若松英輔のレビュー一覧
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およそ半年かけてまずは読み通した。朝起床後の一時が頭に染み渡るのを経験してから、毎日少しずつ。小林秀雄の著作は、実はそれ程読んではいない。しかしずっとこころの奥には熾火のように何かが残っていたのだろう。
再挑戦しようと思ったのは講演集CDを手に入れたのがきっかけだった。当時氏の肉声を毎日徒歩通勤の途上聴き続けた。繰り返し何度も。氏の編集者だった池田氏の講演のAudibleで聴いた。
それでも氏の作品を読んでもこころに響いてこない。そんな時この著作(文庫)に出会った。しかし実際手にするまで日数があった。
きっかけは:学びの基本 考える教室 大人のための哲学入門:を読んでからだ。さっそく入手して、読みはじめた。氏の評で何となく小林秀雄の凄さが見えてきた気がする。そしてこれまでと異なった感覚で小林秀雄の著作を読めるようになった。
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恐しみに出会った時に読む本。
一宮沢賢治、須賀敦子、神谷美恵子、リルケ、プラトン、小林秀雄、ユングらの、死者や哀しみ、孤独について書かれた文章を読み解き、
悲しみは排除すべきものではなく、人間を深くする経験であると語る。
「涙は、必ずしも頬を伝うとは限らない。悲しみが極まったとき、涙は涸れることがある。深い懇しみのなか、男気をふりしぼって生きている人は皆、見えない涙が胸を流れることを知っている。」
「人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。悲しむ者は、新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。単に、悲しみを忌むものとしてしか見ない者は、それを背負って歩く者に男者の魂が宿っていることにも気がつくまい。」
去年の今頃、母を亡くした。
悲しみを忌むものとは捉えたくない。
と思う。
素敵なカバーが目に入ったので本を手に取ってみた。 -
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ネタバレ静かで力のある言葉がたくさんあった。
読め、書け、情報を集めるのではなく自分のうちなる部分で考えろ。しかし人生(本文中では信仰)は考えるより歩け、生きろ。そこからしかわからないことがある。
繰り返し言われているのは、語り得ない言葉(あるいはコトバ)の存在。そして、読むことの力。事実、若松さんは様々な詩や本を引用しながら書いているが、そこから思索を深めていく姿はまさに「読む」ということが「コトバを発する」ことに直結している姿を見せてくれている。
最後にちょっといい文章を引用しておく。
「やわらかな日の光にふれ、小さな呼吸をする。全身を小さな力が貫く。そのとき私たちは今日も生きてみようと、内なる言葉で自らに語りかけている」
あぁ、そういう感覚あるな、と思う。あのちょっとだけ気合いが入るあの感じ、こんなふうに文章化できるのか、と感じ入る。
星4つなのは、私がまだ本当に大切な人を喪失していないので、私の理解力不足。 -
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「概念の鍵では「宗教」の扉は開かない。」P306
往復書簡してみてぇーって思った笑
宗教関連のテーマに沿って仏教徒とキリスト教徒がそれぞれ手紙でやり取りする形式になっている。持ち合わせている知識と考え方が非常に深い。そんな感想しか出ない俺が浅い。
結局、宗教は知識として勉強できるような類のものではなくて、それ自身を全身全霊で「生きる」ような飛躍が宗教の語りには必要になる。有無ではなく要不要に関わるから、現代社会のような道具としての宗教は本質を外していて「死せる概念」となってしまっている。イサク奉献のエピソードは、常に宗教観に影響を与えてくれそう。
俺の勘違いは以下の部分。
「宗教は共同体を生み出します。共同体が無くて、完全に個人の枠内にとどまっているのであれば、それは宗教というよりも思想・信条といったところでしょう。」P242
思想・信条を共有したいという思いは、宗教と若干ずれてる気がしてきた。ただ、この思想・信条の実践/もの語る行為の先に、響きに共鳴する、ともに道を歩く人に出会えたりするのかなと。
「たとえ誰かがキリストは真理の埒外にいるという事を僕に証明したとしても、又、事実、真理はキリストの裡(うち)にはないとしても、僕は真理とともにあるより、寧ろキリストと一緒にいたいのです。」P277 -
