内田樹のレビュー一覧
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街場の中国論からアメリカ論を続けて読みました。数年前のアメリカ論ですが、今でも読んで損はない内容でした。
アメリカンドリーム
This is America
アメリカのイメージっていつも強気で夢が叶うようで、自由で・・・そんなイメージのアメリカと、その中に囚われたアメリカ病が凄く納得できました。
「アメリカは初めから夢の国である」という考えがまさに全てだと感じました。アメリカに対する期待はアメリカが出来てからずーーっと、(アメリカ人だってもそうじゃない人も)変わらないんだね。
現状、覇権国家として、先進国として今までのアメリカのイメージが崩れてきた今だからこそ、この本の内容がすっとはいりやすい。 -
Posted by ブクログ
キャリア教育の抱える問題点は、
著者がいろんなとこに書いているけれど、
教育現場は実学を教える場所ではない、
というのは一貫した主張であるし、わたしもそう思う。
キャリア教育や教育ビジネスが間違っているのは、
教育が本来担っている「社会の成員を育成する」
ということをまったく勘定に入れずに、
個人主義や市場原理主義のアポリアに陥っているところである。
そもそも市場原理は、
ある条件のもと個人の利益を最大化するように市場に参加する人々が振る舞えば、
結果的に公共の利益にもなる、
という考えである(たぶん)。
しかし現在は「長期的に見る」という点がすっぽり抜け落ちていて、
短期的な個人の利益追求のみが求められてしまっている。
企業ならそれでいい(ある程度は)。
けれど教育は違うじゃないですか。
学ぶってそういうことじゃないじゃないですか。
なぞと息巻いてみる。 -
Posted by ブクログ
例によって、なるほどと納得する快感を味わった。線を引いた箇所の抜き書きだけ読み返すと、普通のことしか言っていないみたいですが、そこにもっていく展開に説得力があり、エンタメ的サービス精神にもあふれています。以下、ページ数はすべてバジリコ刊の単行本のページ数。
「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないのか。(111ページ)
法規と現実のあいだに齟齬があるときには、「事情のわかった大人」が弾力的に法規を解釈することは決して悪いことではない(中略)
だが、「超法規的措置」とか「弾力的運用」ということがぎりぎり成り立つのは、それが事件化した場合には、「言い出したのは私ですから、私が責任を取ります」と固有名において引き受ける人間がいる限りにおいてである。 (157-9ページ)
誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方法はないと思う。(176ページ)
社会をよくするには「一気」と「ぼちぼち」の二つしか方法がない。
私はあらゆる「一気に社会をよくする」プランの倫理性についても、そのようなプランを軽々に口にする人の知的能力に対しても懐疑的である。(256ページ)
人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。
(中略)
そういうお前は愛国者なのか、と訊かれるかもしれないから、もう一度お答えしておく。
そういう話を人前でするのはやめましょう。
現に、愛国心をテーマに書き始めたら、私もまた「愛国心」のありようを私とは異にする同国人に対する罵倒の言葉をつい書き並べ始めているではないか。
愛国心についてぺらぺら語ることは結果的に同国人を愛する動機を損なう。(259-62ページ) -
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体はなんでも知っている、直感に従おう、頭でばかり考えないで直感を磨こう、というような本。
いいから黙って結婚しなさい、そして黙って子供を産みなさい、子育ての間は細々と仕事して、早く子育てを終えたらまたバリバリ働けばいい、というようなお話を、民話やらなんかで裏づけしながら話す対談集でした。
結婚は誰としたって結局同じだ、とか、批判を浴びそうなこともたくさん書いてあったけど、面白かった。私も割りとそう思う(夫よ、ごめん)。
内田先生は男性なのに、父子家庭で子育ての時期は仕事は細々とつないでいたそうな。こんな男性は珍しいよね。子育てガッツリしてたからこその感性というのもあるのだろうなーと思った。
あとはルーティンな毎日の大切さ、とか。共感できた。
一気に読むと疲れてしまって、割と時間が読むのにかかった。なぜだろう。 -
