伊坂幸太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
【2026年94冊目】
猪苗代湖を基点に繰り広げられる二つの物語。スパイと失恋した男、異なる世界で生きる人々の行動が交差したとき、誰かの幸せに結びつく。さあ、作戦会議を始めよう。
「オハラ☆ブレイク」という音楽イベントに合わせて書かれた短編が、毎年のイベントに合わせて連作短編集になっていったという本作。最初は世界観に戸惑いますが、連続して読んでいるとだんだんと視点と繋がりが見えてきます。
とはいえ、たまにあれこれ誰の視点だっけと思うところもありました。バタフライ・エフェクト的なお話で、どう繋がっていくのかを探りながら読み進めた感じです。二つの世界のキャラクターたちが、知らずしらずのうちに影響し合ってハッピーになっていくのが良かったですね。 -
Posted by ブクログ
複数の短編が独立しているように見えて、実はすべてのエピソードが繋がっている。この作品は、そんな人と人との繋がりの尊さや、出会いの大切さに気づかされる一冊だった。
作中で特に心に残ってるのは、「これが出会いだ、ってその瞬間に感じるんじゃなくて、後で思い返して分かるもの」という言葉です。この言葉に触れ、私自身の現在の価値観も、これまでの様々な人との出会いによって形作られてきたのだと改めて実感しました。今後も大小様々な出会いを経験していくと思うが、その瞬間の関わりを大切にできれば、相手への見え方や関係性もより豊かになっていくのかなと感じた。
また、この作品には一貫して「世界チャンピオンに挑戦するボクシング選手」が登場する。これを見て思い出したのは、大谷選手をはじめとする現実世界の有名アスリートたちの存在だ。一人の生き様が、巡り巡って世界中の人々に希望を与える。その影響力の素晴らしさに気づき、改めて尊敬の念を抱いた。特にボクサーが難聴の少年に熱を与え、今度は成長した少年がその選手に勇気を与えるシーンは感慨深いものを感じた。
この作品の醍醐味は、散りばめられた伏線が回収され、過去と未来の人々が繋がる瞬間の心地よさだと私は思う。ただ、そこに至るまでの伏線を張るパートは、個人的には少し退屈に感じてしまう部分があった。実際、読み終えるまでに少し時間がかかってしまったため、まだ気づけていない繋がりがある気もしている。
だからこそ、これから読む方にはぜひ「一気読み」を強くおすすめしたい。私も次回は結末や繋がりを知った状態で再読し、今回見落としてしまった新たな発見を楽しみたいと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ長らく、本を貸してあげていた元教え子が、自分で本を買うようになったから、もう貸してもらわなくていいと言ってきた。何を買ったのかと聞いたら、この伊坂幸太郎の『アイネクライネナハトムジーク』だという。
この本を選んだ理由は、タイトルがかっこよかったからとのことで、彼は、この本のタイトルが、モーツァルトの作曲した有名な曲名であることを知らなかった。そのため、本当に「アイネクライネナハトムジーク」という響きのかっこよさだけに惹かれて、この本を読もうと思ったらしい。
これが曲名であることを知ってしまっている人間の身からすると、どうしても、あの曲とのつながりや、音楽にまつわる物語を期待して本を開いてしまう。そうした先入観をもつことなく、この本を開いた彼にとって、この小説の物語は、どんな風に見えたのだろうか。
実際、読後の第一の感想は、いったいどこが「アイネクライネナハトムジーク」だったのだろうか、というものだった。もっと正直に言うと、まったく一つひとつの物語が印象に残っていなかった。最終章の「ナハトムジーク」で、これまで出てきた登場人物たちの伏線が回収されているっぽいことは認識できたのだが、ほとんどの人物関係の記憶がなかったので、脳内に「?」を浮かべながら読み進めることになった。機会があれば、もう一度読み直して、きちんと張られている伏線を回収できるようにしようと思う。
そんな中でも唯一記憶に残ったのが、最終章、小野の世界チャンピオンがかかった試合で第十ラウンドのラウンドボーイをつとめ、ボードを真っ二つにした少年である。耳が聞こえないためにいじめを受けていた彼は、偶然出会ったボクサーの小野に勇気づけられるものの、あっさり世界チャンピオンから陥落してしまった小野の姿にがっかりし、意気消沈してしまう。そして、その沈んだ気持ちは、10年後、再度の世界チャンピオンがかかった試合で、再び小野が負けそうになったときには、その不甲斐なさに対する怒りとなるのである。
この気持ちは、何となく、わかる気がする。自分が尊敬した人に、ずっと尊敬されるような人でいてもらいたい。その気持ちは、とても自分勝手で、一方的な思いかもしれないが、往々にして、誰かを応援したり、推したりしたことがある人には、共感できる気持ちなのではないかとも思う。
ややずれた話になるかもしれないが、冒頭に書いた、この本を買ったという少年が、ぼくのことを称して「悪人」だと言った。彼は、ぼくが「悪人」であるという事実を、揺るがしたくないのだという。
正直に言って、少し悲しかったけれども、少し、嬉しくもあった。彼の言う「悪人」としての自分には、たくさん、心当たりがあったからである。
もしもぼくが、彼の思う「善人」になってしまったら、物語に出てきたラウンドボーイのように、怒るだろうか。「なんだその情けない姿は」とでも言うように、自分が理想に思っていた姿からかけ離れてしまったぼくに、怒りをぶつけてくれるだろうか。
彼は、ぼくのことを「悪人」として信頼してくれている。そう思うと、すごく嬉しいようにも思った。
ぼくにとってこの本は、本の内容以上に、この本を一つの区切りにして、別れることになった教え子との思い出が、心に残る一冊だった。ぼくのことを「悪人」だと思うと正直に伝えてくれる少年は、ぼくの知る限り、誰よりも優しく、賢くなれる子だと信じている。ただ、そんな彼が、ぼくから本を借りる関係を途絶える本に選んだのが、この本だったと思うと、寂しさが募る本でもある。
物語に出てくる「斎藤さん」は、お客さんの気分を聞くと、その気分にぴったりな曲を100円で流してくれるという不思議な仕事(?)をしている。そんな「斎藤さん」が、世界チャンピオンのベルトをかけた一戦を目前にした小野に聞かせた曲がある。
すぐにスピーカーからゆったりとした曲が流れてくる。
『心は何で動くのだろう。心はどうやって鍛えりゃいい。哀しみなんて吹き飛ばせ。もうすぐ君の出番だぜ。もうすぐ君の出番だぜ』
夜の歩道を取り囲む空気をぐるぐるとかき回す歌声は、最後に、『「基準は愛だ」って君の目』と続け、終わった。(p306)
高校生になった少年との関係。教育者としての自分の出番は、もう終わってしまった。「もうすぐ君の出番だぜ」。この言葉は、まだ「出番」でない彼にこそ、向けられた言葉になりうるのではないかと、そんなことを思いながら、聴いた。
斎藤さんは、この本を読み終えたぼくの気分に、どんな歌詞を選んでくれるのだろうか。この何とも言えない寂しさに、名前をくれる存在として、斎藤さんは、物語の中に表れているのではないか、そんな風に思うのだ。