平岡敦のレビュー一覧
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今年はピエール・ルメートルの作品が二作立て続けに読めた年。しかも先に読んだ『僕が死んだあの森』の後は、ルメートルはミステリーをやめたという話もあるくらいだから、今後は本書のようにハヤカワ・ミステリで出版されてはいるものの、冒険小説に近い普通小説の枠で書いてゆくのだろうか?
本書は第一次と第二次世界大戦の間のフランスの大作三部作の最終編であって、確かにこれまでのルメートルお家芸の謎解きミステリーやスリラーとは縁遠いものがある。それにしても三部作といいながら時代と家系を組み立て繋ぎ語りつつ、一作一作が独立して読んでも楽しめるエンタメ性に満ちており、ルメートルならではの面白さには太鼓判といった味わいはいささかも減じていない。
本書は三部作の中でも、図抜けた面白さを持っているように思う。キャラクターたちの運命、すれ違い、出会い、絡み、いずれもナチに今にも占領されようとしているフランス国民の逃走を背景としたスケールの大きい群像小説として楽しめる、いわば現代の『戦争と平和』なのである。
かつて第二次世界大戦をモチーフにした映画には事欠かなかった世代であるぼくら昭和戦後生まれ世代にとっては、懐かしくわかりやすい一時代のヨーロッパが久々に活写されており、まるでエンタメの故郷に還ってきたようなわくわく感があると同時に、ルメートルならではの酷薄な真実と遠慮のない暴力の世界が痛いほどに味わえる力作なのである。
前作のヒロインでもあった亡きジャンヌ・ベルモンの娘ルイーズが巻き込まれるパリの事件に始まり、一方ではガブリエルとラウールという『兵隊やくざ』を思わせる前線コンビの噛み合わないロードノヴェルが展開。さらにはどこでこの大きなストーリーの流れに組み込まれてゆくのか想像すらつかない稀代のペテン師デジレによるド派手な詐欺のあれこれが語られつつ、戦争の危機感が増幅してくる総体的スリルを読者は味わうことになる。
後半ではさらに機動憲兵隊フェルナンとその妻が加わり、前半の各キャラの世界に合流して新たな展開を見せてくれる。これら主要キャラクターたちの離合集散やその運命の翻弄そのものが、ひときわ語りに優れたルメートルというストーリーテラーによって構築されてゆく。大作であり力作であり、一見、別々の物語にしか見えなかったものが、集結して大きなうねりをもたらしてゆくダイナミズムは本書最大の読ませどころであろう。
できれば三部作を順番に読んで頂きたいが、それぞれ独立して読んでも、何ら問題はない。ルメートルという作家の新たな地平を今後も期待したくなるエネルギッシュな本編に、是非とも翻弄され、身を委ねてて頂きたい。 -
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今年はピエール・ルメートルの作品が二作立て続けに読めた年。しかも先に読んだ『僕が死んだあの森』の後は、ルメートルはミステリーをやめたという話もあるくらいだから、今後は本書のようにハヤカワ・ミステリで出版されてはいるものの、冒険小説に近い普通小説の枠で書いてゆくのだろうか?
