あらすじ
語は呪文。文は呪符。書物は呪具。足りぬ部分を埋めるのは、貴方様でございます――。時は明治三十年代初頭。気鬱を晴らそうと人気のない道を歩きながら考えを巡らせていた塔子は、道中、松岡と田山と名乗る二人の男と出会う。彼らは、ある幻の書店を探していた――。迷える人々を導く書舗、書楼弔堂(しょろうとむらいどう)。田山花袋、平塚らいてう、乃木希典……。彼らは手に取った本の中に何を見出すのか? 移ろいゆく時代を生きる人々の姿、文化模様を浮かび上がらせる、シリーズ待望の第二弾!
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Posted by ブクログ
目次
・事件(田山花袋)
・普遍(添田啞蝉坊)
・隠秘(福來友吉)
・変節(平塚らいてう)
・無常(乃木希典)
・常世(柳田國男)
目次の後の括弧書きは、弔堂が本を売った相手。
ただし、柳田國男は全ての作品で本を購入しているが、彼のための一冊とは自分自身で後に著す物のことだろうとの店主の言葉。
この本の語り手である天馬塔子も何冊か本を買っているが、彼女はフィクションの人物と思われる。
後々の自分のために記しておく。
多分作者が描きたかったのは、柳田國男が民俗学の入り口に立つまでの、煩悶する姿だったのではないかと思う。
一冊を通して、抒情派詩人として人気を博しておきながら詩と決別し、中央官吏を目指しながら、共通語では語ることのできぬ地方の人々の暮らしと文化に思いをはせる生真面目な学生としての柳田國男の姿が語られる。
が、白眉は乃木希典を描いた『無常』だろう。
ここでは、客である乃木希典は多くを語らず、店主の方が強く厳しく客を諫める。
戦争は国益のためにするもので、徳のない蛮行、そこに義などないと断ずる。
侵略であれ国防であれ、殺し合うなら同じこと。
陛下のために死ね、義を通すために死ねと謂われて、兵隊が皆死んでしまったとして、それで敵国が降伏したとしても、それは勝ちなのですかと畳みかける。
何よりも賢く勝とうとするならば、戦をしないことですよ。戦わずして勝たぬ限り、真の勝ちはない。
これほど強く、店主が客にものを言ったことがあっただろうか。
旧知の仲とはいえ、あまりにも厳しい物言いに、読んでいるこちらの方が怯みそうになるが、この店主の言に対して乃木希典が行ったことは歴史の知る通り。
女学生の平塚らいてうが出てくる『変節』もまた、面白かった。
男尊女卑、家長制度は、日本古来の伝統であり文化であるというのは間違いで、これは単なる武家の伝統である、と。
「女は家を守らなければならない」のは、男は外で戦う(死ぬかもしれない)から。
そして同じ頃、商家には商家の、農村には農村の伝統があり文化があった。
特に農家では女性は重要な働き手なので、年配の女性を刀自(戸主の意)と呼んで敬っていたところもある。
家長を拡大していくと、国にとっての家長である天皇崇拝に繋がり、天皇家のもとをただすと天照大神(太陽の女神)に繋がっていく。
よく考えると明治維新というのは武士だけが起こしたクーデターなんだよね。
だからいろんなことがひっくり返ったのに、武家の伝統だけが残された。
武士が起こしたクーデターということは軍事クーデターであり、だから明治政府は素早く陸海軍と警察を薩長で固めたんだな、とか、いろいろ思うところあり。
いつもより体温高めの京極夏彦でした。
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P44
貴君の視点で見た事実は貴君にとっての事実でしかなく、普遍の事実ではないということです。ならそれは幻想と同義ではないのか。個人にとっての事実というのは世間にとっては幻と同じなんですよ。
前作に引き続き、実在の人物が弔堂を訪れ、一冊の本と巡り会う話。
本当に弔堂というものはあったのではないかと思わされる描写。登場人物をもっと知っていたらもっと違う楽しみ方が出来るのではないかなと。
Posted by ブクログ
「本日はどのようなご本をご所望でしょうか」
そのように尋ねられたら
なんと答えて良いのか‥
「言葉は呪。文章は呪文。凡ゆる書物は呪符でございます。書物は読むだけで、人の心の奥に届きましょう」
たったひとつだけ自分のための本とは
どんな本だろうか?
