あらすじ
「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造は、実はもはやこの世の人ではない――。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」父の願いが、ついに底なしの絶望から娘をよみがえらせる、魂の再生の物語。
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著者の言う、「劇場の機知」とやら、1人の葛藤した感情を、二役、ここでは娘と原爆によって亡くなった父親として、会話させている。そうすることで、原爆によって父親を亡くした娘の、生活する上での、幸せに生きたい、と、酷い過去を背中に縛っていかなければならないと言う思いを、分けて、娘に感情移入しやすいようにしている。
この劇とかあったら、見てみたいなー
広島言葉の文体がおもしろかった
戦後の恋のお話
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随分前に映画版を観たけど、ほとんど内容は忘れていた
今回、読書会でのテキストになったので読む事に…
広島の被曝の話だけど、とっても暖かい内容。魂の救済の話
お父さん、優しすぎる
戯曲だけど、とても読みやすかった
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とても読みやすい戯曲。そして救済の話。
広島の原爆で生き残ってしまった苦しみとそこからの再生の物語になっている。
このテーマは近年でいえば東日本大震災で助かった残された者の悲しみにつながっている。亡くなった人の分も自分の人生を生きなければならないと分かっているのに、出来ない。その苦悩に寄り添い、最後に勇気と笑顔を書いてくれた。
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広島の原爆と言う重いテーマが背景にあるが、恋する娘に寄り添う父親の姿にほっこりさせられました。
舞台には、今まで縁がありませんでしたが、機会があれば、この舞台ぜひ見てみたいと思いました。
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井上ひさしの傑作戯曲。井上はこの作品を描くために広島に通い詰め、被爆者の手記を筆記したという。原爆に翻弄された父と娘のおかしくも哀しい物語を、父の幽霊と暮らすという舞台ならではの仕掛けで描く。
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「ピカ」で愛する人々を失った若い女性。
自分は幸せになってはいけない、そんな権利はない。
一心に思いつめる傍ら、ほのかに恋をしてしまう
思いは亡き「おとったん」の姿で現れ
女性の背中を押す
「わしの分まで生きてちょんだいよォー」
父親の想いが悲しい
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この作品も収録されている、『戦争と文学シリーズ』を知りました。文学を通して、そこに生きた人達の心情までありありと伝わってくる。
ただただ真実を受け止めて、知ろうとする事を続けていく。心に焼き付けたい。世界の向かう指針として。
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死んでしまったあの人のことを思うと自分は幸せになってはいけない という気持ちを本当の本当に理解することはできるだろうか。幸せになっていいかどうかというより、今もうすでに幸せである。
と考えると、被曝体験は想像することもできないくらいの次元の違う悲惨さだっただろうと思った。被曝以前に、自然な老い以外で身近な人と死に別れてしまった経験がない、被災の経験も幸いなことにない。
平和な人生に心から感謝。
この悲惨さを本当の本当に理解できてはいないだろうから難しいしおこがましくもあるけど、どうにか後世に伝えていくことはしないとならない。
こういう本とかに子供と一緒に触れて、一緒に想像する、みたいなことを単発ではなく時々やらないとならないと思った。
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原爆で父や友人を亡くし、自分だけが幸せになってはいけないと思い詰める。反面、新しい出会いに生まれ変わりたいと想う自分がいる。再生に向かう物語。
原爆だけではなく戦争のなかで加害者と被害者が同時に存在することの不合理。
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ちょうど去年の秋、長崎の原爆資料館にいったことを思い出した。この物語の舞台は広島だが、原爆という共通点がある。
私が話を聞いた被爆者は88歳。当時は小学生で、被爆者の中では比較的若い方だった。その方ですらこの年齢。静かに、緩やかに生の体験を話せる人がいなくなる状況に恐ろしさと悲しみを覚えたことが記憶にあります。
仕事や人間関係が悩みの大半を占める今の状況は、ともすれば平和の弊害なのかもしれないと感じます。
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台本であり、読みやすい。
