井上ひさしのレビュー一覧
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今年の4月に亡くなった井上ひさし氏最後の長編小説。場所は昭和21年のシベリア。ソ連極東赤軍の捕虜となった元共産党員小松修吉は、その過去を買われて日本軍捕虜の思想教育の一環として発行されている新聞社に協力を要請される。そこで取材するうちに、収容所から脱走し3千キロ逃走の末、捕まった入江軍医将校からレーニン直筆の手紙を入手する。この手紙にはソ連の体制を根底から揺るがすような秘密が書かれており、小松はこの手紙を武器に極東赤軍と闘争を開始する。入江の脱走劇も小松と赤軍高級将校らとの戦い、レーニンの手紙の行く末は如何にと、ハラハラドキドキの実に面白い冒険活劇となっている。登場する日本人捕虜、赤軍幹部、女
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2012年の11月に買ったまま、あんまり長いので途中で放ってしまっていた本書。ついに腰を入れて読み始めることができました。
これでもかこれでもか、って程、ネタをぶっこんでくる作歌魂に驚嘆。細部の演出がすごい。吉里吉里語の説明箇所とか。描写が映像的で、読みながら吉里吉里国を頭の中で作っていける感じ。主人公・古橋の汚いおっさんぶりのキャラ立ちの良さ、汚いおっさんなのに読み手の同情を誘うような、憎めなさ。
どのシーンから書き出すべきかを延々説明する冒頭の書き出しから、上巻ラストまで、ページをめくる手を止めさせないエンタメ小説。しかも、ただのエンタメじゃないのがすごいよなあ、1973年から一部を執 -
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遠野近在の国立療養所でアルバイトをしている“ぼく”は、その山中に住む犬伏老人に出会う。老人は“ぼく”に、遠野に伝わる奇天烈な話の数々を語って聞かせた。柳田國男の名著「遠野物語」を井上ひさし氏が新釈したもう一つの「遠野物語」。
話し上手な犬伏老人のインチキ話の数々に、誇大癖のある“ぼく”は当初疑心暗鬼になりながらも暇つぶしと思って話を聞き入るが、しだいに“ぼく”は老人に次の話を乞い始める。老人が語る9つの話は、木々や動物といった遠野の美しい自然を背景に今も昔も変わらない人間の滑稽な姿を浮彫にする。印象的だったのは「雉子娘」「笛吹峠の話売り」、そして最後の「狐穴」。
後悔先に立たずなオチはどれも -
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誇大癖のある"ぼく"と、語り部である
いんちき臭い犬伏老人が「遠野物語」の序文に
なぞらえつつ紹介され、つるりと始まる物語。
山の緑の稜線に重なる白い夏雲。
世界が反転するような不思議で美しい
桜の花びらほどの大きな雪の舞う景色。
美しい描写にうっとりしながら、
老人の話す怪異に夢中になりページをめくると、
それはいつしか艶っぽい話、悲しい恋の話、
残酷な話、悲しく面妖な話へと様変わりしていく。
本家遠野の話を小さな骨組みとして
話は隆々と肉をつけ、種を知っているはずの
手品が鮮やかに趣向が変わり、感嘆し、
最後には井上氏の愉しい試みに口角が上がる。
遠野とどこかし -
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「日本語」というものに常に向き合ってきた人の言葉がここにはあります。
講義録だからほんとに井上ひさしさんの話を聞いているみたいです。
専門知識ももちろんあります。第4講に出てくる、助詞の「は」と「が」の違いなんかの話はすごく面白かった。
だけど、この本の魅力はそれとは別のところにあるのかなって思います。
それは、この講義の中に井上ひさしさんの「日本語」や「日本人」や「人間」に対する思いがあふれていることだと思います。
こんな人がいてくれる。
危機感を持って話をしてくれる。
そしてそれは、やさしくてあったかい。
名講義だなって思います。
直接聞きたかったな。 -
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読み終わった日が、ソチ五輪の開会式。かの日のソ連と今日のロシアでは大きく異なるのは承知。あの頃、ソ連がなくなるなんて思ってもいなかったなあと感慨。大きくなりすぎた国のひずみと、それを塗りこめる強引な手法は、現代の隣国を見るに必然なのか。その適応力と厚顔無恥は、小さな島国に閉じこもる我々には見習うべきなのかもしれない。ただし作中では、当時の日本の愚かさが繰り返し語られ、公平さにおいて抜群のバランスを保つ。著者の見識の賜物だろう。
