作品一覧 2024/01/26更新 沖縄の人文 試し読み フォロー 沖縄文化論集 値引きあり 試し読み フォロー 工芸の道 試し読み フォロー 工芸文化 試し読み フォロー 宗教とその真理 試し読み フォロー 蒐集物語 試し読み フォロー 新編 民藝四十年 試し読み フォロー 朝鮮とその芸術 試し読み フォロー 朝鮮の友に贈る書 試し読み フォロー 手仕事の日本 試し読み フォロー 手仕事の日本 試し読み フォロー 手仕事の日本 試し読み フォロー 民藝とは何か 試し読み フォロー 木喰上人 試し読み フォロー 琉球の富 試し読み フォロー 1~15件目 / 15件<<<1・・・・・・・・・>>> 柳宗悦の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 手仕事の日本 柳宗悦 大切な点として最後までに挙がった三つ、職人の功績、実用と美、健康の美、は手仕事に限らない。 実用と美、健康の美、ふたつの表現の違いを噛みしめる。 地図や索引もありがたい。 Posted by ブクログ 手仕事の日本 柳宗悦 一緒に全国行脚して色んな工藝を巡ってる気分を味わえて、めちゃ楽しかった〜!烏山が美しい馬具を作るところだったなんて知らんかったぞ?今となっては検索しても出てこいものもけっこうあった一方、ちゃんと残ってるものが多数あって希望を感じた! 実用品の美しさとは何か。それは実際の生活での使用に耐えうる丈夫さ...続きを読むや使いやすさをともなった「健康な美」。健康な美こそ一番美しい!なぜなら、背後に自然の法則が働いているから。法則に従順である、この「他力の美しさ」は人間の視点からすると「不自由」「束縛」という嘆きとも捉えられるが、自然の視点からすると一番当然な道を歩くということ。むしろ「他力に任せ切るとき、新たな自由の中に入る」。 芸術品と異なり、工藝品は作った人の名を記したものはない。職人たちは、名で残ろうとするのではなく品物で勝負している。たとえ作った人が学のない無名な人で、作るものが普通であったとしても、大きな伝統の力に支えられているということを忘れず、名もないものの美しさこそもっと評価すべきではないか。 伝統を尊ぶということは、ただ昔を繰り返すということではない。伝統は活きたものであって、そこに創造と発展がなければならない。伝統を尊ぶということはむしろ連なってきた樹木の根をを更に育てて名木にするためである。 もしも我々の生活が醜いもので囲まれているなら、その暮らしは程度の低いものに落ちてしまう。一国の文化はその国民の日々の暮らしに最もよく反映される。生活を深いものにするためには、どうしてもそれは美しさと結ばれねばならない。生活の中に交えることでかえって美が深まり、確実なものになる。それこそが実用の美、健康の美。 「我々は日本の固有のものをもっと尊ぶべきだが、それは他の国のものを謗るとか侮るとかいう意味を伴ってはならない。真に国民的な郷土的な性質を持つものは、お互いに形こそ違え、その内側には一つ触れ合うものがあり、お互いに近い兄弟ともいえる。世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学ぶ。」 柳さんも朝鮮の文化に触れて、かえって日本のさまざまな美、民衆が創造主体の美が見えてきたということで、外に触れて内を知るというのはどの時代にもあるんだな〜と感じた!いつか日本の手仕事令和ver.を刊行したいと思いました。 Posted by ブクログ 民藝とは何か 柳宗悦 柳宗理を先に知って、彼のエッセイ読んだ後で彼の父である柳宗悦のこの本を読んだんだけど、もうあれね。父ちゃん圧勝! 柳宗理もすごいけど、それとは比較にならないくらいの柳宗悦の思想の真剣さ、熱さよ。郷ひろみも真っ青の、アーチーチーアーチー具合。 民藝とは関係はないですが、美術が何かわからないという理...続きを読む由で美術芸術を敬遠している方、読んでみてください。きっとあなたを励ましてくれるはずです(私は励まされた)。 Posted by ブクログ 沖縄文化論集 柳田国男 / 折口信夫 / 伊波普猷 / 石井正己 / 小原一夫 / 幣原坦 / ニコライ・ネフスキー / 稲垣国三郎 / 柳宗悦 【沖縄文化論の草分け論集】 明治政府による廃藩置県で琉球王国が滅亡し沖縄県とされたのは、1879年である。日本で沖縄文化研究の本格的な気運をつくったのは民俗学の創始者の柳田国男だった。柳田は南島こそ日本文化の源流と見ていたのだ。