若松英輔のレビュー一覧

  • ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う

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    読み易くて、今の自分が欲している言葉がスッと入ってくる本だった。この本は生涯読む中で、その時々で入ってくる言葉が違うんだろうなと思ったら、様々な節目で何度も読み返したい本になるから自分で買おうと思った。
     「はい!」って何も言わずに渡された友人からの本だったけど、この本の言葉達にとても救われた。
    感謝しきれない。

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    2026年09月19日
  • 別冊NHK100分de名著 読書の学校 若松英輔 特別授業『自分の感受性くらい』

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    #ツナグ100分de名著

    詩を読むという行為は、
    私が「わたし」に出会う旅でもあり、

    言葉とは「おもい」「時」さらには「祈り」を届けるための器である。

    ◇◇◇◇◇◇

    【タイトル】別冊 NHK 100分 de 名著読書の学校若松英輔特別授業茨木のり子自分の感受性くらい生きづらさを抱える人へ
    【 著者 】若松英輔
    【 出版社 】NHK出版

    ◇◇◇◇◇◇

    『自分の感受性くらい
     自分でまもれ
     ばかものよ』

    『自分の感受性くらい』は1977年夫を失った2年後に出版。

    茨木さんはこの詩を50歳に近づいた頃に書いています。人生の半ばを過ぎた茨城さんが改めて自分に向けて書いている言葉です。

    ◇◇◇◇◇◇

    茨城のり子は1926年大阪に生まれた。彼女は11歳の時に母と死別している。それは彼女にとても大きな影響を与えたという。

    その後1943年(戦時中)には現代の東邦大学の薬学部に入学した。理系の学部に入っていることも彼女の詩の味わいを深くしている一因である。

    1953年には仲間たちと「櫂」という詩の同人誌を創刊する。この仲間の1人が谷川俊太郎。谷川俊太郎はライバルであり盟友でもあった。

    ◇◇◇

    茨木のり子という詩人を新川和江という詩人は「戦後現代詩の長女」と呼んだ。

    描写や表現が正確無比で、言葉がしなやかな筋肉を持って躍動している。

    術というより道と呼びたい一種の気迫がこもっている、と。

    私たちの体が食べ物でできているように、私たちの心は言葉でできているのだ。

    ◇◇◇◇◇◇

    3つの「よむ」がある。

    ①「読む」これは紙などに記された文字を目で追うこと

    ②「誦む」暗誦、口誦という言葉があるように声に出して読み上げること

    ③「詠む」和歌を詠むというように紙なのに変えてみるということ

    「読む」「誦む」とは書いた人と対話をすること。
    さらに「詠む」とは書くことを深めてくれる行為でもある。

    読むと書くというのは吸って吐く呼吸の関係と同じで読んだら書く、書いたら読むという相互の交わりがとても大切。

    この往復経験の深まりはそのまま詩的経験の深化につながる。

    ◇◇◇◇◇◇

    茨木さんは詩の中で、

    『苛立つのを
     近親のせいにはするな
     なにもかも下手だったのはわたくし』

    自分の人生の困難を他人のせいにするな、と言います。

    『初心消えかかるのを
     暮らしのせいにはするな』

    初心とは人生の問題に初めて直面した時の心情のこと、暮らしとは生活のこと、を言います。

    ◇◇◇

    また亡くなった後に発見された遺稿である、『歳月』の中では、

    『たった一日っきりの
     稲妻のような真実を
     抱きしめて生き抜いている人もいますもの』

    とも言っています。

    『歳月』。この1冊のために茨城さんの生涯はあったと言っても過言ではないほどの優れた詩集だと言われています。

    ◇◇◇◇◇◇

    詩を読むことの一番大きな意味は自分の中に眠っている内なる詩人を目覚めさせること。

    必要な言葉は自分の中にあり、
    まだ書かれていない内なる詩の原型を見つける営みでる。

    詩は『心眼』を開き、『心耳』を開くもの。

    ◇◇◇◇◇◇

    詩はその中にコトバ=意味見つけるもの。

    それぞれが感じ、「読み」「書く」ことが大事。いずれ書かずにはいられなくなるもの。

    茨木のり子さんの詩への解釈、
    また『詩』自体の味わいや深みを教えてくれる1冊でした。

    ◇◇◇◇◇◇

    私は茨木のり子さんと『倚りかからず』で出会いました。

    当時はそのまま言葉通りに読んでいたように思います。

    今回100分de名著を読んで詩の味わい深さを知ったので、あらためて『心眼』『心耳』で読んでみたいと思いました。









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    2026年07月30日
  • 悲しみの秘義

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    「愛し、そして喪ったということは、いちども愛したことがないよりも、よいことなのだ。」