本書は第一次と第二次世界大戦の間のフランスの大作三部作の最終編であって、確かにこれまでのルメートルお家芸の謎解きミステリーやスリラーとは縁遠いものがある。それにしても三部作といいながら時代と家系を組み立て繋ぎ語りつつ、一作一作が独立して読んでも楽しめるエンタメ性に満ちており、ルメートルならではの面白さには太鼓判といった味わいはいささかも減じていない。
本書は三部作の中でも、図抜けた面白さを持っているように思う。キャラクターたちの運命、すれ違い、出会い、絡み、いずれもナチに今にも占領されようとしているフランス国民の逃走を背景としたスケールの大きい群像小説として楽しめる、いわば現代の『戦争と平和』なのである。
かつて第二次世界大戦をモチーフにした映画には事欠かなかった世代であるぼくら昭和戦後生まれ世代にとっては、懐かしくわかりやすい一時代のヨーロッパが久々に活写されており、まるでエンタメの故郷に還ってきたようなわくわく感があると同時に、ルメートルならではの酷薄な真実と遠慮のない暴力の世界が痛いほどに味わえる力作なのである。
前作のヒロインでもあった亡きジャンヌ・ベルモンの娘ルイーズが巻き込まれるパリの事件に始まり、一方ではガブリエルとラウールという『兵隊やくざ』を思わせる前線コンビの噛み合わないロードノヴェルが展開。さらにはどこでこの大きなストーリーの流れに組み込まれてゆくのか想像すらつかない稀代のペテン師デジレによるド派手な詐欺のあれこれが語られつつ、戦争の危機感が増幅してくる総体的スリルを読者は味わうことになる。
後半ではさらに機動憲兵隊フェルナンとその妻が加わり、前半の各キャラの世界に合流して新たな展開を見せてくれる。これら主要キャラクターたちの離合集散やその運命の翻弄そのものが、ひときわ語りに優れたルメートルというストーリーテラーによって構築されてゆく。大作であり力作であり、一見、別々の物語にしか見えなかったものが、集結して大きなうねりをもたらしてゆくダイナミズムは本書最大の読ませどころであろう。
できれば三部作を順番に読んで頂きたいが、それぞれ独立して読んでも、何ら問題はない。ルメートルという作家の新たな地平を今後も期待したくなるエネルギッシュな本編に、是非とも翻弄され、身を委ねてて頂きたい。 -
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「フランス組曲」は構想として4部、または5部に渡る大長編になる予定だった。しかし書かれたのは第2部までである。著者がアウシュヴィッツで殺されてしまったためだ。
第一部「六月の嵐」はフランスに進攻してきたドイツ軍のあまりの進撃の早さに、パリの人々が逃げ惑う話だ。
前線の情報が入るのが遅く、遠く砲声は聞こえてくるがパリに住む人々はフランス軍がそんなにあっけなくやられるわけがないと信じていた。一刻も早く逃げなくてはいけない事態になっても、大丈夫かもしれない、とどこか信じている。正常性バイアスの典型例だ。
しかしフランス軍の敗走が明らかになり、事態がいよいよ深刻になってくるにつれて、みな慌てふためく。
労働者階級の人たちが取るものも取らず体一つで逃げている一方、ブルジョワに属する人たちは、どこか浮世離れしていて、災害から避難するくらいの気構えでいる。命の危険があるとは感じていない、そのうちに当然のごとくまたパリに戻ってこれると信じている。
第一部には資産家やその使用人、人気小説家とその愛人、ダンサー、美術愛好家など様々な人物が登場し、それぞれが今までたどった人生を丁寧に浮き彫りにしながら、これから始まる逃亡劇を逐一描写している。場面の切り替えが上手く、切羽詰まった表現に臨場感ある。この第一部を読むだけでも著者の力量が並大抵ではないことが実感できる。
