススに投じることにし、晴れて二人が執政官となった。スッラの構築した元老院をトップとした厳格な年功序列による統治システムは、突出した個の力の前に無残にも崩壊したのである。
会計検査官、按察官(造営官)を得て民衆の支持を得ていた37歳のカエサルは、メテルスが亡くなったために空席となった最高神祇官の席に狙いを定める。対立候補は執政官を経験している重鎮2人であるため、通例の話し合いによる選出では不利とみたカエサルは、友人の護民官に選挙制となる法案を提出してもらう。多額の借金を選挙活動に投じ、見事当選を果たす。最高審議官は名誉職であり、特段利権等はないが、この時既にカエサルは元老院打倒後の新体制の構想があり、その権威付けには最高神祇官が良いと考えていたとされる。最高神祇官になったカエサルは親友の護民官と共に、一人の元老院議員を告発する。この人物は、37年前に護民官サトゥルニヌスの急進的な改革案の提出に際し、「元老院最終勧告(セナートゥス・コンストゥルム・ウルティウム)」の発布を主導した人物であった。カエサルの狙いはこの人物を潰す事が狙いではなく、元老院の持つ最終兵器である「元老院最終勧告」の正当性を否定することにあったが、結局この裁判はうやむやのまま終わった。
属州総督として南部スペインに赴任する予定であったカエサルは、借金取りの座り込みに遭い、スペインに出立することができなくなるが、これを救ったのがクラッススであった。クラッススはカエサルの借金を肩代わりし債務をクラッススに一本化した。この行動は2つの理由から考えられるが、1つ目は単純に「カエサルに投資していたから」、2つ目は「カエサルへの貸付が多額すぎて、カエサルを破産させるわけにはいかなかったから」である。属州総督から帰任したカエサルはいよいよ執政官に立候補する。ポンペイウスとどのように打ち合わせたかは不明だが、カエサルとポンペイウスは密約を交わす。カエサルは執政官としてポンペイウスの部下に農地給付とポンペイウスが組織したオリエントの再編成案の承認を実現させ、ポンペイウスは部下にカエサルへ票を入れさせるというものであった。ここにクラッススが加わり、有名な「三頭政治」が確立される。クラッススは最大債務者であるカエサルを助けざるを得ない構図から、カエサルとポンペイウスという1対1対だとバランスを欠いた力関係を均衡に近づけたとされる。執政官となったカエサルは元老院の議事の内容をフォロ・ロマーノの一画に張り出すという周囲が驚く事を実行した。キケロは自身の元老院での発言を着色して出版してアピールしていたりしたため、この施策は大打撃であった。カエサルは更に「ユリウス判例法」という国家公務員法を提案する。これは、公職者がどのように振舞わねばならないかを規定しており、多額の横領や賄賂を受け取ったものは元老院の議席を失うとあった。着々と元老院派の力を削ぐカエサルは、満を持してグラックス兄弟からの長年の問題である「農地法」に着手する。グラックス兄弟は護民官として農地法を提案し、農地法の3名の委員会に自らも参加する体制を提案していたが、カエサルは執政官である上、委員会も20名とし自らは参加しない提案にする等、元老院派への配慮も施した提案であった。しかし、元老院は農地法=反元老院体制と理解し、この法案を通そうとはしなかったため、カエサルは市民集会での決議(ホルテンシウス法メソッド)を決意した。市民集会では市民に絶大な人気を誇るポンペイウスを前面に立たせ民衆のボルテージを上げるやり方をしたため、反対を唱えようとする元老院派の面々は市民のブーイングを浴びるような状況であった。このようにして遂に農地法が成立する。この農地法の成立過程でもう一人の元老院派の執政官は立場をなくし、執政官は実質カエサルのみとなる。この機と「三頭政治」を利用しカエサルは自身のガリアへの属州総督の任期等を自身の都合の良い内容とする法案を決議する。
ガリア戦記は南仏属州の属州総督に就任したカエサルが、ガリアを制覇する過程を自身が執筆した伝記である。ガリア戦記をかなり大雑把にまとめると以下の通り。
・ガリアには様々な部族が乱立している状態であり、ライン川以東のゲルマン人の侵攻に晒されていた。
・カエサルはゲルマン人をライン川以東に押し込み、ガリアの制覇を目論んだが、ガリアの英雄ウェルキンゲトリクスがこれを阻む
