京極夏彦のレビュー一覧
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「遠野物語」を読みやすく現代文にかみ砕きながら、装飾はほとんど行っていないので、原典の持つ素朴な「得体のしれないものを伝承する」という姿勢を感じ取ることができます。
怖がらせようという意図のある「伝承話」ではなく、あくまでただそう伝わっている、ということを伝えていこうとする話のかけらたちなので、物語の背後に統一された意図があるわけでも、意外性ある展開があるわけでもありません。
けれど、繰り返し描かれる「この世ならざるもの」がなにかの暗喩なのか、はたまたほんとうの異形なのか、などと想像を巡らせると、とらえどころのない不安やおののきを感じたりもするのでした。 -
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幽霊役者の木幡小平次を中心に、彼を取り巻く様々な人間たちの因縁が絡み合っていく物語です。
小平次の妻は、幼い頃に見た絵画の男に惚れたというお塚で、彼女は押入れの中に閉じこもって口をきこうともしない小平次を嫌い抜いていました。そんな彼女に懸想している囃子方の安達多九郎が、小平次に仕事の話を持ち込んでくるところから、物語は始まります。小平次を雇いたいという玉川座で女形を務める玉川歌仙は、幼い頃両親を殺され、この世界に入り込むことになります。さらに、人を殺すことを何とも思わない動木運平という素浪人とその仲間の破落戸が、いっそう事件を複雑なものにしていきます。
人間関係を過剰なほどに絡み合わせるこ -
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『東海道四谷怪談』を著者がリメイクした作品です。
貧しい浪人の伊右衛門のもとを、西田尾扇という医者の家で下男をしている直助という男がやってきて、人を殺す方法について尋ねるところから、物語は始まります。その後彼は、「小股潜り」という二つ名を取る又市という男の斡旋で、民谷又左衛門という謹厳実直な侍の一人娘である岩のもとへ養子に入ることになります。岩は美しい娘でしたが、疱瘡を患ったために醜い顔となり、父の又左衛門は窮したあげく、人をだますことに長けた又市を頼ったのでした。しかし又市は、伊右衛門に真実を告げ、伊右衛門も岩のことを承知の上で民谷家の養子になることを決意します。
ところで、又左衛門の上 -
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本家公式二次創作とあって、読みやすく登場人物も本家よりは幾分丸く(笑)仕上がってはいるものの、楽しく読めた。
何よりも読んでいてニマニマしてしまう。
木場修が出てこないのが少し寂しいけれど。
(学生時代なので仕方ないといえば仕方ない)
正直、話の流れは読みやすく、事件自体も予測がついてしまうのでミステリー要素を期待してると少し物足りなさがあるかもしれない。
京極夏彦が描く百鬼夜行シリーズに比べると先が読めない謎の雰囲気や、例の薀蓄、薀蓄に次ぐ薀蓄、そして妖怪じみた感というのはないけれど、これはこれでありだなという感じ。
次作が出たらまた読みたいなと思う。
彼らの学生時代がこうだったら、なん -
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ネタバレ「旧談」は江戸時代の怪談本「耳嚢」をベースに京極夏彦さんが現代語にわかりやすく書き換えたもの。
「耳嚢」は当時の随筆又は備忘録であるという。なので正確には怪談本ではなく、作者がつれづれに面白い話・奇妙な話・町の噂話などを集めたもの。
その中から特に不思議な話・怪しい話などを集めたのがこの怪談本「旧談」ということらしい。
説明のつかない話や、不思議だなーなんでかなー?というくらいの話でも読みかたによっては怪談に受け取れないこともない。
江戸時代のことでもあるので、科学的な説明もあるわけはなく全て伝承のお話である。どこまでが本当でどこからが尾ヒレがついた噂話かもわからない。
各話よくわからない怪 -
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独特な文体に目が行く。
簡潔な短い文が重ねられている。ここは読点なのでは?と思うところで句点だったり。
京極夏彦の文章を読むのは実は初めてで、これが京極調なのかどうか、わからない。多分、柳田の文章に合わせて工夫したものなのだろうとは思う。
経立(ふったち、長生きした獣)や、座敷童、山神、山人といった不思議なものたちには、心がひきつけられる。
そして、それらが土地の地形や地名と深く結びついていると感じた。
きっと遠野だけではなく、全国各地にこういった話はあったはずなのに、どうして残らなかったのだろう。
ほら、この岩にはその時の熊の爪の跡がのこっているだろう―といった形で、自分の生まれ育った土地 -
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京極堂シリーズのスピンオフだかサイドストーリーだかで、『邪魅の雫』以外は読破したから読者資格を得ている。シリーズに登場する事件当事者や犯罪者たちの、救われぬ人格的障害を陰惨に描写する。依存性、回避性、強迫性、ストレス性、離人症性といった様々な障害により、思考に極度な異常をきたし、認知がゆがみきって崩れていく彼等が傷ましい。あのおぞましい事件群は、人心を失い鬼と化した者どもの所業なのだ。それにしても関口先生、あなたの自己嫌悪と厭世観ときたら、もはや芸術の域ですよ。凄まじいというより素晴らしい。あなたに添い続ける奥方こそ、ある意味狂人なのかもしれません。