柳田の『海南小記』に刺激されて、折口信夫も沖縄を訪ね、『琉球の宗教』を書...続きを読むく。他方、民芸運動の主唱者柳宗悦は、沖縄における「民衆芸術」の営みを愛でた。 本書は、柳田、折口、柳をはじめとする沖縄文化論の草分けの論考が詳細な注記とともに読みやすい形で提供されている。返還50周年を機に、沖縄の文化を見つめ直すのに格好な本である。 柳田「日を経て南の風の吹く頃には、遙かなる常夏の国から、椰子の実が流れてくる」。折口「内地の古神道と近い琉球神道は、組織だった巫女教の姿を現に保っている」。柳「伝統的な純正な和語を最も多量に含有するのは東北の土語と沖縄語である」。「詩歌と音楽と舞踊とが、まだこの島では一体になっている」。 (本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会/門倉) Posted by ブクログ 手仕事の日本 柳宗悦 昭和15年ごろの日本列島の手仕事を紀行する。現在で言えば地域特産品である。日本の民芸品が紹介されることで、当時の手仕事の結実がわかる。機械は世界のものを共通にしてしまう。それは、粗末なものになりがちだという。手仕事にこそ個性が宿る。ドキュメンタリーのような手法で、日本の手仕事を紹介する。手によって...続きを読む生まれた日本人の暮らしに欠かせなかった生活道具の紹介。その見る目が民藝運動の創始者の視点が浮かび上がる。日本にこれだけの民芸品ができていることに、感動さえ覚える。日本は、素晴らしい手仕事の国つまり手の国という。 上手、下手、手堅い、手並みがよい、手柄を立てる、手本にする、手腕、読み手、書き手、聞き手、と手に関する言葉が多い。手がものを作らせたり、働きに悦びを与えたり、道徳を守らせたりする。日本にさまざまな品物ができるのは、自然、紀行風土であり、人間が開発した努力の跡としての歴史であり、自然と人間との交わりから生み出されてきた。品物を作ることは、自然の恵みを記録しているようなものである。伝統とは長い時代を通し、祖先たちが、さまざまな経験によって積み重ねてきたもの。そこには思想もあり、風習もあり、知恵もあり、技術もあり、言語もある。 手仕事の世界は人間の自由が保たれ、責任の道徳がよく働いている。柳宗悦は、正直な品物を褒める。 著者は、美しいとは、健康でなければならないという。美しいの中に、健康という概念を持ち込むことが素晴らしい。今まで、そのような健康と病気という視点で見たことはなかった。 柳宗悦はいう。「私たちは健康な文化を築かねばなりません。日本を健康な国にせねばなりません。それには国民の生活を健全にさせるような器物を産み育て、かかるものを日々用いるようにせねばなりません」表現は、戦争時代を迎えて、検閲に注意したとしても、いい言葉である。 その美しく健康な地域固有な品物が、手によって作られることで、心でつくり、心で受け入れられるのだという。 焼物、染物、織物、金物、塗り物、木や竹や皮や紙の細工、玩具をめぐる。 関東から始まり、江戸文化、そして江戸風な気質を見出そうとする。上野近くの田村屋のキセル、十三屋の櫛、道明の組紐。襟円の半襟。阿波屋の下駄。さるやの楊枝。榛原の和紙。永徳斎の人形。なごやの金物。平安堂の筆墨。と上げていく。ふーむ。まさに文化が手仕事で結実している。この中で残っているのは、どれくらいあるのだろうか。昭和15年頃なので、80年前のことだ。 こうやって、日本列島を北海道を除いて、東北、関東、中部、北陸、近畿、中国、四国、九州を駆け巡る。美への基準としたたかな目で探り当てていく。 機械で盛んに作られている品物に対して、惜しいかな、どこまでも営利の目的を外れないので、だんだん粗末になり、どう手を省くかについて知恵を働かしていることに嘆く。一方で、手でつむぎ、染めも正藍を用い、昔風の手機で織っている。このやり方が織物のよさをよく知り、道を守って仕事を崩さないという。そして、装飾めいたものに対しては、批判をする。もっとシンプルに生活に合うものを求める。その姿勢が、なんとも言えないなぁ。 ここで、上げていったらきりがないのでやめるが、その評価については、なるほどと思わせるものがある。柳宗悦が、今の時代に生きていたら、絶望を感じるかもしれない。時代は大きく変わり、職人は、どんどんと消え去り、長年の修行によって達成される手業が生み出されない日本が生まれているような気がする。日本の原風景が見えて、楽しい。しかし、語り口が実に爽やかなのに驚く。 Posted by ブクログ 柳宗悦のレビューをもっと見る