若松英輔のレビュー一覧
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ネタバレ「悩む」と「考える」のは、違う。そんなことは、分かっている。
多くの人は、そう思っているだろう。
私自身も、「悩む」と「考える」のは違うと思っている。
違うと思っていても、悩むことを辞めるのは難しい。
悩むのではなく、考えるへ切り替えるのも難しい。
若松英輔さんの「考える教室 大人のための哲学入門」は、
自分の考えを深めていくためのヒントが詰まっている。
本書の中に、次の指摘がある。
『人は誰も、迷っているとき、早急に答えを得たくなるものです。すると人は、その答えに多少の毒があっても、それを飲み込んでしまう。哲学の力をつけるには、喉が渇いたからといって毒を飲むのではなく、その渇きに耐えることを学ばなければなりません。
心の渇きを真に癒すのは、世に流布する「甘い」言葉ではありません。
自分の手で掘り出したコトバです』
著名な学者や作家の言葉
SNSなどで多くのフォロワーがいる人の言葉
それらの言葉を見聞きして、腑に落ちたり、賛同したりすることがある。
そのことが悪いわけではない。
ただ、上記の指摘を読んだ後で、
自分が答えだと思ったことや、腑に落ちたこと、共感したことについて、
それらが、本当に自分自身のものなのか。疑ってみる必要がある気がした。
「悩む」と「考える」のは違う、と言う時、
「考える」ことは、目的がハッキリしていて、
答えを出すというゴールに向かって、進んでいくことであるように思う。
答えを出せない状態は、「悩んでいる」ように思い、
答えを出せない状態が続くと、「考える」のではなく、「悩む」に陥ってしまいそうで、不安になる。
しかし、答えを出せない状態は、「考えている」時にも存在することを忘れてはいけないだろう。 -
Posted by ブクログ
哲学って、硬いイメージが強い。20代までそれに触れることを無意識に避けてきたと思う。
いろんな人と話をしたり、テレビや映画を見たり、音楽を聞いたり、本を読んだり・・・その中で感じたことや考えたことと、いわるゆ哲学はそんなにかけ離れたものではないと、30代になってようやく気づいた。
初めて哲学に触れるとき、難解すぎる本では挫折してしまうだろう。だとするならば、この本はちょうどいい塩梅だ。この本から気になったキーワードや人物について、他の本にステップアップするように深めていったらいい。
個人的には”考えること”と”働くこと”について深めていきたい。
「旅とは、どこかに行く行為ではなく、ここに帰ってくるために出かけるための行為だ。」 -
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ネタバレ--宗教の本質とは何なのか
結局、おふたりの3年半にも及ぶ往復書簡から読み取ることは出来なかった。おふたりとも実に丁寧に書き綴られてきたことは伝わってきたが、仏教とキリスト教、互いに宗教的にも人格的にもリスペクトし合っているがゆえに、宗教の本質的な部分まで切り込むことは難しかったと推察される。痛いところを突かれたくないだろうし、喧嘩もしたくないのだから。
その代わりに、宗教家のお作法ともいうべき、言葉の使い方や態度は読み取ることが出来た。これはなんというか、複数の異なる支持団体からの反発を恐れるあまり政治判断を避け、オブラートに包んだ言葉遣いをうまく繰り出せる人が優秀とされる政治の世界に似ている。本書には、宗教家がよく用いるどんな解釈も可能な、曖昧で意味深げな言葉遣いや引用が多用されている。
つまりこの本を通じて垣間見えたのは、宗教の本質ではなく、宗教家の本質だったように思う。そもそも共著や対談、往復書簡といった形式で議論の深みに到達することは難しい。
「宗教の本質」を理解しようとするなら、ロゴス的なアプローチで頭でっかちになるだけでは十分でないことはわかっている。情緒的体験といった個人的なパトスの理解も必要だろうし、社会や時代というエトスを通じての理解も必要となるだろう。しかしもともとロゴスに偏る特性を持つ「書籍」という形態を取るのであれば、もっとロゴスの面から宗教の本質に切り込んでほしかった、というのが正直なところである。 -
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この世界そのものはひとつであっても、100人の人間がいれば、そこには100通りの「認識された世界」があるという考え方が印象的でした。
そう考えると、真理そのものはひとつであっても、人それぞれが認識する真理は、やはり100通りあるということなのだろうか。
そして、一見するとばらばらに存在しているように見える世界も、実はすべてがつながり、ひとつのものとして存在しているのかもしれない。
そうであるならば、世界は自分の外に広がっているのではなく、すべてが自分の内にありながら、同時に世界全体へと広がっているとも考えられるのではないかと思いました。
3.9 -
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利他とは何か、という題名だったので利他の本質について追求していく本なのだと思っていたが、「利他」という事柄をそれぞれの専門家がそれぞれ定義づけし、考察するような内容となっており、「利他についての諸考察」等の題名の方がしっくりとくる気がしている。
様々な角度から利他を語り、全体を俯瞰して見るとぼんやりと全体像が見えてくるような。
まるで、ピカソの多視点画をみながら全体像を探っているような本だと思った。
しかし、この本を読んで最終的に絵の全体像が見えてこない気がするのは、各専門家が利他について相互に刺激を受け、お互いの観点を踏まえた一段上の視点を提示するのが少ないからだろう。
せっかくこれだけの人材を持ち寄り、研究しているのであればもっと各専門家の視点がクロスオーバーしながら語るような内容があつくても良かったのではないかと思う。 -
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NHKラジオで放送された内容をもとにした本で、柳宗悦の著作を年代順に紹介しつつ、著者自身の解釈が展開されています。
柳といえば、民芸運動の指導者としてその名をひろく知られていますが、若いころの彼は白樺派のメンバーとして評論活動をおこない、詩人のウィリアム・ブレイクに傾倒していました。そこに見られる彼の宗教に対する関心は、晩年における一遍や妙好人の発見へとつながっています。こうした柳の宗教にかんする思想は、浄土教の思想にかんする多くの著作がある阿満利麿もとりあげていました。一方本書は、かならずしも浄土教だけに限定されることなく、信仰そのもののありかたにかんする柳の独創性に光をあてているところに特色があるように感じました。
とくに本書の前半では、著者自身の立場からの考察が目を引きます。柳の著作を手がかりにした著者のエッセイといえるようなところもすくなくありませんが、こうした思索を触発するところに柳の思想の豊かさを見いだすことができるのかもしれません。 -
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読む前
利他はほとんど存在しないでしょう
見返りを求めたり、「利他」的な行為をする自分に酔ったりしてるだけなのでは→結局は利己
でも、親が小さな子を守るみたいな行動は利他だといってもいい?
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いずれの章にも共通するものとして、「余白」「うつわ」、つまり自分の意志以外のものの介入を許しているということがあった。逆に、その介入を許さない場合、それは利他ではない
利他が「生まれる」(「する」ではない)時は、自然に、すなわち「オートマチックに」生まれるものであり、それは自分の意志ではなく何か大きな力がはたらいてこそのものである
3章〜5章で論じられていることが利他に結びついているのかあまりわからなかった。そもそも話の構造を理解できてないだけかもだけど
当初の私は利他を否定しつつも、これは利他といえるんじゃないかと思える事例が何個か思いついていたので、「余白」という言葉がしっくりきた