若松英輔のレビュー一覧
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ネタバレ--宗教の本質とは何なのか
結局、おふたりの3年半にも及ぶ往復書簡から読み取ることは出来なかった。おふたりとも実に丁寧に書き綴られてきたことは伝わってきたが、仏教とキリスト教、互いに宗教的にも人格的にもリスペクトし合っているがゆえに、宗教の本質的な部分まで切り込むことは難しかったと推察される。痛いところを突かれたくないだろうし、喧嘩もしたくないのだから。
その代わりに、宗教家のお作法ともいうべき、言葉の使い方や態度は読み取ることが出来た。これはなんというか、複数の異なる支持団体からの反発を恐れるあまり政治判断を避け、オブラートに包んだ言葉遣いをうまく繰り出せる人が優秀とされる政治の世界に似ている。本書には、宗教家がよく用いるどんな解釈も可能な、曖昧で意味深げな言葉遣いや引用が多用されている。
つまりこの本を通じて垣間見えたのは、宗教の本質ではなく、宗教家の本質だったように思う。そもそも共著や対談、往復書簡といった形式で議論の深みに到達することは難しい。
「宗教の本質」を理解しようとするなら、ロゴス的なアプローチで頭でっかちになるだけでは十分でないことはわかっている。情緒的体験といった個人的なパトスの理解も必要だろうし、社会や時代というエトスを通じての理解も必要となるだろう。しかしもともとロゴスに偏る特性を持つ「書籍」という形態を取るのであれば、もっとロゴスの面から宗教の本質に切り込んでほしかった、というのが正直なところである。 -
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この世界そのものはひとつであっても、100人の人間がいれば、そこには100通りの「認識された世界」があるという考え方が印象的でした。
そう考えると、真理そのものはひとつであっても、人それぞれが認識する真理は、やはり100通りあるということなのだろうか。
そして、一見するとばらばらに存在しているように見える世界も、実はすべてがつながり、ひとつのものとして存在しているのかもしれない。
そうであるならば、世界は自分の外に広がっているのではなく、すべてが自分の内にありながら、同時に世界全体へと広がっているとも考えられるのではないかと思いました。
3.9 -
Posted by ブクログ
利他とは何か、という題名だったので利他の本質について追求していく本なのだと思っていたが、「利他」という事柄をそれぞれの専門家がそれぞれ定義づけし、考察するような内容となっており、「利他についての諸考察」等の題名の方がしっくりとくる気がしている。
様々な角度から利他を語り、全体を俯瞰して見るとぼんやりと全体像が見えてくるような。
まるで、ピカソの多視点画をみながら全体像を探っているような本だと思った。
しかし、この本を読んで最終的に絵の全体像が見えてこない気がするのは、各専門家が利他について相互に刺激を受け、お互いの観点を踏まえた一段上の視点を提示するのが少ないからだろう。
せっかくこれだけの人材を持ち寄り、研究しているのであればもっと各専門家の視点がクロスオーバーしながら語るような内容があつくても良かったのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
NHKラジオで放送された内容をもとにした本で、柳宗悦の著作を年代順に紹介しつつ、著者自身の解釈が展開されています。
柳といえば、民芸運動の指導者としてその名をひろく知られていますが、若いころの彼は白樺派のメンバーとして評論活動をおこない、詩人のウィリアム・ブレイクに傾倒していました。そこに見られる彼の宗教に対する関心は、晩年における一遍や妙好人の発見へとつながっています。こうした柳の宗教にかんする思想は、浄土教の思想にかんする多くの著作がある阿満利麿もとりあげていました。一方本書は、かならずしも浄土教だけに限定されることなく、信仰そのもののありかたにかんする柳の独創性に光をあてているところに特色があるように感じました。
とくに本書の前半では、著者自身の立場からの考察が目を引きます。柳の著作を手がかりにした著者のエッセイといえるようなところもすくなくありませんが、こうした思索を触発するところに柳の思想の豊かさを見いだすことができるのかもしれません。 -
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読む前
利他はほとんど存在しないでしょう
見返りを求めたり、「利他」的な行為をする自分に酔ったりしてるだけなのでは→結局は利己
でも、親が小さな子を守るみたいな行動は利他だといってもいい?
↓
いずれの章にも共通するものとして、「余白」「うつわ」、つまり自分の意志以外のものの介入を許しているということがあった。逆に、その介入を許さない場合、それは利他ではない
利他が「生まれる」(「する」ではない)時は、自然に、すなわち「オートマチックに」生まれるものであり、それは自分の意志ではなく何か大きな力がはたらいてこそのものである
3章〜5章で論じられていることが利他に結びついているのかあまりわからなかった。そもそも話の構造を理解できてないだけかもだけど
当初の私は利他を否定しつつも、これは利他といえるんじゃないかと思える事例が何個か思いついていたので、「余白」という言葉がしっくりきた -
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利他に関する論考集。
第一章の伊藤亜紗氏は、合理的利他主義や効果的利他主義といった利他についてのトレンドを概観し、その根底には利他の効果の数値化があること、数値化により漏れてしまったり失われてしまったりすることがあると説く。利他の効果を数値化することは、自らの利他的行為が相手に与える影響を規定することに繋がり、押しつけや他者の支配に繋がる。そうではなく、予測不可能性を受け入れること。予想外の他者の反応によって、自らの方が変わること。これを「うつわ的利他」と表現しているが、相手を享けることのできる利他が、良き利他ではないかと述べている。
第二章では、中島岳志氏が、贈与論から利他を考察している。贈与は暗黙に返礼を要求しがちであり、古来より相手の支配や権力に繋がってきた。利己的でない利他をするためには、返礼を前提とせず、しかし「不確かな未来」による結果論的な間接的互酬性によって、良いことが返ってくることが望ましい。
インドで助けられたときに、ありがとうと言ったらかえって嫌がられたというのは、最近読んだ『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく』にも繋がっていて、面白かった。
第三章以降は、民藝・中動態や意思と責任・小説史について論じられる。…が、利他という本書のテーマから見ると、寄せ集め感、取ってつけた感があるというのが正直なところ。「はじめに」で、5名の著者が共同研究しており、単なる論考集ではないと説明されるが、やや無理がある印象。
個人的には第四章の中動態の話は、その考え方のよい導入となったので興味深く読んだ。他の章も、読む価値が無いとは思わない。ただ、本書のテーマからは、やはり乖離がある内容だったとは思う。
なぜ利他が必要なのか、という点をもう一度考えてみたいというのが読後の印象。利他の必要性も、個人と、社会システムなどとでは異なるだろう。「必要」という考え方そのものが、利他とはそぐわないような気もする。
第一章で紹介された効果的利他主義は、共感を排除するという。共感ベースだと、身近な人や見えてる人以外への支援ができなくなってしまうからだという。一面では理解できると思う一方で、それは利他というより政治の領域なのでは?とも思った。政治に期待できないからそういうことになっているのかもしれないけど、でも、寄付や社会貢献的な文脈で利他を語るなら、政治や行政の働きとの区別については気になった。