    大きな悲しみがあった後に読んだ。悲しみは乗り越えるものではなく、人生を深く生きるための入り口なのかもしれない。答えを与える本ではないけれど、悲しみについて静かに問い続けながら、読む人それぞれの悲しみにそっと寄り添ってくれる一冊。

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    2026年07月28日
  • [増補新装版]本を読めなくなった人のための読書論

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    若松英輔さんの本を、ずっと読んでみたいと思っていました。
    そして、最近はなかなか本を読むことをできていなかったので
    今の私にぴったりだなあと思いまして…。

    読めてよかったです。
    文章が温かくて優しくて、癒されました。
    活字が大きめで余白がしっかりとってあるのも、
    この本のコンセプトにぴったりだなぁと、あったかい気持ちになりました。

    もっと気軽に読書をしてもいいんだなあ。

    「読む」と「書く」は呼吸の関係だという言葉、
    特に好きです。

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    2026年07月21日
  • 詩集 美しいとき

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    福井旅行で立ち寄った本屋さんに若松英輔さんを薦められて。

    なんとなく詩って自分にとって高尚な存在で、精神が安定してて心に余裕がある人が書くイメージが強く、読んでも心にグッとこないことが多かった。
    けど若松さんが書かれた詩は、対面ではなく横に並んでくれている気がして、自分たちにそっと寄り添ってくれる文章だった。

    人と比較して落ち込んだり、自分の在り方に悩む人はぜひ。

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    2026年07月20日
  • 悲しみの秘義

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    悲しみを知る人しか分からない感情を哲学者や詩人の言葉から紹介する本

    人生で一度は読んだ方がよい本。勝手に売れる最上位エッセイ。解説の俵万智さんも書いているが「人生を俯瞰する視点」を得られる本だ。大事にしなくてはならない事を思い出せる。引用の力よ

    ぜひ静かな場所、独りになれる時間に読んでみてほしい。「生きるとは、自らの心のなかに一輪の悲しみの花を育てることなのかもしれない」読む前と読んだ後では世界が違って見える

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    2026年07月18日
  • 危機の神学 「無関心というパンデミック」を超えて

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    ネタバレ

    志村ふくみ・若松英輔『緋の舟』、辰巳芳子『手の味こころの味』『いのちと味覚』をきっかけに、キリスト教(カトリック)の世界の本に少し寄り道している。
    その過程で、カトリック教会が、第二バチカン公会議(1962〜1965年)で他宗教との対話を訴え、その実践が今も続けられていることを知り、現代のありようをもう少し知りたくなり、本書を手に取った。
    現代の教皇の回勅(司教や信者に向けた公文書)を取り上げながらの解説(対談)なので、上記がわかりやすかった。

    「神=至高の正義」の存在を信じ、その正義のために「自分の持っているものを与えるだけはなく、自分自身を与えなければならない(第一章)」とする点には、正直高い敷居を感じた。しかしカトリックは、世界で14億を超える人が入信していると聞く。それが他宗教との対話を継続しているというのは、教義を信じる信じないとは関係なく、大事にしなくてはいけないことだと思った。
    「私たちにとって重要なのはイデオロギーではなくコスモロジーなのではないか(註)(第二章)」という意見は、多様性の中での対話のありかたという点で傾聴に値する。

    (註)
    イデオロギー:政治、社会、道徳、宗教などにおける、人々の行動や考え方の根底にある価値観や思想の体系
    コスモロジー(宇宙論・世界観):自分をも含めた世界をどのようにイメージし、生きる意味を見出すかという関係性・秩序の枠組み

