【感想・ネタバレ】フランス組曲のレビュー

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Posted by ブクログ

読むのにかなりの月を費やしたが、読めて良かった。
繊細な魂同士の対話、残酷さの中に果実や植物の名前がふんだんに散りばめられていて、それらが乾燥した空気の中に瑞々しさを加える。
資料はアンネ・フランクのような、戦争に絶望と憤りを綴ったりと本当に貴重なものばかり!
敵対国とはいえ、兵士は一人の人間である
しかし、占領された側としてはやはり複雑さと憤り、時に優しさを含んだ対話に隙間から陽光が差すように優しさをも感じる。
魂と魂、男と女…戦時下の魂と精神は辛く優しい。

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2021年11月13日

Posted by ブクログ

「フランス組曲」は構想として4部、または5部に渡る大長編になる予定だった。しかし書かれたのは第2部までである。著者がアウシュヴィッツで殺されてしまったためだ。

 第一部「六月の嵐」はフランスに進攻してきたドイツ軍のあまりの進撃の早さに、パリの人々が逃げ惑う話だ。
 
 前線の情報が入るのが遅く、遠く砲声は聞こえてくるがパリに住む人々はフランス軍がそんなにあっけなくやられるわけがないと信じていた。一刻も早く逃げなくてはいけない事態になっても、大丈夫かもしれない、とどこか信じている。正常性バイアスの典型例だ。
 しかしフランス軍の敗走が明らかになり、事態がいよいよ深刻になってくるにつれて、みな慌てふためく。
 労働者階級の人たちが取るものも取らず体一つで逃げている一方、ブルジョワに属する人たちは、どこか浮世離れしていて、災害から避難するくらいの気構えでいる。命の危険があるとは感じていない、そのうちに当然のごとくまたパリに戻ってこれると信じている。
 
 第一部には資産家やその使用人、人気小説家とその愛人、ダンサー、美術愛好家など様々な人物が登場し、それぞれが今までたどった人生を丁寧に浮き彫りにしながら、これから始まる逃亡劇を逐一描写している。場面の切り替えが上手く、切羽詰まった表現に臨場感ある。この第一部を読むだけでも著者の力量が並大抵ではないことが実感できる。
 おそらくここに登場した人物たちが第3部、第4部にも登場し、物語の重要な役として活躍するはずだったのだろう。一人一人に特徴がある。いろんな伏線が張られていたはずだ。

 第二部「ドルチェ」は占領されたあとのフランスの田舎町が舞台だ。

 ドイツ兵が進駐してきて、町の比較的立派な建物を接収し、駐屯しはじめたところから始まる。接収と言っても所有者もそのまま住むことを許されていることで、どちらかというとドイツ兵が間借りしている、居候のような感じだ。
 ドイツ兵はみな若く、礼儀正しく、都会育ちのようで教養もある。ドイツ式の習慣を押し付けることもない。笑顔で挨拶を交わし、住民(占領民)との交流を積極的に交わす。皿を借りる時も必ず初めに断りを入れる。庭の苺を取る時も住民に許可をとってから取る。いつでも、どこまでも下手なのだ。子供たちをいち早く手なずけ、一緒に遊んでいる。
 現代の私たちの目から見るととても奇妙で、ナチスドイツというイメージからかけはなれている。フランスに対してはそういう占領政策だったのだろうか。
 町にいる若い女性たちも、都会の雰囲気をまとわせ洗練されたドイツ兵たちに心奪われていく、敵であるはずなのに恋愛感情を抱く。ドイツ兵はドイツ兵で、フランス女性に対して悪い感情は持っておらず、大人の女性として扱う。
 しかし、夫が、そして兄弟がドイツの捕虜になっている女性もいるのに、その敵兵との恋に落ちるなんてことは、やはり禁断なのだ。
 
