仲野徹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ「遺伝子」なかなか難しい題材だが、科学的な部分と人類史との関わり合いの部分ととても分かりやすくてスムーズに読むことが出来た。科学的な部分では遺伝子・DNA・RNA・ゲノムなど、聞いたことはあるけど・・・な言葉もなんとなくイメージできどうそれが進歩してきたのかも興味深かった。また人類史との関わりについては遺伝子の研究が断種という考えからヒトラーにつながっていくところが衝撃的だったし科学者を理性的にさせるほど研究が恐ろしい結果につながりかねないということを知った。
遺伝情報の発現は必要性のためではなく、スイッチを何かが推すことによって起こる。多様性はバグではなく必要な進化の過程だと思えた。
下巻が楽しみ。 -
Posted by ブクログ
現在のシステムの潮流でのカタストロフィの生じる前の方向転換を撤退論としている。
コモンの再生と撤退ということで、斎藤幸平が、『資本主義から撤退して里山に行くだけでは不十分。何故ならそのままでは、資本主義が里山を含めた環境を破壊するから。』と言っていたところに納得。彼はだからこそ資本主義は止めなければならないという。当方はまだ、サステナビリティは社会という形での対応が必要と思っている。戦争、技術進化などに対応する上で、経済を止め切ることはできないと思うため。
撤退とは、単に行くか戻るかの二者択一を意味しない。そのような二者択一を自分に迫っている世界観とは、全く異なる世界観へのパラダイムシフトを意味しているということである。
難しいと考えているシステムの転換は、現代のシステムの思考の中て考えているから。
そのためには、イメージから先に変われ。かえ?とは、目標わ着地点をへんこうすることではなく、現在流通している思考や、言葉遣いそのものを変えるということに他ならない。 -
Posted by ブクログ
「まえがき」の内田樹の文章の衝撃たるや。
21世紀末には、総務省の中位推定で、日本の人口は4700万人に。7000万人も減るという。
そして、この事実を国は知ってはいるが、「このシナリオを国民に対して開示する気がない」にっちもさっちもいかなくなってから、我々に、さて、「日本は沈みつつありますが、生き延びる手立てはもうこれしかありませんと手の内を明かす」だろうと。
その時には「強者にすべての資源を集中し、弱者は見捨てる」というシナリオは出来上がっている…。
そうだろうと思う。そうなのだ。たぶんもう出来上がっているのだ。我々庶民はうかうかしてこれからだまされるのだ。
この「まえがき」と白井聡と平田オリザの論考が、特に優れている。この三箇所だけで、この本は⭐️5つだ。
白井聡はあまりにもハッキリとこの本で、誰もがそうではないか?と薄々気づいていたことを明らかにした。「われわれは根本問題の所在をはっきりと認める必要がある。日本の政治が見るも無惨な状態にあるのは、官僚機構が、あるいは政界が劣化しているからだというよりも、そうした堕落を許すどころか、腐敗堕落した勢力をわざわざ選択し、それに権力を与えている有権者の無知と堕落のためだ、という事実が正面から認められなければならない」
とうとう言ってしまった(笑)
ここを読んだ時間が寝る前だったので、その日は寝付くことができなかった…。白井さん!
平田オリザの指摘も示唆に富む。
西洋のリアリズムを情緒、感傷的に読み変える日本文化。
この甘美な情緒が産むものは何か。
せめてソフトランディングできたら、と願う。
兪炳匡の「プランB 」が少しでも実現できたらと思うが、この国はできないだろうな…。
兪さんの指摘、「著者が懸念するのは、現在の日本で生まれ育った人が、欧米諸国に留学ないし就職する際に、『基本的人権の尊重は建前であり、本音では揶揄・否定しても構わない』との言動をとりかねない」こと、さらに、「個人を評価する時に、日本では、仕事をする能力と倫理観・価値観を『足し算』によって評価」するが、「欧米での評価方法は、『掛け算』ですので、差別発言がある限り、高い研究実績を乗じても0以下になり」、「特定の大学だけでなく欧米の大学・政府組織・企業から永久に追放されます」は重く受け止めた。
つい最近、映画人をはじめとする文化人のセクハラに関して、その作品までも追放するのか、という発言が、なんと新聞にまで登場したことが思い出される。
言論人でさえ、足し算に疑問すら持たず、掛け算の発想すらない、その程度の知性が新聞をつくる国なのだなと思う。
今回の「撤退」に関するアンソロジーは、しみじみ読んでよかったと思うが、しみじみ悲しくもなる。
-
Posted by ブクログ
内田樹さんんが呼びかけて「中高生向き」に書いてもらった,オムニバス本。わたしが知っていた人は6~7人だが,それぞれの呼びかけが面白かった。
本書のメッセージは,30代~70代の年代別に分かれていて,70代なんて,中高生が大人になった頃はほとんど現役ではないわけで,だからこそ,なにを呼びかけているのかが,気になる。