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僧侶にして宗教学者としても著名な釈先生と、生まれる前からのキリスト者である若松さんが交わした書簡による対話。「話す」「施す」「笑う」など、挙げられたキーワードを宗教的視点で語り合う。
釈先生の書簡に対し若松さんが応えるという形式なので、どうしても後から述べる若松さんの意見のほうが強めに残る。個人的に興味深いと思ったのは「共同体」というテーマだが、いずれのテーマも一度のやり取りで終わる。深める、掘り下げるというところまではいかないのが少し残念。
私が本書で宗教の本質を垣間見たと思ったのは、最後に収録された対面での会話である。釈先生が述べた教え子のエピソードに対して、若松さんが「私たちの生は現世に限定されていないかもしれない」からその先も含めて自分の人生を決める、これこそ世界観であり、それは賭けも含むと返し、さらに釈先生が「賭けである以上、他人に強いてはならない。もの語るしかない」と返す。これは、この2人の会話だからこそ出てきた発言だろう。実に興味深い内容だった。 -
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日本経済新聞に2023年4月から2024年3月まで、「言葉のちから」として連載されたものから27篇を選び一冊の本にしたもの。
〝言葉〟の持つちから、面白さが詰まっていて、何度でも手に取りたくなる本でした。
一篇はどれも「誰かの言葉を引用した作品」になっており、例えば…
武者小路実篤『沈黙の世界』より引用
──言葉の世界に住んでいると、沈黙の世界がなつかしくなる
など、作家や哲学者の言葉が多く取り上げられている。
他に面白いと思ったのは、
『念い(おもい)を深める』
の一篇で「おもい」を表現する漢字が沢山あるということ。
思い、想い、意い、憶い、惟い、顧い、懐い、忖い、恋い…
それらを熟語にしてみると、意味が明らかになる。
意図、記憶、思惟、懐古、忖度、恋愛、念願…
なるほどね!
〝念とは「わたし」の原点であると同時に人間の原点でもある。そこに立ち戻ろうとする願いを念願と呼び、その場から発せられる助力を必要とするとき私たちは、正念場だというのだろう。〟
う~ん
私にはちょっと難しいな(;^ω^)
哲学的な一冊だけど、すごく分かりやすかったのは、
「頭」で考えただけの言葉はそれを聞く人の「頭」を刺激する。
「心」から出た言葉は「心」に届く。
「肚」から出た言葉は「肚」へと届く。
うんうん、納得⁽⁽ ( *ˊᵕˋ ) ⁾⁾
巻末にブックリストも掲載されており、気になる本も何冊か見つけられて、お得な一冊だった。
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八木重吉の詩集ですね。
八木重吉(1898~1927、東京生まれ)二十九歳で亡くなった近代詩の彗星。
編集は、若松英輔さん(1968年、新潟県生まれ)
生前に発表された詩集は『秋の瞳』一冊だけです。
自分で編集した『貧しき信徒』は、亡くなられてから発刊されました。それと、残された多くの『詩稿』とキーツ、ブレイクの『訳詩』から精選された詩集です。
いずれも短い詩は、『生きること、在るへの愛しみとかなしみに満ちている。人間の内奥にある霊性が、読む者にはたらきかけてくる。』と、編者が語り掛けています。
「胡蝶」
へんぽんと ひるがへり かけり
胡蝶は そらに まひのぼる
ゆくてさだめし ゆえならず
ゆくて かがやく ゆえならず
ただひたすらに かけりゆく
ああ ましろき 胡蝶
みずや みずや ああ かけりゆく
ゆくてもしらず とももあらず
ひとすぢに ひとすぢに
あくがれの ほそくふるふ 銀糸をあへぐ
「詩稿」より
宇宙のこころは かんじてゐる、
いまの世はくちた世であると
そして、あたらしい芽がこの世から出ないなら
焙きほろぼすにしくはないと、
為政者やぬすびとだけがいけないのでもない、
純情の人といへどもかなしき不具者である、
ああ、さむげに
ひかるように かんじてゐる宇宙のこころよ、
「詩稿」より
詩をうむこころ
それはおさないこころです、
ただそれはつめたくはない、
うつくしく
あつく しづかに、
たとへ春の花であっても
詩にあっては秋の空のなかに咲きます、
「詩稿」より
なにゆえ
草はうつくしきか
みづからのすべて
みづからによりてつくられしゆえなり
なにゆえ
にんげんはうつくしからぬか
みづからならぬもの
みづからのうちにあるゆえなり
いっぽんのくさのうるわしさは
ひとつのほのほのうるわしさにかよふ
くさの葉の
