若松英輔のレビュー一覧

  • 「利他」とは何か

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     中島は人間の意思に還元できない利他的行為が存在するのだと言う。利他が宿る器になるために我々がすべきことはなんだろうか。

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    2024年07月01日
  • 悲しみとともにどう生きるか

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    いろんな視点から「悲しみ」について書かれており、とても良い本でした。
    大小あれど悲しみのない人生なんて存在しないと思います。そんな悲しみに寄り添ってくれる本でした。

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    2024年03月12日
  • 「利他」とは何か

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    うつわ的存在であることが大事

    今までは、「意思」という概念を使って帰責(その人に責任を押し付ける)ことが責任の概念のコアだと思っていたけど、國分功一郎さんは、中動態の概念を用いることにより、その「意思」を否定することで、神的因果性(人は運命に巻き込まれて行為させられる、あるいは、自らの行為かわ思ってもいなかった効果をもたらしてしまうこと)と、人間的因果性(その行為をその人間がなしたこと、加害者として人間を捉える)の両方を肯定し、責任を考えることができるという考え方には感銘を受けた。

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    2024年03月11日
  • NHK「100分de名著」ブックス 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみのなかの真実

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    先日、石牟礼道子の「苦海浄土」を読み深く心を動かされた。多くのことに心を動かされたが、とりわけ、第三章と第四章の「聞き書き」の部分、特にその中でも、水俣病の被害者が、まだ海が汚染される前の水俣湾での漁の様子が、どれほど美しいものだったかを語った部分に感動した、ということを、「ブグログ」に感想として書いた。水俣病の被害者からすれば、漁をし、魚を食べるという日常を営んでいただけなのに、チッソの排出する有機水銀により、海が、魚が、そして、それを食べた者の中枢神経が損なわれるというのが、水俣病の実態である。それは、怖いし、悲しいし、怒りや恨みを感じることだと思う。しかし、「聞き書き」の中で被害者が語るのは、昔の水俣のきれいな姿であったし、また、それを読んだ私はその美しさに素直に感動した。どうしてこういうことが起こるのだろうか?と少し疑問を感じながら、感想を書いた。

    本書は、NHKの「100分で名著」シリーズの中の1冊で、「苦海浄土」について、あるいは、作家・石牟礼道子について、解説したものである。
    本書の第一章の中に、下記のような部分がある。
    【引用】
    昔の日本人は、悲し、哀しとだけではなく、「愛し」、「美し」と書いても「かなし」と読んだといわれますが、この一文はそうしたかなしみの深みに読む者を導いてくれます。熾烈なまでに悲しいのですが、どこまでも「愛しく」、そして「美しい」何かを読む者の心に残してくれる言葉であるように私には感じられます。
    【引用おわり】

    水俣病の患者・被害者には、沈黙を強いられていた人が多く存在する。中枢神経系を冒されていたために、物理的に発語が困難な人たちだったり、あるいは、周囲からの差別を受けて、誰も声に耳を傾けてくれなかったりといった人たちだ。「苦海浄土」は、その人たちの声を代弁した物語という側面がある。沈黙を強いられた人たちの心の声を石牟礼道子が、物語として代弁してくれる。そして、彼ら・彼女らが語りたかったことは、多面的であり、ひとたび、世の中に溢れ出たら、とどまるところを知らなかったはずだ。そして、それらは、「悲し」「哀し」「愛し」「美し」の「かなし」の物語だったということであり、その切実さと「かなしさ」に我々は、心を動かされるのだろう。

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    2024年03月11日
  • 光であることば

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    僕もコトバは光であると思う。言葉が好きだ。特に自分が生まれ育った場所の言葉が。そんな言葉の何気ないやり取りに心がキューンとなったりする。そんな言葉を味わいたくて、仕方がない。そして自分も言葉を紡ぎたいと思う。そんなことだけで幸せを感じて胸がドキドキするのだ。

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    2024年03月10日
  • 日本人にとってキリスト教とは何か 遠藤周作『深い河』から考える