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    2026年07月02日
  • 日本人にとってキリスト教とは何か 遠藤周作『深い河』から考える

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    ネタバレ

    文化出版局『辰巳芳子という生き方』の、辰巳芳子さんと小説家・僧侶玄侑宗久さんの対談録に、「遠藤周作がローマ教皇に会ったときに、「仏教を学びなさい。仏教の中にキリスト教があるから。」と言われた」とあったのに導かれて、この本を読んだ。
    そしてカトリック教会が、第二バチカン公会議(1962〜1965年)で他宗教との対話を訴え、その実践が今も続けられていることを初めて知った。
    そして『深い河』には、以下のような印象的なガンディーの言葉が引用されているという。「私はヒンズー教徒として本能的にすべての宗教が多かれ少なかれ真実であると思う。すべての宗教は同じ神から発している。しかしどの宗教も不完全である。なぜならそれらは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ」
    世界には分断の流れだけでなく、融和の流れもあることを大事にしたいと思った。

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    2026年06月21日
  • 考える教室 大人のための哲学入門

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    一切衆生悉有仏性
    ソクラテス→デカルト→アーレント→吉本
    "どうやったら自分の中にいる内なる哲学者を目覚めさせることができるのかを考えていきたい "

    "「たましい」に渇きを感じることは誰にでもあります。しかし、「たましい」はそのどこかに尽きることのない「井戸」を潜ませている。「たましい」に渇きを感じたら、どこかへ水を探しにいくのではなく、今、自分のいる場所を掘らなくてはならない。"

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    2026年05月30日
  • 悲しみの秘義

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    なんだ寄せ集め系か
    と最初は思った。
    とんでもなく間違いだった。
    悲しみにそっと寄り添ってくれるような素晴らしい言葉選びと表現。
    何かあった時にまた戻って来たくなる。
    間違いなく★5

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    2026年05月25日
  • 悲しみの秘義

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    選書で手にした本。
    おそらく、読む人や読むときによって刺さる言葉が大きく変わる。私に取ってこの本は、お守りのような、常備薬のような本になった。

    著者がこんなにも「かなしみ」について向き合って書き起こせたのには、23個目の「彼女」から察することができた。

    そして、著者の若松氏はあとがきでこう書いている(文庫版)

    "人生には悲しみの扉を通じてしか見ることのできない地平がある。人は、悲しみを生きることによって、「私」の殻を打ち破り、真の「わたし」の姿をかいま見る。"

    ここだけ読んだらなんだかしんどそう、辛そうに見えるけれど、この本をすべて読んでからこのあとがきを読むと、たしかにそうだと思う。

    それから、単行本版のあとがきにはこう書かれている。

    "想いを書くのではない。むしろ人は、書くことで自分が何を想っているのかを発見するのではないか。(中略)書かなければ知り得ない人生の意味に出会うことなのではないだろうか。"

    若松氏は、たくさんたくさん書いて、書くことで自分の中にあるものをどんどん発見していったんだろうなぁと思う。そうして「かなしみ」やそれでしか真の「わたし」の姿を垣間見ることはできないと分かったんだなぁと思う。

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    2026年05月14日
  • [増補新装版]本を読めなくなった人のための読書論

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    読書には、知識を得るための読書と魂の糧となる読書の2つがある。この本は、後者の魂の糧となる読書のやり方やヒントを示唆してくれる。読書は、多くの本を読むことではなく、ゆっくり深く読むことで文字の奥にある世界を拾い上げることの大切などを教えてくれる。この本、一度では理解できず、何度も読み返しながらあらゆる気づきを与えてさくれる奥深い一冊のように思う。

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    2026年04月25日
  • ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う

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    若松さんの著書で一貫しているのは、喉の渇きを癒すのが水であるように、心の渇きを癒せるのは言葉である、という考え方

    言葉は、文字でありながら同時に光でもある。
    特別な意味を持たなかった一つの素朴な言葉も、あるとき光となって暗がりを照らし、闇から私たちを救い出してくれることもあるのだ

    そんな魂の言葉が、様々な著書の引用をもとに、一つ一つ丁寧に語られた温かい一冊。

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    2026年04月07日
  • 詩集 美しいとき

