京極夏彦のレビュー一覧
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いわゆる京極堂シリーズは読破してしまったので、京極夏彦からもしばらく足が遠のいていた。本書を手にしたきっかけは、文庫に書かれている紹介文に「中善寺敦子」の名を目にしたからだ。
タイトルにもあるが、テーマは「鬼」である。憑きもの落としで、その能力、つまり言霊の力を使い、難事件を解決してきた京極堂の妹たる中善寺敦子が一体どんな推理を展開するか――興味を持った。日本刀による連続「辻斬り」事件。禍々しくはあるが、昭和という時代に果たして辻斬りなどという事件が起きるのか? 辻斬りと見える事件は、一見明治時代から続く因縁に捕縛されているかのような展開で、物語は進む。ここまでは、タイトルにもある通り「鬼の祟り」とも思える。
敦子と辻斬り事件の最後の被害者であるハル子の友人、呉美由紀の会話を中心に、刑事、刀研ぎ師、被害者片倉ハル子の母親と片倉家の代々の人たちの話が絡みあい、物語は進む。因縁に呪われた一家としか見えなかった片倉家だが、敦子の慧眼により、「因縁」という不合理性の殻は破られ、そこから新たな、合理性に導かれた真実が明らかになる。京極堂ほどの長広舌はないけれども――それが本書を、「読み易い」頁数にしているのかもしれないが――、妹が発する言葉もなかなか力強い。それに畳みかけるように、若さがほとばしる言葉を美由紀が、最後に叫ぶように話す場面はクライマックスにふさわしいだろう。
京極堂シリーズのスピンオフということで、本流のシリーズと比べて、テーマをひたすら深く掘り下げることはしない。深い洞察の結果、「この世に不思議なことなど一つもない」とうそぶく京極堂がいないのは、このシリーズの愛読者からすれば、やや物足りなさを感じるかもしれない。しかし、読み易い長さで、かつ小難しい歴史にまで分け入ることなく事件を解決する「今昔百鬼拾遺」シリーズは、京極夏彦の魅力を手軽に味わいたい読者の入門書として推奨されるべきであろう。これまで、あの千頁を超える物語の長さに敬遠していた者は、本書と続くシリーズで京極夏彦という作家の魅力を知ることになるだろう。
すっかり京極堂シリーズに、つまり中善寺夏彦という拝み屋に魅了された人にとっては薄味であろうが、妹・敦子もなかなか理屈っぽい。しかしその「理屈」が徐々に、絡みあい混沌さを増す事件を解きほぐし、事件の構図を詳らかにしていく過程こそ、京極堂シリーズの真骨頂なのだ。これらのシリーズを通して、読者は言葉が持つ力の強さを知ることになる。
「今昔百鬼拾遺」シリーズは河童、天狗と続くらしい。第一弾の「鬼」を手にした以上、近いうちにこれらも読むことになる。兄の周りほどは癖のある人たちはいないが、本書ではまだ女子高生という美由紀のキャラクターが、新境地を切り開いたように思う。残りのシリーズを読むのが、今から待ち遠しい。 -
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シリーズ2作目
前作同様に明治の有名人がたまたま弔堂に行きついて、主人と京極節の会話をして本を買って帰る
そしてその人のその後が説明されて各編が終わるスタイル
前作は高遠さんという人の視点で語られていたけど、今回は塔子さんという女性視点
(高遠さん同様に実在しない人か?)
薩摩武士だった祖父の男尊女卑に凝り固まった思想に疑問を持つ
全編通してそんな事が語られているけど、その辺のくだりは平塚さんのところが顕著
他にも田山さんだのおっぺけぺーの人とか、鈴木光司のリングで説明されてた透視実験の人とか乃木さんとか
どの人も後でWikipediaで来歴を読むと、「本当にこんなやり取りがあったんじゃないか?」と思ってしまうほど
流石は京極さん、フィクションなのに史実を基にしているからリアルとの境界がわからねぇ
アニメで明治東亰恋伽をながら見してたので、明治の有名人はなんとなく知ってるけど、どこまでリアルな設定に基づいているのかねぇ?