幸せになることに対しての娘の葛藤、父の心配、そして、幽霊として娘のそばにおり、娘がそれを受け入れているというユニークな設定。あたたかい。
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母に薦められて読んだ本。
全く何の知識もなく読み始めて、まえがきで原爆のことなのだとわかり、覚悟して読む。
読みながら、思いがけず3.11の津波のことを考えた。津波の後、この作品の父と娘の別れの回想と同じような体験談を読み、胸がえぐられた。全編通して、とても辛いのだけど、父の思いが前を向いていて、救いがある。
原爆の資料集めやその際の言論が占領軍によってコントロールされていたのは知っていたけど、民間人がひしひしと感じ、そして話せない沈黙の中でどれだけのものが失われ続けただろうと考えると、やるせないし、また、原爆被害にあったものの子孫として、自分のこれだけの距離感はこの「話せない」「話さない」ことに根をもつものであり、そうであるならば、辛くても積極的にもっと読み、次につないでいかなければならないと感じた。
「太陽二つをすぐそこに1、2秒」という原爆の描写は、子どもにもわかる描写でシンプルに、だからこそ恐ろしい。この小さな劇は私の中でずっと生き続ける。
薦めてくれた母に感謝。
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買いだめしておいた何冊もの本の中から、今日偶然に手に取った。
8月は鎮魂の月である。
祖母は被爆者。自分が幼い時に話は聞いたことがある。原爆資料館にも連れて行ってもらった。
それから30年以上たち、日本は戦争していないが、世界中で悲惨な戦いは繰り返されている。
日本は核兵器禁止条約に批准しないという。
日本の国としての限界がそこにある。
ただ政治家も一般国民も皆戦争はしてはいけないものだ、と共通に願っていてほしい。
父と暮らせばを読み、それも8月に読み、戦争はいかに人を傷つけるか、改めて考えさせられた。
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こまつ座で舞台になっている他、宮沢りえ主演で映画化されたり、人形劇団むすび座で人形劇化されている。
戯曲は読みづらいというイメージがあったけれど、映画を見てから読んだということもあってかとても読みやすかったし、おとったんと美津江の身に起こったことや、二人の思い、美津江が心を揺らしながらも一歩一歩前に進んでいく様子が、映像を見たとき以上に理解できた。
一発の原爆は、たくさんの人の大事なものを失わせ、人生を変えてしまう。生き残った人は、亡くなった人の思いを背負って生きていくことになる。原爆を落とすことはとても大きな罪だと思う。
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被爆した美津江がかかった、自分だけが生き残って「うしろめたうて申し訳なー病」。
戦争や大事故、大災害で生き残った人の多くに見られる心理とも聞く。
死んだ者の思いを伝えるために、命を繋いで欲しい。
死者が生き残った者を「生かしている」のだ。
死んだ「おとったん」は、娘の美津江にそう言って聞かせ、娘の恋愛を応援する。
この作品では、そうやって美津江は自分の人生を歩み始める。
約二十年前の作品だが、今読んでも、いや、今読むからこそ、重く心に響く。
自分が同じ立場だとしたら、どうやって立ち直っていくのだろうか、と。
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泣いてしまった。今だから、なおさらなのかもしれない。
忘れてはいけないことがある。あの日のヒロシマのことを、その後、生きた人の苦しみを。ともすれば、人はつらいことや悲しいことを忘れたいと願うけれど、「ちゃんと記憶し伝える」べきことだってあるのだ、、、たとえそれがとても苦しいことであったとしても。
「知らないふり」をしてはいけない、というメッセージが込められた物語。
劇作家としての作者の技量がひしひしと伝わってくる、台本の様式の一冊。
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原爆直下という生きているのが不自然な状況を生きた人の話。
映画を観て、文章で読みたくなって。
広島弁は未だに「仁義なき戦い」のイメージからか、言葉として強い印象があったけど、この作品の柔らかい広島弁が良かった。
p. 80 美津江:あんときの広島では死ぬるんが自然で、生きのこるんが不自然なことやったんじゃ。そいじゃけえ、うちが生きとるんはおかしい。
p. 106 美津江:おとったん、ありがとありました。
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宮沢りえの劇場版を観た後に読みました。
ひろしまの言葉だからこそ伝わるものがあるように感じました。声になることで、人の身体が伴うことで、一層深く沁み込んでくるお話であるように感じました。
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演劇も映画も通ったことがないのに、戯曲から入るのはアリなのか…?と思いながらも読み始めてみたら、やっぱり面白かった
