あらすじ
井上ひさしが生涯考え続けた、日本と日本語のこと。母語と脳の関係、カタカナ語の弊害、東北弁標準語説、やまとことばの強み、駄洒落の快感……溢れる知識が、縦横無尽に語られる。「日本語とは精神そのもの。一人一人の日本語を磨くことでしか、未来は開かれない」――母校・上智大学で行われた伝説の連続講義を完全再現。日本語を生きるこれからの私たちへ、“やさしく、ふかく、おもしろい”最後の言葉。
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Posted by ブクログ
2019.8.29済。
非常に読みやすい文体。
こういう文体好きだなあ。
「美しい日本語はひらがなと漢字のバランス」
「劇のセリフは、観客に即分かる単語で」
Posted by ブクログ
「日本語」というものに常に向き合ってきた人の言葉がここにはあります。
講義録だからほんとに井上ひさしさんの話を聞いているみたいです。
専門知識ももちろんあります。第4講に出てくる、助詞の「は」と「が」の違いなんかの話はすごく面白かった。
だけど、この本の魅力はそれとは別のところにあるのかなって思います。
それは、この講義の中に井上ひさしさんの「日本語」や「日本人」や「人間」に対する思いがあふれていることだと思います。
こんな人がいてくれる。
危機感を持って話をしてくれる。
そしてそれは、やさしくてあったかい。
名講義だなって思います。
直接聞きたかったな。
Posted by ブクログ
日本語の事を考え続けた著者が、母校、上智大学で行った「日本語教室」の講義を再現したもの。
印象的なのは「母語」の話。
「母国語」ではなく「母語」
「母国語」は自分が生まれた国で使われている言葉だが、「母語」は母親や愛情をもって世話してくれる人々から聞いた言葉のこと。
日本で生まれたとしても「母語」は日本語ではなく、関西弁、東北弁という事になる。
そして、「母語」は「道具」ではなく「精神」そのもの。
この「母語」をベースに第二言語、第三言語を習得していく事になる。そして、その「母語」以内でしか別の言語は覚えられない。
つまり、外国語を覚えるためには「母語」がきっちり話せなくてはならない。
このあたり、子供への英語の早期教育を主張している人達に聞かせてあげたい。
ところで、本書のように「日本語」をテーマにした場合、「日本語の乱れがひどい」と嘆いたり、警鐘を鳴らす、という事になりがちだが、著者は「美しい日本語」などありえないとバッサリ。
方言が入っていようがどうしようが、ものを正確に表現する、自分の気持ちを正確に相手に伝えられる、相手の言うことがちゃんと分かる、そういう言葉を使っていく事の方が大切だ、と著者は言う。
読んだ本の感想を書くようになった理由が
「仕事に関するメールの文章があまりにもわかりにくかったために、翻って、自分の書いている文章が分かりやすいか心配になり、普段から、ある程度まとまった文章を書く練習をしておこう」
と考えたため。
それだけに、こういう事を言われると、この文章自体が自分の考えを正確に、分かりやすく表現できているか心配になる。
また「日本語礼賛」に陥っていない点もいい。
それどころか、完璧な国などない。どこかで必ず間違いをやらかす。その間違いに自分で気付いて、自分の力で必死に苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるが、過ちを隠し続ける国民には未来はない、と言っている。
このように書くと、本書に対して、堅苦しい印象を受けるかもしれないが、講義の時の語りかける口調のままのため、読みやすい。
むしろ、ところどころに著者のユーモアも顔を出す。
著者の「座右の銘」は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」だったらしい。
本書も正にこのことを実践しているかのような内容だった。
ところで、先の「美しい日本語などありえない」という話も含めて、どこかの国の、選挙を経なければなれない職種の人々に聞かせてあげたい。
ある面、作家以上に言葉を駆使しなければいけない人達の言語能力、大丈夫だろうか。
Posted by ブクログ
井上ひさしさんが大学で講義した内容をまとめた作品。
非常に面白いです。
正直読んでいて、自分自身がしっかり日本語使えているのか
心配になります。
井上ひさしさん独自解釈の日本語の起源や
現在の日本語のついての説明は、
ユーモアもあり、非常に分析されていると思いました。
(作品中では何となくそう思ったといった感じですが)
小学~高校で学んだ国語の文法とか正直
よくよく思えば、あまり厳密に思い出せない。。。
なんだか学校の参考書を読み直したくなる本でした。
Posted by ブクログ
氏の講演を聴いたのは数回しかないが、あんな感じでこんな風に語っていたのだろうなあ、ということを偲ばせるものであった。
彼の考えることばの起源、「原縄文語→前期九州縄文語→琉球縄文語→琉球諸方言」などについて、もっといろいろ聴きたかったな。
Posted by ブクログ
非常にためになった。このような素晴らしい(自らの糧になる)本を読むたびに、本と云うものを有り難く思う。高高1,500円程(物量によるが)で買えるのだから。
