あらすじ
終戦の翌年、極東国際軍事裁判が始まり、賢治はモニター(言語調整官)として法廷に臨むことに。戦勝国と敗戦国、裁く者と裁かれる者、そのいずれもが同胞だった……。重苦しい緊張の中で進行する裁判の過程で、自らの役割に疑問を抱き始める。家庭では妻との不和に悩まされ、次第に追い詰められてゆく賢治は、日本で再会した加州新報の同僚・梛子に、かけがえのない安らぎを感じていた。
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3巻は、終戦からGHQの進駐、そして東京裁判を中心に物語が進行する。
主人公のかつての同僚で、密かに想いを寄せていた女性は原爆投下時、広島にいたが奇跡的に助かり、主人公と再開する。
そして、主人公は、東京裁判にモニター(通訳が合っているかどうかダブルチェックをする人)として立ち会う。
東京裁判では、勝者が敗者を一方的に裁くという一貫した進行に主人公は違和感を覚える。
日本は侵略戦争をしかけたと一方的に非難され、他方でアメリカの原爆投下については裁判上の記録から削除される。
そして、戦前戦時中は、あれだけ日本政府、軍部を称賛していた日本のマスコミは、掌を返したように日本批判、反日の報道を始める。
アメリカGHQの一員として、東京裁判に関わっている主人公は、アメリカと日本、二つの祖国の板挟みにあって、悩み苦しむ。
アメリカ人からは、ジャップと呼ばれ、日本人からは薄汚い裏切り者と言われる。
そんな主人公の苦悩を理解せず、日系二世にも関わらず反日思想の妻に、主人公は愛想が尽きて、かつての同僚の女性に心が惹かれ、2人は結ばれる。が、主人公は結局プライベートでも、どっちつかずの態度をとってしまう。
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東京裁判は戦争犯罪を裁く場ではなく、敗戦国の指導者に責任を取らせる裁判だった。
戦争は置かれた環境や所属によって意思とは関係なく相応の仕事を求められ巻き込まれるのだとつくづく思った。
親ガチャが取り沙汰されているが、私は国籍ガチャもあると思う。
▼ヒトは区別分類することができるが、すなわち差別も生まれる。
人種差別が無くならないように戦争も無くならないなら、
ルールを決めた戦争を行なってもらいたいものだ。
例えば、戦闘予定地域への民間人完全退避の徹底、
民間人を巻き込まないプロの戦闘員による陣取り戦争。
ルールの上で戦争して人道違反を戦勝国、敗戦国を平等に評価する体系を作っていって欲しいと願う。
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これまでの東京裁判に関する知識は中学歴史教科書レベルだった。こんな裏の事実があったのかと。なぜ日本は戦争に突入せざるを得なかったのか、考える機会になった。
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祖国とは何か、の前に、国家とは何か、個人とは何か、人間の尊厳とは何か、という問題に直面する。
国家が国家として秩序を保っている場合、即ち国民個人に利を供する場合に祖国のために報いるという考え方はごく自然であるけれども、そうでない場合にも国民が国家の犠牲となる必然性は理解できない。
かつては個人が何らかの拠り所欲しさから国家の形成と統制を望んだのだろうが、国民個人ではなく国家それ自体の利益や保身や意義すら画策し始めた時点で終わりが始まっている。
しからせば太平洋戦争が終わった時点で、否始まった時から、さらに辿れば近代国家が始まった時点から人類の一部での劣化が始まっている。
そんな深淵雄大な考えをもたらしてくれたことから不朽の名著である。
第四巻が待ち遠しくも名残惜しい。
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20年以上前、この本を初めて読んだ時の衝撃はこの「東京裁判」のシーンでした。 戦後教育の中でこの東京裁判に関しては学校でほとんど学んだことがなく、端的に言ってしまえば「大戦後、アメリカの占領下の日本で戦犯を裁く『東京裁判』が行われ、A級戦犯とされた28名のうち7名が絞首刑に処せられた」ということぐらいしか知らなかった KiKi にとって、この物語で描かれた東京裁判のシーンは初めてその裁判がどんなものだったのかを考えるきっかけとなったものでした。
そして当時の KiKi は戦勝国が敗戦国を裁くということに潜むある種の「不公平感」を強く感じ、同時に「原発投下を人類がどう評価すべきか?という極めて重要な問題に関してうやむやにしてしまった残念な裁判」という感慨が強く心に残った物語でもありました。 でも、当時の KiKi はそこから更にこの裁判のことやらA級戦犯のこと、ひいては「戦争責任とは何ぞや?」という問いに関して深く追求してみようとまでは思わず、バブル景気に沸くあの時代の東京の浮かれ騒ぎの中にあっという間に埋没していってしまいました。