まだまだ探している途中なのでしょうか?
さまざまな偉人達が、
弔堂の主人と語り合い、
迷いを解いていく
ご主人
あなたは
本当に
生きていますか?
生身の人間ですか?
Posted by ブクログ
めっちゃよかったです!
松岡さんの正体は早い段階でわかりましたが若い時期に自ら進む道を懊悩している様子が描かれており、勿論それは京極夏彦の世界の話であることは承知ですが、かの偉人がとても近くに在るような気持ちになりました。
たまたま福崎町へ旅行した直後に読んだせいもあるかな。
そして今回神保町への旅行の共に読んでいたので、本屋さんへの興味もひとしお。
Posted by ブクログ
今作は塔子さんが主軸。当時の女性の置かれた役割や家父長制についての煩悶は、未だ共感できてしまうもの。塔子さんの悩みと、弔堂の選書が照らしてくれる進んでいく道には涙してしまった。
松岡國男さんの辛さも、時代を超えるもの。死とは、そして死者はどこへ行くのか。それを考えることはどう生きるかにつながる。國男さんが立派に生を全うできたことにも涙した。
Posted by ブクログ
歴史上の人物が、本当にこんな人間だったのではないか、と思ってしまうくらいのキャラクターへの丁寧な肉付け。
読後に歴史を洗っていると、私が作中で出会った人間たちが歴史の中にいて、今の日本を作ってきたのだと、不思議な感覚に陥る。
登場人物への理解と人間描写の巧さ、圧倒的知識をもつ京極夏彦の素晴らしさ。
Posted by ブクログ
前作は、京極作として少し物足りなさがありましたが、今回は待ってましたとばかりに京極節の如く「ご主人」が大いに語ります。
京極夏彦を楽しみたい方にはお勧めです。
Posted by ブクログ
何の知識もなくとも書けそうな本が溢れる今、こんなにも丁寧に書き上げられた本を読むと嬉しくなるのです。しかも単行本をそのまま文庫化するのではなく、文庫は文庫で見開きにちゃんと字が収まっている。この京極さんの凝りようが嬉しくてたまらない。
本好きで、想像できたなら必ず足を踏み入れたくなる弔堂。訪れる実在の人物たちは本当にこうだったかもしれません。人が死なねばならぬ義などない。生きてこそ。
澤村伊智さんが敬意を表している京極さん。『ししりばの家』を読んだあとこれを読んだら、幽霊いないよと言いたくなってしまう(笑)。
Posted by ブクログ
身近で大切な命の危機を感じたいま、ご主人の言葉はいつも以上に重い。
人間の弱さを救い上げてくれるご主人の言葉は、こちら側の人間さえも救ってくれる。ご主人のように言葉を解釈できて、発することができたらいいのに、と思う。
Posted by ブクログ
凄い感動した
弔堂の主人の講釈のキレが凄かった
「義」についてのそれと、京極先生お馴染みの「幽霊」についてのそれが最高だった
明治の世だからこそ生じる主人公(語り部)の心象と、サブヒーローの葛藤がよく伝わった
例の大戦が起きてないから、まだ戦争へのモチベーションが高い時代に主人が不戦を唱えるのが凄いと思った
かの偉人たちのIFを創造して違和感をもたせない京極先生の筆力にも感激した
…ていうか何で作品ごとに地の文の口調変えられるんだスゴすぎ
Posted by ブクログ
サブ主人公、もしかしてあの方かな? どうかな?