Posted by ブクログ
さすが!!とても面白かった!!! 2001年から上智大学で行われた講義の内容を記録した本です。井上ひさしさん、お目にかかることはできなかったけれど、こういう講義なら、一度受けてみたかった。。。
「日本語教室」という題ではあるけれど、ここに詰まっているのは、「日本語」というひとつの言語を通じて見る世界像であったり、文化人類学のような考察であったりします。
また、言語学の視点からの母音の話やアクセントの話、聞き取りやすい語、発音しづらい音についての話などは、そのまま日常生活にも生かせる知識ばかり。下手なハウツー本の何百倍もためになります。
帯に「やさしい。ふかい。おもしろい。」とキャッチコピーがありますが、まさにその通り。
思わず、他の同系色の著作もまとめ買いをしてしまいました。
Posted by ブクログ
日本語を特別視せず、俯瞰的にどのような性質を持った言語であるかを、軽妙な語り口で講義してくれる一冊。母語は精神であると言い切り、日本語で言い表せることまで外来語でまかなうようになってしまうと、精神の衰退を引き起こすと喝破する。著者の井上ひさし氏の教養の深さが随所ににじみ出ていて舌を巻く。
Posted by ブクログ
本書は、日本語そのものを学ぼうというのではありません。
井上ひさしが考える、日本語の現状をさらっと把握して、「日本語とはどういう言語か」ということを考える書です。
気になったことは以下です。
・15歳を過ぎるとどんな言葉も覚えることができない
・母語は道具ではない、精神そのものである
・日本は、いつもそうです。世界で一番強い文明を勉強します。中国そして、欧州、戦後はアメリカです。
・日本には、自分の住んでいるところは大したことなくて、優れたものは他にあるという、そういう精神構造はいまだにあります。
・たいへん便利で、大きな文明が入ってくると、そこにもとからあったものはなくなっていって、大きな文明に吸収されていく、言葉も然り
・言葉が自然に消えていくということはありません、必ず何かの、社会的、経済的、政治的圧迫で消えていくのです
・日本語の文法はどこから来たのか。ウラル・アルタイ語族、つまり、トルコ語と、日本語がよく似通っていることから、どうやらウラル山脈あたりから、シベリアを通ってやってきたのではないかということになっています。
・ほんとうに日本語はたいへんですよね。やまとことば、漢語と、外来語の3つを覚えなければなりません。
・日本語の音韻体系は簡単で完結で、非常な合理性をもっています。五十音図を思い出してください。あれで日本語の音全部を云いつくしているわけですからすごい
・近代国家にとって必要なものは、少なくとも3つある。貨幣制度、軍隊制度、そして、言葉の統一です
・いずれにせよ、明治国家は言語を統一しようとして、標準語をつくろうとしました
・逆にいうと、まだまだ日本語は完成されていないのです、また、そもそも日本語というものがあること自体おかしいともいえます
・日本語では音節が子音で終わることはありません、かならず母音で終わります
・日本人にはもう文法は必要ない
・一般に「口語文法」というときの「文法」というのは、だれか整理し組織立てたものなのか、わからない。これはつまり、私たちひとりひとりそれぞれの文法があるということです
・私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです、無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから。
目次
はじめに
第1講 日本語はいまどうなっているのか
第2講 日本語はどうつくられたのか
第3講 日本語はどのように話されるのか
第4講 日本語はどのように表現されるのか
井上ひさし著書・単行本目録(抄)
ISBN:9784106104107
出版社:新潮社
判型:新書
ページ数:192ページ
定価:720円(本体)
発売日:2012年04月10日 14刷
Posted by ブクログ
日本語教室
著者:井上ひさし
発行:2011年3月20日
新潮新書
2001年、当時、最も正しい日本語を使う作家とされていた井上ひさしが、母校の上智大学で4回にわたって日本語について講演したものを書き起こしてまとめた新書。軽いタッチで非常に充実した、しかも誰しもが興味津々となる内容でした。
著者が手書きで思いつくままにまとめた現在の日本語成立過程の図は圧巻でした。仙台一高出身の著者、縄文時代の標準語は東北弁だった、と主張。
主格を示す格助詞「は」と「が」の使い分けについても、我々が教えられた常識とは違うことで結論づけていて、誠に勉強になりました。
外来語の問題点
再生、改良、仕立て直し、改築、増築、改装。日本語にはたくさんの意味があるのに一言で「リフォーム」と言ってしまうことが問題。
「イエスかノーか」はだめ
デジタル思考にすぎない。本当はイエスとノーとの間に大事な領域がある。国連の公用語に戦勝国の言葉だけでなく、なぜスペイン語が含まれるか。それはスペインがどちらの立場の国に対しても間に入って大きな貢献をしたから.