新型コロナによって暴き出された現代社会の矛盾は,コロナ禍が過ぎ去ったとしても,なんらかの修正を迫られるはずだ。会社に行かなくても仕事ができる…と分かったからには,満員電車に乗って会社へ行くこと自体が,すでに「必要なこと」ではなくなってしまった。密を避けることは,過疎地域では当たり前であり,過疎であるわたしの地域で影響を受けたのは「年に一番密になる地元のお祭」ぐらいだ。
指導者たちは,巨大な経済システムの中で,無駄を省くことを第一条件として進めてきたことのツケが,あまりにも大きかったことにやっと気づいたのだろうか。もっとも,10年前の東日本大震災の津波による原発事故のときにも気づいたはずだったのだが…それが,いつのまにか,どっかへいってしまっていた。今回,また,違う形で自然が教えてくれたんだが。
内田さんがいうように,今後の社会は決して楽観的に過ごせるわけではないだろう。高齢化率や出生率などを見ても,その大変さがよく分かる。
じゃあ,今後はだれがどんな社会を作ってくれるのか…いや,君が作っていくんだよ,それは君がやりたいことを選んでやっていくんだよ…というメッセージが,少しだけ勇気を与えてくれる。
60代のお爺ちゃんは,孫たちの世代に何を残せるのだろう。まだわたしにできることはたくさんありそうだ。 -
Posted by ブクログ
遺伝子はもともと得体のしれない科学であった。進化の研究が進むにつれて、遺伝子の存在が明らかになり、そこから遺伝子を利用した研究へと切り替わっていった。遺伝は父と母から半分ずつ受け取り、それが発現するかはわからない。時たまおきる突然変異が進化へと繋がっていく。遺伝子によってタンパク質が作られる。プラスミドに入れて、他の生物に注入できるようになって、遺伝子を改変することが可能になり、くすりなどかつくられるよになった。
遺伝を明らかにしたのはメンデルなどの細かい実験の賜物であった。遺伝子を完全に操ることは他のどの科学よりも生物の根源に関わってくるのだと感じた。 -
Posted by ブクログ
一度だけ近くでお話を伺う機会がありFacebookでもお友達になって頂いている高名な先生の作品。こういう間違って本人の目に入る可能性があるものについては感想書くのやめようかとも思ったのだが内容が素晴らしかったので…。先生が勤務されている大学で実際に行われた講義を元にまとめられたものでその講義の目的はタイトルにある通り。ある事柄を科学的に捉えて理解し、それを他者に伝える方法を指導するというもの。自分は文学部を出ていて科学的とは程遠いバックグラウンドなのだけど非常に興味深く読んだ。まず何よりも感じたのは大学に入って最初にこういうことを教えてもらえる生徒は幸せだな、ということ。論文の書き方とか思えばちゃんと教えてもらえてない、もしくは学べていない気がした。だいたい講義のレポートにやっつけで対応して卒論もなんだか…という感じだったので...正直いうと卒論に関してはもっとちゃんと書きたかったな、と今でもかなり後悔している。自分は文学部で卒論も古典作品に関するものだったわけだがこの作品で説明されているような手法を知っていればもう少しマシなものが書けたのでは、と思う。もちろん思索が一番重要だけど本作で示されているような一つの雛形というかテンプレートのようなものがあって、いわばコツのようななものがあった方がはるかにやり易いことは言うまでもないだろう。そしてここで書かれているようなことは社会に出て報告や説明を行う際にも大いに役に立つに違いない。学生さんたちの実例も載っていてやはり良い大学の学生さんは優秀だなと感心した。願わくば半ばリタイアしたような今ではなくもっと若い頃に読みたかった。理系文系問わず大いに参考になる内容。おすすめです。
-
Posted by ブクログ
物凄い本だった。本書タイトルとあらすじは「タブー」と「マッド・サイエンティスト」的な所に思い切りフックのあるものになっていますが、本書を完読するとそういった単純さとはかけ離れた内容に驚嘆してしまいます。しかしタイトル・あらすじは本文の片面として確実に含まれており、その反対側の面(これはユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」まっしぐらの、人類永遠の課題かもしれません。)を熟慮するためには一冊分の内容が必要であるため、本書はこの引っ張りでこそ正しいのだと思います。
ある人物・ある分野を批判・否定する際に、その否定する理由が主に直感・感情・倫理である場合、完膚なきまでに完全に完璧に100%否定しきると、歴史が完全に断絶され、その人物・分野に含まれていた部分を再評価する動きが出来ていた時に、その分野が何故否定されていたのかすら分からなくなってしまうというこれ以上無い証拠を突きつけられた気分でした。
例えば私は、
長期に安定した実績のある「アルツハイマーを完全に克服する脳手術」があるとしたら、その誘惑に勝てる気がしない。
例えば私は、
双極性障害だが、私が初めて診断を受けた十三年前のその日に「実はこれを完治する安定的な脳手術があり、保険適用です。」と言われたら、どうしていたのだろうか?