・ガリアの諸民族をまとめ上げたウェルキンゲトリクスは、重装歩兵が主流のローマ軍に対して、騎兵を活用した戦法を用いカエサルを苦しめる。
・最終決戦の場であったアレシア攻防戦にてウェルキンゲトリクスに勝利し、ガリアは降伏を選ぶ。
・ウェルキンゲトリクスはガリアの諸民族を招集し、自身を生きたままローマに差し出す事での決着を決め、カエサルもウェルキンゲトリクスの意思を尊重し、ガリア諸民族から捕虜を取ることもなかった。
無事ガリアを平定したカエサルであったが、今度は首都ローマで「反カエサル」の動きが高まる。元老院派がポンペイウスを担ぎ、カエサルのガリア属州総督の解任を目論んだのである。この動きに対して、カエサルは元老院派の護民官の一人であるクリオに目をつけ、自身の味方に鞍替えをさせ、自身の任期を延長させる工作を開始する。元老院がカエサルの解任を決議しようにも、護民官が拒否権を発動することで、綱引きの状態になった。結局、「元老院最終勧告」を発令し、ポンペイウスに全権を与えカエサルを打倒する決定をする。カエサルは自身の1個軍団を従え、遂にルビコン川を渡るのであった。これまでカエサルの元で数多の活躍をしてきた副将ラビエヌスだが、彼自身はポンペイウスのクリエンテスであったため、カエサルに付き従う事はできず、ポンペイウスの元に向かった。 -
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ネタバレ第二次ポエニ戦役に勝利し、地中海の覇権を不動のものとしたローマであるが、大きくなりすぎた反動が自身を襲う。属州となったシラクサから安価な農産物が入るようになり、ローマの農業者は葡萄畑などに転換するしかなくなったが、この転換には多額の投資が必要であった。投資能力のない者は土地を富裕層に譲渡せざるを得ず、格差が拡大したのである。
このような背景の中、グラックス兄弟が登場する。兄のティベリウス・グラックスは、大規模農地の所有権を放棄させる農地法を護民官として提案し民衆に支持されるも、これが富裕層が多くを占める元老院の反感を買う。護民官への再選を期した集会において、反対派(背後には元老院が控えている)に撲殺されてしまう。兄の意思は弟のガイウス・グラックスに引き継がれ、農地法の復活に留まらず、陪審員を元老院のみでなく騎士階級にも広げたり、ローマ市民権をラテン同盟国にも与える提案をしたため、兄弟そろって元老院の反感を買ってしまう。元老院はガイウスの同僚(フラックス)への工作を図り、ガイウスよりも民衆受けする法案をフラックスに提案させることで、元老院はガイウスの護民官への再選の妨害に成功する。ガイウスの提案が次々と廃案になるのを目の当たりにした民衆は騒動を起こし、元老院最終勧告が発令され、ガイウスは奴隷と共に自殺に追い込まれるのであった。護民官の立場で元老院に立ち向かうのがグラックス兄弟の改革の失敗と分析していた部分は学びを感じた。平民出身であるが、ローマでの絶対権力を誇るようになるガイウス・マリウスは護民官ではなく、執政官の立場で改革を実施し実を結ぶのである。
マリウスは平民であるが、軍事面での功績を足掛かりとして、政治家のキャリアを歩み始める。当時のローマでの徴兵制度は、税金(血の税)としての側面もあったため、民衆の格差拡大の影響を受け軍が弱体化していた。マリウスはこれを志願制にすることで、職業軍人をベースにした軍編成を行い軍事強化に成功する。軍制改革により順調に戦果を挙げるマリウスであったが、この軍制改革が同盟国の反乱を招いていしまう。ローマ市民にとっての兵は「職業」であるが、ラテン市民にとっては「義務」であったためである。 -
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ネタバレ北アフリカの強国カルタゴとローマの激戦が描かれる。シチリアの覇権をめぐる「第一次ポエニ戦役」、主戦場をイタリアとしたカルタゴの英雄ハンニバルによる侵略戦争である「第二次ポエニ戦役」がメインのテーマ。
第一次ポエニ戦役は地中海の制海権が重要となることから、当時は海軍を持っていなかったローマより沿岸国であるカルタゴが有利かと思いきや、そうならないのが面白いところ。「カラス」という回転する梯子のようなものを船に装着し、カルタゴの軍船に橋をかけローマの強みである重装歩兵を活用し戦闘を陸戦化するという発想の転換は学ぶ部分が多いなと感じた。
