若松英輔のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
この詩集、読んでいて、あまりに愛しくて涙が出ました。
詩集で泣いたのは初めてかもしれません。
前作、『たましいの世話』のレビューにも書きましたが、若松英輔さんの詩には共感があります。
私もそう思うけれど、私にはとてもことばにできないことを見事に簡単なことばだけで美しい詩として表現してくれています。
日本で一番有名な詩人の谷川俊太郎さんがもし同じクラスの生徒だったとしたら、吹奏楽部で楽器を演奏しているかんじがします。
もう一人大好きな詩人、長田弘さんは美術部で美しい色彩に満ち溢れた絵を描いているような気がします。
そして、若松英輔さんですが、園芸部で植物に水やりをしたり、土に栄養をやったりしているそんなイメージの少年像を書かれた詩からかんじました。
この詩集から二編の詩を紹介させてください。
「祈願」
多くの人と
知り合うより
出会うべき
ひとりの人に
めぐりあえますように
たくさんの
ではなく
ほんとうに
なくてはならないものを
愛しめますように
大きなことを
成し遂げるよりも
なすべき 何かに
わが身を賭すことが
できますように
きらびやかな
文章ではなく
人生の一語を
自分の手で
つむぎだせますように
わたし自身よりも
わたしに
近いところにいる
見えないあなたに
届きますように
「高貴な悲しみ」
愛することは
悲しみを育むこと
いつか訪れる別離を
無言の
涙のうちに
迎え入れること
悲しむとは
愛を
深めること
悲しみの奥に
愛しみを
見出すこと
生きるとは
愛がなければ
悲しみすらないという
厳粛な事実を
全身で
受けとめること
悲しみに
耐えている者は
それだけで誇り高い
悲しみとは
何かを愛した
証しだからである
「一冊の本」「かなしい小説」「無音の宮殿」もよかったです。 -
Posted by ブクログ
〈本から〉
社会を離れて自然に帰るとき、そのときにのみ人間は本来の人間性にかえることができるというルソーのあの主張は、根本的に正しいに違いない。
自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を与えうる。
人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない。
一個の人間として生きとし生けるものと心を通わせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなく豊かな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージを作り出すよろこび。ー こうしたものこそすべてのひとにひらかれている、まじり気のないよろこびで
いかに生きるかではなく、いかに生かされているか
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
生きがいを失ったひとに対して新しい生存目標をもたらしてくれるものは、何にせよ、だれにせよ、天来の使者のようなものである。 -
Posted by ブクログ
行政には、楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。 大平正芳
(引用)いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている、著者:中島岳志、若松英輔、発行所:株式会社 集英社クリエイティブ、2021年、253
本来、危機的な状況に陥ったとき、一国のリーダーの発する言葉は、とても重たいはずだ。時としてリーダーは、新型コロナウイルス感染症拡大時における都市封鎖(ロックダウン)や飲食店の営業時間短縮要請など、国民に対して厳しい措置を取らなければならない。いや、国民への影響だけに留まらない。一国のリーダーであれば、複雑化する外交問題をはじめ、我が国への入国規制など、世界的な影響も及ぼす。
このたび、集英社クリエイティブから「いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている」が発刊された。日ごろから、私も”言葉の力”について、興味を抱いていた。我が国は、「言霊(ことだま)」といい、古から、日本人は、言葉に宿る力を信じてきた。