その後、再びこの裁判に関して KiKi の関心がクローズアップされたのは時の首相・中曽根さんが靖国神社を参拝したことを契機に「靖国問題」がマスコミで大々的に取り上げられた時でした。 でもその頃はペーペーのサラリーマンだったために正直なところ自分のことで手一杯で、歴史を振り返るような余裕はなく、やっぱりあんまり深くは考えることもなく時が過ぎていってしまいました。 ただ、いつかはこのことをしっかりと知り、自分なりの立ち位置を明確にできるぐらいに熟考してみる必要があるだろうというある種の義務感のようなものだけはしっかりと心の中に残ったように思います。
そうであればこそ、その後さらに月日が流れ、このDVD(↓)が発売されるとすぐに購入し、「いつか時間がある時にじっくり見よう」と KiKi の DVD Library に大切に保管することになったのだろうと思います。 購入直後にこれを見なかったのは偏にあまりに長すぎたこと。 と、同時に日中戦争及び太平洋戦争に関する自分自身の知識のなさがあまりにもひどすぎて、「見てもどうせわからない・・・・・」という諦めのようなものが働いていました。
東京裁判
監督:小林正樹 講談社
その後、小泉首相の靖国参拝に端を発したマスコミによる「靖国問題クローズアップ」の時代に入り、ようやく KiKi はこの長編映画を腰を落ち着けて観てみました。 この「2つの祖国」初読の頃からかなりの年月を経ての視聴でした。 その後、数回は観直しているのですが、その最終視聴日から今日で既に5年以上の月日が過ぎ去っています。
今回、この物語を読んでいてあのDVD視聴時に心に残った一場面一場面が明確に記憶に蘇り、山崎さんの筆致以上にあのモノクロ映像から醸し出されていた「東京裁判」の空気・・・・のようなものが感じられたような気がします。 と同時に「東京裁判」そのものは、全体としては「判決の方向性が予め予定されていたショーのようなもの」であったことはやはり否めなかった・・・・・と感じられました。 ただそんな中で、日本に敵意剥き出しの人あり、「法の正義」に準じようと努力する人ありという、極めて人間臭いドラマが確かにそこには存在したこともヒシヒシと伝わってきました。
かの大戦時には生を受けていなかった KiKi にしても、日本人だからなんでしょうか? どうしてもブレイクニー及びスミス弁護士やパール判事には感謝・・・・と言うか、気持ちが寄り添い気味になるわけですが、彼らの立ち位置とウェッブ裁判長やキーナン首席検事の立ち位置の違いは個人的な思想の違いというだけではなく、当時の彼らが体現しようとしていたある種の「責務・職責・国益」みたいなものも見え隠れするだけに、良い・悪い、好き・嫌いは別として「所詮、裁く側も完璧ではない人間に過ぎないんだよなぁ・・・・・」と思わずにはいられません。
個人的にはこの巻に関しては主人公のケーン(天羽賢治)の抱える迷いやら何やら(特にプライベート部分)は、些末なことに感じられ(もちろん本人にとっては瑣末どころか、大問題なわけですが・・・・・ ^^;)、それよりは、あの東京裁判という席に彼が果たしたようなモニター(言語調整官)と呼ばれる人がいたことの重要性に気持ちが向いて読み進めた・・・・・そんな気がします。 特に KiKi 自身が外資系の会社でお仕事をしている際によく感じたことに、「英語が Native 並みに話せる人が必ずしもよい通訳者とは限らない(文化・思想といった背景部分を含め正しく伝達できることの条件とはなりえない)」ということがあったがゆえの感慨だったのかもしれません。
実際、KiKi はアメリカ人相手にきちんと理解してほしいことがある場合には、絶対に間に通訳(Native Speaker)を介さず、仮に若干の拙さがあろうとも自分の言葉で語り、相手の理解度をちゃんと確認するという動作が欠かせませんでした。 比較的シンプルなビジネス世界での会話であってさえもそうだったのですから、ましてそれが「世紀の裁判」という席であれば、そして当時の日米の価値観の違いの大きさを考えれば、本当に重要な役回りだっただろうと思います。
かのDVDを見るとさらに事は複雑で、時代が時代なだけに現在では使われていないような古語・漢語的な言い回しが出てくる場面あり、今の時代以上に地方出身者は方言とか独特のアクセントありで、活字で読めばスンナリと理解できることが、耳から入ってくる音だけでは同じ日本人である KiKi であってさえも「え??」と思うようなことがあったりもしたわけで(これは録画音声の問題もなきにしもあらず・・・・ではあるけれど)、そんな中での賢治の孤軍奮闘ぶりが痛々しいくらいです。
さて、まだまだ東京裁判の判決までには至っていない第3巻。 いよいよ最終巻に突入します。
(全文はブログにて)
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東京裁判のモニターとして、法廷に臨む賢治。
裁判長、連合国側の検察官、日本人の被告、日本人の被告を弁護する弁護士。
太平洋戦争への様々な思惑がみえてくる。
アメリカ国籍を持ちながら、日系二世でもある自らの存在をもとに、限りなく公平にモニターとしての職務に徹しようとする賢治。
それが賢治を悩やませ、苦しませる…
日本兵が連合軍の捕虜や女性に行った残虐行為。アメリカが日本の敗戦がほぼ決まった中での広島、長崎での原爆投下。
どちらも許されない。
日本にだけ非があるとするのではなく、日本をそこまで追いやった側の非も追求する日本側弁護団の正義。
戦争、そこに至るまでの経緯…