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    この方の言葉は本当に心にスッと染み入るよう。
    飾らず、まっすぐ、本当に大切なひと言を探し続けてるんだなと感じた。
    人と比べずに、ただ私という人生を輝かせて生きなさい、というメッセージを感じた。

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    2026年03月24日
  • 詩集 美しいとき

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    一度本屋でなんとなく手に取ってみたら、最初の詩がものすごく刺さってしまって。
    その時買わなかったけど、忘れられなくて翌日買いに行ったはじめての詩集。

    言葉を紡いでいきたい。

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    2026年02月13日
  • 宗教とその真理

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     柳宗悦は西田幾多郎と井筒俊彦の間に居るということを本書『宗教とその真理』は強く感じさせる。若松英輔氏の『霊性の哲学』を読んで以来、どうしても柳宗悦の「哲学におけるテンペラメント」を読まなければならないと思っていた。もちろんその文章が本書のハイライトとも言えるものであることは間違いないのだが、本書を実際に読んでそこに至るまでの向上道とも言うべき論述に評者は意表を突かれた。白樺の運動の中で連載された論考を集めたものでありながら、本書は一冊の書物として類まれな柳宗悦の堂々たる主著であることを知らされるのである。
     西田幾多郎の『善の研究』に内展involutionと外展evolutionという言葉がライプニッツに帰されて言及されている。その印象的な二語が本書において度々用いられていることに、柳が『善の研究』によって切り開かれた地平と同じ地平で物事を捉えようとしていることを感じさせられる。学習院時代の柳のドイツ語の先生だった西田との交流は、おそらく単なる語学の教授に留まらずそこに血の通った交流と敬意とがあったことを想わせるのである。
     本書を紐解いてまず強烈に印象付けられたのは本書が近年の著作では類書のないキリスト教霊性史とも言うべき内容を蔵していることである。キリスト教霊性史をこのような律動と筆致で描いた書物を日本語で読んだことは今までなかった。現在のように個々の研究が進んでいるわけでもない時代に柳が如何にそれらを見出し得たのかが気になるところではあるが、柳が問いかけるものの一つひとつを自ら確かめることを強く促されるのである。『工藝の道』において展開される宗教哲学の素地が本書によって生き生きと展開されており、否定神学に始まり西洋の古典たる神秘家たちと老荘思想を読み解く柳の筆致は読者に感化を与えて止まないものであろう。そしてそれは、秀逸な宗教哲学入門でありながら類まれな宗教哲学論でもあるのである。
     「哲学におけるテンペラメント」は若松英輔氏がたびたび井筒俊彦のアリストテレス読解として取り上げるオレクシスを思わせる。気質とも訳されるテンペラメントはそれぞれの人に固有の発露を掬い取ろうとする言葉であり、テンペラメントなくして哲学はあり得ない、そういったそれぞれの内なる衝迫とも言うべきものを表わしているのである。先に述べた壮大な宗教哲学入門を成す全体の論述はそれこそ井筒俊彦の『神秘哲学』における向上道を思わせる。
     柳宗悦にとって書くとは自らが受け取った豊かな洞察を読者に余すことなく伝えることであったのだということを本書において感じる。キリスト教霊性史の精華とも言うべき内容を老子や中庸と突き合わせながら読み解き、その東洋的洞察をアーサー・ヒュー・クラークの詩を引き合いに出しながら見出していくのは圧巻である。柳の論考を通して読者に与えられるのはもちろん叙述の内容もさることながら、何をどう読むかということなのではないだろうか。私たち一人ひとりの古典を見出し私たち自身の生を見つめることを本書は促しているように思う。

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    2026年02月02日
  • はじめての利他学

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    日本で初めて利他の言葉を使ったのが、平安時代の空海まで遡る。
    空海の自利利他、最澄の忘己利他の概念からはじまり、道元の愛語、仏教と儒教の利、仁とは何か、不言実行と知行合一、天道、二宮尊徳の誠の道の実践、エーリッヒフロムの愛するということなど、類似概念や東洋を主とした世界の思想家の概念を丁寧に見ていく。