第一ポエニ戦役での敗戦の将となったハミルカルであるが、その長子であるハンニバルの活躍により、ローマは窮地に立たされる。ローマ人には考えも及ばなかったアルプス山脈を越えてのイタリアへの侵攻、トレビアの戦いを経て北イタリアに地盤を築いたハンニバルは更に南下し、トラシメヌス湖畔の戦いでの鮮やかな奇襲によりローマを追い詰める。ハンニバルは拠点を南イタリアに移し、ローマ同盟国の切り崩しを図るも思うように事を運べない。南イタリアでの大規模会戦カンネの会戦でハンニバルが勝利したことにより潮目が変わる。南イタリアのカプア、シチリアのシラクサがハンニバル陣営へと加わる。
「ローマの盾」であるファビウスの戦略のもと、「ローマの剣」であるマルケルスがハンニバルを追い詰める。離反したシラクサをマルケルスが攻略すると共に、奴隷軍団を率いるグラックスがハンニバル包囲網を築き、本国カルタゴからの補給を断つ(アルキメデスがシラクサでローマ軍に殺害されたのは有名な話である。アルキメデスの設計の特殊武器によりローマ軍は大いに苦戦したらしい)。
一方、ハンニバルの本領であるスペインには若き司令官であるスキピオが派遣され大活躍を遂げる。スキピオはハンニバルの弟であるハスドゥルバル・マゴーネが合流する隙を与えずこれを破りスペインを平定する。ハスドゥルバル、マゴーネはスペインを放棄し、イタリアのハンニバルの救援に向かうも、ハスドゥルバルは戦死、マゴーネも合流は叶わなかった。ローマに帰国したスキピオはカルタゴ本国の急襲を主張するも、元老院、ファビウス、大カトーの反対により、一旦シチリアへ派遣される。シチリアで軍を編成したスキピオは北アフリカに上陸し、ウティカの戦いでカルタゴ・ヌミディアの両軍を破ると、マシニッサをヌミディア王として擁立し屈強な騎兵を有する同盟国を得る。いよいよ、天才同士が激突するザマの会戦に突入するが、戦略の柱である騎兵で差をつけられたハンニバルは、自身の得意戦法である騎兵を活用した用兵をスキピオに実践され敗北。第二次ポエニ戦役はここに終結する。
ローマの同盟国(といっても勝手な戦争を行う事は禁止にされるなど、ほとんど従属の扱いだが)となったカルタゴであるが、間もなくして亡国の憂き目にあう。ヌミディアの侵略により苦しめられ、ローマへ解決を求めるも、ローマは対策を講じてくれず、カルタゴはついに軍団を編成。これが条約違反とみなされ、ローマはスキピオ・エミリアヌス(スキピオ・アフリカヌスの義理の甥)を派遣し、カルタゴを完全に滅ぼす。約500年の歴史を持つ経済国が更地にされたとのこと。諸行無常である。
カルタゴの滅亡により、ローマは名実共に地中海の覇権を築くことになるが、この覇権が、ローマを強国たらしめた共和制のシステムのバグを引き起こしていくことになるのである・・・ -
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ネタバレローマの事を全く知らない人間が読んでも、グイグイ引き込まれる文章で、漫画を読むような感覚で歴史理解を深める事ができた。長丁場になるが全巻読んでみたいと思う。ローマ建国からカルタゴ(現 北アフリカ)との戦争であるポエニ戦役勃発前までが描かれる。ローマに最初に拠点を築いたのは所謂「ならず者集団」で、サビニ人の女性たちを拉致して結婚して子孫を残したというのは驚きであった。共和制移行後のパトリキ(貴族)中心の政治から平民を取り入れた政治体制の確立(リキニウス法)や同盟国出身の者に違和感なく最高権力であるコンスル(執政官)の地位を与えるなど、外部リソースの活用の上手さがローマが今後ライジングしていくことのバックボーンになっているのだと感じた。
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"ローマ人の物語"で有名な塩野七生のエッセー集。政治・社会問題から女性論・天皇陛下や日本人への想いまで、歴史知識に裏打ちされた現実主義的で冷徹な視線で話を進める。もちろんそれだけでなく、"尖閣にガンダムやゴジラを"というウィットにとんだ提言もあり、また、日本を語るときのある種のウェットさ、切なさも文章からは伝わってくる。
それにしても彼女の語る欧米事情や政治論・女性論は、日本のマスコミの論調とは大きく違って聞こえる。個人的には彼女の方がしっくりくるのだが。