おそらくここに登場した人物たちが第3部、第4部にも登場し、物語の重要な役として活躍するはずだったのだろう。一人一人に特徴がある。いろんな伏線が張られていたはずだ。
第二部「ドルチェ」は占領されたあとのフランスの田舎町が舞台だ。
ドイツ兵が進駐してきて、町の比較的立派な建物を接収し、駐屯しはじめたところから始まる。接収と言っても所有者もそのまま住むことを許されていることで、どちらかというとドイツ兵が間借りしている、居候のような感じだ。
ドイツ兵はみな若く、礼儀正しく、都会育ちのようで教養もある。ドイツ式の習慣を押し付けることもない。笑顔で挨拶を交わし、住民(占領民)との交流を積極的に交わす。皿を借りる時も必ず初めに断りを入れる。庭の苺を取る時も住民に許可をとってから取る。いつでも、どこまでも下手なのだ。子供たちをいち早く手なずけ、一緒に遊んでいる。
現代の私たちの目から見るととても奇妙で、ナチスドイツというイメージからかけはなれている。フランスに対してはそういう占領政策だったのだろうか。
町にいる若い女性たちも、都会の雰囲気をまとわせ洗練されたドイツ兵たちに心奪われていく、敵であるはずなのに恋愛感情を抱く。ドイツ兵はドイツ兵で、フランス女性に対して悪い感情は持っておらず、大人の女性として扱う。
しかし、夫が、そして兄弟がドイツの捕虜になっている女性もいるのに、その敵兵との恋に落ちるなんてことは、やはり禁断なのだ。
第二部を読み終えて思い出した写真がある。
戦時中にドイツ人との間に子どもを成した女性が、パリ解放後に裏切り者として頭を丸刈りにされて晒し者として街中を連れ回されているロバート・キャパの作品だ。
初めてみたときは、気の毒だが仕方ない、という気持ちをもった。友人や近隣の人の苦労をよそに、生きるためとはいえ、自分だけ良い待遇だったらいい、という身勝手な人なんだから、と。
彼女を吊しあげる群衆の残酷さが怖かったが、もし、その場に自分がいたとしても、止めはしなかっただろう。
でもこの「ドルチェ」を読み終えたとき、自分の浅はかさを知った。同時代を生きた作家の見た戦争はこうだったんだ、と初めて知った。
ナチスドイツの戦争犯罪を現在の私たちは知っているから、きっと占領下のフランスでは、人々は圧政のなかで汲々と息をひそめるように生きていた、と考えがちだけれど、この当時、少なくとも田舎では、そんなこともなかったということだろう。
目を転じて、太平洋戦争前夜の日本も、とかく暗黒時代のように語られがちだ。
しかし、大国アメリカに対して真珠湾攻撃で先制の大打撃を与えた年の瀬などは、日本全国あちらこちらで空前のお祭り騒ぎだったはずだ。暗い影なんて街中のどこにもさしてなかったことと思う。私たちが暗いイメージを投影してしまうのは、敗戦し、焼け野原となった悲惨な歴史を結果として知っているからだ。
歴史から教訓を得ることは大事だが、現代から遡って歴史を、とくにその当時の人々を断罪することは、ときに過ちとなる。
ドイツ人だからとか、フランス人のくせに、ということで人を固定化することは簡単だし、楽だ。その前に、その人はどういう価値観を持った人なのか、どういう生き方をしてきたのか、を知るべきじゃないのか。そんなことを「ドルチェ」は問うている気がする。
第3部以降の展開は著者の覚書等の資料から推測するしかないが、戦況にリンクさせるようにして、著者は展開を変えるつもりでいたようだ。連合軍の反転攻勢により、ナチスの戦争犯罪の数々が明らかになり、著者が生きてその事実を知ったとしたら、もしかしたら第2部は書き換えていたかもしれない、と個人的には感じる。それくらい第2部はドイツ軍兵士に対して、ある意味、彼らも戦争の犠牲者だといういう目線で描かれている。
物語はここで絶筆となっているが、この本の後半には数々の資料が載せられている。