一方だけに非があるわけではないのか…
ロシアとウクライナ、どうなんだろう。
そんな中で想い悩む賢治…
エミーとのすれ違いの中、椰子に安らぎを求めていく…
エミーに椰子との関係を知られることとなり、エミーの身に起こった悲劇を知った賢治。
3人の関係はどうなるのか…
ヤミ屋として、才覚を現す忠。
賢治と忠、分かり合える日は来るのか…
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戦争とは本当に酷い事だと改めてこの本を読んで
思う。
東京裁判は、敗戦国日本にとても不利な
事ばかりで日本人としては腹立たしいばかりだ。
戦争に負けるという事は、不利益な立場
に追いやられ勝戦国に全て従わなければ国として
成り立って行かないと言う不条理だ。
原爆投下を東京裁判で削除された話は、戦争を経験していない自分でも腹が立つ。
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戦争が終わり、戦争犯罪人たちを裁いた東京裁判が始まる。
東京裁判のモニター役を任された賢治は、その重圧と家庭や弟との不和から、次第に追い詰められていく。
今までは賢治たち二世の境遇がメインだったが、この巻からは東京裁判の描写にかなりの比重を置かれている。
漠然と「戦犯が国際法で裁かれたものだ」と記憶していたのだが、そんな簡単なものでは無いことを思い知った。
印象に残ったのは、日本側の被告を弁護するアメリカの弁護士である。
アメリカ人でありながら、日本の弁護に全力を尽くし、ともすれば祖国アメリカの正義にも臆せず疑問を呈す姿に感銘を受けた。
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4巻まで読み終えて、アメリカがしたことの酷さ。これをどうして歴史で伝えないのだろうか。人種差別。ナチスよりも酷い行為。無差別殺人が、原子爆弾投下ではなかったのか。日本人の両親から生まれて、アメリカで育ち、アメリカの考え方を受けた2世。両方が祖国。複雑な思い。どちらも大切な国なのに。
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二世の人と聞けば、生まれながらに母国語が2つも出来るから羨ましいと単純に英語で苦労している私は思ってしまうのだが、その両国が戦火を交えることになったとき、どれほど苦しむだろうか。
主人公の天羽賢治には弟が二人いて、次弟は日本の大学に学んでいる間召集にあい、日本兵として出征する。一方アメリカに生まれ育ってそこから出たことのない末弟は、合衆国に対する当然の義務として米軍の志願兵となる。アメリカ市民としての義務を果たしたいと願う一方、両親の母国であり自分も10年間育った日本に対し、限りない愛着を持つ賢治は、その狭間で苦しむ。どれほど個人の能力が優れていたとしても、一介の市民に大きな歴史は容赦なく牙をむく。
日本が太平洋戦争でどれほど苦しんだかという話は数多いが、敵国の中で生きていかねばならなかった彼ら日系人を扱った小説はあまりないように思う。人種差別に思想の対立が折り重なった収容所で生きていた人々への鎮魂の書として、読み継がれていくべき作品だと思う。
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天羽憲治が東京裁判のモニターを務めることで正義を貫こうとする反面、弟の忠がやさぐれで行く様子が痛ましかった。
置かれる環境は真反対だがどちらも2世として日本人としてもアメリカ人としても忠誠心を常に問われる厳しい立場におかれてやるせない。
二つの祖国(3)は東京裁判が描かれており、東京裁判について見識を深めるきっかけになった一方で読みこなすのはかなり難しかった。
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日系二世の主人公が日本とアメリカ、2つの祖国の間で悩みながら生きていく太平洋戦争末期〜戦後の物語。
3巻目の本作は引き続き日本での軍事裁判が続く。
愛する女性椰子と米国から日本にやってきたつまりエミーとの間で悩む日々も始まりいよいよ面白みが増してきた。結末が楽しみ。
Posted by ブクログ
ついに始まった東京裁判。
言語モニターとして、裁判に参加する賢治。
父の見舞いでアメリカに一時戻った賢治は、リトルトウキョーの裏庭に埋めた日本刀を掘り返したことで、日本人としての血が騒ぎ出す。
東京裁判をまとめた巻、読む進めるのに苦労しました。
賢治と梛子のシーンが出てくるとホッとします。(笑)
梛子とエミーを比べたら、やっぱり梛子よね、と思いますが、エミーはホントに性格的に損をしてるなと…。
彼女に起こった不幸も本人が招いたことでもあり、結果賢治との仲も上手くいかなくなるなんて。
エミーの出方次第で修復するチャンスはあったはずなのにと思います。
いよいよ最終巻。
ドラマで結末は知ってはいるものの、やはり先が気になります。
このまま次巻に進みます。
Posted by ブクログ
やはりさすがという膨大な情報量。戦争を描写する上で偏向的でない表現は難しいのか、賢治の気持ちがあっち行ったりこっち行ったりするのが少し気になると言えば気になる。