当たったーっ
というところと、『本の流し読み飛ばし読みは感心出来ない』という一文に、どきっとしてしまいました。
おもしろかったけれども、あまり近代の文学とかに詳しくないので……もっと知っていたら楽しめたのかなと、そんな風にもおもった。
Posted by ブクログ
少し前に読んだ『破曉』の続編『炎昼』。
時代の変わり目。
そんな時であるからこそ、人は、これまで自分が信じてきた道を疑ったり、新たな扉を開くために踠いたりするのだろうな。
今回も、迷える人々が弔堂へ足を踏み入れる。
語り手は"天馬塔子"。
「探書 漆 事件」
芙蓉の花がお化けに見えるという塔子。
「人は時に、ないものを見たりするのですよ」
という松岡の台詞。
それらを前振りにして、言葉は"まじない"のようなものだという弔堂の話へと移行してゆく。
「語るも記すも、呪術にございます」
印象深かった台詞。
「文字は言葉を封じ込めるための記号でございます。」
「何もせずともあるがままで足りている世界を、私達は、文で、言葉で、音で割って理解しているのです。」
「言葉は、実は何も表せていない。でも、言葉なくして私達は世界を識ることができない」
そして、書かれた文字・言葉(すなわち呪文)が完成するのは、読み手があってこそ。
読むという呪法が不可欠だと弔堂は言う。
但し、その呪文が読み手にとって有り難く聴こえ、尚且つ読み手が理解出来た時に効力を発揮する。
「傍観者がいなければ、ものごと事件という輪郭を作ることもできないのですーーーよ」
☆礼記
儒教の最も古典的な経典の一つ
「探書 捌 普遍」
塔子の、厳格な祖父との確執。
時代も時代、かなり高圧的なお祖父様と思われる。
塔子は理不尽な叱りを受ける度に、小説を"読んでやろう"と思う。
松岡と再び出会った塔子は、松岡に促され弔堂へと向かう。
すると先客が。
添田平吉だ。
時代を見失ってやって来たというのだ。
演劇師になったはずであったのに、気が付くと、自由とも民権とも関係の無い"芸人"になっていたと。
さて弔堂は…。
作品として優れていれば後世にも残っていくものだと、
芸術的価値、普遍的価値、時代的な価値について説く。
「普遍の器に時代という料理を盛る」という喩えは、私にもイメージしやすかった。
そして添田は本ではなく絵(歌川国芳作 源頼光公舘土蜘作妖怪圖)を買う。
印象深かったというより、いい台詞だなぁと思った箇所。
「このなあ、蜘蛛。このようになろう。まあ拙は蜘蛛でなく蟬、しかも鳴けぬ蟬のようなものですが、世の中の外側からこう、かっと覗き込み、為政者どもの頭の上でずっと鬱陶しく歌い続けることに致しましょう。平民として。」
☆川上音二郎…オッペケペー節で一世を風靡した人物。歴史で習ったなぁ懐かしい。
☆添田平吉…添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)という号で活躍した演劇師。
自らを「歌を歌う唖しの蝉」と称したところから由来している。
唖蝉(おしぜみ)とはメスの蝉の事。求愛のために鳴くのはオスの蝉だけで、メスは鳴かないらしい。
「探書 玖 隠秘」
嬉しいびっくりが。
「甘月庵」(P196)て何処かで見た?読んだ?ような…と思ったら、なんと『姑獲鳥の夏』にも登場(文庫版P62)していた!とネットで知る。
宝物を見つけたような気分♪
この章の客人は、勝海舟、福来友吉。
転機となる1冊を手に入れたものの、オカルトを追い求めたがゆえに堕ちてしまった福来の、少し哀しく怖いお話。
印象に残った弔堂の台詞。
「ええ。ないけれど、ある。これは豊かさの証拠。その豊かさを何に使うのかは、その人次第なのでございますよ。恭しさ、懐かしさ、嬉しさ、優しさ、楽しさ、時に哀しさーーー一番芸のない使い道が、怖さでございましょうかねえ。」
「しかし多くの人はそれに気づきません。気づかないからこそ、それは隠されていると考えるのです。隠されているなら暴こうとする。しかし隠されている真理など、実はないのでございます。隠すのは、何もないからでございますよ。ならば暴いても詮方なきこと」
☆元良勇次郎…日本初の心理学者
☆福来友吉…心理学者・超心理学者。念写の発見者とされている。(『リング』に登場する貞子の母親のモデル、御船千鶴子での実験を行った人物)
「探書 拾壱 無情」
印象深かった台詞
「諸行は無情でございますよ、塔子様。花は枯れ人は老い、死ぬ。移ろうこと、変わることは世の習い。当然のことにございます。ですから、変わることを畏れてはーーーいけません」
