山崎豊子のレビュー一覧
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ネタバレ田淵幹事長…一体誰がモデルなんだ…(笑)
5巻はずっとイランのサルベスタン石油の話、千代田自動車が後味悪かった(最終的にはめでたしになるんだけど)のに対してこちらは小気味よく進んでいく。裏のえげつない部分もFXと比べたら露骨でない(と言うか露骨に見せていない?)ので読みやすい。
でもせっかく苦労して掘り当てた石油も数年後にはイラン革命で全部おじゃんになっちゃうんだよね。山崎豊子がこれ書いていた時期もギリギリイラン革命前だしなんとも複雑な感情を抱く。
最終的に大門社長の引退と同時に壹岐も会社を去り、シベリアで物語は終わる。千里とはおそらく結婚したんだろうけど、安易なハッピーエンドにせずあそこで切るのが山崎豊子といった感じ。それでも華麗なる一族や沈まぬ太陽に比べたらずっと後味はいい。 -
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ネタバレ第4巻目は東京裁判の後半部分が展開される。
天羽賢治は東京裁判の言語調整官として、日々の裁判に臨んでいた。
裁判が進むにつれて、勝者が敗者を裁く様相が明確に成っていった。
最初は公正な裁判を望んで、その一助になればと思い、臨んだ賢治であったが、
裁判が進むにつれて、その実相は裁判という体裁を整えただけの、勝者が敗者を裁く不正な内容だった。
賢治は裁判が進むにつれて、煩悶する日々が続いた。
日本に来ている賢治の妻エミーとも夫婦喧嘩が絶えなかった。
かつての同僚の椰子との付き合いにだけ、心が癒される賢治だった。
椰子は広島での被ばくが元で白血病になる。
日々衰えていく椰子を、裁判が忙しく見舞いにも行けない賢治は、ますます苦悩の日々が濃くなっていく。
椰子が重体の知らせを聞いた賢治は、すぐにでも駆け付けたかったが、裁判中に、それは許されなかった。上司になんとか許しを得て、極秘に広島に向かったが、間に合わなかった。
死ぬ直前まで、「ケーン、ケーン」と言っていたと椰子の妹の広子から聞き、その遺体を見て賢治は慟哭した。
傷心の賢治は東京に戻った。
やがて、判決の時が来た。
戦争犯罪人となり、7人が絞首刑の判決を受けた。その中の一人は文官であり、どう見ても死刑の判決はおかしいと賢治は思ったが、モニターである賢治は判決に一切の口出しはできなかった。
裁判中に審議された、アメリカの原爆投下についても文書からは削除され、何も問題にされなかった。
日々疲れていく賢治は自分のしていることは何なのかと煩悶の日々は続く。
そんな中、賢治にCICからアメリカについての忠誠の嫌疑がかかり、査問される。
自分はアメリカに懸命につくしているのに、どこまで行っても人種差別され、嫌気がさして軍隊を辞めてしまった。
一方、かつて椰子の夫であった、チャーリー宮原は、軍隊を辞め、華族と結婚し、結婚式が済むとアメリカへ行ってしまった。
賢治の弟、忠は生前の椰子の言葉によって、賢治とのわだかまりが解消していった。
忠は日本に残った。
裁判が終わり、妻のエミーと二人の子供は先にアメリカへ帰した。
チャーリーの結婚式を中座した賢治は宿舎へ戻り、軍隊の制服とピストルを返却する用意をした。
弟の忠から連絡があり向かったはずが、どういう訳か、誰もいない裁判所に着いてしまった。
裁判では、「被告を絞首刑に処す」と言わされた。
賢治は虚無感に襲われ、ピストル自殺をする。
死ぬ瞬間の賢治の脳裏には、星条旗と日章旗がはためいて、砂漠の砂塵が濛々と容赦なく吹き付け、果てしなく続く鉄条網が焼き付いた。
悲しい結末で終わってしまった。
この物語はフィクションであるが、巻末にある作者が取材した協力者の氏名と膨大な参考文献から、史実を忠実に再現した物語だ。
この物語を読んで、戦中戦後の日系人の苦悩が初めて分かった。
テレビでもNHKの特集番組か、なにかで東京裁判の様子を流していたが、そんなものかと興味が無かった。
戦犯として、極悪人に仕立てあげられた東条を含む死刑囚7人は普通の良識人であったようだ。
本物語で、その様子が理解できた。
偉大な作家のご冥福をお祈りします。 -
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ネタバレ日系二世の天羽賢治の弟の勇はアメリカの軍隊に志願して一兵卒として、ヨーロッパ戦線で戦っていた。
勇が所属する、三十六師団四四二部隊(日系二世部隊)はテキサス大隊の救出に向かわされる。
275人のテキサス兵を救う為に、日系人は200人以上が死亡し、約600人が負傷した。
ここでも日系人は虐げられていた。
勇は死亡し、認識票のみが、ツールレークの隔離収容所に居る天羽の家族に渡された。