理想に一番近い文章を書く人
丸谷才一か、大江健三郎か(でも少し漢字が多い)
言葉の長さ
英語やフランス語で2時間の芝居を日本語に訳すと4,5時間かかる。言葉が母音で終わり、音節の種類が少ないから。
濁る、濁らないの区分け
茶畑の畑は「ばたけ」と濁るが、田畑の畑は「はた」と濁らない。前者は畑がメインだから。つまり、茶の畑だから。田畑は田と畑で同等。「弾きがたり」と「弾きかたる」は、用言と用言が重なるから濁り、用言と体言だと濁らない。
そばの数詞
ざる蕎麦は、更科系が「枚」で、天竜系が「杯」。
「は」と「が」の使い分け
格助詞の「は」について、以前は区別の「は」と言われていたが、大野晋が研究を重ねて結論を出した。
例えば、「おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」
これは区別の「は」ではなくて、既知の旧情報は「は」、未知の新情報を受ける場合は「が」を使っているに過ぎない。未知の情報、おじいさんとおばあさんのことは「が」であり、すでにそれが出てきた既知の旧情報だから柴刈りや洗濯は「は」となる。
日本語の成立
①原縄文語
↓
②前期九州縄文語→琉球縄文語→琉球諸方言
→表日本縄文語→山陽・東海方言
→裏日本縄文語→東北方言
↓
後期九州縄文語 ↓
↓ ↓
③原弥生語=後期九州縄文語+裏日本縄文語+渡来語
↓
弥生語
↓
関西方言
↓(+漢語やラテン語、ポルトガル語など)
官制日本語
↓
現・日本語
↓(+英語)
?語
*つまり、昔は東北弁が標準語だった、その一部が今も出雲地方に残る
後、大野晋「タミール語源説」通りに渡来語が入り、弥生系、関西方言になり、それが広まった
日本語をあてた際の罪
例えば、「ライト」を日本語に訳した時、仏教でいう力ずくで得る利益の意味の「権利」をあててしまったのが過ちだった。西洋では当然の「ライト」が日本ではやましいニュアンスもある「権利」となった。権利を主張するなら義務を果たせ、という風潮が出来てしまった。
標準語とは
東京の山の手言葉だけとは限らない。
例えば、おまわりさんの官制標準語は常陸(ひたち)弁。「○○であります」は山口の言葉。
日本はよい国か?