著者イレーヌ・ネミロフスキーは1903年、ウクライナのキエフで銀行業を営む裕福なユダヤ人の家庭に生まれた。しかしロシア革命によりフランスに亡命を余儀なくされる。第二次世界大戦がはじまった時には、夫と娘2人でブルゴーニュ地方の田舎町に避難していたが、ナチス占領下となった後の1942年に、フランス人憲兵により自宅から突然連行された。
イレーヌの夫は連れ去られた妻の消息をつかむため、つてを頼りに手紙などで方々に懇願を続ける。それほど健康でもなかった妻の体調が何より心配で、きっと収容所のような劣悪な環境では体調を崩してしまうと訴えている。駐仏ドイツ大使にまで手紙で懇願し、妻はけしてドイツに対して反抗的な小説は書いていません、連行されたのは何かの手違いではないですか、と綴っている。連行された理由がユダヤ人だからだということではなく、反体制的だと勘違いされたからだと思っていたようだ。
当時どこまでナチスの残虐行為が知られていたのかわからない。もしかしたら各地に収容所を造っていたことは知られていたのかもしれないが、まさかユダヤ人を根絶やしにする目的のものだとは、誰も、思いもしていなかったはずだ。
これらの手紙からは最愛の妻を取り戻そうとする夫の必死さが切ないほど伝わってくる。しかし努力は全く実を結ぶことはない。
結末を知っている読者からみれば、書簡の中には希望のかけらも見いだせない。絶望しかない。残酷な仕打ちを無理やり見せられているようだった。全てが無駄なのだから。
資料編として収録されているこれらの手紙の数々も、本編に劣らない価値があると思う。
イレーヌの夫も後にアウシュヴィッツで亡くなってしまったため、トランクは夫妻の長女が引き継いだ。迫害から逃れているときもけして肌身離さず守り抜いたため、奇跡的に著者の死後60年以上経ってから『フランス組曲』は発表された。
「二十世紀が遺した最大の奇跡」という帯に書かれた表現に誇張はない。
叶うならば、完結した奇跡の物語を読みたかった。 -
Posted by ブクログ
1942年アウシュビッツで亡くなったロシア系ユダヤ人作家が遺した作品。
生き残った娘に託されたトランクの中に入っていたもので、創作ノートも残っており、本になっている2つの章(?)で終わらず、もっと続く予定だったようだ。
最初の「六月の嵐」はドイツ軍が侵攻してくるというニュースを聞いてパリ市民が郊外へ逃げていく「大脱走(エクソダス)」の様が描かれる。複数の家族、夫婦、恋人たちが登場する。なんというか因果応報なところもあって、にやりとさせられる。
次の「ドルチェ」はドイツ軍が宿泊する田舎町の複数の家の様子が描かれる。
巻末には著者の創作ノートと書簡を所収。 -
Posted by ブクログ
思い出補正が入っていない、といえば嘘になる。それでも面白いものは面白い!
小学生の時、『奇岩城』を含むポプラ社版ルパン全集を、何度も繰り返し読んでいました。そして十数年ぶりのこの『奇岩城』
消えた強盗犯、謎の暗号、天下の大怪盗対高校生探偵の追走劇、歴史に隠された秘密の城とお宝たちと、ワクワクする要素は盛りだくさん。昔繰り返し読んでいたため、話の筋はほとんど覚えてはいたものの、それでもテンポの良さでどんどん読まされます。
ルパンと高校生探偵のイジドールの関係性も良かったなあ。怪盗と探偵という敵同士でありながらも、ルパンはイジドールの実力を認め、時によっては対等の友人、あるいはライバルに語りかけるように、また時には人質を取ってイジドールを事件から遠ざけようとしたり、親や師匠のようにイジドールを褒め称えたり。
まさにルパンらしい掴みようの無さなのですが、根底にあるのは実力があり、なおかつ爽やかな少年へのルパンなりの好意であり、そして敬意でもあるような気がします。