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出産は得なのだそうだ。
子供を産むと、
母親自身の身体的・知的ポテンシャルは向上するし、
子育ての過程で人間的に成長できるし、
社会的パフォーマンスも上がる。
けれども実際の行政の出産育児を「支援する」という発想は、
「出産は苦痛で育児は苦役」というネガティブな前提でもって語られているため、
まったくインセンティブにはならない。
ふむ、納得できる。
たぶん結婚もそうなのだろう。
結婚は社会的にも人間的にも大きな効用がある。
うーん。
結婚とか恋愛について、
なんか色々考えがめぐるけれど言葉にならないなぁ。
また後で考えるか。
「知性は情緒の豊かさ」という言葉はなかなかクるフレーズですなぁ。 -
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本書は、「国内文壇であれほどまでに憎まれ孤立している村上春樹が、なぜ世界中で読まれ絶賛されているか」について解明しようとするものである。
ただ、この本はその目的のために書き下ろしたのではなく、気がつけば溜まっていた「村上春樹に関する文章」を拾い集めてみたというものなのでまとまりはない。
いうなれば、村上春樹に関する雑文集のようなものだ。
村上春樹に関する疑問のその一は、「なぜ村上春樹が国内批評家や作家から憎まれるのか」である。純文学を気取る批評家たちに特に嫌われるのだ。かの大作家の強い反対で彼に芥川賞が与えられなかったのは、つとに有名な話だ。
この答えは簡単で単純だ。そりゃ嫉妬をおいて他にない。
村上文学は「ローカルに根付かないやら」「血と肉の気配がないやら」...etc もっともらしい理由はいくらでもひねり出せる。しかしやっぱりこれが一番真実に近いのだろう。
「村上をボロクソにこき下ろす前に、どうして自分の作品が世界中で読まれず評価もされないのか」について3分くらいは考察したほうがよい」と内田樹はいうが、この批評家が一秒でもこの考察を行うことは決してないだろう。
ゆえに国内の現代純文学は得てしてつまらない。
第二の謎は、「なぜ世界中で村上春樹は読まれ、評価されているのか」だ。
村上春樹は国内文壇ではコキおろされながらも、しかしもっともノーベル文学賞に近い日本人作家である。
それに対する内田先生の答えは、
「それは、せっせと雪かき仕事をする大切さを知っているから。」
なぜ、雪かき仕事なのかについては、本を読んでのお楽しみ。 -
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大学を取り巻く教育(研究も少し含めて)の問題の本質を示してくれている。
中にはわたしが学んだ大学のマーケティングと相容れない説も多く説かれている。マーケティングはアメリカ起源の概念であるのに対し、内田教授はヨーロッパの大学事情に親しいというところからくるものかもしれない。
「メディアで発言する人たちも、大学を企業と同一視して、マーケットに選択されなければ、大学は粛々と退場しなければならないと簡単に言い切ってしまっている。だが、一般の企業と大学は成立の歴史的経緯も違うし、担っている社会的機能も違う。それを企業と同じルールで律するところに無理がある。」(p.278)
社会的な役割とか、大学ならではの豊富な有形無形の資源をマーケットの論理で失うのはもったいない、やりきれない、ということだと理解した。
ただ、マーケットに全然求められていない大学は、やはり退場やむなしとも思ってします。いくら擁護しても、「本当にひどい」大学も存在するだろうし。 -
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ネタバレだいたいおんなじいつものあの話。
まーでも飽きない。
賢いリスクヘッジをしたと思っている人は、
無意識的にリスクの多い選択をしてしまうという例えに、
中古車の話をしている。
「ぶつけても大丈夫なように中古車を買ったら必ずぶつける、
だってそうしないと中古車を買った意味がないんだもの。」
これ至言。
また、
人間が「個人」になるプロセスの話が面白い。
これはラカンの鏡像段階とか、
先ごろ読んだ「ミラーニューロン」にも近いものがあって、
産まれた時、
人は世界全体と溶け合っていて、
自分とそれ以外という分節をしていない状態にある。
だから、
「個人」としての「自分」がまずあるのではなく、
「全体」としての「自分」が先立ってあるのである。
それを家族という共同体に置き換えると、
「私」という個人がまずあるのではなく、
「○○家の次男(例えばです)」という役割がまずあって、
そこから徐々に「自己」を立ち上げていくというプロセスを経ているのである。
釈迦牟尼の「縁起」と「空」という考えも、
