あらすじ
日本精神史の埋もれた鉱脈を掘り起こす新シリーズ〈叡知の書棚〉刊行スタート!
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柳にとって重要だったのは、美は、人間を救い得るかということだった──若松英輔
明治・大正・昭和を生きた民藝運動の父。
その初期代表作を現代仮名遣いで復刊。
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神秘思想への考察を深めたのち民藝運動を立ち上げた知の巨人、柳宗悦による記念碑的な宗教哲学書。
「美の宗教」という独自の世界観を開陳した歴史的作品にして、雑誌「白樺」での西洋文化研究を昇華させた知と美の結晶。
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『宗教とその真理』と民藝運動のあいだには溝が存在しない。
むしろ、民藝の発見は、飽くなき宗教哲学の探究の先に訪れた美の花だったのである。
柳は宗教哲学者として出発しただけではない。彼自身の自覚においては、民藝運動もまた、宗教哲学者としての実践にほかならなかった。柳にとって重要だったのは、民藝における美が、どのように人を癒し、慰めるかではなかった。美は、人間を救い得るかということだった。──「解説」より
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Posted by ブクログ
柳宗悦は西田幾多郎と井筒俊彦の間に居るということを本書『宗教とその真理』は強く感じさせる。若松英輔氏の『霊性の哲学』を読んで以来、どうしても柳宗悦の「哲学におけるテンペラメント」を読まなければならないと思っていた。もちろんその文章が本書のハイライトとも言えるものであることは間違いないのだが、本書を実際に読んでそこに至るまでの向上道とも言うべき論述に評者は意表を突かれた。白樺の運動の中で連載された論考を集めたものでありながら、本書は一冊の書物として類まれな柳宗悦の堂々たる主著であることを知らされるのである。
西田幾多郎の『善の研究』に内展involutionと外展evolutionという言葉がライプニッツに帰されて言及されている。その印象的な二語が本書において度々用いられていることに、柳が『善の研究』によって切り開かれた地平と同じ地平で物事を捉えようとしていることを感じさせられる。学習院時代の柳のドイツ語の先生だった西田との交流は、おそらく単なる語学の教授に留まらずそこに血の通った交流と敬意とがあったことを想わせるのである。
本書を紐解いてまず強烈に印象付けられたのは本書が近年の著作では類書のないキリスト教霊性史とも言うべき内容を蔵していることである。キリスト教霊性史をこのような律動と筆致で描いた書物を日本語で読んだことは今までなかった。現在のように個々の研究が進んでいるわけでもない時代に柳が如何にそれらを見出し得たのかが気になるところではあるが、柳が問いかけるものの一つひとつを自ら確かめることを強く促されるのである。『工藝の道』において展開される宗教哲学の素地が本書によって生き生きと展開されており、否定神学に始まり西洋の古典たる神秘家たちと老荘思想を読み解く柳の筆致は読者に感化を与えて止まないものであろう。そしてそれは、秀逸な宗教哲学入門でありながら類まれな宗教哲学論でもあるのである。
「哲学におけるテンペラメント」は若松英輔氏がたびたび井筒俊彦のアリストテレス読解として取り上げるオレクシスを思わせる。気質とも訳されるテンペラメントはそれぞれの人に固有の発露を掬い取ろうとする言葉であり、テンペラメントなくして哲学はあり得ない、そういったそれぞれの内なる衝迫とも言うべきものを表わしているのである。先に述べた壮大な宗教哲学入門を成す全体の論述はそれこそ井筒俊彦の『神秘哲学』における向上道を思わせる。
柳宗悦にとって書くとは自らが受け取った豊かな洞察を読者に余すことなく伝えることであったのだということを本書において感じる。キリスト教霊性史の精華とも言うべき内容を老子や中庸と突き合わせながら読み解き、その東洋的洞察をアーサー・ヒュー・クラークの詩を引き合いに出しながら見出していくのは圧巻である。柳の論考を通して読者に与えられるのはもちろん叙述の内容もさることながら、何をどう読むかということなのではないだろうか。私たち一人ひとりの古典を見出し私たち自身の生を見つめることを本書は促しているように思う。