☆乃木希典…陸軍軍人、乃木坂などで名を残している
「探書 拾弐 常世」
とても良い章だった。
大切な人を亡くした松岡に、祖父を亡くした塔子に、弔堂はあえて幽霊を見せて説く。
印象深かった台詞。
「私が死ねば、私の識る私は消えてなくなりましょう。しかし私以外の私を識る皆様の中の私は、残りましょうよ」
「………しかしそれを死者の姿と解釈してしまうなら、そしてそう解釈する者が多いというであれば、それはひとつの文化と考えるべきでございましょう。」
「判らないからこそ人は死を畏れ、忌み、隠す。そして祀り上げ、祈り、供養致します。それでも不安は拭えない。」
「人を生き易くするための嘘。信仰は、人を生き易くするためにあるのでございます。嘘だろうが間違いだろうが、信じることで生き易くなるのであれば、それで良いのでございます。信心というのは生きている者のためにあるのです。死人のためにあるのではない」
☆魂と魄(こんとはく)…"魄"も訓読みで"たましい"と読む。魂魄とは、道教における霊の概念。
すべての章は紹介しきれないが、今回は三段構えの構図だった。
①『書楼弔堂 破暁』に続き、各章ごとに様々な人物(現代に名を残す人物)が弔堂を訪れ人生の転記となる1冊と出会うお話。
②塔子が、薩摩武士であった厳格な祖父との確執の中、弔堂と客人の会話から学びとったり、本を読んだりしながら、成長してゆくお話。
③詩人であった松岡が、道に迷い、苦悩しながらも、柳田國男として生きてゆく決意をするまでのストーリー。
続編の『待宵』は文庫になるのを待って読もうと思う。
Posted by ブクログ
書物で解き明かす歴史ミステリーですね。
「書楼弔堂」シリーズ二冊目ですね。
短篇連作の六話の物語です。
明治の三十年代初頭の歴史ミステリーです。
京極さんの作品としては、妖怪も魑魅魍魎も出てきません。
むしろ、京極さんの作品の原点回帰とも言えるかも知れません。人はなぜ「怪奇」を模索するのか。理路整然と語ります。また、関わりの有る人物を中心に物語が綴られています。
今回は、全編に天馬塔子(架空の人物)と松岡國男(後の柳田國男)が物語の牽引役になっています。
塔子は、女学校を卒業するが、祖父の男尊女卑に反発しながら、明治の旧弊に悩みながら「弔堂」を避難場所にします。
松岡國男も、自分は何を目指せばよいか、試行錯誤で、「弔堂」を灯台のように訪れます。
明治の三十年代初頭、魅力有る作家達や、歴史人物が登場しますから、興味はつきません。
田山花袋、平塚らいてう、乃木希典、勝海舟等々、書物も外国の作品も登場します。
時代を語り、事変を語り、この時代の魅力と京極さんの想いもうかがい知れます。
とにかく興味の尽きない、ページを捲る手が止まりません。
三冊目も出ていますので、読んでみたいですね。
Posted by ブクログ
シリーズ第二弾の弔堂への案内役は、本を読むことができなかった若い女性。
家族に隠れて読む本は、どんなにどきどきしたことだろう。
今回も、弔堂を訪れる人は多士済々。田山花袋等作家だけでなく、勝海舟や社会運動家の平塚らいてう、乃木希典など、日清戦争後の時代の変化が写し出される。
なんの事件も起きるわけではないけれど、相変わらずの京極堂節が心地よい。
Posted by ブクログ
作品の中で描かれる歴史上の人物が抱える懊悩が、実話だったのではないかと思う位、人物とその人の歴史を掘り下げて、そして思いを寄せて書いたんだろうと感じる。
そして次作への期待も高まる。
Posted by ブクログ
濃い。
今回もとびきり洗練された言葉の渦に
呑み込まれてしまいそうだった。
ほぼ全編でオマージュされた柳田國男の
頭の中まで覗き込んだような感覚に
思わず眩暈すら覚えた。
今作の狂言回し 塔子の存在も大きい。
実在の偉人たちとのやりとりは格別。
早くも三作目が待ち遠しい。
Posted by ブクログ
面白かった!
前作と違って、今回は女学生の塔子の視点で語られる連作短編集。
これといって大きな事件があるわけではないけれど、いつまでもいつまでも読んでいたくなるような、心地の良い世界観。
続編はもう出ないのかなぁ。
Posted by ブクログ
書楼弔堂 第二弾。
今回は塔子という女性が主体。
だからかこの時代の女性問題に因んだお話が
結構ありました。
もう一人。塔子と同じように主体となる人が出てきます。
いつも読みながら、この人はハテ誰なんだろう?