あと、塔子さんと同じく全編登場している松岡さん
名前が最初に出ているので、「もしかしてあの人?」というのが容易に思いつく
そして次第に地方の文化や風習に興味をもつところとかね
こっから後の百鬼夜行シリーズにつながるかと思うと胸熱
破暁は朝、炎昼は昼
となると、夕方や夜のタイトルの続編あるわけですよね? -
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2020年7冊目
明治時代の書舗「書楼弔堂」を舞台に、本を読むこや学問を良しとしない祖父に何も言い返せない塔子だったが、乃木希典や勝海舟、平塚らいてうといった偉人たちと交流を通じながら自分と向き合っていく。
江戸時代から明治時代にかけての混乱から立ち直ってきた日本。それでも女性蔑視の風潮が色濃く残っていた時代。幸せの価値観が今とは全く異なった時代。それでも本を読むことで知らなかった世界にアクセスできることの楽しみは、いつの時代も変わっていない気がしました。
本書の弔堂の主人は、自分にとっての一冊があるはずだという。きっと、自分が本を読み続けるのもその一冊に出会いたいからかもしれない。そして、そのための本の旅も決して悪いものではないと思う。
そう言えば、初京極作品かも。 -
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・京極夏彦「書楼弔堂 炎昼」(講談社文庫)のヒロインは天馬塔子であらう。塔子が導いた人物達がこの弔堂で一冊の本を選ぶ。いや、弔堂主人から薦られる、それが物語となる。ただし、多くの物語にはヒロインの他にヒーローもいる。本書も同様で、それが松岡國男である。この二人、物語に必ずといつて良いほど出てくる。颯爽とと言ひたいところだが、実際にはとてもさうはいかない。二人ともいかにも悩ましげである。塔子は女性としての生き方に悩んでゐる。松岡は新体詩を捨ててどうするかを悩んでゐる。この2つの悩みがそれぞれの物語の登場人物にまとはりつきながら、ライトモチーフのやうに物語を作つていく。19世紀から20世紀に移りゆく時代の物語であつた。登場するのは田山花袋、添田唖蝉坊、福來友吉、平塚らいてう、乃木希典、そして勝海舟も加はる。唖蝉坊は有名な演歌師だからわざわざ書くまでもないか。友吉は千里眼や念写を学問的に極めようとした人ださうで、生まれる時と場所をまちがへなければといふ感じであつたらう。私は初めて知つた。本書はこれらの人々の織り成す物語、「迷える人々を導く書舗の物語」(帯)である。
・そもそも弔堂は書店、本屋である。本屋は江戸時代でも本を店先に並べてゐた。ところがここは違ふ。「それは、迚も迚も大きな建物なのに、不思議に景色に馴染んでいて、ともすると見逃してしまう」(36頁)やうな建物で、塔子自身も「そもそもその建物が何なのか判」(37頁)つてゐないのであつた。それでも心当たりの場所へ松岡、田山の2人を案内して行つた。そこは書舗であつた。新体詩から自然主義文学に進まうとする田山に対して、松岡はまだ迷つてゐた。 「私は既に、詩作に情熱を注ぐ気になれなくなっているのです。」(88頁)主人は、「その進むべき道が見定まってから、またお出でください」(89頁)といふ。さうして塔子と松岡は弔堂の客となつていく。夏の炎昼のことであつた。これが本書第1話の「事件」である。以下、「普遍」「隠秘」「変節」「無常」 「常世」と続く。何か思はせぶりな並べ方ではないか。事件が起き、いろいろあつて、最後は世は無常で常世を目指す。季節は夏に始まり正月に終はる。本当は1年以上経つてゐる。しかし、雰囲気は塔子の祖父の病気から死へと暗くなつていく。松岡もまた最愛の人の死に近づいてゐる。常世とは常世の国の意味であらう。不老不死の仙境か、黄泉の国か。死者の国が、たぶん、近づいた。しかし、春が来れば明るいのである。最後に2人に示された書は……これは書かないでお かう。少なくとも松岡には、新体詩に代る新しい世界が開けることを教へてくれるものであつた。いつ果てるとも知れずに松岡にまとはりついた悩みも巻末に至つて消える(ことになる)、たぶん。これは予想されたラストでもあらう。ならば塔子はと思ふ。結局、塔子は新しき女性として生きることになるのであらうか。それを象徴させるものとして、かの書は選ばれたのであらうか。私にはよく分からないのだが、塔子にも分かつてはゐないのかもしれない。ただ、勝海舟の 「声が聞こえたような気が」(540頁)したといふ。これは、塔子がそれを肯定的に理解したといふことであらう。いづれにしても「それはまた、別の話なのでございます。」と例の調子で終はる。この続編があるのであらう。悩み深き女性の物語であらうか。それを待たう。ちなみに、初めの二話はこの部分、「別のお話」と書かれてゐる。これは特に意味のないことであらうか。「お」の有無は行数には関係ないから、たぶん、気にすることはないと思ふのだが、それでも気にした次第。 -