そしてルパンに対するイジドールのキャラも良かったなあ。マンガの影響か、高校生の名探偵ってだいたいひねてたり、生意気だったりというイメージが強いのですが(笑)このイジドールに関しては、ちゃんと警察官にも礼儀正しく謙虚だし、父親思いだし、純粋にルパンとの戦いを楽しんでる感じがみずみずしく、好感が持てます。
それに、ちゃんと授業も受けに帰ろうとするのも、真面目な高校生らしい。他の高校生探偵なんて、だいたい授業ほったらかすし……
フランスの壮大な歴史を辿りつつ、徐々にルパンの隠れ家に迫っていくイジドール。迎えるルパンとの対峙、そして二人が最後に見る光景は……
ルパンは「ジュテーム」のエンタメだと個人的に思っています。ポプラ社版を読んでいたときは、ルパンの恋愛やロマンスに関わる部分はカット・改変も多く、女性や弱者に優しいルパンというイメージでした。なのでたまにこうした完訳版ルパンを読むと、ルパンは愛に正直な怪盗なんだな、と思います。(たまに正直すぎて、笑ってしまうようなものもありますが)
結末もなんとなく覚えていたものの、ルパンの決意の重さも、ラストの余韻も当時は半分も理解してはいなかったでしょう。フランスの歴史の中の謎解きという壮大な趣向があったことに気づき、それなりに人の心や物語の酸いも甘いも知るようになり、そして、子どもの頃からルパンに親しんでいたこと。それらが合わさってこの『奇岩城』の物語の意味は、今回読んで自分の中で大きく変わったように思います。
当時はルパン一冊読むのに1週間以上はかかっていた気がしますが、今では二日で読めるようになっていました。それでも童心に帰るように、ルパンを読めたことは変わりません。これからもルパンは、自分の読書人生の礎として、あり続けるのだろうと、改めて思いました。
余談ですが、作中に出てくるシャーロック・ホームズは、コナン・ドイルとは何の関係もない、ということだけ一応言及しておきます。ルパンシリーズにおけるホームズの扱いは「ルブランも若かったんだなあ」と自分は理解しています(笑) -
Posted by ブクログ
オーウェン・バーンズシリーズ。前作「あやかしの裏通り」がとんでもない超常現象をすっきりと解き明かしてしまう物語だったので、今度もその傾向かと思ったら。今回はすべてが解明されるわけではないのだけれどそれがまたいいかも。好き嫌いは分かれるかもしれませんが。
子供の頃の記憶に深く残る映画を探す男。雪の中で起こった足跡のない殺人現場。時代も舞台もかけ離れた二つの物語が、徐々に符合していく不思議な読み心地の作品です。もちろんトリックを解き明かすミステリとしての部分が大きいですが、科学だけでは解明できない奇妙な部分も読み応えたっぷり。あれとこれとがあんなふうに繋がってくるとは……!
一見甘く輝かしい運命の物語に見えた部分が、実はとんでもない因縁の物語だったあたりも個人的には好み(笑)。終盤の展開にはもう絶句するしかなく。うわー、この因縁はここで終わりを迎えるのでしょうか。 -
Posted by ブクログ
幽霊屋敷、降霊会、怪しげな影、密室殺人。素敵にいかがわしいオカルト要素が満載のミステリ。こういうの、大好きだわ本当に。次々に不審な事件が起こり、これだけ風呂敷広げといてきちんと解決できるんだろうか、とちらりと思ったりもしましたが。杞憂です。
サスペンスフルな展開が魅力です。ぐいぐい引っ張られ続け、そして一段落つくところの展開が! えー、「手が冷たい」ってそういう意味か!!! あれは鳥肌ものでした。ミステリ的にもあそこで一気に混迷に陥ってしまいましたし(苦笑)。
探偵役のツイスト博士がなかなか出てこない、って思ってましたが。なるほどそういう物語だったのね。そして最後の最後でまさしくガツンとやられた心境。 -
Posted by ブクログ