と考えながらほとんど分かりませんw
でも今回も面白かった。
Posted by ブクログ
前作の破曉より面白く感じられた。語り部が女性という事で感情移入しやすかったからかな?時代設定が設定だけに価値観などがその時代に則したものなので理解に苦しむところはあったけれど今の時代にも十分に通ずるものがあると思える。今の歴史に名を残す色んな方々が登場するが一番気に入ったのは「無常」に登場する方かな。塔子ちゃんのその後も気になるところだがいつかわかる話が来るのだろうか。
Posted by ブクログ
シリーズ2作目
前作同様に明治の有名人がたまたま弔堂に行きついて、主人と京極節の会話をして本を買って帰る
そしてその人のその後が説明されて各編が終わるスタイル
前作は高遠さんという人の視点で語られていたけど、今回は塔子さんという女性視点
(高遠さん同様に実在しない人か?)
薩摩武士だった祖父の男尊女卑に凝り固まった思想に疑問を持つ
全編通してそんな事が語られているけど、その辺のくだりは平塚さんのところが顕著
他にも田山さんだのおっぺけぺーの人とか、鈴木光司のリングで説明されてた透視実験の人とか乃木さんとか
どの人も後でWikipediaで来歴を読むと、「本当にこんなやり取りがあったんじゃないか?」と思ってしまうほど
流石は京極さん、フィクションなのに史実を基にしているからリアルとの境界がわからねぇ
アニメで明治東亰恋伽をながら見してたので、明治の有名人はなんとなく知ってるけど、どこまでリアルな設定に基づいているのかねぇ?
あと、塔子さんと同じく全編登場している松岡さん
名前が最初に出ているので、「もしかしてあの人?」というのが容易に思いつく
そして次第に地方の文化や風習に興味をもつところとかね
こっから後の百鬼夜行シリーズにつながるかと思うと胸熱
破暁は朝、炎昼は昼
となると、夕方や夜のタイトルの続編あるわけですよね?
Posted by ブクログ
2020年7冊目
明治時代の書舗「書楼弔堂」を舞台に、本を読むこや学問を良しとしない祖父に何も言い返せない塔子だったが、乃木希典や勝海舟、平塚らいてうといった偉人たちと交流を通じながら自分と向き合っていく。
江戸時代から明治時代にかけての混乱から立ち直ってきた日本。それでも女性蔑視の風潮が色濃く残っていた時代。幸せの価値観が今とは全く異なった時代。それでも本を読むことで知らなかった世界にアクセスできることの楽しみは、いつの時代も変わっていない気がしました。
本書の弔堂の主人は、自分にとっての一冊があるはずだという。きっと、自分が本を読み続けるのもその一冊に出会いたいからかもしれない。そして、そのための本の旅も決して悪いものではないと思う。
そう言えば、初京極作品かも。
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・京極夏彦「書楼弔堂 炎昼」(講談社文庫)のヒロインは天馬塔子であらう。塔子が導いた人物達がこの弔堂で一冊の本を選ぶ。いや、弔堂主人から薦られる、それが物語となる。ただし、多くの物語にはヒロインの他にヒーローもいる。本書も同様で、それが松岡國男である。この二人、物語に必ずといつて良いほど出てくる。颯爽とと言ひたいところだが、実際にはとてもさうはいかない。二人ともいかにも悩ましげである。塔子は女性としての生き方に悩んでゐる。松岡は新体詩を捨ててどうするかを悩んでゐる。この2つの悩みがそれぞれの物語の登場人物にまとはりつきながら、ライトモチーフのやうに物語を作つていく。19世紀から20世紀に移りゆく時代の物語であつた。登場するのは田山花袋、添田唖蝉坊、福來友吉、平塚らいてう、乃木希典、そして勝海舟も加はる。唖蝉坊は有名な演歌師だからわざわざ書くまでもないか。友吉は千里眼や念写を学問的に極めようとした人ださうで、生まれる時と場所をまちがへなければといふ感じであつたらう。私は初めて知つた。本書はこれらの人々の織り成す物語、「迷える人々を導く書舗の物語」(帯)である。