購入済み
相変わらず凄い
今昔百鬼拾遺三作を読むにあたり、呉美由紀ちゃんの出てくる原作を読み直したかったのだけど、時間が無いので漫画でおさらい。
志水先生の画力と構成力は相変わらず素晴らしいです。ただ絵にするとキツイ描写が結構あるんですよね…
内容かなり忘れていたのでおさらいには丁度良かったです。
でも改めて原作読みたくなってしまいました(笑) -
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昨日まで東北を旅行していました。最後の訪問地が遠野です。その前に遠野物語を読もうと思いました。
最初に手にしたのが青空文庫。しかしなかなか読みづらく。たどり着いたのがこの本でした。
原文を単に口語体に変換するだけでなく、本来なら注釈とすべき内容を本文内に上手く取り込むことによって、平易で読みやすくなっています。さらに説話の順番を入れ替えて括ることによって、頭に入りやすく工夫されています。
後ろには柳田さんの原文も付いています。入門編ともいうべき京極さんの文章を読んだ後にこちらを読むと、原文が削ぎ取られたような名文である事が良く判ります。
ところで実際に訪れた遠野。
卯子酉様とか五百羅漢、コンセイサマ、オシラサマなどちょっとディープな遠野も良かったのですが、良く晴れた晩秋の遠野は、盆地を取り囲む山々の針葉樹の緑と広葉樹の紅葉に彩られ、刈り取りの終わった田んぼのあちこちにたわわに実る柿のオレンジ。ちょっと冷たいけど清々しい風。それだけで「民話の里」という雰囲気にあふれていました。 -
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日本から霊などがいなくなり、妖怪が人々の目に見えるようになるお話
「この世に不思議な事など何もない」と言い、実物の妖怪を出してこなかった京極夏彦がとうとう人の目に見える形で妖怪を登場させるというのに驚く
豆富小僧は妖怪として登場してたけど、そんな概念としての存在ではなく、デジタルデータすら書き換えて映像記録にも残る
妖怪が見えるようになるカラクリに関してはキーアイテムの存在こそフィクションだけど、理屈としてはまぁ妥当なものなのかな?
ただまぁ、最後まで読めばいつも通りなんだけどね
やってくれるぜ京極……
作家さん達が実際の名前で登場するし、妖怪だけでなくフィクションのキャラクターが色々出てくるので、版権的に忠実な映像化は絶対に無理ではなかろうか
こんだけ分厚いのの殆どはバカな会話
一般人にはわからない細かいネタが散りばめられているんだろうけど、僕レベルでは10分の1もわかってないんだろうな
そんなバカな会話が繰り広げられているのにもストーリー上の理由があるようだけど、やはり冗長だよなぁ
豆富小僧が出てきたあたりで、「実は豆富小僧の続編?」とか思ったけど違った
榎木津礼二郎が叔父とかって設定のようだけど
木場の方も架空のキャラなのか?実在の人?
毎日少しずつ読み進めて、終わるのに10日かかった
普通の本の4、5冊分はあるなぁ
他にもまだ読んでない京極の本が棚にあるけど、しばらくはお休みしとこうかな -
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シリーズ第四弾。
今回は、小股潜りの又市がまだ若いころの物語です。ある事件をきっかけに、裏稼業を引き受けている「ゑんま屋」の仕事を請け負うことになった又市は、ひとが死んでしまうような解決策を嫌うという青臭い正義感にこだわろうとしながら、身に降りかかってくるさまざまな事件に対処します。
連作短編なのですが、クライマックスには、『続巷説百物語』で最終的に決着がつけられることになる祇右衛門との最初の対決が配されており、そこへ向かってしだいにストーリーが盛り上がっていくにつれて、又市の苦悩が深まっていく様子がていねいにえがかれており、読者を物語にぐいぐい引っぱり込んでいきます。