作品一覧 2024/03/13更新 危機の神学 「無関心というパンデミック」を超えて 試し読み フォロー キリスト教講義 試し読み フォロー キリスト教の核心をよむ 試し読み フォロー 宗教のきほん 「愛」の思想史 試し読み フォロー 世界は善に満ちている―トマス・アクィナス哲学講義―(新潮選書) 試し読み フォロー 存在と思惟 中世哲学論集 試し読み フォロー トマス・アクィナス 理性と神秘 試し読み フォロー 1~7件目 / 7件<<<1・・・・・・・・・>>> 山本芳久の作品をすべて見る
ユーザーレビュー キリスト教の核心をよむ 山本芳久 宗教と、それを信仰する人の心に関心があって、ずいぶん昔から、中学生くらいから?岩波文庫等の聖書を手にしたり、さまざまな本(遠藤周作の沈黙も含む)を読んできましたが、そうか。 旧約も新約も、旅人と、旅人とともにある神なのか。キリスト者が旅人で、イエスの復活も、どこまでも人々の苦しみや悲しさと寄り添った...続きを読むイエスの姿を、そして、これからも人々に寄り添っていくその姿を、まことに認めることだったのか。 アウグスティヌスの告白も、読んでみようと思いました。 Posted by ブクログ 宗教のきほん 「愛」の思想史 山本芳久 愛をテーマに、プラトンのエロースからアリストテレスの友愛といったギリシャ哲学、アウグスティヌスから著者が専門のトマスアキナスまで、キリスト教に限らず哲学のエッセンスが分かるのが良かった。 単なる哲学の解説ではなく自分の心のあり方を考えるきっかけにもなる。 アウグスティヌスが神への愛を語る「告白」の解...続きを読む説では「まず働きかけてくるのは神の側だと言うことです」という。何かを追い求めるのではなく、出逢った御言を受け入れる、受動的な態度が印象深い。 トマスアキナスでは、感情論について、感情は受動的な仕方で生まれてくるという。自己愛があってこそ隣人愛が生まれる、という説明に、著者の温かさを感じた。自己愛と隣人愛との比較の考察に、一致と一であることとの比較を補助線として使用していると言う。1であることのラテン語unitasはunityの語源でありこれはそれぞれのものが有している自己統一性のことだと筆者は言う。一であることとは、その人がその人としてのまとまりを持っていること、アイデンティティーを有していること。それが前提としてあった上で人それぞれとの結びつき一致が生じてくるんだと述べているのだと。それぞれが健全な自己愛に基づいて自分の全体を受け入れ自分を大切にする事はできている、それがあった上でそれぞれが自分のことだけでなく相手のことも愛し受け入れることができる、一致が可能になるという。だからトマスは、人がそれによって自己自身を愛する所の愛が友愛の形相であり根拠である、と言っているのだと。自己愛が明確に確立していて初めてそれが根拠となって隣人への愛も生まれてくる。他者に対する友愛は自分が自分自身を大切にするやり方を他者にも及ぼすことだからと。自分を犠牲にして隣人を愛すると言うよりは、自分を大切にすると言う前提があって初めて隣人を大切にするあり方が可能になる、という点が強調されているのだと著者は述べている(p213) Posted by ブクログ トマス・アクィナス 理性と神秘 山本芳久 読みやすいです 『愛のあるところ目がある』という一文にひかれた読みはじめました。 トマスアクィナスの著作に興味はありますが、哲学と神学の素養がなく、 ボリュームもすごいのであきらめていましたら、このとっつきやすい本が 見つかってよかったです。カトリックの深さ広さを感じる一冊と思います。 なぜかガンバロウと思いました...続きを読む。 ゆーきりん 世界は善に満ちている―トマス・アクィナス哲学講義―(新潮選書) 山本芳久 授業で指定されて読んだ本。トマス・アクィナスの感情論が分かりやすく、かつ明確に示されていた。愛があらゆる感情の根源であり、欲望されうるものの心における刻印こそが愛。欲望されうるもの=善が自分の周囲に転がっている可能性に気づくことで自分から見える世界はより豊かなものになりうる。 Posted by ブクログ 世界は善に満ちている―トマス・アクィナス哲学講義―(新潮選書) 山本芳久 トマス・アクィナスの「神学大全」という大作のうち、感情論にテーマを絞ってトマス哲学の核心的な位置づけと見なされる肯定の哲学という観点から講釈いただけております。哲学者と学生の対話形式で綴られていますので、取っつきやすくかつ日常的な例を挙げてながら進めているので、自分の経験とリンクさせて理解が深まる。...続きを読む 喜びや希望といった正の感情、絶望や恐れ・忌避などの負の感情含めすべての根源的な感情として「愛」があるのだ。絶望・恐れ不安に襲われている際にも、そこには対象「欲求されうるもの」への愛所以という論理を心に留めておくことで、直面している悲惨な現状に対して少しでも拠り所として機能するのではにないか。 また、愛するということは一見能動的な動作や感情に思えるが、そこにまず「欲求されうるもの」からの働きかけがあり、その働きかけに呼応することで深まっていくもの、つまり発端はどちらかというと受動的なものとなる。これは、愛、言い換えると「善なるもの」は独断的で独りよがりなものではなく、その対象との相互的な関係性によって成り立っているのだという考え。また、「欲求されうるもの」はこの世の中に沢山散りばめられており、その出会いと深化が人生を豊かにするのだとい楽観主義的な思想が、悲観に満ちかけた時などの気持ちの支えになってくれそうとか思いますの。 以下、付箋個所をトレースしてみます。 P140 「憎しみ」の根底には「愛」があるという気づき。憎しみという負の感情に飲み込まれないための、心の錨として落としておきたい考えです。 P165 「発展的スコラ哲学」トマスが古代ギリシア哲学とキリスト教の神学を統合して洞察を深めていったように、トマスの哲学と現代の知的発展を統合してさらに発展的な知的探求を行おうという試み。トマス的な取り組みを現代でも継承していこうというこの意気込みは、「神学大全」をただのキリスト教の教義だと決めつけていては到達できない観点ですね。 P187 不倫や賄賂などのいわゆる悪に属する行いも、「性的快楽」や「拝金主義」といったある場面においては追求されることもある善を歪んだ形で発揮してしまっている所以であり、「悪」を愛しているわけではない。このように陥ることを防ぐため、「徳」が必要なのである。 P200 善に対する「実在的な一致」と「心における一致」では後者がより重要性を増している。心に喜びを伴わない場合では、実際に喜びを与えてくれる対象を手に入れていても真に愛することはできない。深いお言葉。 P220 「もう一人の自己」「相互内在」 人間が有する特徴である。自分ではない他者に対して、自分の喜ばしいことのように感じ入れる。これは、神の似姿としての人間のみに与えられた善の分与・共有の精神に近しいのではないでしょうか。 P289 神学的な観点から考察する感情論との親和性 「傷つきやすさ」をもつ不完全な人間だからこそ、受動的に善に出会うことができ、相互に感じ入れることができる。愛すべき、ビバ人間。 人テーマに絞り込み、あまり神学との絡みをあえて省いた本質的な論を展開してくれているので、自分の人生の糧となるでしょう。良本でございます。しぇいしぇい。 Posted by ブクログ 山本芳久のレビューをもっと見る