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「愛のあり方」が腑に落ちれば、キリスト教が理解できる。 世界中の誰もが人生で直面する「愛とは何か」という問い。愛はどのように捉えられてきたのか。受け継がれてきた愛の英知をコンパクトに整理し、キリスト教の基礎知識と合わせて提示する。難解な内容を誰よりも明快に解説できる東大教授による、愛を理解し実践するための書。
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Posted by ブクログ
本書は類書のないキリスト教思想入門である。多くの入門書や概説書はある決まった枠組みを読者に提示することが多いのだが、本書はむしろどうしてそういう発想に至るのかという、その一歩手前の部分から説き起こす。その理由は本書が同名のラジオ番組をもとに書き下ろされたものだからであろう。噛んで含めるような語り口...続きを読むによってその惟一回の好機を掬い取ろうとする本書は、ともすれば難しく感じてしまうテクスト群を、実際に読み解くことを通して生き生きと読者に提示してくれる。 本書は著者の『キリスト教の核心をよむ』がそうであるように、キリスト教に興味を抱くすべての人に勧めたい一冊である。入門書であると基本的な事柄に終始するのかといえばそうではなく、むしろ研究書などにおいては扱われることのない深さでテクストが読まれていくことに特徴があると言えよう。著者長年の読解に基づく引用テクストの選びそのものが本書をたぐいまれなものにしている。 キリスト教は愛の思想であるとはよく言われるが、その内実は自己犠牲的なものであるかのように捉えられることが多いのが現実である。しかし本書はその発想がいかに一面的であり、むしろ自己否定的なものは本来キリスト教的ではないことを明らかにする。本書において詳しくは説明されていないが、このことはむしろ奉献や敬虔に関わるものであり、著者の『トマス・アクィナス 理性と神秘』により詳しい記述を見出すことができる。 本書を特徴づけるのは教皇ベネディクト16世の回勅『神の愛』の読解にあろう。この一書の基本的要素となる愛の言語をそれぞれの思想家のコンテクストにおいて明らかにしつつ、『神の愛』において説かれる根本問題をニーグレンの『アガペーとエロース』との対比を通して明らかにしていく。そこまでの叙述、すなわちプラトンのエロース、アリストテレスのフィリア、そして『神の愛』の読解を起点としたアウグスティヌスとトマス・アクィナスのカリタスの議論が絶妙な仕方でお互いを否定することなく有機的な全体を成している。 ここまでの内容はいくらか著者の別の書と重なる議論と思う人もいるかも知れない。しかし本書では先に言及した『キリスト教の核心をよむ』で取り出される旧約聖書と新約聖書における神理解がより詳しく説明されているのもまた印象的である。聞き手に対して語られた言葉であるからこその平明さは、単に入門であるだけでなく専門的な研究を紐解いて後に見えてくる地平へと読者を立たせてくれるものである。キリスト教の理解を深めたいすべての読者に勧めたい一冊である。
著者は中世哲学を専門とする東大教授である。本書はカトリック入門または中世哲学入門としても読める良書だった。キリスト教は「隣人愛の宗教」であるが、それは「自己愛否定」で「自己犠牲を推奨している」と思われやすい。しかしそれがいかに一面的な偏見であるかを、本書は丁寧に解き明かしてくれている。意外と類書の少...続きを読むないテーマであり、キリスト教ひいてはカトリックに関心をお持ちの人にお勧めできる一冊となっている。
宗教的なエッセンスをふんだんに含みつつも、哲学者や歴史家からみた愛というものを取り上げている。 気付かされる事も多く、また歴史的意味でも興味深いものだった。
愛をテーマに、プラトンのエロースからアリストテレスの友愛といったギリシャ哲学、アウグスティヌスから著者が専門のトマスアキナスまで、キリスト教に限らず哲学のエッセンスが分かるのが良かった。 単なる哲学の解説ではなく自分の心のあり方を考えるきっかけにもなる。 アウグスティヌスが神への愛を語る「告白」の解...続きを読む説では「まず働きかけてくるのは神の側だと言うことです」という。何かを追い求めるのではなく、出逢った御言を受け入れる、受動的な態度が印象深い。 トマスアキナスでは、感情論について、感情は受動的な仕方で生まれてくるという。自己愛があってこそ隣人愛が生まれる、という説明に、著者の温かさを感じた。自己愛と隣人愛との比較の考察に、一致と一であることとの比較を補助線として使用していると言う。1であることのラテン語unitasはunityの語源でありこれはそれぞれのものが有している自己統一性のことだと筆者は言う。一であることとは、その人がその人としてのまとまりを持っていること、アイデンティティーを有していること。それが前提としてあった上で人それぞれとの結びつき一致が生じてくるんだと述べているのだと。それぞれが健全な自己愛に基づいて自分の全体を受け入れ自分を大切にする事はできている、それがあった上でそれぞれが自分のことだけでなく相手のことも愛し受け入れることができる、一致が可能になるという。だからトマスは、人がそれによって自己自身を愛する所の愛が友愛の形相であり根拠である、と言っているのだと。自己愛が明確に確立していて初めてそれが根拠となって隣人への愛も生まれてくる。他者に対する友愛は自分が自分自身を大切にするやり方を他者にも及ぼすことだからと。自分を犠牲にして隣人を愛すると言うよりは、自分を大切にすると言う前提があって初めて隣人を大切にするあり方が可能になる、という点が強調されているのだと著者は述べている(p213)
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宗教のきほん 「愛」の思想史
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山本芳久
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キリスト教の核心をよむ
三大一神教のつながりをよむ
NHK「100分de名著」ブックス アリストテレス ニコマコス倫理学 「よく生きる」ための哲学
危機の神学 「無関心というパンデミック」を超えて
キリスト教講義
世界は善に満ちている―トマス・アクィナス哲学講義―(新潮選書)
存在と思惟 中世哲学論集
トマス・アクィナス 理性と神秘
試し読み
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