カミーユ・ヴェルーヴェン警部のシリーズ)で一気に燃え上がった感のある作者ピエール・ルメートル。あちらは文春文庫。第一次大戦に纏わる物語を描いた『天国でまた会おう』は早川書房でハードカバーと文庫版の同時刊行。この作者特有の、とても奇妙な主人公の人生を描き、ゴンクール賞(フランスの芥川賞)・英国推理作家協会賞を受賞し、国内でも話題を読んだ(ルメートルはどの作品でも話題を呼んでしまうのだが)。本書は『天国でまた会おう』の続編ではあるが、一部登場人物が重なることと、時制が前作を引き継いでいることの二点だけであり、前作が未読であっても全く独立した小説として十分に楽しめる。単独でも、相応の推進力を蓄えた大変な力作である。
本書はヴェルーヴェン警部シリーズを思わせるクライム小説ではない。あくまで前作同様、歴史的事実を脚色して描いた1927年パリに始まる一族の壮大な物語であり、ドイツに台頭するナチズムの風に曝される時代でもある。壮大な一族の物語というだけで、退屈という不安に身を引きたくなるかもしれないが、全く心配には及ばない。作者のストーリーテリングの力が、最初のページから読者を物語の渦中にぐいぐいと引っぱり込んでくれるからだ。
スタートから騒動は始まる。一大企業帝国を築いた企業主の盛大な葬儀のなか、7歳の孫ポールが三階の窓から転落するという事故が大衆の面前で発生。落ちたポールは幌に跳ね返って、馬車に積まれた棺桶に頭部をぶつけて生死を彷徨う。この物語の主人公は、ポールの母マドレーヌ。眠り続ける状態から徐々に少しずつ機能を回復してゆく息子への介護。しかし彼は、いつしかオペラへの天才的理解力を見せ、世界や時代への感受性をも研ぎすましてゆく。オペラ歌手ソランジュ・ガリアートとの間に始まった二人の奇妙な親交は、ナチス・ドイツからの彼女への講演要請を巡って決裂してゆく。ポールの登場シーンは、ことごとく小説全体を照射する神の声のように、作品世界に超然たる異質な曲面を滑り込ませる。
さて物語の主人公は、最初から明確なのではなく、俯瞰的に進む。多くの人物のそれぞれが回してゆく物語の中で、ある人物による壮大な仕掛けが進み、唐突に巨大で恐ろしい罠が瞬時にして閉じられる。祖父の築いた一大帝国の事業の中で準備されてきた罠の壮大さに呆れ返る。しかし、これらは実際にあった歴史上のできごとをモデルにしている。金融と報道。見えざる力を使った巨大スケールの逆転劇が、実に周到に語られてきた前半部からの折り返し点なのである。
そしてマドレーヌの巻き返しは、そこからスタートする。全体を見ると、敗退と逆襲。二部構成と言ってよい物語で、その折り目ははっきりしており、ここを通過する頃には、読者の大半は本作の魅力にすっかり身を任せ、魔法のような展開に目くるめく状態となっているはずである。経済やマスコミや政治を材に取り、のっぴきならぬ闘いに巻き込まれてゆくマドレーヌ。その背景に迫るファシズムの嵐。動乱の時代に震えるポールの愛すべき感受性。二つの大戦に挟まれたこの時代、有象無象の人間たちの悲喜劇を見事なまでに描き、全体が大仕掛けのコンゲーム小説としても楽しめる本作。
ルメートルという作家が並でないのは、最初の話題作『この女アレックス』で十分おわかりのこととは思うが、ここまでスケールの大きな物語作家であるとは予想もしていなかったのではないだろうか。ルメートルは奇術師的な小手先のトリッキー作家などではなく、小説の王道をゆく正真正銘の天才的語り部なのである。
スケール感のあるこのシリーズは、三部構成だそうである。二部を終えた時点で、次作への期待感がさらに膨らんでゆくのを感じる。
本シリーズ第一作の『天国でまた会おう』は、その映画化作品がセザール賞(フランスのアカデミー賞)5部門受賞、本年3月1日より、3/15現在公開中である。 -