 第二部を読み終えて思い出した写真がある。
 戦時中にドイツ人との間に子どもを成した女性が、パリ解放後に裏切り者として頭を丸刈りにされて晒し者として街中を連れ回されているロバート・キャパの作品だ。 
 初めてみたときは、気の毒だが仕方ない、という気持ちをもった。友人や近隣の人の苦労をよそに、生きるためとはいえ、自分だけ良い待遇だったらいい、という身勝手な人なんだから、と。 
 彼女を吊しあげる群衆の残酷さが怖かったが、もし、その場に自分がいたとしても、止めはしなかっただろう。

 でもこの「ドルチェ」を読み終えたとき、自分の浅はかさを知った。同時代を生きた作家の見た戦争はこうだったんだ、と初めて知った。

 ナチスドイツの戦争犯罪を現在の私たちは知っているから、きっと占領下のフランスでは、人々は圧政のなかで汲々と息をひそめるように生きていた、と考えがちだけれど、この当時、少なくとも田舎では、そんなこともなかったということだろう。

 目を転じて、太平洋戦争前夜の日本も、とかく暗黒時代のように語られがちだ。
 しかし、大国アメリカに対して真珠湾攻撃で先制の大打撃を与えた年の瀬などは、日本全国あちらこちらで空前のお祭り騒ぎだったはずだ。暗い影なんて街中のどこにもさしてなかったことと思う。私たちが暗いイメージを投影してしまうのは、敗戦し、焼け野原となった悲惨な歴史を結果として知っているからだ。
 
 歴史から教訓を得ることは大事だが、現代から遡って歴史を、とくにその当時の人々を断罪することは、ときに過ちとなる。
 ドイツ人だからとか、フランス人のくせに、ということで人を固定化することは簡単だし、楽だ。その前に、その人はどういう価値観を持った人なのか、どういう生き方をしてきたのか、を知るべきじゃないのか。そんなことを「ドルチェ」は問うている気がする。 

 第3部以降の展開は著者の覚書等の資料から推測するしかないが、戦況にリンクさせるようにして、著者は展開を変えるつもりでいたようだ。連合軍の反転攻勢により、ナチスの戦争犯罪の数々が明らかになり、著者が生きてその事実を知ったとしたら、もしかしたら第2部は書き換えていたかもしれない、と個人的には感じる。それくらい第2部はドイツ軍兵士に対して、ある意味、彼らも戦争の犠牲者だといういう目線で描かれている。

 
 物語はここで絶筆となっているが、この本の後半には数々の資料が載せられている。
 
 著者イレーヌ・ネミロフスキーは1903年、ウクライナのキエフで銀行業を営む裕福なユダヤ人の家庭に生まれた。しかしロシア革命によりフランスに亡命を余儀なくされる。第二次世界大戦がはじまった時には、夫と娘2人でブルゴーニュ地方の田舎町に避難していたが、ナチス占領下となった後の1942年に、フランス人憲兵により自宅から突然連行された。
 
 イレーヌの夫は連れ去られた妻の消息をつかむため、つてを頼りに手紙などで方々に懇願を続ける。それほど健康でもなかった妻の体調が何より心配で、きっと収容所のような劣悪な環境では体調を崩してしまうと訴えている。駐仏ドイツ大使にまで手紙で懇願し、妻はけしてドイツに対して反抗的な小説は書いていません、連行されたのは何かの手違いではないですか、と綴っている。連行された理由がユダヤ人だからだということではなく、反体制的だと勘違いされたからだと思っていたようだ。
  
 当時どこまでナチスの残虐行為が知られていたのかわからない。もしかしたら各地に収容所を造っていたことは知られていたのかもしれないが、まさかユダヤ人を根絶やしにする目的のものだとは、誰も、思いもしていなかったはずだ。
 これらの手紙からは最愛の妻を取り戻そうとする夫の必死さが切ないほど伝わってくる。しかし努力は全く実を結ぶことはない。
 結末を知っている読者からみれば、書簡の中には希望のかけらも見いだせない。絶望しかない。残酷な仕打ちを無理やり見せられているようだった。全てが無駄なのだから。
 資料編として収録されているこれらの手紙の数々も、本編に劣らない価値があると思う。
 
