田中慎弥のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
大学中退してひたすら家で本を読み小説を書いて(バイトもせずに)、33歳で新人賞とってデビューっていうのはなかなか普通の人にはできない。どういう精神なのかと思うけど、別に本人とお母さんがそれでいいと思っていたら、それでいいのかもしれない。苦しみがなければいいのかなと。
お母さんはよく我慢したもんだと思うけれども、別に母子べったりの生活だったようでもないし、半分諦めて淡々と生活してたのかもしれない。
しかし本が大好き、本が肥やしみたいな人生って羨ましい。作家だから書いたらそのぶん、読んで体に取り込まないといけない。読書は栄養なのだ。それもなんとなくわかる。
私も読書だけして生きていけたらいいな。ほんとに趣味とかほかにないし、本読めたらそれでいいかなーと思ったりする。
こんど小説の方も読んでみよう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「人間の脳、身体は、いわば言葉の容れ物です。そこから言葉をどんどん出して、出したぶんだけまたどんどん容れていかなくてはならない。他者の言葉を知らずして、自分の言葉は生まれません」
「自分の外側から言葉を獲得し続けて、内側にどんどん蓄えていき、もう収まり切らないというところまで溜まると、言葉は外に出たがるようになります。すると身体がごく自然に 『書く』というアウトプットを求めるようになるのだとわたしには思えます」
要約すると言葉の新陳代謝を活性化しなければならないということなのではないでしょうか。
このレビューを書くという行為も他人の言葉を容れていった後、自分の言葉でアウトプットしていることになるかと思います。
自分の言葉を磨く努力をこれからもしていきたいと思いました。
要約すると言葉の新陳代謝を活性化しなければならないということなのではないでしょうか。
このレビューを書くという行為も他人の言葉を容れていった後、自分の言葉でアウトプットしていることになるかと思います。
自分の言葉を磨く努力をこれからもしていきたいと思いました。 -
Posted by ブクログ
第四章「なぜ読書が必要なのか」、第六章の「「棚からぼた餅」論」、第七章「家族は孤独を癒すのか」は特に興味深く、作家らしい洞察力に満ちた独自の視点に膝を打って読んだ。
他の箇所については、部分的には共感するのだが、2025年に出た本にしては古い論調だな…と思ってしまった。
根底に流れる「同調圧力とか嫌なことからは逃げていいけど、まあ最終的には努力とか自己責任の能力主義だよね」みたいな雰囲気が、どこか青木真也の著書『空気を読んではいけない』みたいな、ごくごく一部の尖った経歴の人が強者の目線から私的自論をつらつらと述べる 2010年代の煽り系ビジネス書(?)に似てるというか…。
本著は2017年に出た著書を再構成・加筆したものとのこと。どうりで。この論調のタイムラグは、本書を読む上で念頭に置いたほうがいいのかも -
Posted by ブクログ
【図書準備室】
ニートの話
中学の古参教師の戦場で犯した罪の告白人生をひとり語りで語っており、ニートの立場の主人公が語る事で時代の価値観みたいなものを考えさせられた。
【冷たい水の羊】
いじめの話。
いじめられている事を心配して先生に相談してくれるクラスメイトがいるのに、いじめと認めない主人公。読みながら、直視できない部分と理解できない部分は流し読みになってしまった。
いじめる側の高揚している気持ちや恐怖で支配されてしまう後輩、父親の選挙の準備て両親は息子の事まで気が回ってない様子、それぞれの立場の気持ちが描かれていて、いじめられる側だけを意識することなく読めて、いろんな立場を考察する気持ちになれた。
季節の描写が良かった。
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Posted by ブクログ
「愛」と「完全犯罪」は両立するのか? 田中慎弥が描く、背徳の果ての純愛
愛するがゆえに、壊さずにはいられない。
奪うことでしか、手に入れられない。
田中慎弥の『完全犯罪の恋』は、そんな危うい愛の形を突き詰めた物語だ。登場人物たちは誰もが孤独で、報われぬ想いを抱えながら、互いに深く絡み合っていく。そして、その果てにあるのは——「完全犯罪」と呼ぶべき、ある決断。
田中慎弥の端正かつ研ぎ澄まされた文体は、まるでナイフのように鋭く、読む者の心を抉る。情熱と狂気が紙一重のバランスで描かれ、読み進めるほどに背筋がぞくりとする。そして、気づけばあなたもこの危険な物語の虜になっているだろう。
「愛」とは何か? 「完全犯罪」とは何か?