彼女のような人に国を率いてもらいたいと思ったりもするけれど、たぶん今の日本人にはそれを受け入れる度量がないだろうなとも思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ塩野七生の本なので面白くないはずがない。と言う訳で、題名の通り中世ヨーロッパで中世ヨーロッパから外れた傑物の神聖ローマ帝国皇帝 フリードリッヒ2世の生涯を好意を持って描いた本。そもそもフリードリッヒ2世という人を全く知らなかったが、中世において、絶大な権力を誇った神の使いであるローマ法王に真っ向から対立した(勝負を挑んだというほどには勝負はしていない)フリードリッヒ2世という人を全く知らなかったの発見の連続。もうあと200年くらい遅くに生まれていたら時代の寵児になっていたと思うが、残念ながらキリスト教(ローマ法王)的には全く容認できず、死後に歴史上から抹殺された感が強いのであまり知られていないのだろう。まあ、最終的に勝った側が歴史を改ざんするのは世の常なので仕方ないだろう。キリスト教と言う脈々と続く体制にいくら傑物でもたった一人では立ち向かえないということのようだ。それはさておき、中世において封建社会から脱した絶対君主制をそれも法治国家として確立しようとしたり、十字軍全盛の時に自らも十字軍に行って戦わずしてイスラム教徒と協定を結び占領されていたエルサレムを解放したり、と今から見ると大変先進的な気質を持った人物。そうはいっても負の側面もあるとは思うが、そこについてはあまり触れられていないのでよく分からない。とにかくこの本を読むとフリードリッヒのファンになることは間違いない。
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Posted by ブクログ
文藝春秋に連載されている日本人へをまとめた新書の5冊目です。タイトルは「誰が国家を殺すのか」ですが、それに関係する内容が多かったと思います。「誰が」という問いは難しいですね。特定の個人ではないと思いますが、読みながら考える材料になっていると思いました。
塩野さんがこれまでおっしゃっていた内容と重複するような内容もいくつかありましたが、立場が変わったこともあり、それらについて考えるのも、いろいろと違う要素や視点から考えますね。特に印象に残っているのは、「責任を取る」ということやリーダー像、そして現場体験を通じたカンの重要性ですね。普段からそういうことをあれこれ考えているからでしょうか。 -
Posted by ブクログ
専門家や歴史好きの一部からは批判されているが、私はこのシリーズが好き。単純に面白いから。正確な歴史を知るというより、ローマ人に想いを巡らせる上で、とても役に立つと思っている。
「悪名高き皇帝たち」では、ローマ帝国第二代皇帝ティベリウスから第五代皇帝ネロまでの治世が描かれている。カエサルが道を開き、アウグストゥスが作り上げた帝政を、次代の皇帝たちがどのように治めていくのかがテーマになっている。
ローマ帝国の面白いところは、皇帝があくまで市民の中の第一人者であるところ。強大な権力が付与されるが、それには元老院と市民の支持が必要なのである。冠を被ったステレオタイプの王様とは全くの別物だ。どちらかというと大統領に近い。そして大統領と同じく、高度な統治能力が求められるわけだが、皇帝になる誰もがこの能力を持ち合わせているわけでもない。というのも、カリグラ、クラウディウス、ネロの3名は実力というよりは血統と都合により祭り上げられて皇帝になっているからだ。なので能力を測られもせず国のトップに立っている。その割にクラウディウスは優秀だったのがローマにとっては幸いだったかもしれない。カリグラみたいな皇帝が三連続してたら流石に帝国も崩壊していたかも。。いや、流石にその前に手は打たれただろう。何故ならネロ帝のヤバさを痛いほど感じた軍団や元老院は彼の殺害を画策したのだから。この時代のローマ人には、悪い状況を修正する気概と能力があったのだ。そして修正力は血統主義から能力主義への移行に生かされたようだ。
このシリーズの面白さは扱う時代に左右される。正直なところ、ハンニバル戦役を描く2や、カエサルを描く4、5の方が手に汗握って面白い。平和なローマとなると、どうしてもハラハラする展開が少なくなる。それでもそこそこ面白いヒューマンドラマが楽しめるので、これからもこのシリーズを読んでいきたいと思う。