ボストン大学の社会学者メリー・ホワイトの言葉。
「アメリカはよい国か。イエス。ただし、奴隷制や、先住民族抑圧や、日系人の強制収容や、無差別爆撃や、原子爆弾の投下や、ベトナム戦争がなければの話だが。日本はよい国か。イエス。素晴らしい国である。ただし、台湾・朝鮮の植民地化、満州国のでっち上げ、それからオキナワとアイヌに対する差別、被差別部落、それから在日韓国・朝鮮人に対する抑圧、それから従軍慰安婦問題、そして南京虐殺を除けばだが」
山梨県の奈良田という村、名古屋弁
戸数が50戸ぐらい。「つ」という音が巻き舌になって「トゥ」になる。月見はトゥキミ、狐はキトゥネ。名古屋弁は「え」が「ええー」、「お」が「おおー」になる。だから、「エエービフリャー」となる。
Posted by ブクログ
さまざまな視点から日本語について学べる一冊。
近年、グローバル教育が盛んに行われているが、日本語の学習を疎かにしてはいけない。母語を土台に第二言語を習得していくので、結局、母語以内でしか別の言葉を習得できない。
また、日本語(言語)について考える場合、日本語だけで考えても正確には分からない。他のものとの比較検討によって理解することができる。
このことから、やはり、外国語の習得には日本語力が必要だと感じた。
その他にも、日本語に同音異義語が多い理由や、連濁、「は」と「が」の違いなど、当たり前に身につけている法則についても解説してある。
Posted by ブクログ
我々日本人が無意識にやっている、日本語のささいな使い分け、日本語の成り立ち、構造など、筆者の深い教養と分かりやすい説明で興味深く読め、勉強になった。また、外来語を漢訳した際に生じた齟齬というべきもの。権利や自由の話。日本人の考え方に、漢字の選択が影響したというのは面白かった。
読み通してみて、日本語とは、良い意味で、あいまいなものであり、つかみどころがなく、その一方で実に面白いものなのだなと感じました。
Posted by ブクログ
とても興味深かった。助詞の「は」と「が」の使い方にはなるほどと納得させられた。普段あまり意識しないで使っているぶん、どちらが適切なのか迷ったとき、かなり役立つと思う。
ほかにも日本語の成り立ちや、外来語との向き合い方、やまとことばと漢語など、面白い話が盛りだくさん。
上智大学でのある講義を再現したものなので、文章も話し言葉のままで(笑)の表現も多用されていて、非常に読みやすく、スーッと頭に入ってくる。さすが戯曲を書かれる先生ですね。音声で聴いてすぐ理解できる言葉の使い方に長けている。最後のほうはつい調子に乗って講義風に自分で音読してしまいました。心地よい文章でした。
私は演劇が好きなので、芝居の台詞にはやまとことばが一番ぴしゃっとくる、観客がすぐ理解できる、というくだりに感激しました。本当におっしゃるとおり。何を言っているのか理解が遅れるとどんどんついていけなくなりますから。そういうところまで計算しつくして台詞を作られているのだなあと。そんなところでも発見がありました。
Posted by ブクログ
日本語について、その起源から現在変わりゆくものまで。本当に幅広く、そしてユーモアを交えながら語っている一冊です。
日本語のプロが改めてとらえなおす日本語。
本当に勉強になる一冊です。
Posted by ブクログ
我が母校の大先輩である井上さんの本。日本語の起源、特徴、難しさ、いい加減さを、ユーモアを交えて論じている。大学での講義を収録したものらしいが、こんな授業だったら眠くならないかもと思う。
初めの講義では、外来語なんてケシカラン!といった論調だったが、後半は、ピジン・イングリッシュの例などをあげて、積極的肯定こそしないものの、認める論調に変化している。その井上さんの柔軟性こそが、まさしく日本語の柔軟性をあらわしているのかなと感じた。
東北弁が日本語の起源だ、という説は、 東北出身の著者 ならではの視点なのかなと思うが、それから派生する、美しい日本語など存在せず、あるのは個々人が持つ日本語だ、という説は非常におもしろい。結局、言語の本質は、伝える心にあるということ。英語学習にしてもそうだが、完璧を求めるあまり、その本質を見失うことが多い。
また、日本語の音に注目した理論も興味深かった。今までにそういう感覚を持ったことがなかったので、今後気をつけてみたい。
Posted by ブクログ
おもしろかった。
1日でさらっと読めた。講義をまとめたものらしく、確かに脱線するところもあったがそれ込みでおもしろかった。魅力的な講義らしく。
井上さんのほかの著書を読もうと思う。
メモせずに読んでしまった。怠慢。