 イレーヌの夫も後にアウシュヴィッツで亡くなってしまったため、トランクは夫妻の長女が引き継いだ。迫害から逃れているときもけして肌身離さず守り抜いたため、奇跡的に著者の死後60年以上経ってから『フランス組曲』は発表された。

 「二十世紀が遺した最大の奇跡」という帯に書かれた表現に誇張はない。
  
 叶うならば、完結した奇跡の物語を読みたかった。

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2021年08月13日

Posted by ブクログ

1942年アウシュビッツで亡くなったロシア系ユダヤ人作家が遺した作品。
生き残った娘に託されたトランクの中に入っていたもので、創作ノートも残っており、本になっている2つの章(?)で終わらず、もっと続く予定だったようだ。
最初の「六月の嵐」はドイツ軍が侵攻してくるというニュースを聞いてパリ市民が郊外へ逃げていく「大脱走(エクソダス)」の様が描かれる。複数の家族、夫婦、恋人たちが登場する。なんというか因果応報なところもあって、にやりとさせられる。
次の「ドルチェ」はドイツ軍が宿泊する田舎町の複数の家の様子が描かれる。
巻末には著者の創作ノートと書簡を所収。

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2021年03月14日

Posted by ブクログ

フランスの「ルノードー賞」の歴史において初めての「死後受賞」作。

1942年にフランス憲兵により捕縛され、同年のうちにアウシュビッツで無残な最期を遂げたイレーヌ・ネミロフスキーの遺作が、実に60年の月日を経て陽の目を見る”歴史的事件”があり、2004年に同賞が贈られたのだという。

1942年の執筆時点で、ドイツ軍に占領されたフランスの運命は当然ながら誰も知らない。著者は、フランスの疎開地にいて戦争の行方を追いながら、5部作として構想した「フランス組曲」の執筆を進めるのだが、世界大戦の結末を見ることなく、ホロコーストの狂気に飲み込まれてしまう。(フランス組曲は2部まで書かれた未完の小説)

「フランス組曲」は21世紀に発表されたわけだから、すべての読者は、歴史の結末・著者の運命を知った上で、本作を鑑賞することになる。その点が非常に切なく、やりきれない思いがする。

占領軍であるドイツ軍の将校と、占領された村のフランス女性との、恋というには難しい心の通い合いが緻密に描かれる。二人の仲を切り裂く「独ソ開戦」に対して、著者からドイツ兵へかすかながら憐憫・哀惜の感情がほとばしり出ているように読める。独ソ戦の結末を知らない時点で書かれた本作において、占領者に対して「呪詛」のような感情を連ねることとは異なり、延々と戦線が拡大することに対する「憐憫・哀惜」の情が勝つという、このことをどう鑑賞すればいいのか。考えこんでしまう。
何か大きなものの存在を認めないわけにはいかない。

さらに言えば読者は、イレーヌ・ネミロフスキー自身が間もなくアウシュビッツに連行される歴史を知っているのであるから。

著者の娘は、自分自身もホロコーストの恐れがありながら、幼少の身で、母親の遺品であるトランク(その中にフランス組曲の2部がおさめられていた)を引きずり、逃避行を重ねたという。本書の宣伝文句「20世紀の奇跡」という言葉は、文字通りそのまま受け止めたい。

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2022年08月15日

Posted by ブクログ

去年マリエンバードとか、デュラスの、アンニュイ系を想像して、手に取るのをためらっていたが、いい意味で違った。今までの作者のイメージが変わった。戦争が始まって、敵に侵略される話だが、暴力描写などはなく、国が、今までの生活が崩れて行く様子を、人間の精神的、物理的な枯渇をまざまざと書いていて、なんというか、いい意味で人間の俗っぽさが書かれ、でもあくまで上品に、感情の起伏は丁寧に描かれ、今までの私小説っぽい作品とは違う、歴史的な本だった。

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2021年04月24日

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