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    ネタバレ

    著者の若松英輔氏の日経新聞の連載が面白く、興味を持って本書を手に取る。共感できたり、勉強になったりすることは多かった。特に、「生活」と「人生」の違いというところは印象に残った。ただ、本書に含まれる多様なテーマの繋がりというか、本書全体のテーマというのが捉えにくく感じた。タイトルの「日本人にとってのキリスト教」より、もっと広く普遍的なテーマを扱っている気がした。

    以下、面白かった点。

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    遠藤周作はカトリックだが、プロテスタントの正宗白鳥を愛読した。
    →プロテスタントとして正宗白鳥は読んでみたい。

    戦国〜江戸時代の日本人は、霊性的欲求に従って、ある主体的な決意と覚悟のもとに、キリスト教を受容したと井筒俊彦は考えている。それは、キリスト教の「日本化」ではなく「血肉化」である。

    仏教も、最澄、空海、道元によって、インド・中国のものがそのまま持ち込まれたのではなく、日本で血肉化し開花した。彼らが生きたのは「仏教」という思想ではなく、「仏道」と呼ぶべき霊性だった。「道」は人間がそれを生きることによってのみ確かになる何ものかである。それを「実存的」と言ってもよい。

    仏教は自然に仏が宿ると考え、キリスト教は人間が自然を支配すると考える、という言説を耳にする。しかし、キリスト教にも自然の中に神のはたらきが注がれているという考え方はある。アッシジの聖フランチェスコや、現教皇フランチェスコなど。遠藤や遠藤の親友の井上神父は、人も草も神という大きな命に生かされ、そのことを無心に表現していくべきものだと考えた。

    本書が扱うのは「生きるとは何か」という問題。「どう生きるのか」という処世術の問題ではない。遠藤はこの違いを「人生」と「生活」という言葉で区別した。そして、遠藤にとって信仰とは、自らを「人生」へと向き直させるはたらきでもあった。

    著者は井上神父の弟子。

    クリスマスは元々ローマの太陽神の祝日だったとされる。実際にイエスの生まれた日ではない。イエスのはたらきを陽の光と捉え、あえて救世主の誕生を冬に据えたところに、キリスト教の霊性がある。

    「いのち」は「絶対矛盾的自己同一」として存在する。(西田幾多郎)

    私たちの「人生」を根底からひっくり返すような言葉はむしろ、平凡な、ありふれた言葉なのではないでしょうか。ありふれているから、見過ごす。

    生きるとは、どうにかして生まれ変わろうとすることだ、とすら言える

    困難にぶち当たったとき、私たちは未知な情報を探します。あるいは新しい知識を求めます。しかし、そうしたとき試みなければならないのは、新しい何かの発見ではなく、自分が見過ごしてきたことと向き合うことなのかもしれない。

    「人生」は私たちに進むことではなく、むしろ立ち止まり、佇むことを、そして、問いを深めることを求めます。

    神父である大津は、「神」という表現をあまり用いない。この言葉は神そのものの姿を見えなくすると考えている。現代では「神」という言葉がもう「神」を表していないというのが遠藤の実感。

    悲しみが、愛(かな)しみに変わる。
    →八木重吉の「かなしみ」はどちらか?

    遠藤と九鬼周造の偶然論。キリスト教では「偶然」という言葉は使わず、「摂理」「神慮」と言う。英語だと”Providence”。アリストテレスは、「絶対者とは偶然なき存在である」と言った。九鬼は、偶然を神霊の意によって否定する原始人も、偶然を自然によって否定する自然科学的決定論者も、原因の特定せずにはいられない焦燥と不安、また真理の探究を諦めているという点で同じとする。九鬼は若い日に洗礼を受けており、日本の重要なカトリック司祭・神学者・哲学者の岩下壮一と親友だった。遠藤は岩下の孫弟子。岩下は癩病院を経営した。癩病人の苦しみを見た時、プラトンもアリストテレスもカントもヘーゲルも投げ捨てたくなった。
    →神はサイコロを振らない(アインシュタイン)