さっと読めるから再読しよ
Posted by ブクログ
上智での"日本語を取り上げた講演"を文章にしたもの。
講演だから、ほどよく逸れつつ「日本語とは」を簡潔に。
ただ、まとまっているとはいえこれだけで「日本語とは」は語れない。
日本語研究・興味のきっかけになるといい、くらいか。
Posted by ブクログ
僕らは、いつもいろんな言葉を紡ぎながら、どうにか考えること、思っていることをただ面と向かった相手に伝えようと試行錯誤する。
しかし大抵の場合、「言葉はいつも心に足りない」
ましてや使っている言葉がここまで曖昧さを許容して、間違って使っていてもその意で使う人がおおければそれすら許容してしまう大らかな言葉だったならなおさらだ。
大切にすればするほど、言葉はすぐに先に行ってしまう。
80歳のおじいちゃんの使う言葉と我々の使う言葉、10代の子たちが使う言葉で思いが伝わらなくなってしまうような世の中にはなってほしくないなと思い、意識しながらこれからも紡いでいこうと考えさせられた。
Posted by ブクログ
『むずかしいことをやさしく、やさしいことふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと』と言っていた井上ひさしさんの講演をまとめたもの。
言葉のルーツから、言葉の在り方から、ユーモアたっぷりに語られ、ぐいぐい引き寄せられる。言葉の背景にある、世界情勢もしっかりと説明されたうえでの、言葉、そして、その言葉を使う心の在り方についても、ていねいにやさしく、ゆかいに、まじめに語られている。
この人の話をもっともっと聴いてみたいと思わせられた。
Posted by ブクログ
「い」と「え」は母音のうちこの順に遠くへ伝わる音。「う」は精神的軋轢をあらわし、こもる。「あ」「お」は安定感があり、大きい。
やまとことばは脳での理解が早い。対して漢語は0.01秒ほど脳での理解に時間がかかり、リアルタイムで進んでいく表現では理解が穴あきの状態になる。
以上2点の収穫。
Posted by ブクログ
現在の日本語の良い所、改善すべき所等が井上ひさしさんらしい調子で書かれている。
日本語が美しい=日本語が優れているという安易な発想に警鐘を鳴らしてくれている気がします。大和言葉もあり、看護もあり、外来語もあり、が現在の日本語の姿として良いのではないでしょうか。それが優れているとか、劣っているとかの議論はただの驕りでしかない。
Posted by ブクログ
110円なお風呂本。
私は外国語の習得よりも日本語の精錬に関心がある達だが、井上ひさしさんや平田オリザさんなどなど演劇界隈の人が巧みに操る日本語は非常に興味深い。
本書は講義なので戯曲なんかとは趣きが違うが、軽妙な語り口で言葉の成り立ちを学びやすい。
他の著作も100円コーナーに来ないかなー。
Posted by ブクログ
本書は上智大学のOB会「ソフィア会」主催の「日本語講座」を書籍化したものである。この講座の聴講料は留学生の奨学金に充てるとのこと。
2015年に本書を購入し一読したが、今回改めて読み直した。
著者の井上ひさしはものを書き始めると、悪鬼のようになり、妻に暴力を振るった。それは、文章を書くことにナーバスであったからに違いない。
例えば本書の冒頭に、
「母語は道具ではない。精神そのものである」
「小学校で英語を教えようということになったときに、僕は本当に危ないと思いました。すべて、そうやって、言葉は消えていくのです。」
とあり、日本語に対して思索を重ねてきたことが感じ取れる。
さらに読み進めていくと、仕事柄、膨大な研鑽を重ねてきたことが分かる。著者の独自の視点で研究してきたこともよく分かる。
しかしそれは、学問のための研究ではない。自分の作品を書くための道具としての日本語の研究である。道具としての言葉をここまで研究してきたのかと驚嘆する。
そしてそれを、ジョークに包んで言葉にできるところに井上ひさしという作家の狂気を見たような気がした。
Posted by ブクログ
昨日テレビで厚切りジェイソンと金田一秀穂が対談する番組をやっていました。なんとなく日本語モードになってたまたま家族の持っていた本書を一気読み。数の数え方の話も出てきて井上ひさしって日本人の厚切りジェイソンじゃん!日本語に含まれている「なんとなく」に突っ込み入れてお笑いにしているのと、「なんとなく」を突っ込んで考えて日本語の文学にしているのが違いだけど。Why Japanese people?そう、Whyって言わずに無意識に日本語を駆使し、日本語を変えていくのが日本人!