しかしながら、この本の帯には、「なぜ日本の政治家はペーパーを読み上げるだけで、表層的な政策しか語れないのか」とある。私は、書店でこの帯を見て、「いや、違う」と思った。長い我が国の歴史において、「語れない」のではなく、「語れなくなった」のではないかと思った。少なくとも、自分が幼少期の高度経済成長時代においては、我が国のリーダーの言葉は重かったように思う。そんなことを思いながら、「いのちの政治学(以下、「本書」という)を拝読させていただくことにした。
本書では、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳元総理大臣という5人の人物に焦点を当てている。そして、この5人の足跡を辿り、危機の時代において、人々に心の平穏を与える「真のリーダー」像に迫ることを試みている。
まず、本書のよいところは、政治学者である中島岳志氏と批評家である若松英輔氏という、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授による対談形式ということである。この対談は、歴史的史実をもとに、高等学校で学んだ日本史や世界史のレベルに留まらない。本書に登場する5人がどのような「コトバ」を発し、どのようにリーダーシップを発揮したのかという視点で、分かりやすく解説してくれる。
本書を読み始めて、私は最初に登場した聖武天皇から、すっかり魅了されていった。現在と同様、聖武天皇が即位した時代も天然痘に悩まされていた。しかも、大震災や大火災などの発生なども重なり、まさに危機の時代であった。そのなかで、聖武天皇は、「鎮護国家」の発想により、東大寺の大仏、つまり巨大な廬舎那仏の建立しようとする考えに至る。
本書では、聖武天皇のコトバである「大仏建立の詔(みことのり)」が紹介されているが、なぜ、人々は聖武天皇から強いられることなく、自律的に廬舎那仏建立に関わっていったのかといった解説が素晴らしい。そこには、人間は「与えられる」だけではなく、「与える」存在であるといった本質を突いたコトバがあった。
ここで、「言葉」と「コトバ」の違いについて触れておきたい。本書では、哲学者の井筒俊彦氏の定義を引用し、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んでいる(本書、15)。
では、どうしたらリーダーは「コトバ」を発することができるのだろうか。
本書の中で、私は、ヒンディー語で「与格(よかく)」という独特の文法があることが参考になった。例えば、「私は悲しい」というときも、主語を「私」にしない。直訳では「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするという(本書、25)。
まず、現在のリーダーは、「私は、〇〇と思う」というように自分の考えを伝える。しかしながら、本書で紹介されているリーダーたちのコトバは、「私」を主語にせず、社会的弱者の代弁者として語っている。実は、私も実生活で感じるところがあるのだが、人間として苦難や感情を経験するために、あたかも見えないところからその出来事がやってくる。それを私は、ただ受け止めるだけという感覚に至り、「与格」という文法が誕生したのではないだろうかと思う。このことは、本ブログの後でも触れたい。
本書の最後には、大平正芳氏が登場する。なぜ、歴代の総理大臣の中で大平正芳氏なのかといった疑問が湧く。しかし、本書を読み進めていくうちに大平氏が敬虔なクリスチャンであったこと。しかも、本書で先に紹介された4人と共通する部分が多いことに驚かされた。
冒頭、行政の大平氏のコトバを紹介した。行政は、納税者と受益者の均衡にあるという。常にこのことを考え、行動している政治家や公務員はどのくらいいるだろう。納税者に偏りすぎず、受益者に偏りすぎない。この絶妙な均衡に行政は成り立つ。
このことは、「中庸」という言葉にも繋がる。普通、「中庸」といえば、2つの均衡であることを指す。しかし、私は、本来の「中庸」とは、この2つの楕円の均衡点から何かが生まれて立ち上がってくるという意味も知った。よく、経営者の座右の銘として「中庸」を掲げるかたも見受ける。そこまで、理解しての上で、座右の銘とされたのだろう。常に、「中庸」であるかを意識すること。これもリーダーの重要な資質の一つとして捉えてよいのだと感じた。と同時に、まさに今、新型コロナウイルス感染症拡大という危機を迎え、大平正芳氏が内閣総理大臣であれば、我が国の難局をどのように乗り切ったのだろうかと思い馳せた。