こういった自己生成過程に沿った考えのような気がするなぁ。
また、
核家族の閉塞性という話も興味深かった。
「父」「母」「子」の三項だと、
関係性や価値観が膠着してしてよくないから、
「おじさん」乃至は「おばさん」(子と対になる性)を入れて、
四項にしておくと開放性が保たれて上手くいくらしい。
これは、あきらかにレヴィ・ストロースだった。
わたしもよいおじさんとしての地位をなんとか気付きたいものです。
それにしても内田先生は相変わらずおしゃべりな「男おばさん」である(褒めてます)。 -
Posted by ブクログ
(以下引用)
●男が女を「守る」には、2つの仕方がある。「女の成長を妨げる」守り方と「女の成長を待ち望む」守り方である。(中略)「女の成長を待ち望む」男は、彼女の自立を、つまり彼女がもう「支えなし」に生きていけるようになる日を、その男自身が不要になる日を逆説的に待ち望んでいる。この逆説的期待に有り金を張れるような男はレアである(P15-16)
●男が「君が何を望んでいるか、私はわかったよ」ということを女は決して許さない。(中略)彼女が愛する男性が「彼女が何を欲望しているのか」分からずに悩む姿を見ること、それは女性にとって尽きせぬ快楽の源泉である。(P70)
●恋愛の本質は「失敗することにある」。(P97)
●日本刀の斬りの場合、「右手は遠くへ刀を投げ、左手は引き寄せる」という相反する力を同時に使うことによって、非常に斬りに冴えが出る。(中略)相反する2つの力が1つのシステムの中で同時に作用するとき、そのシステムそのものがものすごいエネルギーを放出する。(中楽)複数のファクターを同時に容認しておいて、そこでバランスをとるのがいい。(P222) -
Posted by ブクログ
読み始めてから、この本は読んだことがあったということに気がつく。そんなに多くはないけれども、これまでもない訳ではないという類のことだし、前に読んだこと自体を忘れてしまっているわけなので、内容についても覚えていることは少なく、初めて読むのと別に変わらない。
最初の方に出てくる「言葉の力」というコラムは面白かった。題材は「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」という朝日新聞のコマーシャルコピーだ。日本のテレビを見る機会がほとんどないので、今でもやっているのかどうか知らないけれども、僕が日本にいた時には、テレビコマーシャルでもこのコピーが流れていたと思う。
僕自身は、このコピーに対して、何となく、変な感じ・違和感を持っていたのだけれども、何故、違和感を持つのか分からないでいた。
その違和感の正体を、内田樹が、小田嶋隆のブログからの引用を紹介しながら、あるいは、内田樹自体の言葉で説明してくれている。
小田嶋隆は、このコピーは「微妙に恥ずかしい」と評した上で、その理由を下記のように考えていることを紹介している。
■朝日新聞自体が、言葉の力を信じていないのではないか。「力」を「チカラ」等としているのは、その表れ。
■「感情的で、残酷で、ときに無力」なものを、簡単に信じちゃって良いの?
■言葉を信じることよりも、言葉のうさんくささを自覚して、常に自らを戒めることがジャーナリストの心構えの第一条じゃないの?言葉の「チカラ」を安易に信じるジャーナリストは包丁の切れ味に疑いを持たない板前と同じで、ダメな職人。要するに素人。
更に内田樹は、"「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める"という自説(というか、ラカンの教え)を引いて、朝日新聞のコピーに違和感をとなえている。
朝日新聞のコピーは、「言葉は道具である」という大前提に基づいて出来ているが、本当にそんなこと言っちゃって良いの?ということだ。言語以前にすでに感情があり、他社への害意があり、「言葉」はそれを現実に示すための「道具」に過ぎない。そして、言語の価値は、それが「無力」であるか「有力」であるかの、現実変成の結果によって計量される、ということを朝日新聞は言いたいのですね、それは本当でしょうか?というような異議申立だ。
「私は私が書いている言葉の主人ではない。むしろ言葉が私の主人なの」であり、「言葉の力」とはそれを思い知る経験のことのはずなのに。
たぶん、僕自身の違和感は、朝日新聞のコピーは、「自分達の言葉で世の中を変成し得るし、それをするのがジャーナリストだ」と言っているように感じて、それに対する違和感だったと思う。
だから、小田嶋隆や内田樹の違和感とは中身が微妙に違うのだと思うけれども、でも、小田嶋隆や内田樹が言っていることを、無意識に感じていたのかもしれない。
そういうところが「面白い」と感じた次第。