塩野七生のレビュー一覧
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9巻までの共和制から帝政までの為政者たちの歴史から打って変わり、ローマ街道、上下水道、医療、教育などインフラに特化した作品。
街道も水道も2000年前に作られたとは思えない、とてつもない距離だ。しかも、ピラミッドのように為政者の権威を示すものではなく、人々が暮らしのために使う機能的なものとして作られていることが古代でありながら新鮮に感じる。
ローマ皇帝の責任である食と安全、その前提となる平和を維持達成するための必要最小限の軍隊、自治を認める形での属州化と文明化。そのための手段としてインフラの確立とメンテナンスがあった。現代の国家の枠組みがとても小さく、遅れていると感じるほど先進的な考え方で -
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第六次十字軍は、カトリック的には無かったものとされている。
神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒは全く戦わなかったのだ。
フリードリッヒはイスラム側のスルタンとの交渉によって、聖墳墓教会はキリスト教、岩のドームはイスラム教というイェルサレムの分割統治という方法で聖地を奪還した。
しかし、戦わず講和によってイェルサレムをキリスト側に取り戻した功績を、ローマ法王が許さなかった。
キリスト教、イスラム教それぞれが互いを不信神の徒と罵り合っていた中で、その不信神の相手と講和するなどもってのほか。
聖地イェルサレムはキリスト教徒の血によって解放されねばならぬ。
その信条を貫いたフランス王、 -
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三巻目。第三次から第五次まで。
花の十字軍といわれる第三次十字軍には、神聖ローマ帝国王バルバロッサ・フリードリッヒ一世、フランス王オーギュスト・フィリップ二世、そして本命はイギリス王獅子心王・リチャード一世の三人がイェルサレム奪還を目指して出発する。
そのうち、バルバロッサはあっけなく死に、オーギュストは地領拡大のために十字軍を放棄してフランスへ帰る。
残る獅子心王リチャード一世がイスラム下にあったパレスティーナ沿岸の町を解放しつつ南下する。
対するイスラム側はサラディンを中心にまとまっていた。
ダマスカスとカイロを手中にしたスルタン・サラディンは十字軍と相対する。
そして戦 -
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エデッサの陥落の報によりヨーロッパ社会は震撼した。
エデッサ陥落の報を受け、神聖ローマ帝国皇帝とフランス王直々に攻めた第二次十字軍は完全な失敗に終わる。
第一次十字軍のち、イェルサレム王国を中心とする十字軍国家は停滞していた。
慢性的な兵力不足が原因だった。
それでも王国が保たれていたのは、対するイスラム側にまとまりがなかったからだ。
シーア派とスンニ派に分かれ、部族、領主は領土拡大で敵対しあい、まとまってキリスト側に反撃することがなかったのである。
しかし、ついにイスラム側にも英雄が現れる。
ゼンギ、ヌラディンに続き、イスラム社会をまとめ上げたのは少数部族クルド出身のサラ -
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神がそれを望んでおられる。
後世で悪名高き十字軍、キリスト教によるイスラム教への宗教戦争とは何だったのか。
11世紀ヨーロッパは東ローマ帝国、西ローマ帝国に分かれ、それぞれギリシア正教、カトリックと内紛を起こしていた。
西ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世のカノッサの屈辱から、ローマを追われたローマ法王グレゴリウス7世の後任、法王ウルバン2世は自らの権威を示すため、キリスト教の共通的を作り出す。
聖地イェルサレムを解放せよ。
この言葉に共鳴したキリスト教徒は十字軍編成を待たずしてオリエントへと旅立ち、そして斃れていった。
その後構成された第一次十字軍はわずか5年弱で地中海沿岸にイ -
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本当はどんな人だったのか、とても気になる人物。
謀殺、守る気なしの講和条約、降伏→安全を保証→1年後に謎の死、、そういう仕事ばかりと言えばそうだけど、傭兵からの脱却(→徴兵)やイタリアの統一など新しいことも見えていて、何より、いずれに対してもたくさん行動してきた。それをマキャヴェリが話し相手として観察し、のちに有名な作品として残したことで、彼の一生も少しは、単なる悪役として以外にも、きちんと刻まれることになった。
この人とは絶対同盟とか組みたくないし、どこに魅力があるのかわからない。でも魅力がない訳ではない。どこにかわからないけど、妙にある。マキャヴェリさんは彼をどういう風に説明したのか、読