世界でたった2つ、原爆が落とされた地、広島と長崎
今作は広島に住み、原爆ですべての身寄りを失った若い女性、美津江に焦点を当てている。
美津江が親友・父を失った時の記憶を語る場面では、やはり原爆の本当の苦しみは経験した人にしかわからないのだろうなぁと、戦争を自分と遠いものにしてしまいそうになったが、恋に落ちてしまい葛藤する美津江と、そんな美津江を優しく見守りながらも応援する父・竹造の広島弁でのやりとりが温かく、物語に入り込むことができた。
作者あとがきと解説にあるように、竹造とは美津江が自分で作り出した幻像であり、実際は「恋を成就して幸せになりたい美津江」と「生き残った申し訳なさから、自分が幸せになってはいけないと思い込む美津江」の対立を軸に物語が進んでいる。
これは「生きている死者・竹造」との対話なのだ!という解説にももちろん納得したが、答えはとっくに美津江自身の中にあったのだ、とも読めるなと思った。
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戦争で自分だけが生き残ってしまった娘の心中の葛藤が綺麗に文章によって著されていた。一人二役だが、そうに見えない。麦湯のシーンなど所々に垣間見える、父がこの世に居ないと表現する描写がとても良かった。
1人の娘としての幸せをつかみたいという希望が、父となって現れ、罪悪感に苦しむ娘を幸せに導いていく。しかし、最終的には父が娘との最期の別れのシーンをを語った。死者しか持ち得ない記憶を娘と語るこのシーンから、父は唯の娘の願望の擬人化ではなく、あの日原爆で亡くなった人々の思い出を含んでいたことが分かった。
原爆の苦しみ、取り残されたものの葛藤、死者との別れ様々な物が取り込まれ最後に綺麗に纏まって終わっていた。読み終わった後にとてもスッキリとした。読んで良かった。
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短いので軽く読めるけれど、深い重い。でも前を向ける。
世界は残酷だ。でも、生きている人は前を向いて生きていかなくちゃいけない。それが生きられなかった人に対する努めで、次に生きる人への義務だ。死んだように生きていてはいけない。
Posted by ブクログ
とても短いので、戯曲を初めて読む人にも薦めやすいのではないかと思う。
ちょっと甘い感じもするが、声高に戦争の惨禍や悲劇を訴えるのではなく、普通の人間のささやかな日常を破壊する恐ろしさを通奏低音のように流し続ける。幽霊の父は、実際には父を見殺しにしたと思っている娘の妄想かもしれない。妄想が死にそうな人間を支えることってあるものね。
しかし映画では宮沢りえが娘。美人すぎて違和感あり。もっと普通っぽい人が良かった。本には美人でないが愛嬌があるって書いてあるんだから。
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おもしろい。りくつぬきに、おもしろい。何なんだろう。すべての登場人物がすべてやさしいからだ。美津江さん、おしあわせに。明日は私の娘の彼があいさつに来る。どうやっていじめたろうか?!
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人よりも幸せになりたい、楽をしたいと考えるのが素直な人間の気持ちだろう。苦悩のうちに亡くなった身内や親友を思い、自分だけが幸せになっていいのだろうかと悩む主人公の葛藤が高潔でいて切ない。何不自由ない時代を生きる我々としては、先人の気持ちを少しでも慮って一日一日を大切に過ごしたい。
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原爆の被害にあわれた方の苦しみがわかる。読んでいて本当に辛いし泣けてくる。あの戦争で多くの人が犠牲になった。国家としてみる戦争と国民としてみる戦争はまた別で、戦禍に巻き込まれた人の声を忘れてはならない。この本を読んで、核兵器は二度と使ってはならない、と強く思ったが、核や軍事力を持たなかった国がどうなるかも考えさせる。
あと、前書きにかいてあったけど、本当に日本はアジアの国に迷惑かけたの?歴史の評価って難しい
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広島の原子力爆弾で、父を亡くした娘。
生きているのが申し訳ない、幸せになるのが申し訳ないと言って生きていく。
自分を戒める娘と幸せを願う娘の一人二役で話は進むが、幸せを願う娘の役を亡くなった父に置き換えている。
現実にこんなことがあったのかと疑うほど、原子力爆弾はむごい。
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同名演劇の脚本。
広島の原爆から生き延びた美津子は、自らを幸せになってはいけない、と戒め、好きなひとができても、恋することを禁じていた。
しかし、自称・美津子の恋の応援団長である父の竹造は、そんな美津子の恋が実るよう、影に日向に、美津子を説得する。
竹造のコミカルな振る舞いと、美津子を脅かす被爆体験の恐ろしさの両方が伝わってきて、妙に迫力のある話。
文章でも伝わってくるのだから、舞台で見ると本当に心揺さぶられるものがあるのだろうと思う。
広島ことばは難しかったけど、その分リアリティがあった。