    余白が生まれるとき、真の意味で出来事と呼ぶべきことが起きる(エックハルト)。作家は登場人物に対し、人は自分に対し、余白を作るべき。

    遠藤もモーリヤックもドストエフスキーも、作中人物が作者に逆らって動き出すことを良いことと考えたが、サルトルはそれを批判した。

    「恐れ」は恐怖、「畏れ」は尊敬が根底にある。

    悲しみを知るものは、他の悲しむ者を慰めることができる。聖母マリア、中世の最も信仰が深まった頃、”Lady of Sorrows”(悲しみの女)と呼ばれるようになった。日本のカトリック教徒が激しい迫害の中で信仰を保ったのは、マリアに縋ったからである。仏教でも「悲母観音」という言い方がある。
    →横田早紀江さんの悲しみを思う。

    リルケは若い詩人に「日常」と深く交わること、幼年時代に注意を向けることを勧める。

    宗教多元主義。ヒック、ガンジー、遠藤。どの宗教も多かれ少なかれ真実で、同時に不完全である。なぜなら、不完全な人間によって伝えられてきたから。宗教多元主義の力点は、宗教は何でもいいということではなく、全ての宗教は、同じ「神」「一なるもの」「実在」「超越者」から発すること、またそれぞれの宗教の中で自我中心から実在中心へと生き方の変革が起きていることである。複数の宗教の共通の根を考えず、一部を混ぜ合わせる混淆主義とは違う。混淆主義は歴史という根を分断するため長続きしない。

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    2024年02月24日
  • NHK「100分de名著」ブックス 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみのなかの真実

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    原本がなかなか読めないので、ガイド本としてこちらを読んでみた。こちらだけでも十分というかかなりの情報量…といった感じ。感想を文字にするのが難しい…人間の崇高な一面を感じた。

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    2024年02月18日
  • 光であることば

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    若松さんと秋満さんのトークイベントにて。サインしていただいた大切な本。「君たちはどう生きるか」という映画が去年ヒットしていた。逆にと言ったら語弊があるが、当著書には、どう生きるかということだけを考えているとき、その人の「人生」は「生活」という幕に覆われて見えにくくなる。と書かれている。自分にとって大切な人の死とは何か。生にのことばかりではなく、死についてもしっかりと向き合わなければならないなと感じました。

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    2024年01月13日
  • 読書のちから

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    ネタバレ


    苦しみや「かなしみ」が私たちに教えるのは、答えではなく問いの深まりである。-情愛の泉

    自分の生きる意味を探して、自分のために時間を費やすのではなく、他者に「時」をささげ、共感と理解を深めるなかにこそ人は、自らの「傷」を「愛」へと変容させる道を見出す。-いのちを生きる

    だが、よく考えてみれば私たちはつねに、日々を死と隣り合わせに生きている。日ごろあまり意識しないが、人はつねに、生きつつあるとともに死につつある。
    日々、死に近づいているにもかかわらず人は、いかに生きるかばかりを考え、いかに死を迎えるかという問題を見過ごしている。
    「死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である」。「死」に力点を置いて読むとき、この一節が、異なる光を放つのが分かるだろう。-たましいの糧

    わたしが地上を去るとき、別れのことばにこう言って逝かせてくださいー「この世でわたしが見てきたもの、それはたぐいなくすばらしいものでした」と。
    「光の海に咲きほこるこの蓮華の秘められた蜜の甘さをわたしは味わった、こうしてわたしは祝福されたのです」ーこれをわたしの別れのことばにさせてください。-十読は一写に如かず

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    2023年11月30日
  • 読み終わらない本

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    ネタバレ

    自分にとって大切な「ことば」。
    それを読書していくうえで、感じ取っていければと思った。そしてもし、そんなかけがえのない言葉に出会えたら、書き出していこう。
    「読み終わらない本」。そんな本に出会えると思うし、もう出会っているかもしれない。

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    2023年11月06日
  • ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う

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    たまたま本屋の棚に陳列されているのを見かけて、まずタイトルに一目惚れして思わず買ってしまいました。

    自分が本を読んでいるときは、文章を頭の中で音声として再生する音量感みたいなものも無意識に設定しているのですが、若松さんの文章は「とても小さな声で大事な話をしてくれている」という印象を受けます。
    ひとりで静かに浸るには最高の一冊です。