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カミーユ・ヴェルーヴェン警部のシリーズ)で一気に燃え上がった感のある作者ピエール・ルメートル。あちらは文春文庫。第一次大戦に纏わる物語を描いた『天国でまた会おう』は早川書房でハードカバーと文庫版の同時刊行。この作者特有の、とても奇妙な主人公の人生を描き、ゴンクール賞(フランスの芥川賞)・英国推理作家協会賞を受賞し、国内でも話題を読んだ(ルメートルはどの作品でも話題を呼んでしまうのだが)。本書は『天国でまた会おう』の続編ではあるが、一部登場人物が重なることと、時制が前作を引き継いでいることの二点だけであり、前作が未読であっても全く独立した小説として十分に楽しめる。単独でも、相応の推進力を蓄えた大変な力作である。
本書はヴェルーヴェン警部シリーズを思わせるクライム小説ではない。あくまで前作同様、歴史的事実を脚色して描いた1927年パリに始まる一族の壮大な物語であり、ドイツに台頭するナチズムの風に曝される時代でもある。壮大な一族の物語というだけで、退屈という不安に身を引きたくなるかもしれないが、全く心配には及ばない。作者のストーリーテリングの力が、最初のページから読者を物語の渦中にぐいぐいと引っぱり込んでくれるからだ。
スタートから騒動は始まる。一大企業帝国を築いた企業主の盛大な葬儀のなか、7歳の孫ポールが三階の窓から転落するという事故が大衆の面前で発生。落ちたポールは幌に跳ね返って、馬車に積まれた棺桶に頭部をぶつけて生死を彷徨う。この物語の主人公は、ポールの母マドレーヌ。眠り続ける状態から徐々に少しずつ機能を回復してゆく息子への介護。しかし彼は、いつしかオペラへの天才的理解力を見せ、世界や時代への感受性をも研ぎすましてゆく。オペラ歌手ソランジュ・ガリアートとの間に始まった二人の奇妙な親交は、ナチス・ドイツからの彼女への講演要請を巡って決裂してゆく。ポールの登場シーンは、ことごとく小説全体を照射する神の声のように、作品世界に超然たる異質な曲面を滑り込ませる。
さて物語の主人公は、最初から明確なのではなく、俯瞰的に進む。多くの人物のそれぞれが回してゆく物語の中で、ある人物による壮大な仕掛けが進み、唐突に巨大で恐ろしい罠が瞬時にして閉じられる。祖父の築いた一大帝国の事業の中で準備されてきた罠の壮大さに呆れ返る。しかし、これらは実際にあった歴史上のできごとをモデルにしている。金融と報道。見えざる力を使った巨大スケールの逆転劇が、実に周到に語られてきた前半部からの折り返し点なのである。
そしてマドレーヌの巻き返しは、そこからスタートする。全体を見ると、敗退と逆襲。二部構成と言ってよい物語で、その折り目ははっきりしており、ここを通過する頃には、読者の大半は本作の魅力にすっかり身を任せ、魔法のような展開に目くるめく状態となっているはずである。経済やマスコミや政治を材に取り、のっぴきならぬ闘いに巻き込まれてゆくマドレーヌ。その背景に迫るファシズムの嵐。動乱の時代に震えるポールの愛すべき感受性。二つの大戦に挟まれたこの時代、有象無象の人間たちの悲喜劇を見事なまでに描き、全体が大仕掛けのコンゲーム小説としても楽しめる本作。
ルメートルという作家が並でないのは、最初の話題作『この女アレックス』で十分おわかりのこととは思うが、ここまでスケールの大きな物語作家であるとは予想もしていなかったのではないだろうか。ルメートルは奇術師的な小手先のトリッキー作家などではなく、小説の王道をゆく正真正銘の天才的語り部なのである。
スケール感のあるこのシリーズは、三部構成だそうである。二部を終えた時点で、次作への期待感がさらに膨らんでゆくのを感じる。
本シリーズ第一作の『天国でまた会おう』は、その映画化作品がセザール賞(フランスのアカデミー賞)5部門受賞、本年3月1日より、3/15現在公開中である。