理想主義な自己中男はどうなろうが知ったことかと思うのだが、周囲の人物たちが魅力的で、その運命にはらはらさせられる。教養に裏打ちされた、極上のエンターテイメント。 -
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"きみは世界でたったひとり、だれともとりかえがきかない。
だから、だいじ。
一人ひとり、みんなだいじなのです。"
"広い宇宙のなかで、生物がすめる星が、いったいいくつあるでしょう。
その数少ない星のひとつである地球で、たくさんの試練のつみかさねから人間が生まれました。
まさに、きせきです。
その人間一人ひとりを、かけがえのないそんざいとして、たいせつにする社会。
それをいちばんだいじにしていこう、というのが日本の「けんぽう」なのです。
この絵本は、井上ひさしさんが、生前、実際に小学生に日本の憲法について数度にわたってお話されたことを基に作られたものです。
井上ひ -
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井上ひさしさんが、日本国憲法の前文、そして9条を「日本の国のかたち」として、いわさきちひろさんの絵と共に、子どもにもわかるような言葉で解説しているこの著者。書かれているのは簡単な言葉で書かれた憲法の前文と9条条文なのに、なぜか胸がじーんとして涙が出そうになってしまったと言ったら、信じてもらえないかもしれない。けれど、この憲法の持つ大きな希望、そして、それを子供たちに心から真摯に伝えようとするそのことは、井上氏の切実で大きな願いとして心に響いた。
小学校の社会の授業で、日本は武力を持たない、戦争をしないという国の大きな決まりを持っていると習ったときに、なんて当たり前のことを謳っているんだろうと -
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以前読んだ「日本語教室」に紹介されていたので読んでみました。
1981年の作品のため、少し内容は古いですが、
日本語の文法について、過去の研究者の言葉を引用したり、
当時の雑誌より言葉を抜粋して、現在の日本語の使い方について
様々な観点から分析しています。
その当時の日本語文法の進化について悲観的というよりは、
従来の歴史ある日本語の使い方を整理した政治に
文句を言っている感じを受けます。
まあその整理された日本語を勉強してしまった自分には
現在の使い方の方がしっくりきますが、
助詞や形容詞等の文法から敬語や外来語、漢字や、
句読点などについて筆者の分析を交えて色々 -
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各章が10頁足らずと短く、衒わない平易な文体のため取っ付きやすい。自宅でじっくり腰を据えてというよりは、移動中のバスや電車で読むに適した軽やかな文庫である。
中でも「振仮名損得勘定(ルビはそんかとくかをかんがえる)」の章が面白い。他章は「もとよりこれは筆者の偏見にちがいないと思われるのであるが。」「めったなことはいえぬ。」「こういう先達にはつくづく頭が下がる。」といった、筆者の立場を断言しない中立寄りの濁しで締めたものがほとんどであるが、この章は「大衆化だの、合理化だのという言葉に浮かれていてはならないと思う。」というはっきりした意見が述べられており、それがたいそう印象的だった。 -
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日本語の事を考え続けた著者が、母校、上智大学で行った「日本語教室」の講義を再現したもの。
印象的なのは「母語」の話。
「母国語」ではなく「母語」
「母国語」は自分が生まれた国で使われている言葉だが、「母語」は母親や愛情をもって世話してくれる人々から聞いた言葉のこと。
日本で生まれたとしても「母語」は日本語ではなく、関西弁、東北弁という事になる。
そして、「母語」は「道具」ではなく「精神」そのもの。
この「母語」をベースに第二言語、第三言語を習得していく事になる。そして、その「母語」以内でしか別の言語は覚えられない。
つまり、外国語を覚えるためには「母語」がきっちり話せなくてはならない。