Posted by ブクログ
日本語のルーツや使われかたについて。
言葉は未完成で、ほかの国の影響もうけている。
日本語を知るために他の言語をまなぶという考え方になるほどとなった。
C0281
Posted by ブクログ
「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いていたのが、
この本の著者である井上ひさしさんでした。
その他にも、小説や、芝居の戯曲を多数残し、2010年に亡くなっています。
僕は名前しか井上さんのことは知らなかったですが、
この本を読んでみると、彼の学識の深さと、
それを咀嚼して簡単な言葉で人に伝える力と、
その内容の面白さ(学問の面白さ)を大事する姿勢の素晴らしさに
圧倒されずにはいられませんでした。
序盤などは、茶髪にふれて、「ちょっと頭が固いおじさんだな」という
印象を持ちましたし、他にもそういうところがちらほら見受けられました。
でも、一冊まるまる読むと、そういったところはちょっとした
心のニキビのようなものだったりもして、
井上さんの根っこのところは、もう少し寛容でおおらかだよなぁと感じられる。
本書は、僕やあなたの母語である
(そうじゃない方もいるかもしれませんが)日本語について、
その「今」「なりたち」「特徴」「ルール」などをかいつまみながらも、
井上さんの視点からとらえた彼なりの要点というものを軸に、
しっかりと説明してくれます。
といっても、180pくらいの新書ですから、網羅的かつ専門的に
論じている本ではないわけです。
本ではないというか、もともとが上智大学での4回の講義をテキスト化したものなので、
研究のさわりや彼の推論を楽しむような講座なのです。
おまけに、笑いに満ちていたりします。
本書の内容を感じてもらうための具体的なトピックを一つ紹介するならば、
ちょっと日本語から離れてしまいますが、ピジン語とクレオールの話がいいでしょうか。
ピジン語というのは、たとえば英語を知らない奴隷の人たちが、
主人の英語を聴いて仕事をするうちに、少しづつその内容がわかってきて、
自分のネイティブの言語をもとに、それを応用しながら英語を話すようになる。
そういった英語をピジン・イングリッシュといい、
フランス語などでもそういうのが見られるそうで、総称するとピジン語です。
それで、その奴隷の二世ともなると、そんな不完全なピジン語を話す父母に
育てられるのですが、そのピジン語を完璧に使い始めるそうです。
そうすると、クレオールという、安定した言葉ができあがるのだそうです。
1世が自分のネイティブと被支配の言語の混ざったものをぎこちなく使うのに比べて、
それを生まれたころから聴いて育つ2世ともなると、
そんな言語の要点をうまく把握して、滑らかで合理的でさえある言葉にしてしまう
ということらしいです。
面白いと思いませんか。
言葉というものはこうやって柔軟に改造され創造されていく面があります。
日本でも、外来語が定着するのには、1世ではまだ不完全で、
2世になってから安定すると言われると、なんとなく納得できる節はないでしょうか。
さらに、僕は個人的に考えたのですが、これって音楽にも言えます。
たとえば、テクノという音楽が出てきて、それを作った人たちと同世代の人たちよりも、
一回り下の、それらを子どもの頃に聴いて育った世代のほうが、違和感なく
テクノの音楽を理解し、作れたりする。言葉でいえば、クレオールってものが
そこにあるんじゃないでしょうか。僕なんかがわかりやすくクレオールを感じるのは、
Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅさんをプロデュースする中田ヤスタカさんですね。
彼の音楽には、テクノやポップスが定着した後の、普段着的な音使い、音の構築を感じます。
閑話休題。
この本には、そういった脱線的な話題もふんだんに盛り込まれ、
そこが面白かったりし、なおかつ読者もそんな脱線に触発されて、
自由な脱線思索を読書中に味わうこともあろうかと思います。
井上さんの軽妙さがベースにありますので、読みやすい本です。
内容については、日本語についてもっと勉強したい人にとっては、
プロローグになるでしょう。
Posted by ブクログ
仕事で、意味のとおる文章を作ることを求められるようになり、その流れでたどり着いたのが、この本。
井上先生が指摘する内容で、ドキリとしたのが、ふたつ。
ひとつは、もともと日本語としてある言葉をわざわざ、別の言葉(外来語)に置き換えていること。
もうひとつが、小難しい漢字を多用していること。
自分がふだんやってしまっていることを指摘されているようで…
そのほか、母音が、数の数え方や駄洒落に関する謎を解き明かす鍵になっている!!
など、ふだん当たり前のように使っている「日本語」という言語を、改めて見直したくなる本でした。
日本語、大切に使っていこうと思いました、改めて。
Posted by ブクログ
井上ひさしの人柄がよくでてる一冊。暖かな気持ちで読めるし、日本語の面白さを再認識する。井上ひさしは本当は学者なんじゃないかと錯覚するほど鋭い考察と、暖かい語り口が必見。