    個人的に昨年のベストの一冊だった「文にあたる」の著者の牟田郁子さんが校正・校閲を手掛けられていることも、自分が心地よく読めた一因であると思います。

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    2023年10月27日
  • 読み終わらない本

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    ある想定したひとりの若い人への長い長い手紙。
    生きるということ、自立と孤独、詩の力、人生が問いかけてくるもの、著者がひとりの若い人を通して私たちに伝えたいこと、知っておいてほしいことが丁寧に心を込めて愛情深く、時には厳しく綴られています。今生きていることの重みを感じる本でした。
    著者の言う読み終わらない本を持てるように、いつも自分を助け、成長の糧となるような本を見つけたいです。

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    2023年10月10日
  • はじめての利他学

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    利他とは何か。東洋、西洋の哲学や宗教を横断し、様々な観点からスポットライトを当てる。

    仏教から「自利利他」「菩提心」、「愛語」、儒教から「仁」、「知行合一」、キリスト教からパウロの「愛」、そしてフロムの「愛」へと、論は飛び回る。

    結局、人間は社会的生物であることからは逃れられず、古今東西あらゆる人が「人とどう関わるか」について論じてきたということだ。
    そして、「固有の自分」自身を許し、受容れることを第一歩にし、同様に他人も受容れていくことが寛容だということだ。それは知識だけでなく、実践を伴わないと意味がない。この実践をどれだけできるかが、人生の豊かさを左右するのだろう。

    本書を通じ、フロムの著作を読みたくなった。

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    2023年10月09日
  • 考える教室 大人のための哲学入門

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    哲学ということで理解に難しい分野ではあるのだが、ソクラテスを始め各哲学者の言葉を若松さんがわかりやすく解説してくれて、哲学入門書としてよいと思いました。
    人は誰もが不完全です。ですから、自分が絶対に正しいと思うとき、その人は絶対的に誤っている。

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    2023年10月09日
  • 詩集 美しいとき

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    ネタバレ

    素朴な言葉
    「ほんとうに わたしを なぐさめてくれる ことば」
    みつけられるといいな。
    若い人たちへ
    「分かることだけで、自分を塗りつぶして、何かをわかったように思いこんではいけない」
    わからないこともある、それが世の中なんだな。

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    2023年09月23日
  • 危機の神学 「無関心というパンデミック」を超えて

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    祈る、そして感じること。
    読み直しから始めて改めて原点に戻る。コロナはそれに気づかせてくれたのかもしれません。

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    2023年09月21日
  • 弱さのちから

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    痛みに耐えられる心なんて
    もった人間は居ない。
    なるべく痛みに出逢わない人生がいい。
    でも現実は、そうもいかない。
    果てしなく痛々しいのが人間ならば
    弱いまま生きるということ以上に
    強いことはない。

    人間はもろいけどさ、つよいんだって。
    愛がある。

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    2023年09月21日
  • 14歳の教室 どう読みどう生きるか

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    とある知人に貸していただいて。
    若松英輔さんの本は、わかりやすいようで、わかりにくい。
    易しい言葉で難しいことが書かれている。
    若松さんの敬愛する池田晶子の本を読んだときも、空を掴むようなわかったようなわからないような感覚になったけど、この本も似たような感じ。
    もうすこし、大切な人が大変なときに仕事に没頭してしまったことなどについて、個人的エピソードを知りたかったんだけど、この人はそういう方針じゃないですよね。
    言ってることはとても大切なことなんだけど、個人的エピソードがないので、なんだか身に入ってこない。
    紹介している先人たちは、とても(教材として)良い人たちを紹介していると思うが…。

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    2023年09月07日
  • 沈黙のちから

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    詩は声に出して読むものとあり、実際声に出して読んでみたら、全く違って響き驚きました。言葉がゆっくりお腹、喉を通って耳に響くこと、呼吸をしながらなので沈黙が入って余韻が加わり、言霊とはこういうことかもしれないと実感しました。

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    2023年08月08日
  • 読書のちから

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    自分の生きる意味を探して、自分のために時間を費やすのではなく、他社に「時」をささげ、共感と理解を深めるなかにこそ人は、自らの「傷」を「愛」へと変容させる道を見出す。

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    2023年08月05日