本書に登場するリーダーたちに共通する点は、「寄り添う」というほかに、先ほど「与格」のところでも触れたが、リーダーは、「見えない力」を信じているということだ。
私は、宇宙や天からの「見えない力」によって出来事がもたらされ、天の摂理に基づいて自分を信じ、人々を動かしているように思えた。
だから、ここに登場したリーダーたちは、危機発生時、その「見えない力」に助けを求めるべく、人々とともに祈り、人々に寄り添い、奉仕した。だから、リーダーから発せられるコトバは、祈りであり、人々の声であり、希望でなければならいと感じた。
本書には、偉人たちによる人々とともに危機を乗り越えようとするリーダーたちのコトバで溢れていた。私は、偉人たちのコトバに触れ、表層的では決して終わらない、リーダーとしての神髄を知ることができた。
巷に溢れた、どの「リーダーシップ」に関する書籍より、今を生きるリーダーたち、そして本気でこれからリーダーを目指す若者たちに、まずは、本書の一読をお薦めしたい。
危機に立ち向かうリーダーとして、「コトバ」という武器を手に入れるために。 -
Posted by ブクログ
なかなかの良書です。リーダーの言葉が重要視されるなか、自らの言葉で語り、統計上の「命」ではなく一人ひとり「いのち」に向き合った人物として、①聖武天皇、②空海、③ガンジー、④聖フランシスコ、⑤大平正芳、を取り上げて論評しています。
コロナ禍での独・メルケル首相の演説はつとに有名ですが、(原稿の棒読みではなく)こうした言葉が出てくるのは、「無私」であり他者の痛みが分かったうえでの「利他」であると論じています。
いずれの人物についても、歴史背景や文献・原典を精緻に考証しており、良心的な記述の読後感は「清涼感」という印象です。「終章」の結論として、「すべてのいのちを生かすために重要なのがリーダーの選び方」という点は、常に考えておかなければいけない論点と思いました。 -
Posted by ブクログ
筆者の豊かな読書経験から、単なる「読み方」や「読書の効能」に留まらず、そこから人生に行き詰まった人への指針にもなる本であった。
個人的にはハウツー本やネット、SNSといった短く、すぐ結論がわかるようなものを多く読んでいた時期にこの本に出会った。筆者が言うところの浅い呼吸ばかりしており(筆者もそれ自体を否定していない)、深い呼吸ができていなかった。本を多く読むよりも深く読むことが重要である。ではそのためには何が必要か、「深く読むためには深く書く必要がある」のだ。この本で紹介された本を購入した。難しいものも多いが、「たましい」と対話して読みたいと思う。各篇それぞれに味わいがあり、すべて紹介できないが、とても読み応えありました。ありがとうございました。 -
Posted by ブクログ
言葉とコトバ。
言葉と沈黙。
生と死。
「と」という「あわい」に漂う、曰く言い難い何かを手探りで探すこと。
言葉を介して、あるいは、沈黙を介して、みえない友人とつながること。
じっくり考えていると、日常の狭い柵の中で埋没するように生きていた自分が、息を吹き返してつながりのなかに解放されてゆくのが感じられる。こうして感想を書きながら、自分の中で正体を変えてゆく自分の蠢きが、わかる。
そういう本にまた一冊、出会うことができた。
若松先生の言葉に直に触れた子どもたちは、その後、どんなことを感じながら生きているんだろう?
たくさんのプラトンたちのコトバも聞いてみたいと思った。 -
Posted by ブクログ
哲学に興味が出てきたので、入門として読みました。4章構成で読みやすく、入門にこの本を選んで正解でした。
プラトン、ソクラテス、デカルト、ハンナアレント、日本人では吉本隆明が登場します。
著名な哲学者の著作や言葉の一部が随所ででてきますが、正直なところ、読んでも何を言っているのかあまりわかりませんでした。
そこで終わらずに、著者の若松英輔さんがそれはどんなことを言っているのか端的に伝えてくださるので置いてきぼりにならず、楽しみながら読むことができました。
この本を読んで、本を読むということは自分の中に問いを持つこと、著者と会話することなのだと知りました。
哲学への姿勢というのも、僅かですが体感できた気がしています。何度も読み返したい。 -
Posted by ブクログ