その答えが知りたいなら、この本を手に取るしかない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ死神
著者:田中慎弥
発行:2024年11月30日
朝日新聞出版
初出:「小説トリッパー」2022年春季号~2024年夏季号
私小説と言っていいのだろう。子供の頃から自殺を考えていた少年が、死神と出会う。その死神とは、自殺することになる人間にとりついて(担当になって)、自殺をちゃんと見届けるというのが仕事である。決して自殺するように唆しはしない、ただ見届けるのが仕事なのだ、という。ところが、担当する人間との会話を通じて、それは唆しているように思える。
主人公は田中で、小説家になることを目指している。本ばかり読んでいるが、学校の勉強はできない。父親は有名大学を出て一流企業に勤め、昔ながらの父親像を歩んでいる。母親もそれを認め、それを望んでいる。父親はそうした昔ながらの(家父長的な)家族像にそれるような言動が家族にあると、手を上げる。母親はいつも暴力を受ける。しかし、それで絶望したりめげたりせず、そういうものだという考えのもと、美味しい料理を作る。田中本人も、父親からひっぱたかれる。すでに慣れて、覚悟はできている。その上であえて逆らったりする。
中学2年のとき、本気で自殺を考える。遺書も書く。何度も書くが、書き直す。死神がアドバイスをするというか、いちゃもんを付けるから。そもそも死神との出会いとなったきっかけは、小学校の時の友達の女の子。近くに古いビルがあり、上階が住まいになり、そこに住んでいる子だった。ビルの人たちから、決して屋上には行くなと言われている。変な噂もまちの人たちの間には立っている。ある日、その女の子から誘われて屋上へ行ってみることに。トライするが、ドアに鍵掛かっているのか開かなかった。女の子はどこかへ行ってしまい、諦めた。
中学になり、その怖いビルを見ないように通学した。通学路だったから。しかし、ある日、そこを避けて遠回りして通学していると、本来なら郵便局があるはずの場所にそのビルが立っていた。そんなばかな!
また元通りの通学路に戻る。やはりビルがある。猫がいた。猫に誘われてビルに入る。屋上まで行ってしまった。そこにはスーツを着た男。それが死神だった。実は、猫に化けておびき寄せたのだった。自分はお前の担当だ、自殺するのはわかっているし、そろそろその時期だと判明したので見届けてやる、ということだった。
自殺するのしないの、唆すだの唆さないだの、延々と論争というか議論が始まる。その行ったり来たりが、例えば、ダイエットをしている人間が、今日はこれを食べて明日からきっぱりとダイエットした方がいいだろう、いや、やめとこう、と心の中で葛藤をする。同じように、断酒を決意した人間が、今日のこの一杯を最後にしよう、いや、これは飲むべきではない、などと葛藤する。禁煙などもしかり。その屁理屈のつけあいで葛藤している様子になんだか通じるものがあって楽しい。
しかし、前半のそんな軽快なやりとりが過ぎると、話は面白くなくなる。もうこの小説は面白くない、と思って投げ出そうとすると、また少し面白くなる。行ったり来たりする。なんだこの小説は?行ったり来たり、そのものではないか。結局、仕方なく最後まで読み終える。
結果は、うーん、面白くなかった。
主人公は作家になり、芥川賞を取る。このあたりは自伝的かもしれない。授賞式の描写などは実に興味深い。
子供のころの女の友達も、死神だった。別の自殺願望者の担当だった。別の死神が担当している田中の前に現れるのは本来はルール違反なのだが、担当の死に神を含めて、3者はなんだか友達のようになってしまう。学校の卒業式など、父親も母親も出席せず、死神だけが出席するというおかしさもあった。
そして、ずるずると死神とともに、自殺するのせんの、その前に死神を殺すの殺さないのと、うだうだしながら、小説家として成功していき、年を取って行く。まさに、多くの人間、多くのそこそこ成功者のパターンかもしれない。