勇の葬儀には、天羽乙七、テル、賢治と同じ収容所の大野保と長男夫婦、娘だけだった。
乙七の胸にはヨーロッパ戦線で戦死した四四二部隊の息子の表彰と勲章の授与式が、鉄条網の中で行われたことに対する怒りと屈辱があった。
一方、日本軍の立石小隊に属する、弟の天羽忠は最前線のルソン島リンガエン湾に送られる。
天羽賢治はアメリカ軍第六軍第一軍団に属し、リンガエン湾の六万八千人の上陸部隊とともに上陸する。
そこでは、死亡寸前の日本兵の口から、忠がいることを知る。
後に、忠と賢治は、戦場で遭遇する。賢治は誤って弟を撃ってしまった。
忠を捕虜として米国の陸軍病院へ送った。結果、弟の命は取り留める事ができた。
忠は、祖国日本を裏切った兄が許せなかった。兄弟の心にはシコリが残った。
カバルアン・ヒルから日本軍は撤退し、アメリカ軍六師団第二十連隊長のアーノルド大佐は戦闘終了を告げた。
ーーウイキペディアよりーー
第二次世界大戦において、1941年12月22日に本間雅晴指揮する日本軍がルソン島侵攻の際にリンガエン湾に上陸した。1945年1月9日にはダグラス・マッカーサー指揮するアメリカ軍が、ルソン島侵攻の際にリンガエン湾に上陸した(リンガエン湾上陸(英語版)、1945年1月6日 - 1月9日)。
ーーヘンリー・アーノルドーー
アーノルドは1945年6月16日の日記に「アメリカでは日本人の蛮行が全く知られていない」「ジャップを生かしておく気など全くない。男だろうが女だろうがたとえ子供であろうともだ。ガスを使ってでも火を使ってでも日本人という民族が完全に駆除されるのであれば何を使ってもいいのだ」と書いている。6月17日の日記には「マッカーサーはさらなる日本攻撃にB29を使う我々の計画への理解が足りていなかった。ジャップの30か所の都市部と産業地域を破壊したうえで侵攻地域となる場所には一か月ごとに20万トンの爆弾を投下し侵攻する日には8万トンを投下することをちゃんと説明したらマッカーサーも気に入ったようだ」とある。7月23日には「スターリンとチャーチルに『現在のペースでB29が飛び続ければ東京には何も残っていないことでしょう。そこで会議することになりますね』と言った」とある[12]。民間人を無差別に虐殺した汚名を後世に残すことになった。
ーー「日刊まにら新聞」Webからーー
一九四五年一月、鹿児島県出身者で構成される旧陸軍歩兵第七一連隊所属の大盛支隊約九百四十人が丘に陣取り、米軍の艦砲射撃や爆撃にさらされ約二週間で八百人強が戦死した。
広島に原爆が投下され、太平洋戦争は終結した。
天羽賢治は米国戦略爆撃調査団の一員として、広島に派遣される。
広島の惨状を目にした賢治は、呆然とした。灰燼に帰した市街を見て、涙で目がかすんだ。
敗戦国日本における東京裁判の米国通訳モニターとして賢治は参加することになる。
……
リアルに綴られる、フィリピン ルソン島での忠の目から見た、日本軍の惨憺たる様子に、戦争の虚しさを感じた。
物語は三巻目へと続く。 -
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日米開戦後、本編の主人公の邦字新聞の記者である天羽賢治はFBIに連行され、スパイ容疑で留置所へ入れられる。
そして、アリゾナ砂漠の収容所へ送られる。
砂漠の収容所から釈放され、ロスアンゼルスの家に帰ると家族は強制退去されていた。
家財道具一切を二束三文で売り、一人2つまでのスーツケースの所持を許可されて、家族が移動させられたのは、競馬場の馬小屋だった。
床にタールを撒いた、馬糞の付いた臭くて不潔な馬小屋に何千人もの日系人が、押し込められた。
一週間に1回のみ、馬小屋の馬を洗うシャワーを使用することを許された。不潔な場所で、日系人達は、家畜の牛馬の扱いだった。
しばらくして、千五百名の日系人はマンザナールの砂漠の中に建設されたバラックのマンザナー強制収容所へ入れられた。
※以下、ウイキペディアより。
1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が発した大統領令9066号によって翌3月に開設された。マンザナー収容所は最大時には10,046名を収容し、収容された総数は合計で11,070名となった。
アンケートや天皇の写真を踏み絵にしたり、日系人は各個人の米国への忠誠心を試される。親兄弟妻子間で意見が別れ、家族の絆の崩壊を招いた。
同じ二世の賢治の弟の忠は、人種差別の米国に嫌気がさして、戦争前に日本へ帰属した。
かつて、日本に留学していた賢治は、祖国日本と米国人としての自分との葛藤に悩む。
戦前・戦時中と、相当な迫害を受けて来た日系人の心の有り様が、本作を読んで初めて分かった。
日系人は人種差別を受けながら、そうではない白人もいるというエピソードが救いだった。
物語は、更に続く日系人の苦難の道へ。
二巻へ、つづく。