    利己主義と自己愛は正反対のものだとフロムはいう。利己主義は、「自分を愛さなさすぎるため、自分の中に充実を感じられず、そのために利己的になっている」という指摘はなるほど!と唸った。
    結論の「利他には等しさが必要です。そして、そのためにはまず、他者を愛するように、自分を愛し、信じることが大切なのです。」という言葉が全てを語っていると感じた素敵な本でした。

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    2026年01月24日
  • 新編 志樹逸馬詩集

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    長島愛生園を訪れたあとに。

    癩を患い瀬戸内の小さな島に隔離された志樹逸馬の詩は、その閉ざされた生活空間の中で生まれた。
    花や木、虫、野菜⋯、空、風、空気、水⋯、手にすることのできたものから彼が受け取り表現した詩は、
    強制された限界をはるかに越えて遠くまで届く。
    私の胸に、あなたの胸に。

    畑を耕ち、野菜を育てた。

    種子
              志樹逸馬

    ひとにぎりの土さえあれば
    生命はどこからでも芽を吹いた

    かなしみの病床にも
    よろこびの花畑にも
    こぼれ落ちたところが故里(ふるさと)

    種子は
    天地の約束された言葉の中に
    ただみのる

    汗や疲れを懐かしがらせるものよ
    夢
    黒土の汚れ
    生きてさえおれば
    花ひらく憧れをこそ持ってくる


    癩者として生きた。

    肉体と心

    落ちてゆく私と
    飛翔してゆく私と
    ああ この私は一つの体であるというのに


    園長さん(その一部)
           ※光田健輔のこと
    ⋯
    指が曲っても
    食物をかきよせるだけの動物になるな
    人間の魂を開墾する鍬をにぎれ
    心の手は使えば延びる と
    あなたは若い時から病者とともにみずからも
    汗やどろにまみれることをとうとんだ
    ⋯


    外の世界を知ろうとし本を読み、キリスト者にもなった。

    土壤

    わたしは耕す
    世界の足音が響くこの土を
    全身を一枚の落ち葉のようにふるわせ 沈め
    あすの土壌に芽ばえるであろう生命のことばに渇く
    だれもが求め まく種子から
    緑のかおりと 収穫が
    原因と結果とをひとつの線にむすぶもの
    まさぐって流す汗が ただいとしい

    原爆の死を 骸骨の冷たさを
    血のしずくを 幾億の人間の
    人種や 国境を ここに砕いて
    かなしみを腐敗させてゆく

    わたしは
    おろおろと しびれた手で 足もとの 土を耕す
    どろにまみれる いつか暗さの中にも延してくる根に
    すべての母体である この土壌に
    ただ 耳をかたむける


    この世に生きたしるしを強く意識し、生きる希望を表現した。

    曲った手で

    曲った手で 水をすくう
    こぼれても こぼれても みたされる水の
    はげしさに
    いつも なみなみと 生命の水は手の中にある
    指は曲っていても
    天をさすには少しの不自由も感じない


    窓をあけよ

    自分だけのへやに閉じこもっていた人は
    窓をあけたとき
    外から吹いて来る風に きっと
    痛みを覚えるだろう

    しかし
    その驚きは 瞬間に 明るさにかわる

    次第に カビくさい因習や
    じめじめしけた ひとりよがりの欺瞞が
    ぬぐわれてゆき
    外の広い世界のだれとでも
    友だちになれるのだから


    ※しっかり生きないと恥ずかしいね。

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    2026年01月22日
  • あなたが言わなかったこと

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    「ついて」と「を」の違い、「事実」と「真実」の違いにまつわるエッセイが好きだった。何でもかんでも言葉に落とせるわけじゃないし、言葉がフィットするまで時間がかかることもあるよね。

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    2025年12月29日
  • 考える教室 大人のための哲学入門

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    ソクラテス=「無知の知」くらいの知識しかなかったのですが、その人がどういう過程でその考えに至ったのかなど、哲学の面白いところを知れた1冊でした。引用文は難しくて理解するのに時間がかかり、まだよくわかっていないところもあります。もう1度読み返したい。
    考える教室という題の1冊目にいい本だと思います。

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    2025年12月17日