そのかたちは
つくりぬしの
こころながるる そのすがたなり
底辺にキリスト者の精神を宿し、生命と運命を見つめている。自身の存在を確かめながら、森羅万象を感じながら詩に託されている。
短い命を翔け去った詩人の名残の珠玉は、美しい言葉で綴られていますね(=゚ω゚=) -
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「贈与」や「利他」がタイトルに含まれる本が増えていますね。
現代に生きる私たちは、交換や利己によっぽど疲れているのでしょうか。
ただ「贈与」や「利他」に漂う胡散臭さがあるのも事実。
結局人間は純粋に利他的には生きられないのではないか。
最近、私の考えていたことです。
この本を読んで、その考えは合っていると感じるとともに、
利他は意図せずしっかりと存在することも実感できました。
それは自分という器を誠実に生きるということ。
自分が全力になれることを全力でやることが、人類の歴史や系譜に奉仕することになるという作家・磯﨑憲一郎さんの言葉は、私たちの迷いを幾分和らげてくれるのではないでしょうか。
利他を考える前に、自分の器を磨き信じることが大切だなと感じ、今日も私は本を読むのでした。 -
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いまこうして言葉にするのがとても難しいです。
どんな言葉を出しても、野暮ったくて、じれったくて。無理やり言葉にすること自体、どこか間違いのような気さえしてしまいます。
以前、Eテレの「理想的本箱」という番組で、「もう死にたいと思った時に読む本」の一冊として紹介されていた本書。その時の印象が強く、そう思った時に読んだらいいと思っていたけど、いつ来るかわからないし、「死にたいと思った時に読め」と言われる本とは、一体どういう本なのか、気がつけば、読む手が伸びていました。
一番心に残っているのは、「愛すること」と「悲しむこと」は表裏一体であるということ。愛することで、すでにその内側で悲しみも育んでいる。そう考えると、愛することにも多少の恐れを抱いてしまいますが、悲しむことに光を当ててくれる印象もあります。
私は、「もう死にたいと思った時に読む本」ではなく、「愛とは何かを考える時に読む本」としてこの本を推したいです -
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釈徹宗・若松英輔著『宗教の本質』の感想です。
他の著作で目にしたことのあるお二人の新刊を見かけて購入。やはりいいですね。言葉ではうまく表現できませんが、自分の知らない斬新な視点を提示されつつ、なぜか共感できる安心感のようなものを感じます。
マルティン・ブーバーやキルケゴールの受け売りのようですが、自分自身も「宗教の本質は不合理である」というのがしっくり来ます。イサク奉献がその代表。
ちなみに個人的には「科学の本質は再現性である」と思っています。
そう考えると「宗教が常に個人的体験とともにある」とすれば、やはり科学と宗教は本質的に別の世界を対象としているのではないかと思いました。
だからといって対立するものではなく、お互いに補い合って世界を構成している性質のものでしょう。
現実に、この世界には、再現不可能な個人的体験が、無数に転がっているのですから。 -
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「利他」に偽善的なものを感じつつも、必要なものだよなあという気持ちもあり、興味のあるテーマなので読んでみた。
正直3章以降は難しすぎたのだけれど、伊藤亜沙さん、中島岳志さんの文章に、何度も視野を広げてもらった。以下、特に印象的だった部分のメモ。
伊藤亜沙さんの文章では、効果的利他主義という考え方を知った。徹底的な「評価と比較」をして行う利他だ。
例えば、他者のために働きたいと考える若者が、限られた給料のNPOに就職したりせずに、ウォール街でお金を稼いで寄付する方を選ぶというような考え方となる。
利他の原理を「共感」にしないのが目的らしい。共感によって行う利他では、ふだん出会うことのない遠い国の人や、そもそもその存在を意識していない問題にアプローチできない。
また、共感を得られないと助けてもらえないというプレッシャーにもつながる。助けが必要な人はいつも相手に好かれるようにへつらっていなければならない。
中島岳志さんは、贈与は支配と絡まってくるという。
哀れみによって利他的な行為をすると、その対象に対して支配的な立場が生まれてしまう。
物をあげるという行為は、もらった側に負債の感覚を与えてしまうからだ。