東日本大震災のとき、何も出来なくてもどかしかったこと、今回のコロナでむしろ動けなくなって、自分がダメになりそうだった。今まで「自分に武器を持ちなさい」と諭され、生き抜く事ばかりに執着していた自分が、武器も使えない、増やせない状況で気がついたのは、筆者と同じ「弱い自分をうけいれる」ことだった。もう自分は生きていて、揺るがないものがどんな形で、自分がどんな人間が認識することが必要なんだろう。と思った。若松先生の詩や文章はじっくりと自分と向き合う姿が伝わってきて好きだし、神谷美恵子さんの著者の解説などもとてもわかりやすく、過去の翻訳家だと思っている。そんな先生が、等身大の自分を曝け出したこの本はある意味「びっくり」「なんだかわかる」し、「共感」する。そんな一冊です。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ『苦海浄土』はまだ読んだことがない。まだそこまで手が出ない。熊本という場所に生まれ育ち、小さいころからその病の名前を聞いていて、石牟礼さんの名前もどこそこで聞いてきたのに、ようやくそちらに意識が向くようになったのは最近のことだ。
このあいだ、高群逸枝さんについて書かれた(というか厳密にはそのご主人との交流の部分が大きかったが)本を読んで、石牟礼さんにも最初の一歩というものがあったのだという「親しみ」のようなものを感じ、ようやくすこしだけ近づくことができてきたような気がする。でも、まだ全集を手に取るには畏れ多い。そんな私みたいな人間が入門書としてこの本を手に取るのは非常に有益だと思った。
そして、水俣のことは過去のことでなく、現在のことでもある。これは石牟礼さんの文章からの引用ではないが、30ページ中村桂子さんの文章からの引用として、なぜ水俣病が発生したのかの指摘は、今問題になっている福島の廃水を海に流すかという問題とそのまま言葉を入れ替えれば同じことなのだ。 -
Posted by ブクログ
大好きな須賀敦子さんのことを若松英輔さんがお書きになるって読まずにはいられない。
大喜びで読み始めたが、いきなりガーンと来た。
もちろん須賀さんが熱心なカトリックの方とわかって読んではいたのだが、そもそもカトリックに関する素養も知識も、もっと言えば関心もほぼない私。それを抜きにして読んで、それで読んだと言えるのか。何を持って好きと言ってるのか。全くわかってないではないかとショックを受けた。ほんとに。今、私のやるべきことは、この若松さんの評伝を横に置きながら、須賀さんを読み直すことと思われる。
でも、もっと意識をして読むからと言って、カトリックの素養のない私は深くは読めないってことなのか。それを抜きにしてもやっぱり好きだから(引用されている文章が、ことごとく出典に戻って読み返したい気分を起こさせる)これを契機に読み返したいという気持ちは満々だし、これからも何度も読み返したいと思っているのに、無信仰な私は無信仰なりの理解しかできないということなのか(バカな私はバカなりの理解、と書きたいところでもある)…
ここまで書いて、それを言い出すと、たとえば遠藤周作の小説の理解も多分全然ダメで、それでもそれなりに考えることもあるわけで、全ての書物、人物等は自分の器なりの理解しかできないということなのだなぁ…
格調ある評伝の感想を、こんなふうに書いてしまって…
偉そうなことを言うと、雑誌に連載されてるのを知った時から、若松英輔さんがお書きになるって、須賀さん大喜びだろうなと思っていたのだ。
すごい組み合わせだと感動していたのだ。
こんなガサツな感想で申し訳ない気持ちでいっぱいです。
読み終えたばかりで、うれしいような悲しいような気持ちになっているので、もう少し落ち着かないと。 -
Posted by ブクログ
書店屋で,たまたま目に止まって買ったまま積読でしたが,連休中に読みました.
哲学は,前々から興味はあったものの,どうにも型苦しいと言うか,変に難しく考えている様な感じがあって,少々敬遠気味だったのが本音でしたが,この本を読んだ,私なりの感覚としては,考えるとは何かを考えるのが哲学と言うものかも知れないと思いました.また,自分が実体として思っていることも,実は多数の考え方によるもので,実体とは言い切れない面があることも,本書を読んだ気づきです.
この本はあくまで入門本で,深く学びたいならば,それ相応の書籍を読んだり実践の中で体得すべきなのでしょうけれど,哲学とは何か(を読者が自分自身で考える)について,本書籍のタイトル通り,良い入門本だと思います.