・そもそも弔堂は書店、本屋である。本屋は江戸時代でも本を店先に並べてゐた。ところがここは違ふ。「それは、迚も迚も大きな建物なのに、不思議に景色に馴染んでいて、ともすると見逃してしまう」(36頁)やうな建物で、塔子自身も「そもそもその建物が何なのか判」(37頁)つてゐないのであつた。それでも心当たりの場所へ松岡、田山の2人を案内して行つた。そこは書舗であつた。新体詩から自然主義文学に進まうとする田山に対して、松岡はまだ迷つてゐた。 「私は既に、詩作に情熱を注ぐ気になれなくなっているのです。」(88頁)主人は、「その進むべき道が見定まってから、またお出でください」(89頁)といふ。さうして塔子と松岡は弔堂の客となつていく。夏の炎昼のことであつた。これが本書第1話の「事件」である。以下、「普遍」「隠秘」「変節」「無常」 「常世」と続く。何か思はせぶりな並べ方ではないか。事件が起き、いろいろあつて、最後は世は無常で常世を目指す。季節は夏に始まり正月に終はる。本当は1年以上経つてゐる。しかし、雰囲気は塔子の祖父の病気から死へと暗くなつていく。松岡もまた最愛の人の死に近づいてゐる。常世とは常世の国の意味であらう。不老不死の仙境か、黄泉の国か。死者の国が、たぶん、近づいた。しかし、春が来れば明るいのである。最後に2人に示された書は……これは書かないでお かう。少なくとも松岡には、新体詩に代る新しい世界が開けることを教へてくれるものであつた。いつ果てるとも知れずに松岡にまとはりついた悩みも巻末に至つて消える(ことになる)、たぶん。これは予想されたラストでもあらう。ならば塔子はと思ふ。結局、塔子は新しき女性として生きることになるのであらうか。それを象徴させるものとして、かの書は選ばれたのであらうか。私にはよく分からないのだが、塔子にも分かつてはゐないのかもしれない。ただ、勝海舟の 「声が聞こえたような気が」(540頁)したといふ。これは、塔子がそれを肯定的に理解したといふことであらう。いづれにしても「それはまた、別の話なのでございます。」と例の調子で終はる。この続編があるのであらう。悩み深き女性の物語であらうか。それを待たう。ちなみに、初めの二話はこの部分、「別のお話」と書かれてゐる。これは特に意味のないことであらうか。「お」の有無は行数には関係ないから、たぶん、気にすることはないと思ふのだが、それでも気にした次第。
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書楼弔堂(破暁)の続編。
明治という日本の歴史の大きな転換期に奔走した賢人たちと古書店を営む元僧侶であった店主との「本」を通じての対話が面白い。前作に続き、その人に合った1冊の本を紹介していく。
自分にとって大切な1冊の本ってなんだろう。これまでに読んだ本はそれなりに感動を与えてくれているけれど、この「書楼弔堂」でいう1冊の本にであっているだろうか。自分にとっての1冊の本が見つかるまで、マイペースで本を読んでいきたい。
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シリーズ2冊目と言うことで、今回もその人に必要な一冊を提供する不思議な本屋の話。
明治時代の文豪、文化人が登場し、ほぼ最後に正体を説明してくれるので誰であったのかワクワクしながら読めたのだが、勉強不足により半分はわからなかった。
後でネットで検索。知らなかった人を調べるのも楽しい。
「事件」では田山花袋がメイン。自分は殆ど古典などは読んでないのだけど、「蒲団」は既読であり、田山花袋の顔も知っていたので紹介されているシーンから興味深く読めた。
「無常」で登場した、乃木希典将軍。
中将になっても決断を間違え、卑怯者であると自分を卑下する。泣き虫で迷ってばかりの人物像に弱さを感じるが当時五十歳近くと自分と同年代であったので立場は違い過ぎるが迷いながら生きているところには共感できた。
最後は自決という道を選んでしまったが、店主の言葉や気持ちが届かなかったのか、何か強い思いがあったのかわからないが、やりきれない気持ちに。
しかしこの方自身にも更に興味が湧き、もっと知りたくなった。
四部作らしいので、次巻にはどんな偉人が登場するのか楽しみ。
Posted by ブクログ
前作に引き続き、読書はいいなとしみじみ響くお話。死者は思い出の中、人の内で出会える。本も同様。読む人、思う人の内に現れる世界ってワクワクする。
Posted by ブクログ
なかなか小難しい理屈をこねる。
面白いと思う部分もあるが、私にはよく分からなかった。
ご主人の話はためになるようでもあるが、果たしてなんのためになるのか。
そもそもなんのために本を読むのかとも思う。
よくわからんが、なんとか読み切った。