田中慎弥のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
第146回芥川賞はニュースにかなり取り上げられたのを覚えているだろうか。「共喰い」で受賞した田中慎弥さんの会見が非常に話題になり、また受賞スピーチでも一言で終わり、インターネットだけではなく、各メディアで大きく取り上げられた。その結果「共喰い」は大ヒットし、作家としての知名度が大幅に上がった。
もともと2008年に川端康成文学賞、三島由紀夫賞を受賞しており、何回も芥川賞候補になっているので、力はかなりある作家である。なんでもそうだが、実際に受賞した人は記憶に残るが、それ以外はすぐに人々に忘れ去られてしまう。会見及びスピーチで世間的にかなりイメージが作られてしまったが、王様のブランチや他のインタビューではもっと穏やかな表情を見せる。もちろん皮肉屋ではあるものの。
本書は2008年から毎日新聞西部本社版文化面で連載中の作品をまとめたものである。1編の分量は3ページと読みやすい。下書きも含めて一日で書いているそうだ。語り口も設定もそれぞれ異なる37の小説で構成されている。タイトルは愛読していた川端康成の「掌の小説」からオマージュされている、「掌」とエンターテイメントの「ショー」の意味を込めて「掌劇場」だ。
本書を読んでみると、著者がブラックユーモアたっぷりに、様々な角度で物語を描くことが得意ということがわかる。ミステリー、日常、フィクションと一冊にあらゆる形式が詰まっているのでお勧めだ。小説が苦手って思っている人が読んでみて、じょじょに短編小説、長編小説と手を伸ばしていけるきっかけになる一冊かもしれない。 -
Posted by ブクログ
他の多くの方と同様、私も芥川賞の受賞インタビューで著者のことを知り、それで受賞作を読んでみた。
この掌篇集は、2008年10月から2012年1月まで、毎日新聞西部本社版に連載されたもの。
一篇が3頁前後、不思議でちょっと不穏な、ときにユーモラスな、そしてリリカルな掌篇が並ぶ。
私は存外、この本の全体が好きになってしまった。
「存外」というのは誉め言葉で、芥川賞受賞作から想像していたよりも、遥かに様々な色合いの、遥かに様々な想いを掻き立てられて、そしてそれが楽しかったのだ。
「あとがき」で著者は、「命を縮めて得た糧で、また命を延ばす。」と記すが、たしかにこれは、著者の内面の何かを削って書かれたものだと感じる。
見事な矜恃も感じられる。
遅ればせながら、他の作品も読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
「不意の償い」
ある行為のせいで死に至ったのではないかと無意識に抱えていた罪悪感が、徐々に噴出し精神のバランスがあやふやになっていく。
読み進むにつれて、このバランスの崩れた不安定感こそがが逆に安定した世界の様にも思えてくる。
「蛹」
一番好きな作品。
内包された自己への強い自信とは裏腹に、いつまでも地上に出る事の叶わず日々悶々とする存在。
実際は地上に出られないのではなく出たくないのであって、結局内包されていた自信とはただの虚勢である。
考えなければいいのに。
何も考えずに外に出て人生を謳歌して、繁殖して死ねばいいだけなのに。
「だけなのに」が、一番難しい事なんだなと。
「切れた鎖」
閉鎖性、土着性と言うのはその土地に留まり続ける事で脈々と受け継がれ育まれ、精神の根幹に癌の様に巣食い、時に抗いつつも最後には諦め受け入れてしまうものなのだろう。
全てを捨てて出て行く事が正しいとも賢い選択とも思えないのだけれど、その土地に精神に縛られたまま朽ち果てていくのは非常に哀れな事だとも思う。 -
Posted by ブクログ
芥川賞受賞のインタビューで、刺激的な悪態をついた著者を
どこまでパフォーマンスが入ってるんだろ…? なんて、
半ば、よこしまな気持ちを持って手にしたのが本書だった。
あれは、著者の気持ちの飾り気ないストレートな発露だったろう…
「不意の償い」「蛹」「切れた鎖」の3編…
川端賞・三島賞のダブル受賞という随分と評価の高い短編集だ。
小説を読む恐ろしさは、気づかずにある内面を引きずり出され、
歪によどんだありのままの様をつきつけられることにある。
どの作品からも、そうした領域に切り込んでゆこうとする、
著書の文学的に真摯な姿勢を感じた…
たとえば冒頭作「不意の償い」は、妻となった女と
はじめて関係を持ったところから語られる…
そのとき、親を火災で亡くし、女は子を宿した…
いかにもつくりものめいた話だ。ただ、作品は、
そうしたかりそめの物語には拘泥せずに、
男のねじくれた気持ちのありようを語る…
ありていに云ってしまえば、男が女と関係を持つ時、
かならずや疚しさがあるに違いない…ということ…
愛情とは、愛しながらも自らの欲情を満たすことであること…
それは、男ののっぺきならぬ性(さが)であること…
そんなことが、逡巡し、よどみ、ねじれながら、
そのまま文章になっているのがこの小説だった。
ボクには、男の偽らざる気持ちが
ありのまま描かれているように感じられたのだ。
負の意識を持たぬ作者の書くモノで心をえぐられることはない。
それをストレートに表現することが、いかに難しいかは、
なにも作家でなくとも、誰しも思うことだろう。
そんな文体のような態度が、受賞時の作者だったのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
女性の書き手が綴る身体や性にまつわるエッセイ「私の身体を生きる」の、男性版。
女であり女であることに違和感なく生きてきた私にとっては、女性の書いたものの方が当然共感するところは多かったけれど、男性たちの綴る文章もとても興味深かった。
男女問わず、どんな属性の人だってそれぞれ尊重されるべきではあるけれど、同質である必要は全くないなと改めて思う。
女性と比べて、身体やジェンダー、性のことを直接的に書いている人がかなり少ない印象を受けた。
と同時に、男性が男性性を語ることの難しさとはこういうことかと納得させられる。社会において強い側とされる側が何をどう語るのか、語って良いのか、難しいのかもしれないけれど、もう少し踏み込んだ内容が読みたかったな、というのが正直な感想。
身体より社会、に意識が向いているように感じた。
その中でも田中慎弥さんの偏屈さが滲む文章がとても好きだった。好きだったとかも言われたくないのかなとか思っちゃう。なんだかいじらしい愛しさがある。
最後の最後で朝井リョウが‘やっている’。
両手を掴んでいたはずなのに、その手を掴んだまま大きく振り回されて、遠心力で吹っ飛ばされたような気持ちで本を閉じた。